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2021年4月 の投稿

地下アイドルの法律相談

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 深井 剛志 、 出版 日本加除出版
私はテレビを見ませんし、コンサートに行くこともありませんので、アイドルなる存在とはまったく無縁です。なので、地下アイドルって、何のこと…、という感じです。
AKBが登場したあと、アイドルの活動はテレビからライブに移行し、握手会や物販など、ファンと直接交流する場での活動が中心になっている。
現代におけるアイドルの役割は、多くのファンに活力を与えてくれる、心のオアシスのようなもの。
著者がこれまで相談・依頼を受けたケースを通じて、アイドルと所属事務所との契約は、事務所側に有利な内容になっていることが多く、十分に生活を送れる条件で働くことのできるアイドルはとても少ない。
この本は、契約における不均衡を少しでも是正し、アイドルにとって働きやすい環境をつくるため、法的に契約内容の問題点を指摘している。
契約書では、給料の決め方が具体的に詳しく書かれていないことからトラブルになることが多い。また、アイドルの禁止事項と、それに違反したときに賠償金の額が問題になることもある。さらには、契約終了後、アイドルの移籍や芸能活動を禁止する条項があったりする。なので、契約書にサインする前に、よくよくチェックする必要がある。
そうなんですよね。アイドルとして一人前になろうとするのなら、契約書のチェックをあなたまかせにしてはいけません。
アイドルが未成年のときには、親(親権者)の同意をもらっておく必要がある。アイドルは事務所との業務委託契約を結ぶ。これは、会社員が勤務先の会社と結ぶ労働契約とは別。つまり、アイドルは、いわゆる労働者ではない。しかし、働き方の実態からアイドルが労働契約を結んでいると解されるときには、最低限の給料をもらう権利がある。
たとえば、アイドルが仕事が断ることができない、報酬の決定権限が事務所にあり、著作物の権利も事務所にあって、アイドルは副業禁止というときには、アイドルは労働者にあたり、最低賃金法による給料が保障されるとした判例がある。
アダルトビデオへの出演を強要されたモデルが拒絶したところ、事務所がモデルに損害賠償請求した裁判で、その拒絶は正当であって、違法ではないので、違約金を支払う義務はないとした判決がある。
アイドル志願の若い人にはぜひ読んでほしい本です。福岡で著者のサイン入りの本を購入しました。マンガで状況描写されていますので、とても分かりやすい本になっています。
(2020年7月刊。税込1760円)

空飛ぶヘビとアメンボロボット

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 デイヴィッド・フー 、 出版 化学同人
ノーベル賞ならぬ、イグノーベル賞を2回も受賞したという著者の話は、さすがに面白い。
ええっ、こんなことまで調べるのか…。たとえば、自分の子ども(赤ちゃん)のおしっこが何秒間つづくのか測ったら21秒だった。そんなの測りますかね…。
そして、では、ゾウの排尿はどれくらいか。まあ、図体がでかいから1時間くらいかな…。と思うと、あにはからんや、人間と同じで、21秒ほど。ほ乳類の動物が、ほとんどこの21秒ほどだというのです。
生理現象のときは無防備なので、敵に襲われると逃げきれない心配がある。そこで、21秒くらいが安全。そうすると、尿道は、それにあわせることになる。直径と長さの組み合わせなので…。イヌ、ヤギ、パンダ、サイ、ゾウの排尿時間は、いずれも10秒から30秒のあいだで、平均は21秒。動物たちの排尿時間は驚くほど近似している。
犬の膀胱は、計量カップほど。ゾウの膀胱は、その100倍以上で、20リットルのキッチン用ゴミ箱を一度のおしっこで満タンにする。尿道の長さと直径の比は、男性25:1、女性で17:1。この比は人間だけでなく、ネズミからゾウまで、あらゆる哺乳類に共通している。学者って、こんなことまで調べるのですね。その発想に圧倒されます。
蚊は、雨の中でも飛べる。なぜか…。空から降ってくる雨粒の重さは、蚊の約50倍。では、蚊はどうして雨粒にぶつかったり、土砂降りのなかでも飛んで(生きて)いられるのか…。
蚊の重さは、雨粒のわずか2%でしかない。あまりに軽いので、雨粒の動きに逆らわない。蚊は雨粒の落下を妨げることなく、ただ受け流す。蚊があまりにも軽いので、雨粒は衝突によって減速しないことから、蚊の体には大きな負荷がかからない。
トビヘビは、高さ50メートルの樹にのぼる。そこから滑空し、100メートル先の地面に、ほんの数秒で到達する。トビヘビの滑空率はムササビを10%も上回り、トビガエルの2倍近い。
トビヘビは空中を落下するとき、はじめは頭を下に傾けていたが、次には頭を上に、尾を下にして、体を水平に近づけた。そして自分の体をS字型に曲げ、空中を泳ぐように波打ちはじめた。地表に着地するときには、着地の衝撃を和らげるため、ヘビは再び体の向きを変え、尾を最初に、頭を最後に着地する。
ヘビの体が「ぬるぬるしている」という俗説は間違い。ヘビの体は濡れたように艶やかだが、触ってみると、さらりと乾燥している。
ヘビの椎骨は、数百個もあり、そのため、ヘビの体は長くしなやかなカーブを描き、体全体を地面につけて力を生み出せる。
アメンボはなぜ池の上をスイスイと動きまわれるのか・・・。アメンボが水の上に立てるのは、体のサイズが小さいおかげで、表面張力を利用できるから。アメンボは非常に小さく、そして軽いので、ふだんは無視できる力の影響を受ける。すなわち、表面張力。表面張力がアメンボの体重を支えるのは、トランポリンがヒトの体重を支えるのと同じ原理にもとづく。
アメンボが空気の層をとらえておけるのは、どんな動物よりも毛むくじゃらの脚をもっているから。つまりアメンボが濡れないには、脚の表面積が毛によって増大したおかげだ。毛と毛のあいだには水が入りこめない。アメンボは、水の上というよりも、空気の上に立っている。脚もとにある空気の層のおかげで、アメンボは、アイススケートをするように、水面をスイスイ滑って移動できる。
そして、著者は、このアメンボをつくってみたのです。それは、ステンレススチールの針金でできている。脚は、水をはじくようにコーティングされている。体長9センチで、重さは0.35グラム。いやあ、こんなことまでしてみるのですね、学者って…。
生物の世界は不思議にみちみちています。私が日曜日夜の『ダーウィンが来た』を毎回欠かさず(録画して)みているのは、その神秘の解明に少しでも近づきたいがためです。
(2020年21月刊。税込2640円)

キネマの神様

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 原田 マハ 、 出版 文春文庫
いやあ、うまいですね、しびれます。著者のストーリー展開の見事さにはまいってしまいます。映画好きの私には、たまらない本でした。
この冬に山田洋次監督によって映画化されるというので、あわてて読みました。なんと、2011年に初版が出ていて、すでに32刷なのですね(2020年2月)。申し訳ないことに、この本の存在自体を知りませんでした。
解説を片桐はいりが書いています。大変失礼ながら、私はその名前を聞いたこともありません。「キネマ旬報」に映画(館)にまつわる話のあれこれを書いている人のようですね。
それはともかく、「三度の飯の次くらいに映画が好きな映画ファン」というほどではありませんが、私も月に一度は映画館で映画を見たいと思って、それを励行しようとがんばっています。なので、映画案内を見逃すことはしません。
この本に出てくる銀座和光ウラの「シネスイッチ銀座」というのは、私も上京したときによく行く、小さな映画館です。「ニュー・シネマ・パラダイス」を単館で公開した映画館だったというのですが、私はこの素晴らしい映画をどこでみたのか、残念なことに覚えていません。
著者の父親が映画をずっとみていて、その短評を自分のノートに書きつづっていた。それをブログにあげ、好評だったので、英語にしたところ、意外な反応があった。しかも、アメリカのプロ級の映画評論家からの反応があり、父親との丁々発止が世界の映画ファンから注視されるまでになった…。
ここでは紹介しませんが、そこに展開される映画評の奥深さは、ひょっとして、これって小説ではなくて、実話なんじゃないの…、そう思わせるほど真に迫っています。著者の作家としての力量のすごさは完全に脱帽です。
それにしても、映画って、いいですよね。私は読書しても本の世界に没入できるのですが、映画は本とは違って、視覚的に、また暗い映画館のなかで明るいスクリーンと一対一で対峙していて、体験として心の中に残っていく深さがあります。
いやあ、いい本でした。ぜひぜひ映画をみてみたいです。山田監督、よろしくお願いします。今から楽しみ、ワクワクしています。
(2020年2月刊。税込748円)

心の歌よ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社
世界中を取材して歩いているジャーナリストの著者は、日本ほど歌の種類が豊富な国は珍しいと断言しています。そして、全国民がなべて歌う文化を持つのは、日本のほかにはヨーロッパのバルト三国くらいだとも言います。
歌は人生と時代の産物。どの歌にも、生み出した人の人生や思考が反映されるし、歌が生まれた時代や社会などの背景を投影する。歌を追求すると、日本と日本人が見えてくる。
なるほど、この本に取り上げられている歌は日本人の「ふるさと」そのものだという気がしてきます。著者は、その点をジャーナリストらしく足で運んで調べあげ、言葉として表現してくれました。読んでいると、いつのまにか耳の奥に歌が流れてくるのです。その心地良さに浸りながら平日の昼に、昼食をはさんで長い昼休みをとって一気に読み上げました。
「赤とんぼ」を作詩した三木露風は、実際に5歳のときに母親と生き別れてしまったのでした。それで、毎日、母が今にも帰ってくるかと山道を駆けのぼって待ち続けたというのです。この歌は、その心境を言葉にしたものでした。
著者は、「童謡赤とんぼのふる里」まで出かけていき、三木露風に宛てた実母の巻紙(手紙)の実物をみています。5歳で母と生き別れになったあと、母に代わって露風の世話をした子守の娘(姐(ねえ)や)が実際にいたのですね。この姐やは、15歳になってお嫁に行き、実母からの便りもなくなったという実話を元にしているというのです。5歳の孫が身近にいる身なので、涙が止まりませんでした。ともかく、そのころは、何をさておいても母が一番なのですから…。
そして、この「赤とんぼ」の歌は立川にあったアメリカ軍基地の拡張に反対して起きた砂川闘争のとき、警察機動隊の前で学生50人が歌って武力衝突を防いだという伝説の歌だというのです。なるほど、この歌をしみじみ聞いていたら、猛々(たけだけ)しい心も沈静化してしまいますよね。
灯台守(とうだいもり)の夫婦をテーマとする映画「喜びも悲しみも幾歳月」の主題歌の話も心にしみるものがありました。福島県の塩屋崎灯台で夫婦して仕事・生活をしていた人の手記が映画化されたのです。初めは佐田啓二と高峰秀子、そしてリメーク版は加藤剛と大原麗子の主演です。
なにしろ、水道も井戸もなく、雨水を貯めての生活。お産は、夫が赤ん坊のへその緒を切った。ところが、それでも子どもは10人うまれ、娘3人は灯台と関係した人生を歩んだというのです。著者は娘さんたちにも会って取材しています。さすがです。
千昌夫が歌った「北国の春」。作詞は「いではく」。作曲は遠藤実。歌詩をうけとると5分で作曲した。「北国の春」の作詞家、作曲家、歌手の3人に共通するのは、少年時代が「冬の時代」だったこと。貧しい家庭に育ち、母の手で育てられ、「しばれる冬」を体験した。でも、北国の人特有の粘りと努力で、春を求めてはい上がった。
こんな歌の背景を知れば、歌うときの姿勢も変わってきますよね。聞くほうも、心のもちように違いがあります。
綺羅(きら)星のような歌の成り立ちを知れば、涙のあとに生きる勇気が湧いてくる。このオビのフレーズは、まさしくそのとおりです。
週刊「うたごえ新聞」に月1度のコラムを連載中の著者が一冊の本にまとめました。ちょっとコロナ禍で疲れたなという気分の人には特に一読をおすすめします。
(2021年2月刊。税込1760円)

ステップファミリー

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 野沢 慎司、菊地 真理 、 出版 角川新書
子どもの親権をめぐる争いは、弁護士にとって、よくある事件の一つです。実際には、どちらの親が毎日、子どもの面倒をみているのかがポイントだと実感しています。
寂しい思いに駆られるのは、親が双方とも子どもを相手に押しつけようとするケースです。結局、子どもは施設に入ることになります。恐らく親は、どちらも面会しないのでしょう…。そんなケースにあたると、本当に残念です。
親の育児放棄から施設に入れられて育った人の依頼を受けたことがありますが、子ども時代の様子は語りたがりませんでした。やはり寂しかったようです。施設によるのだとは思うのですが、卒業したあとの子どもたち同士の交流はないということでした。なので、子ども同士の連帯感が育っていないようでした(これは決して一般論を言っているのではありません。あくまで私が話を聞いた人の話です)。
親の離婚を経験する子どもたちは、50年ほど前に比べて、格段に増えた。2018年の1年間に、21万人にのぼる。この子の親が再婚すると、「ステップファミリー」ができる。現代日本においても、もはやステップファミリーは珍しい家族ではなくなっている。現代は、いつ、誰がステップファミリーの一員になっても不思議ではない時代だ。
ステップファミリーを、両親とその子どもから成る単純な核家族と「同じ」ものとみる視線が日本社会全体に蔓延(まんえん)している。本当に、それでよいのだろうか…。
慣れ親しんだ生活のルールから切り離され、新たなルール制定者である見知らぬ「父親」との生活が始まったとき、子どもがそれまでの母や祖母と同等の親として「父親」を認めることに抵抗を感じ、反発したとしても不思議なことではないのではないか…。
これに対して、「父親」は、「娘」の反抗的な態度に直面して、自分の理想やプライドが大きく傷ついたかもしれない…。
子どもにとって、「親」だと思っている人に入れ替わって、別の大人がいきなり「親」として振る舞いはじめたとしたら、子どもにとって適応困難であり、理不尽な苦しみをもたらすことになる。そのうえ、ずっと一緒に暮らしてきて便りにしてきた血縁の親が、この理不尽さを理解してくれず、そこから助けてくれないとしたら、子どもは追い詰められ、絶望的な心境に陥ってしまう。なーるほど、ですね。よく分かるシチュエーションです。
日本は、この半世紀のうちに、結婚が離婚に至るリスクの高い社会へ変貌し、今もそのリスクは高止まりしている。
離婚する夫婦の6割に子どもがいる。再婚は、もはや珍しくはない。
明治以前は、長続きする結婚が少なかった。明治より前は、結婚や離婚は、きわめてプライベートな問題であり、政府も宗教も関わっていなかった。江戸時代の日本は、離婚も再婚も珍しくない社会だった。明治から、離婚・再婚が社会的に抑圧されるようになった。
この本にも『須恵村の女たち』が紹介されています。このコーナーでも先に紹介した本ですが、この本を読んで、私の目が開かれました。江戸時代までの日本女性は「モノ言わぬ妻」なんてものではなかったのです。『女大学』は、実態の「行き過ぎ」(男にとって)を少しブレーキをかけようとしただけの本でしかありません。江戸時代に『女大学』のような現実があったなんていうのは、まったく事実に反しています。
「親権」というコトバ時代が時代遅れ。これは、父が家族の財産を管理・支配していた時代の名残(なごり)にすぎない。なるほど、もっともです。
子どもが親を失わない権利をもつという、発想の転換が必要だ。そのとおりです…。
実父と継父は、互いに競合するものではなく、それぞれ別の存在だ。なので、子どもはどちらかだけを「親」として決める必要はない。なにより子どもが安心感・信頼感をもって生活していくにはどうしたらよいか、これを優先させるべきだという著者の指摘には、まったく同感です。
離婚後の共同親権の実現を急げと著者は強調しています。そのとおりなのでしょうね。考えさせられることの多い、いい本でした。
(2021年1月刊。税込990円)

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