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2020年9月 の投稿

深層、カルロス・ゴーンとの対話

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 郷原 信郎 、 出版 小学館
著者は元特捜検事の弁護士です。その指摘することの多くは納得できるのですが、次の点は、まったく同意できません。
経営者の高額報酬は悪かという点です。日産はその利益が7500億円なので、経営者であるゴーンに支払われた年20億円の報酬は「悪」として非難されるべきことではない。著者は、このように主張します。本当に、そうでしょうか…。従業員、現場で働いている労働者の賃金との対比はまったく考慮の外においていいものなのでしょうか、私にはとうてい承服しがたいところです。
そして、「フリンジ・ベネフィット」というものがあるそうです。
レバノンとブラジルに日産(ないし子会社)所有の住宅があり、ゴーンとその家族が自宅として使用しているものがあった。また、プライベート・ジェットもゴーンの自家用飛行機として使われていた。
これらは、著者の言うとおり刑事責任が生じるものではないかもしれませんが、いずれも、いくらなんでも私物化がひどすぎる気がしてなりません。サラ金最大手の武富士の武井会長の自宅が会社所有で、会社の研修所名目だったことを思い出します。
ニッサンの従業員なら、誰でも使える家であり飛行機であるならともかく、実際にはゴーンとその家族しか使えなかったとしたら、所有名義はともかくとして、民事責任だけではないような気もします…。
ゴーン氏の事件は、特異な経緯で刑事事件化された特異な事件であり、一般的な刑事事件の「犯罪者逃亡」として扱うべきではない。
著者のこの指摘には納得できるところがあります。それにしても、著者がこの本で指摘しているところですが、ゴーンの不正を調査したのが監査役だったというのは、私も腑に落ちません。
監査役が社長(代表取締役)に言わずに巨額の費用をかけて調査できるはずがない。まさしく、そのとおりだと思います。では、いったい、誰が、ゴーンの「不正」を調査したのでしょうか…。いろいろ謎だらけの事件です。もっともっと知りたいところがたくさんあります。
(2020年4月刊。1700円+税)

歴史家と少女殺人事件

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 イヴァン・ジャブロンカ 、 出版 名古屋大学出版会
福島3.11大災害のあった2011年1月18日の夜、フランスで18歳のウェイトレスが誘拐され殺害、遺体はバラバラにされて湖に沈められていたという事件が起きました。
この本は、被害者の実像を描くことによって、フランス社会のかかえる問題点、そして司法界の動きを詳しく紹介しています。
史上最凶と言われる台風10号がやって来るという夜(9月6日)に読みはじめ、その指摘の奥深さに心を揺り動かされながらついに読破したのでした。
殺害犯は2日後に逮捕されたのですが、前科持ちだったことから、サルコジ大統領が、前科者の司法追跡調査のあり方を批判し、判事たちの責任を問い(共犯だと弾劾)、判事たちの「過失」に対する「制裁」を約束した。
当然のことながら、これに対して司法界は猛烈に反発し、裁判官たちは、弁護士会を巻き込んでストライキに突入し、大々的なデモ行進を展開した。
うひゃあ、フランスの裁判官たちは偉いですね。日本の裁判官たちも見習う必要があります。
殺された18歳のウェイトレスの名前はレティシア、双子の姉・ジェエシカがいます。両親が離婚し、母親がうつ病になって入院していて、父親は刑務所に入ったり出たりしていたので、双子の姉妹は里親に引きとられ、順調に育って職業生活をスタートしたところだった。
殺害犯は32歳で強盗など前科13犯。
子どもを傷つけるには壁に叩きつける必要はない。哺乳ビンをベッドに固定して、子どもがそれを飲み、誰も彼を見ず、誰も話かけなければ、子どもは存在しないのと同じだ。子どものなかで何かが永遠に「壊れて」しまうのだ。これって、ネグレクトのことですよね…。
ところが、里親の「立派な」父親は、双子の姉に対してセクハラを繰り返していたのです。その父親は実の娘と同じく愛情をもって接していたとマスコミに向かって高言していましたから、半近親相姦的な強姦をしていたことになります。そして、レティシア本人も、その被害を同じように受けていたのではないかと疑われています。他の里子(娘たち)にも強姦していたということで、この「父親」は有罪になりました。
自分にすべてを教え、自分を守ってくれるはずの男が、うまい汁を吸っていた。レティシア本人に性的暴行があったかどうかは重要ではない。支配それ自体が暴力なのだ。「父親」の姉に対する数年にわたる性的被害は、同時に、そして必然的に、レティシアを憔悴(しょうすい)させた。レティシアは、家族を持ちたい、愛情あふれる関係の輪に入りたいと全身全霊で願っていた。レティシアは、腐敗に対する抵抗力を持たない犠牲者だった。
二コラ・サルコジは、しばしば三面記事を口実にして、刑法の厳格化を要求し、獲得した。内務大臣として、また大統領として…。二コラ・サルコジは、自分を最高の大統領以上のもの、救世主と思い込んだ。
真の人情家で巧妙な政治家であるサルコジは、より直接的に、より大げさに、家族の苦悩とフランス人の不安を共有してみせた。サルコジ大統領は1月31日、里親夫妻をエリゼ宮に迎え入れ、刑罰手続きの「不具合」に制裁を加えることを約束した。
これに対して、2月2日、ナント裁判所の司法官たちは、臨時総会を開き、3人の棄権を除く全会一致で政府の「デマゴギー的なやり方」を告発する決議を採択した。
検察をふくむ司法官たちは、組合員も非組合員も、新米もベテランも、扇動者も穏健派も、小心者さえも一丸となって、1週間の公判停止を決議した。
フランスの司法は予算不足に苦しんでいた。サルコジ大統領自身が攻撃の「多重累犯者」だった。その動機が、選挙目当ての計算、半組合主義的信念、半エリート的レトリック、個人的な経歴がどのようなものであれ、サルコジの攻撃はポピュリズムに属している。サルコジ大統領は、冷静に問題を分析する代わりに、スケープゴート政策を選んだ。サルコジ大統領において、公権力は、もはや社会平和の調整者ではない。
司法官組合は、全国弁護士評議会、警察官組合、刑務所職員の支持を受け、ストライキを呼びかけた。全体で195ある裁判所と控訴院のうち、170が運動に参加し、緊急でない公判を延期した。2月10日、フランス全土で8000人の判事、書記、社会復帰相談員、刑務所職員、弁護士、警察官などがデモ行進した。
「司法への攻撃は民主主義の危険である」
デモ行進のかかげる横断幕には、このように書かれていた。
大変に重たいテーマをこれほど深く掘り下げたこと、被害にあって殺された18歳の女性の心理の内面に迫る文章の迫力には、思わず居ずまいを正されるものがありました。
日本の法律家にもぜひ広く読まれてほしいものだと思います。
台風10号による被害が小さいものであることをひたすら願っています。そして、それほどのものではなく、胸をなでおろしたのでした。
(2020年7月刊。3600円+税)

荘 直温伝

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 松原 隆一郎 、 出版 吉備人出版
岡山に備中高梁(びっちゅうたかはし)という駅があります。岡山県高梁市です。知らないと、ちょっと読めませんよね。そして、この本の主人公は荘 直温(しょう・なおはる)と読みます。これまた、読めません。
松山というと四国の松山をすぐに思い浮かべますが、こちらは備中松山です。荘直温の先祖は、備中松山城主だった庄(しょう)為資(ためすけ)です。庄がいつか荘に変わっているのです。
この庄(荘)一族の歴史を、まったく縁のない経済学者である著者が調べに調べて、ついに書きあげたのが本書です。
備中松山城は今では天空の城として有名です。私もコロナ禍がおさまったらぜひ一度は行ってみたいです。戦国時代は西の毛利氏、北(山陰)の尼子氏、そして、東から羽柴氏(のちの豊臣秀吉です)が攻めてきます。有名な備中高松城の水攻めが始まるとき、その北側遠くに備中松山城は存在していたのでした。
江戸時代には、農民となり、庄屋として代々存続します。
荘直温は、明治・大正に松山村長そして高梁町長を歴任するのでした。
直温は8歳で庄屋見習いとなり、11歳のとき野山西村の一揆(暴動)騒動を体験した。そして、支那学を学び、故郷の郡役所に奉職して、あとは行政を生涯の仕事とした。
直温が高梁町の2代目町長になったのは35歳のときで、このときの町長は名誉ではあっても無給だった。37歳のとき松山村長になり、20年間つとめた。
そして、備中高梁駅が大正15年(1926年)6月に開業することができた。
直温は昭和3年(1928年)6月に高梁町長を病気のため辞任し、8月末に亡くなった(享年72歳)。
驚くべきことに、20年間も村長とか町長をつとめていた直温が亡くなると、莫大な借金があった。遺族は、この借金のため貧乏な生活を余儀なくされ苦労した。祖父のしたことに誇りをもつ孫娘の執念から、このような立派な本が出来上がったのでした。
実は、私もこの本ほど丹念に調べ尽くしたのではありませんが、母の生い立ちを少し調べると、母の父が久留米市史にも登場してくる高良内村の助役だったことが判明し、腰を抜かすほど驚いたことがありました。
先祖をたどるというのは、単なる懐古談を楽しむという以上に、自分は何者なのか、どこから来て、どこへ行こうとしているのかを考えるきっかけを与えてくれる大切な作業(営み)だと私は考えています。その意味で、荘(庄)家の過去、現在を探る旅を興味深く読みすすめたのでした。
(2020年4月刊。3000円+税)

虫とゴリラ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 養老 孟司、山極 寿一 、 出版 毎日新聞出版
二大巨人の対談ですから、面白くないはずがありません。
ゴリラは小さな虫を遊ぶことができる。手にダンゴムシをのせて遊ぶ。ココというメスのゴリラは、すごく猫好きで、何匹も猫を飼っていた。ええっ、本当ですか、どうやって…???
東北地方のサルは、江戸時代にマタギによって根絶やしにされた。サルを狩猟していない西南日本一帯では、サルは「神様の使い」だった。
アメリカザリガニは本当にたちが悪い。西日本新聞(2020.8.27)に中国・武漢では、ビールのつまみとして、日本から入ってきたアメリカザリガニが大いに食べられているとのことです。びっくりしました。戦後、日本でも食べていましたが、主としてニワトリのエサでした。私も小学生のころはザリガニ釣りに夢中でした。
いまの日本ではサル以上に恐ろしいのはシカとイノシシ。どれだけ捕まえても、どんどん増えている。
インドネシアの島に7種類のサルがいる。ペニスの形が違うので、交雑種はできない。また、お尻の形が違うと、発情すらしない。
サルやチンパンジーは、年中、毛繕いをしている。それで親しく共存できる。ヒトは体毛がないので、毛繕い以外の何らかのコミュニケーションを考えなくてはいけなくなった。
ゴリラが昼寝するときには、夜のようにベッドをつくらず、お互いに腹をくっつけあってつながって寝ている。
ヒトの祖先は草原(サバンナ)へ進出していった。ゴリラはもっとも保守的で、未知の場所へは出て行かず、むしろ熱帯雨林のど真ん中で暮らし続けることにした。なので、非常に食性を広くもつことにした。
チンパンジーもゴリラも、食物の分配はする。だけど、運ぶことはしない。ヒトだけが、仲間のいる安全な場所へ食物を運んだ。
言葉は聴覚と視覚を利用する。言葉は意味を伝えるもの。
オランウータンは7年も母乳を吸うし、チンパンジーは5年、ゴリラも4年。ところがヒトだけが1年か2年で、乳歯のまま離乳する。
子どもは保育園児までは、虫の好き嫌いが一切ない。小学校にあがると急に虫の好き嫌いが出てくる。子ども時代に自然に接していないと、実は自然に親しめなくなる。
私もザリガニ釣りのためにカエル(ビキタンと呼んでいました)を手にもって地面に叩きつけて殺し、両足をひき裂いて、糸にぶらさげてエサにしていました。カエルの足はザリガニ釣りのエサとしては最高なんです。そして、ストローでカエルの尻に空気を吹き込み、パンパンにふくれあがらせて、池に放りこんで、うれしがっていました。子どもは残酷なことが平気ですし、好きなんです。
子どもは、そうやって虫の世界、動物の世界に入っているし、いける。
人間のもっている大きな力は想像力。想像力が人間の世界を拡張するのに役立った。
いまの日本社会は、「感じない人」を大量生産している。受動的な人間ができてしまう。
常識を破るところに人間の面白さがある。AIは常識を破ることはできない。
日本の大企業の内部留保は460兆円。これは、にほんの国家予算の規模。これが有効に活用されていない。
人間同士のつながりは人間だけではなしえない。そのつながりには、常に自然が介在してきたことを忘れてはいけない。
はっとさせられる指摘が多く、日頃のあまりに「常識」的な発想を反省させられました。
(2020年7月刊。1500円+税)

ラマレラ、最後のクジラの民

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 ダグ・ボック・クラーク 、 出版 NHK出版
インドネシアの小さな島(レンバダ島)で伝統的なクジラ漁に生きるラマレラの人々の生活に密着・取材したアメリカ人のフォト・ジャーナリストによる迫真のレポートです。
ラマレラの人々が狙うのは60トンもある巨大なマッコウクジラ。小さな船が寄り集まって、勢いよくモリを突き刺し、弱らせて殺し、浜辺で待つ家族にもち帰るのです。
まったくの手作業ですから、ラマレラの人々に殺されるマッコウクジラの数なんて、たかが知れています。それなのに、ヨーロッパのWWFなどは敵視して、無理にでも止めさせようとするのです。大いな矛盾です。ちょっと、目ざす方向が間違っているのではないかという気がしてなりません。
アメリカ人の著者は、2014年から2018年にかけて、合計して1年間、ラマレラに住みついて過ごしたとのこと。ラマレラ語も話せるようになり、漁にも何十回となく参加したのです。
アメリカ人の著者が通った4年のうちに、ラマレラの人々の生活はずい分と変化した。
今では、インターネットが入りこみ、スマホとSNSが使われている。物々交換がほとんどだったのが、現金取引することが多くなった。
沖合を回遊するマッコウクジラを1頭でもとれたら、1500人いるラマレラの人々は、数週間は食べていける。数十人の男たちが連携して巨大なクジラを倒し、とれた獲物は、公正に分配する。ラマレラは猟師300人。年に30頭をとる。捕鯨で生きている唯一の村。海の荒れる雨期には、クジラの干し肉で生きのびる。
野生のマッコウクジラは、今でも数十万頭は生きているので、ラマレラの人々が年に20頭も殺したとして、世界的生息数に何の影響も及ぼさない。
ラマレラの人々はキリスト教の信者だが、同時に、先祖から受け継いだ呪術的な宗教儀式を今も実践している。
ラマレラのクジラ狩りは、できるだけ多くの銛(モリ)をクジラに打ち込み、ほかの銛を足していく。銛につながった網で船数隻の重量をひっぱることになったクジラが次第に疲れ、弱ったところを前後左右から漁師たちが攻撃する。一隻ではとてもクジラと太刀打ちできないが、チームでならどんな巨大なクジラも倒すことができる。
しかし、クジラ狩りは、いつも危険と隣りあわせ。けがもするし、ときには生命を落としてしまう。
クジラの干し肉は、細長くスライスして、竹の物干し竿にぶら下げ、南国の太陽と乾燥した空気で干物にする。そして、漁業をしない山の民が育てた野菜と交換する。クジラの干し肉1枚でバナナ12本、あるいは未脱穀のコメ1キロ。
ラマレラには21の氏族があり、大きく37のグループに分かれる。嫁をとるグループは決まっていて、Aグループの男にはBグループの女から、BグループにはCグループから、そしてCグループにはAグループから女が嫁ぐ。
クジラ狩りの季節は、毎年5月に始まる。
インドネシアの男性の平均寿命は67歳で、アメリカ男性より10年も短い。
クジラに打ち勝つ方法はただ一つ。祖先がそうしていたように、ラマレラの人々みなが力を合わせること。一つの家族、一つの心、一つの行動、一つの目的だ。
クジラ狩りで生きてきたラマレラの人々がこれからも、それで生きていけるのか、「文明化」の波に押し流され、すっかり変わってしまうのが、ぜひ注目したいところです。
450頁もある部厚い本ですが、そこで伝えられるクジラ狩り漁の勇ましさ、その苦労に圧倒されてしまいました。
(2020年5月刊。3000円+税)

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