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2020年10月 の投稿

えげつない!寄生生物

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 成田 聡子 、 出版 新潮社
カマキリの寄生虫・ハリガネムシの幼生(赤ちゃん)は、川底で、自分が昆虫に食べられるのをじっと待っている。食べられると、昆虫の腸管のなかで「ミスト」に変身し、休眠する。この「ミスト」はマイナス30℃でも凍らずに生きていける。そして、コオロギが昆虫を食べて、コオロギの消化管に入って大きく長く成長する。大人になると、宿主のコオロギをマインドコントロールして川に向かわせ水に飛び込み自殺する。するとハリガネムシがおぼれたコオロギの尻からゆっくり、にゅるにゅるとはい出してくる。
いやはや、とんだストーリーです。誰がいったい、こんなことを思いついたのでしょうか。すべてが偶然にたよった「一生」なんです。
ハリガネムシは寄生したコオロギの神経発達を混乱させ、光への反応を異常にして、キラキラとした水辺に近づいたら飛び込むように操っている…。うひゃあ、す、すごい謀略です。
そして、なんと、自ら入水した昆虫によって川魚のエサが確保されているというのです。自然の連環・連鎖は恐ろしいほど、よく出来ています。
ゴキブリは、全世界に4000種、1兆4853億匹もいる。日本だけでも236億匹。ゴキブリは3億年前の古生代、石炭紀に地球に登場した。ゴキブリは好き嫌いがなく、何でも食べられる。ゴキブリは、とても繁殖力が旺盛。1匹のメスが子どもを500匹も生む。家にメスのゴキブリを1匹みたら、500匹はいると思わないといけない。
そして、ゴキブリは素早い。1秒間に1.5メートル走る。これは、人間の大きさだと1秒間に85メートルのスピードなので、東海道新幹線より速い。
ところが、エメラルドゴキブリバチは、ゴキブリに覆いかぶさって、針を刺す。すると、ゴキブリは逃げる気を失い、まるでハチの言いなりの奴隷になってしまう。ハチは、このあとゴキブリの触覚を2本とも半分だけかみ切る。そしてじっとしていると、ハチの幼虫がゴキブリの体に亢を開けて体内に侵入していく。ゴキブリが生き続けたまま、ハチの子どもに自分の内臓を食べさせる。ゴキブリの内臓をすっかり食べ尽くして、空っぽになってからもハチの幼虫はしばらく殻の内側にひそんでいて、やがて、成虫になって飛び出す。
いやはや、ゴキブリを食い物にするハチがいただなんて…。ところが、このハチは縄張り意識が強く、またゴキブリの強い繁殖力のほうが優っているため、このハチがいくらがんばってもゴキブリが絶滅することはないのです。これまた、自然の妙ですね…。
同じようにゴミグモを思うように操って、巣を張らせて、最後は体液を吸い尽くすクモヒメバチの残虐さも紹介されています。
まことに「えげつない」としか言いようのない寄生生物が、面白おかしく紹介されている本です。世の中は、まさしく不思議な話にみちみちているのですね…。
(2020年7月刊。1300円+税)

江戸の夢びらき

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 松井 今朝子 、 出版 文芸春秋
歌舞伎役者として高名な初代の市川團(だん)十郎の一生を描いた小説です。
ときは元禄のころ。将軍綱吉の生類(しょうるい)憐(あわ)れみの令が出されて、江戸市中がてんやわんやになります。
また、大きな地震があり、火災が起き、また富士山が噴火するのでした。
そんな世相のなかで、人々は新しい歌舞伎役者の登場を熱狂に迎えるのです。
芸に魅せられるのは、ハッと息を呑む一瞬があるから。人が平気であんな危ない真似をできるのか、人にはあんなきれいな声が出るのか、あんな美しい動きができるのか…。
この世に、これほどの哀しみがあるのかと、まず驚くことが芸の醍醐味ではないか…。
同じ筋立て、同じセリフ、同じ動きのなかに、そのつど何かしら新たな工夫を取り入れ、ハッとさせられる。同じセリフでも、いい方ひとつで解釈はがらっと変わる。自らの心がおもむくままに変えられた芸は毎日でも見飽きることがない。芸とは、本来、そうした新鮮な驚きに支えられたものではないか…。
江戸時代の歌舞伎役者の世界にどっぷり浸ることのできる本格小説でした。
(2020年4月刊。1900円+税)

モーツァルトは「アマデウス」ではない

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 石井 宏 、 出版 集英社新書
生前のモーツァルトの名前はアマデウスであったことはないし、アマデウスと呼ばれたこともない。モーツァルトが自らをアマデウスと名乗ったことは一度もない。
アマデウスとは神の愛を意味する。
晩年のモーツァルトは、故郷もなく(ザルツブルグを嫌い、また嫌われていた)、ウィーンを脱出することもかなわず、父には敵対視され、最愛だった姉にも嫌われ、妻にも背かれて、帰るねぐらがなかった。
モーツァルトの栄光は、アマデーオという名前と共にあった。モーツァルトは、「ぼくは、もうあまり長く生きられない感じがしている。まちがいなく、ぼくは毒を盛られたのだ」と手紙に書いた。
そして、例のサリエリは、その32年後、精神病院に入っていて自殺を図り、自分がモーツァルトを毒殺したと「告白」した。しかし、モーツァルトの死のとき、サリエリはすでに宮廷楽長に昇進しており、この地位は終身職だったから、その身は安泰であり、今さらモーツァルトに焼きもちを焼いたり、狙ったりする必要はなかった。
モーツァルトは、まだ字も読めないうちに音譜を読み、単音はもとより和音も正確に聴き分ける絶対的音感をいつのまにか身につけ、さらにどんな音楽も簡単に覚えてしまう超絶的な記憶力を生まれもっていた。また、すらすらと自在に作曲する天賦の才能まで備えていることを父親は発見した。
モーツァルトは文字どおり生まれつきの天才音楽家だったのですね…。
モーツァルトの短い一生でどんなことが起きていたのかを知ることのできる新書です。
(2020年2月刊。880円+税)

官僚の本分

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 前川 喜平、柳澤 協二 、 出版 かもがわ出版
かたや文科省の事務次官、かたや防衛省から官邸官僚の中枢へ。そんな官僚の世界の頂点にいた二人がいまの官僚の実態を暴き、後輩たちを叱咤激励しています。
安倍政権が特異だったのは、官邸による官僚に対する締めつけがものすごく強いこと。
身内か使用人か、それとも敵か。味方と敵をはっきり分けてしまい、官僚が全部、官邸の使用人になってしまっている。
ちょっとでも官邸と距離を保とう、距離を置こうとする人間は外されていって、幹部ポストは、官邸の言うことを何でも聞く人間しかいなくなっている。
文科省でも官邸にきわめて近い人物を官房長で定年延長させて事務次官に昇任させ、事務次官のときもう一回定年延長した。こうやって官邸は完全に文科省を制圧した。定年延長制度は、すでに官邸による官僚支配として使われている。
ええっ、そ、そんな…、ちっとも知りませんでした。
なので、いまや各官庁は、その独立性を失い、官邸の下部機関と化している。官邸官僚が考案し、安倍首相が承認した方針が各省に降りる仕組みになっている。
検察庁法改正問題での人事院答弁は、ひどかったですね。松尾給与局長は「言い間違えた」と恥ずかしげもなく安倍政権をかばい、一宮なほみ人事院総裁も同じだった。いやはや、恥ずかしい限りです。プライドも何もあったものではありません。残念です。
これまでの官僚にはプライドというものがあったわけですが、今や、ガタガタですね。安倍政治を継承するという菅政権ですが、人事による官僚統制はますます強化されそうです。嫌なニッポンですね…。ちっとも美しくなんか、ありません。
前川さんが官僚だったころ、後輩の官僚に言っていたのは、自分の魂は売り渡すな、貸すのは仕方ないけれど、それは後で取り返せ、ということ。
いやあ、辛いいけれど、仕方ないのでしょうね…。
お二人とも東大法学部を卒業してキャリア官僚の頂点にのぼりつめている身なわけですが、現在の官僚システムを嘆き、なんとか変えていきたいと声を上げておられるわけです。この声にこたえてくれる官僚が続出することを心から願っています。
恥ずかしながら、私もチラッと官僚を目ざしていました。国を良い方向に動かせるかなと甘く考えていた、大学1年生のころです。官僚にならなくて、弁護士になれて本当に良かったと思います。
(2020年8月刊。1300円+税)

判事がメガネをはずすとき

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 千葉 勝美 、 出版 日本評論社
典型的なエリート裁判官である著者の趣味の一つが野鳥の写真撮影なんですが、その出来映えは、たいしたもので、日本野鳥の会のカレンダーに何度も採用されているとのこと。たしかにすごいショットのカラー写真がカットで入っています。
しかし、厳冬期の野外での野鳥撮影だなんて、読んでいるだけでブルブル、身も凍えてしまいます。
冬の夜明け前の河原にブラインド(床のない簡易テント)を張り、重い三脚にすえつけた大砲のような600ミリ超望遠レンズだけを外に出し、夜明け前からじっと野鳥を待つ。ブラインドのなかにいても、寒さが足元からしんしんと全身に伝わってくる。ダウンを身にまとい、カイロを下着に貼りつけていても、吐く息の白さが、外気温が氷点下を下回っていることを視覚的に自覚させる。南極越冬隊が着るために開発された化学繊維で空気を取り込んで寒さを遮断する「魔法の下着」を着て、痛いほど冷たくなる足の指先を暖めるため、雪靴の中に使い捨てカイロを敷くが効き目はない。
身体に悪い趣味だ。ひどい寒さにじっと耐え続けるだけでなく、シャッターを押す瞬間は、胸の鼓動が早くなり、緊張感は高まり、精神的にも好ましくない状態になる。さまざまな苦しみ、悩みの連続。ただ、それでも、それが少しもストレスにはならない。
まあ、それは、そうなんでしょうね。強制的にやらされているのではなく、あくまで、自分が好きでやっていることなんですから…。
趣味は、このほか、バラの栽培もありますし、中島みゆきもあるそうです。
裁判官は、鳥類にたとえればフクロウに匹敵する希少種。一般の人々は、実像を身近に知ることもなく、裁判官とは何者か、あまり知られていない。
まさしく、そのとおりです。著者より数年は後輩になる私にしても、裁判官の私生活なるものはほとんど知りませんし、聞いたこともありません。
かなり前に、裁判官は日本野鳥の会に入ることだってためらっているんだって…と聞いたことがあり、ええっ、そ、そんな…と驚きました。どうやら、著者もその一人だったようですが、著者くらいエリートだと、その点は心配しないですむのかもしれません。なにしろ最高裁の局長を経て、最高裁判官を6年8ヶ月もつとめたほどですから。
大学生のころ、著者は平澤勝栄大臣と一緒にセツルメント法相に所属していました。
裁判官としては、紛争当事者、犯罪の加害者と被害者、それぞれの悩みや人間の弱さを分かろうとする姿勢が大切だ。これは、当事者の気持ちに同調する、あるいは同感するというのではなく、心から理解するということ。
この点はまったく異論がありませんが、ややもすると、理屈を先に立てて、その要件(型)にあてはめ、あてはまらないものはどんどん切り捨てていくというは発想が強い裁判官が多いという気がしてなりません。
私は、少し前に福岡地裁の若いエリート裁判官に対して、一般民事裁判で、よほど忌避しようかと思ったこともあります。ぺらぺらと要件事実は話すのですが、事案の本質とか解決の筋道を真剣に考え探ろうとする姿勢がまったくなく、涙が出てくるほど悲しく、腹立たしい思いをしたことを今もはっきり覚えています。
これでは裁判と裁判官に対して信頼できません。裁判の経験者のうち18%しか、裁判をやってよかったと回答しなかったというのもよく分かります。裁判の利用件数が増えないのは、決して弁護士だけの責任ではありません。
(2020年8月刊。2100円+税)

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