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2020年12月 の投稿

裁判官だから書けるイマドキの裁判

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 日本裁判官ネットワーク 、 出版 岩波ブックレット
日本裁判官ネットワークの前の本『裁判官が答える裁判のギモン』は裁判の入門書だったのに対して、本書はしっかり骨のある中級ないし応用編です。30の設問に回答していくのですが、その設問が実に「イマドキ」なのです。
うひゃあ、そ、そうなの…と、私の事務所でも話題になりました。
それは設問1です。「男同士」「女同士」でも不貞(不倫)になるのですか?
ええっ、いったい何のこと…。夫が妻の不倫相手を探しあてると、なんとそれは女性だったというのです。私ともう一人のベテラン弁護士は、そんな経験はありませんでしたが、2年目の弁護士は最近そんなケースの相談を受けたといいます。うへー、同じ事務所にいても聞いたことなかったよ、そんなこと…。
夫婦間では、「婚姻共同生活の平和の維持」を求める利益があるとされているので、同性間の性交渉でも、この利益が害されるとみる余地はあり、「不貞」にあたらないとしても、不法行為が成立する余地はあるとされています。なーるほど、ですね…。
非配偶者間人工授精で出産したときのことです。このとき、夫が同意していれば、夫の子とされるというのです。私は、まだ体験したことがありません。
「親の取り合い」という設問があります。ええっ、何のこと…。これは、老親を子どもたちが奪いあう現象です。実際、よくありますし、今も裁判しています。要するに、親の財産目当てで子どもたちが争うというものです。
この関連で、コラムにある駄洒落(ダジャレ)には笑ってしまいました。寄与分を争っている人たちには「キヨ褒貶(ほうへん)」といい、「ホウフク(報復)絶倒」を狙うけれど、うまくいかないという話です。裁判官には(いや弁護士もかな)、それだけの余裕をもって事件にのぞんでほしいものです。
交通事故が減っているのに、交通事故関係の裁判が増えているのはなぜかという問いに対しては、弁護士費用特約(LAC)があるからというのが回答です。まったく、そのとおりです。今では、7対3か8対2かという争点でだけでも裁判します。それが物損で、修理代20万円ほどであっても…。
そして、保険会社は被害者の通院が少し長いと思うと、すぐに打ち切りを宣言します。保険会社は、ともすると事故を自作自演だと疑い、善良な人を保険金詐欺師呼ばわりする。これを保険会社の不当な不払いという「モラルリスク」だとしています。まったく同感です。金もうけのためには少々の「被害」なんか切り捨ててもいいという昔も今も保険会社の傍若無人ぶりは目に余るものがあります。たまに誠実に対応してくれる保険会社の社員にあたると、ホッとします。
マイホーム代金を建築会社に振り込んだあと建築会社が倒産し、銀行が全額回収したという事案で、高裁が銀行の行為は商道徳・信義則に反して不法行為が成立したというケースがコラムで紹介されています。バランス感覚に富み、かつ勇気ある裁判官にあたるのは珍しいことなので、こんなコラムを読むと救われた思いです。
オレオレ詐欺事件で、末端の「架け子」、「出し子」、「受け子」が捕まって刑事裁判になることは多いけれど、首謀者はなかなか捕まってないことが紹介されています。日本の警察は、もっとしっかり捜査してくれ、と叱りつけたい気分です。
インターネットにからむ犯罪が多発して、裁判の刑が一変しているとのこと。コロナ禍が、それに拍車をかけています。
裁判員裁判について、とかく批判する人は少なくないのですが、実際におこなわれている裁判官と裁判員をまじえた評議(議論)は、きちんとなされているようです。私自身は一度も体験していませんが、基本的に良い制度だと私は考えています。
高裁の一回結審について、本書ではそれなりに合理性があるという回答ですが、それには異論があります。高裁では8割以上が1回結審というのですが、これは明らかに異常です。裁判は、勝ち負けの結論の前に、本人が自分の言い分を裁判官はきちんと聞いてくれたというのが絶対に必要です。
高裁での証人尋問は今や2%、以前は2割はしていた。明らかに人証のしぼりすぎです。
裁判の体験者の2割しか満足していないという調査結果がありますが、私は現状ではそんなものだと実感しています。でも、それは司法サービスとしてまずいと思うのです。
日本の裁判の現状と問題点を全面的にではないにせよ、鋭く追及し、分析し、発表した画期的なブックレットです。弁護士に限ることなくできるだけ多くの人に見てもらいたい120頁の冊子です。
(2020年12月刊。720円+税)

ルース・ベイダー・ギンズバーグ

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ジェフ・ブラックウェル、ルース・ホブディ 、 出版 あすなろ書房
1993年にビル・クリントン大統領からアメリカ連邦最高裁判事(終身)に任命された女性判事(RBG)をインタビューしている本です。すごい判事がいたのですね。
RBGはインタビュー当時、87歳で現役の最高裁判事でした。
1956年にRBGがハーバード大学ロースクールに入学したとき、男子学生500人に対して女子学生はわずか9人。それでも前年5人から倍増。ところが、今ではロースクール生の半分は女性が占めている。日本では、まだそこまではいきませんよね。
ロースクールでの成績は優秀だったのに、ニューヨークの法律事務所でRBGを迎え入れようとしたところは一つもなかった。RBGはユダヤ人であり、女性であるうえに母親だったこと(4歳の娘をかかえていた)が問題だった。そこで、RBGは大学で働くようにした。
RBGの母は娘にレディーになることを求めた。それは、エネルギーを奪うだけで、役に立たない感情には流されない女性のこと。怒りや嫉妬や後悔といった感情は、自分を高めるのではなく、袋小路に追い込むだけ。「レディーになる」とは、怒りにまかせて言い返したりせず、何度か深呼吸してから、理解していない人々を教え導くように応える女性になること。
もし意地悪であったり、無神経な言葉を投げかけられたときには、聞こえないふりをして聞き流したらよい。無視してしまえばよく、決してそれでめげてはいけない。ノーと言われても、あきらめないこと。
そして、怒りにまかせて反応してはいけない。過去を振り返らず、変えようのないことで、あれこれ悩まないこと。他人の声にきちんと耳を傾けることが大切。うむむ、そのとおりなんですよね。とはいっても、実行するのは容易ではありませんが…。心がけてはいます。
RBGは次のように呼びかけています。
信念にもとづいて行動しなさい。ただし、たたかいは選び、のっぴきならない状況には追い込まれないように。リーダーシップをとるのを恐れず、自分が何をしたいかを考えて、それをおやりなさい。そのあとは、仲間を呼んで、心がうきうきするようなことを楽しみなさい。そして、ユーモアのセンスをお忘れなく。これまた、まったく異論ありません。
リベラル派の最高裁判事として大活躍したRBG、最強の87歳を知ることのできる80頁ほどの小冊子です。
(2020年10月刊。1000円+税)

慈悲の心のかけらもない

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 シビル・カティガス 、 出版 高文研
私はマレーシアには一度だけ行ったことがあります。イポーとランカウィ島です。環境問題の視察に行ったように思うのですが、お恥ずかしいことによく覚えていません。
第二次世界大戦のなかで、日本軍はシンガポールに侵攻し、野蛮なやり方で支配しました。主人公のシビル・メダン・デイリーはアイルランド人の父とユーラシア人の母とのあいだに生まれ、ペナンで育った。看護学生として勉強中にセイロン出身の医師と出会って結婚します。そして、夫婦そろってイポーで診療所を開業したのでした。
1941年12月、日本軍が突然、シンガポールに侵攻してきた。イギリス軍が撤退したあと、日本軍がマレーシアを軍事支配した。そのため、シビルたちはイポーからパパンへ避難し、そこで診療所を再開した。
日本軍は、はじめ地元住民に礼儀正しく、思いやりをもって接するという方針だった。ただし、下級兵士のレベルでは必ずしも守られなかった。たちの悪いことに、日本兵のやり方は周到、かつ計算尽く。そのため、不運な犠牲者は何の前触れもなく捕えられ、連れ去られ、その多くはその後、行方はようとして知れなかった。
女性がレイプされるだけでなく、少しでも抵抗のそぶりを見せる男がいたら、端から銃剣で突かれるか、情け容赦なく虐殺された。
日本軍による犯罪捜査の手法は拷問が基本。まずは拷問、次に捜査だった。常に捜査以上に拷問だった。水責めなどで死ななければ、戸外に放置され、燃えるような日ざしにさらされた。また、手や足を焼いた。直腸への沸騰水の注入、手足の指の爪を引きはがす。
そうですね、特高が小林多喜二に加えた拷問を、ここマレーシアでも日本軍はやっていたのです。
民政といっても、実は日本軍による軍政と何ら変わらなかった。日本軍はイギリス軍の統治を再現しようと、マレー人文官を再利用しようとした。
日本人は、中国人(華僑)を弾圧する一方で、マレー人は批判的厚遇するという民族分断政策をとった。この二つの民族間の敵がい心をあおり立てて軍政の安定化を図ろうとした。
しかし、現地の人々はひそかにゲリラを組織して日本軍と戦った。シビルの診療所は、そのゲリラたちの連絡所となり、また救援施設となった。
シビルたちは、日本軍の禁止をくぐって、ラジオでイギリスの放送を聴いていました。もちろん、見つかったら、ただちに日本軍から死刑執行されるような重大犯罪でした。
傷ついたゲリラの将兵を救護するのもシビルたちのつとめでした。
やがて、シビルと夫が逮捕されてしまいます。ところが、警察にも刑務所にも味方、同情する人々がいて、日本軍のトッコー、ケンペイタイによる拷問を耐え忍ぶシビルたちを支えてくれるのでした。
死を覚悟したシビルに日本人のトッコーやケンペイたちはたじたじになってしまい、ついにシビルは死刑判決ではなく、無期懲役で終わりました。でも、そのときには、シビルは拷問のために歩けなくなっていたのです。本当にひどい日本人がいたものです。戦争は人間を変えてしまうのですよね。
シビルはケンペイタイの吉村役雄軍曹に対して、こう答えた。
「日本の政府は大嫌い。日本人は権力を笠に着て、どこであろうと暴君のように振る舞う権利があると考えている。日本軍はマラヤの人々をブーツとむだけに尻尾を振る、育ちの悪い犬のように扱う。でもマラヤは今日まで何世代にもわたってイギリスから統治されてきたことから、日本よりもずっと文明化されてきた生活を送ってきた…」
うむむ、これは鋭い反論ですよね。とても日本人の多くが言えるセリフではありません。
大いに考えさせられる内容の本でした。これは決して自虐史観なのではありません。
日本人のやったことは、日本人は忘れても、現地の人々は覚えているのです。
(2020年9月刊。1800円+税)

民衆暴力

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 藤野 裕子 、 出版 中公新書
思わず居ずまいを正してしまうほど大変勉強になりました。
まず第一に江戸の一揆。江戸時代の一揆の大半は暴力的なものではなかった。村には火縄銃がたくさんあったが、一揆勢の百姓たちが銃を代官所に目がけて撃つことは決してなかった。それは、まっとうな仁政を願う立場での統制のとれた行動をしていたから。
一揆が当局側と、殺し殺される暴力的なものだったのは、島原・天草の大一揆と幕末のころに限定される。島原・天草一揆が暴力的だったのは、宗教を背景としていることと、江戸幕府の支配体制が始まったばかりの時期だったから。これは仁政の回復を求める行動ではなかった。
19世紀の幕末のころの一揆は、貧富の格差が拡大するなかで、幕藩領主が有効な政策をうち出さず、飢饉などによって仁政イデオロギーが機能不全に陥っていたことによる。人々は、かつてのような蓑笠を着用せず、刀や長脇差しを身につけていた。もはや、百姓身分をアピールして仁政を求めるということではなかった。
次に、新政反対一揆。香川県で明治6年(1873年)に起きた名東県の一揆というのを初めて知りました。130村で放火があり、戸長や吏の家宅200戸、小学校48ヶ所などが放火された。この一揆の参加者として1万7千人が処罰された。
同年の筑前竹槍一揆は、参加者6万4千人で、このとき被差別部落1534戸が被害にあった。民衆は権力に対して暴力を振るっただけでなく、差別されていた民衆に対しても暴力を振るった。
そして秩父事件は明治17年(1884年)に起きている。国会開設と憲法制定を求める自由民権運動に物足りなさを覚えた人々の受け皿となっていた。一揆の要求としては、具体的かつ経済的な負担の軽減を求めている。
自由党は徴兵制度や学校を廃止してくれ、租税を軽減し、借金をなかったことにしてくれると思って、農民たちの多くは自由党を支持した。この秩父事件についての官憲による処罰者は4千人をこえた。
次に、関東大震災直後の朝鮮人虐殺です。1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震だった。このとき、震災直後から、警察は朝鮮人に関する流言・誤認情報を流した。
つまり、震災当初から政府や警察は流言と否定するどころか、むしろ広めていた。公権力の手によって、デマが流布していた。そして、軍関係者が民衆に暴力行使を許可したことが多くの朝鮮人の虐殺につながった。このときの犠牲者が正確に判明しないのは、警察と軍隊によって意図的に遺体が隠蔽(いんぺい)されたからだ。日本国政府は、この虐殺事件について、事実関係を認めず、謝罪や補償もしてこなかった。
虐殺行為をはたらいた日本人男性は40代までを中心としていて、朝鮮人に仕事を奪われているという感覚があった。そして、国家権力がその暴力を直接的、間接的に許可したことには大変大きな意味があった。
民衆が暴力に訴えたとき、被差別部落を襲撃した人々の考えはどういうものだったのかが解明されていて、大変興味深いものがありました。そのミニミニ版が他県ナンバー乗り入れに目くじらをたてるというものでしょうね。一揆などの民衆の暴力を歴史的に鋭く解明してある新書なので、最後まで一気呵成に読みとおしました。
(2020年8月刊。820円+税)

宇宙に行くことは地球を知ること

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 野口 聡一、矢野 顕子、林 公代 、 出版 光分社新書
野口聡一さんは今、宇宙船に乗っていますよね。半年間は宇宙にいるのでしょう。健康維持が大変だと思います。
野口さんをインタビューしている矢野顕子さんはニューヨーク在住のミュージシャン。なんと、大学どころか高校2年の夏休み以来、学校というものに通ったことがないといいます。その矢野さんが宇宙に強い関心をもって、野口さんにインタビューを申し込んだのでした。
国際宇宙ステーション(ISS)は、地球の上空400キロメートルを、秒速7、8キロメートルで飛行している。この速さは、なんとライフル銃の弾丸より、数倍も速いというのです。これはすごい。そして、わずか90分、1時間半で地球を一周するといいます。いやはや…。すると、どうなるか。昼と夜の270度以上もの激しい温度変化が、45分おきに訪れる過酷な世界。
宇宙空間は、空気のない真空。昼は120度以上、夜はマイナス150度以下になる。そして、スペースデプリと呼ばれる宇宙ゴミや放射線が飛びかっている。
重力情報がない、視覚情報がない、耳からの情報も限られる。これが宇宙空間。なので、船外活動中には感覚遮断が起きやすい。
宇宙飛行士の生命を守るための宇宙服には、宇宙飛行士の感覚を遮断する働きがある。宇宙空間では手すりを伝って移動する。
宇宙服の手袋には、指先にヒーターがついていて、昼間の120度の熱さも夜のマイナス150度の冷たさも感じないようになっている。でも、手袋はシリコン製なので、温度によって硬さが違う。夜はカチカチに硬くて、昼はだんだん柔らかくなる。なので、この手袋の硬さの変化で、温度を感じる。つまり、手のひらが太陽を感じる。
宇宙飛行士は、眠るときは寝袋に入る。空間にポツンと浮かぶよりも寝袋で軽く拘束したほうが安眠できるのだ。
チャレンジャー号の事故(7人死亡)は1986年1月28日に起きました。私が37歳のときのことで、大変なショックを受けました。だって、打ち上げられたかと思うと、目の前で爆発してしまったのですから…。コロンビア号の事故(同じく7人死亡)は、申し訳ないことに印象が薄いのです。2003年2月1日、帰還するとき、着陸寸前にロサンゼルス上空で空中分解したのですよね…。こちらはチャレンジャー号のような映像がないので、記憶が薄れてしまいました。あれから33年、17年もたってしまったのですね…。
野口さんが3度目、宇宙に行くのは、人類の可能性を広げること、自分が生きている証として挑戦した結果を子どもたちに見せたい、次世代につなげたいと考えたからだそうです。
宇宙服は14層の生地で構成され、120キログラムある。素肌に身に着けているのは冷却下着。ここには、長さ84メートルものチューブが縫い込まれていて、チューブに水を流して体温の上昇を防ぐ。そして、宇宙服の内部には、0.3気圧の純酸素を満たしている。
宇宙船の船外活動中は、誰も助けてはくれない。無限に広がる宇宙の闇の中で、何が起きてもたった2人ですべての作業を完遂しなければならない。もし通信機が故障して交信が途絶えたら、究極の孤立状態になる。指先は死の世界に触れている。
もし、酸欠が起きたとしても苦しくはない。身体が弱るより先に、意識がなくなってしまうから…。
ロシアの宇宙船ミールでも、実は火災も起きたし、貨物船との衝突事故も起きた。また、空気汚染もあった。ISSでは、火災・空気漏れ、汚染が三大緊急事態と言われているが、ミールはすべて経験している。だけど、非常事態にあっても、ミールでは死者を一人も出していない。
うむむ、これは実にすごいことだと思います。立派です。
宇宙空間は、絶対的な闇。「何もない黒」。一切の生を根絶するような闇。逆に、宇宙は光に満ちている。地球の昼のあいだは、地球のまぶしさが半端でないので、人間の目の限界から、宇宙空間は真っ暗闇に見えてしまう。
野口さんには、ぜひとも半年後、元気に地球に生還していただき、さらに大いに語ってほしいものだと心から願っています。
(2020年9月刊。900円+税)

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