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2020年9月 の投稿

ロレンスになれなかった男

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 小倉 孝保 、 出版 角川書店
1970年にアラブに渡り、シリア、レバノン、エジプトで日本空手協会から派遣された指導員として空手の普及・指導につとめた岡本秀樹の生涯をたどった本です。
著者は毎日新聞社のカイロ特派員として岡本に出会い、2009年4月の岡本が67歳で病死するまで交流がありました。なので、その体験もふまえて岡本という表裏ある空手道の指導者の実像を描き出しています。
いま、中東・アフリカの空手人口は200万人を超えているそうですが、それは日本式というよりヨーロッパ式のスポーツ競技として普及しているとのこと。なるほど、と思いました。というのも、日本の空手は、いくつもの流派に分かれていて、柔道のような統一体がないとのことです。
岡本は、シリアやエジプトで秘密警察や治安部隊のメンバー相手に空手を指導し、その教え子たちを通じて治安機関に特殊なコネを築いていた。エジプトのサダトの護衛も教え子の一人だった。岡本は各地で政権幹部に近づき、貴重な一次情報を入手していた。
また、イラクではフセイン大統領の長男に取り入ろうとしたり、特別な立場を利用して密輸入して大もうけしたり、スーパーやカジノまで経営していた。しかし、結局、「恋敵」に足をひっぱられて事業に失敗し、「国外追放」寸前まで行った。そして、日本に戻ってきてからは別れた元妻に頼りつつ、生活保護を受けながらの闘病生活に入った。
岡本は日本の外交官や外務省からは徹底して嫌われていた。それでも、岡本はアラブ人からは慕われ、教え子からは信頼されていた。
最後に、岡本が生活保護を受ける生活をしていたのに、毎月3万円をカイロにある女子孤児院に寄付し続けていた事実を著者が知って驚いたことが紹介されています。
ロレンスに憧れた岡本は最後までアラブに失望することはなかった。騙され、陥れられても岡本はアラブを愛し、信じ、子どもたちを励まし続けた。
岡本はすべてを失いながらも、この地に200万人をこえる空手家を育てた。ロレンスになれなかった男は、ナイルの水となった。
小池百合子のカイロ大学卒業の怪(『女帝』)にも登場しますが、エジプトにとって日本の援助はきわめて大きかったことが、この本でも紹介されています。小池百合子と同じように岡本もその線で助かったことがあるようです。小池百合子も岡本も、アブドル・カーデル・ハーテム(2015年に97歳で死亡)というサダト大統領の右腕と言われた人物に面倒をみてもらっていたのでした。
こんな破天荒な生き方もあるんですね、思わず刮目(かつもく)してしまいました。
(2020年6月刊。2200円+税)

過労死しない働き方

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 川人 博 、 出版 岩波ジュニア新書
過労死とは、仕事上の過労やストレスで病気になり、死亡すること。
過労・ストレスによる死亡・病気で労災申請は年に2000~3000件(うち死亡500件)で、増加傾向にある。国(労基署)が労災認定しているのは800件(うち死亡200件)。10年間の累積では、病気8000人(うち死亡2000人)。仕事に関連する自殺は年2000人を上回るとみられている。その過労死防止法が2014年6月に成立し、同年11月から施行されている。
うつ病を発病すると、正常に物事を判断する能力は減退する。
早朝5時に家を出て、6時すぎには現場で仕事をはじめる。仕事が終わるのは夜11時。自宅に深夜12時とか1時に帰り、数時間ねたら、午前5時に家を出るというサイクル。いやはや、とんだ非人間的な生活です。
そして電通の過労自死事件(高橋まつりさん)では、上司の暴言(パワハラ)もすさまじいものがあります。
「キミの残業時間20時間は、会社にとってムダ」
「会議中に眠そうな顔をするのは、管理ができていない」
「髪ボサボサ、目が充血したままで出勤するな」
「今の業務量で辛いというのは、キャパがなさすぎる」
「女子力がない」
うひゃあ、こんなこと言う上司の顔が見てみたいものです。人間の顔の仮面をかぶった鬼なのでは…。
パワハラは、仕事のことを叱るだけでなく、人格まで攻撃する。そして、フォローすることはなく、他人と比較して、長時間ネチネチと叱り続ける。
心身ともに健康だった若者が、仕事上の過労・ストレスから急激に健康を損ない、死亡している。
だけど、若者だけではないのです。中高年の過労死も増えています。急逝大動脈解離による心停止で49歳の働きざかりが突然死…。
いのちと健康を第一とする価値観こそ大切。
実は、この本が届いた日、うつ病で働けなくなった男性から借金の相談を受けました。仕事を辞めて、もう5年になるんです。このところ寝てばかりで、精神科にかかったら、自殺する心配があるので、入院をすすめられたとのこと。私は借金の心配より、生命と健康のほうが先決。入院して、じっくり生活を立て直すこと、借金は親や妻にまかせてしまうことを強くすすめ、この本の「いのちと健康が第一」というところを示しました。
この本は、できるだけ早く休むこと、そして辞める勇気を出すこと、家族に相談することを繰り返しすすめています。
命があれば、やり直すことができる。まったく、そのとおりです。借金なんて、実は、どうにかなるものなんです。それより大切なのは、自分の命と健康、そして家族の団らんです。
こんな本は中学、高校生向けに必要だという日本社会は、やっぱりおかしいですよね。とはいえ、大切な本です。たくさんの若い人に読んでほしいものです。
著者は労災、カローシで日本有数の弁護士です。贈呈うけました。いつもありがとうございます。
(2020年9月刊。800円+税)

アホウドリからオキノタユウへ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 長谷川 博 、 出版 新日本出版社
アホウドリとかバカドリと呼んで、昔の人は何十万羽もいた鳥を絶滅寸前に追い込みました。羽毛をとり、油をとったのです。ところが、著者たちの長年の努力とたゆまない工夫によって、なんとか絶滅を免れたのでした。
著者はアホウドリなんて馬鹿にした名前ではなく、オキノタユウと呼ぶことを提唱しています。大賛成です。
オキノタユウは非常に長生きで、著者が確認した最高齢は38歳。50歳をこえ、60歳いや70歳まで、生きるのかもしれない。うひゃあ、すごいですね…。
オキノタユウの主な天敵は人間。なので、いま生き残っているオキノタユウは人間をものすごく警戒する。
海上ではシャチにも狙われるが、シャチを追っかけ、その食べ残しも利用している。
オキノタユウは、生涯、一夫一妻で、いったんつがいになると、相手が死ぬまでつがいの関係。といっても、遠くへ旅に出るときには、群れをなすことなく、一羽一羽で飛んでいく。
そして、繁殖地では子育てを一緒にする。抱卵期間は2ヶ月あまり、交代で卵を抱いて温める。その間、10日間は絶食状態。
私と同じ年(1948年)に生まれた団塊世代の著者がオキノタユウの調査を始めたのは28歳のとき、私が弁護士になって3年目に郷里にUターンした年のことになります。
1979年から40年間、一度も欠かすことなく、鳥島(とりしま)にいるオキノタユウの生息・繁殖状況を調べた。
営巣地に草を植え替え、デコイ作戦を展開した。2018年にオキノタユウの繁殖つがい数は1000組になった。8年後の2016年には繁殖つがい数は2000組、総個体数は1万羽になると予測されている。
デコイという本物そっくりのオキノタユウの「はりぼて」を設置するとき、求愛音声をスピーカーで流し、また、営巣地のにぎやかな音声も放送した。
著者は42年間に、鳥島を125回も訪問しています。1回に1ヶ月間ほど、無人島に一人で生活するのです。ちっとも寂しくないといいます。本当でしょうか…。
今では本土と衛星電話でつながっていて、AMラジオで世の中の動きを知る。鳥島にいるときは、すべての時間をひとりで自由に使うことができる。こんなに幸福なことはない。
ただ、鳥島は、今も活動している活火山であり、船で行くしかないので、船酔いの苦しみを味わされる。
いやはや、本当に長いあいだ、お疲れさまです。これからも無理なくがんばってください。応援しています。
アホウドリなんて、写真を見たら、その気品の良さに、やっぱりオキノタユウだよねと、つい納得してしまうカラー写真もあり、楽しめます。
(2020年4月刊。1500円+税)

長篠の戦い

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者  金子 拓 、 出版  戎光祥出版
 関ヶ原の戦いは1600年。その25年前の1575年(天正3年)5月に起きた長篠(ながしの)の戦いの実相に迫った本です。
 武田勝頼は戦(いくさ)を知らないバカ殿さまではありませんでした。しかし、織田信長・徳川家康の連合軍に攻められ、大敗したこと自体は歴史的な事実です。
 鉄砲隊が3千挺の火縄銃を三列に編成し、三交替で射撃(三段撃ち)したから織田・徳川の連合軍が大勝したというのが通説だったわけですが、どうやらそういうことではないようです。ただし、「三段撃ち」が完全に否定されているとは思えません。
 また、武田軍は、騎馬軍団が無謀な突撃を繰り返したというのも史実に反するのではないか…、と指摘されています。ここらあたりの謎解きが、歴史物を読む面白さですよね。
 織田信長は、本願寺攻めを1ヶ月前までしていたし、このあともするつもりだったので、自軍の損害を最小限におさえたいと考えていた。
長篠城は、武田の大軍に包囲されながらも、2週間以上も耐えていた。そして、武田軍が前進したのを見て、織田信長は即座に奇襲作戦を実行した。
長篠の戦いは、日の出から午後2時ころまで続いた。織田・徳川連合軍は、足軽たちを武田軍に向けて前進させ、適当なところで引いて追撃してくるところを鉄砲で撃った。武田軍はぬかるんだ湿地帯だったため、馬による機動性が著しく損なわれていた。つまり、馬で移動しての攻撃に不向きな湿地帯だった。
織田・徳川連合軍による馬防柵も、鉄砲をつかった戦い方も、奇襲作戦も、ことごとく信長の防禦的姿勢によるものだった。そして、この防禦的姿勢に流し、それを前提とした状況判断が織田信長に勝利をもたらした。なーるほど、と思いました。
たくさんの写真や図版があり、視覚的イメージがつかめる100頁あまりの歴史小冊子です。
(2020年1月刊。1500円+税)

根に帰る落葉は

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 南木 佳士 、 出版 田畑書店
著者の作家生活40年を記念して出版された文庫本のようなハンディーサイズの本です。
落葉帰根。おまえも、もう 根に帰ったらどうだい、と葉っぱたちに諭(さと)されて、なんだかうれしくなった。そんな著者の最新エッセイ集なのです。
ことばが、からだが、しみじみ深呼吸する。こんなフレーズ(文章)がオビにありますが、まさしく、それを実感させられます。
最近、映画になった『山中静夫氏の尊厳死』はみていませんが、映画『阿弥陀堂だより』は20年ほど前にみて、心を揺さぶられました。
著者は団塊世代より少し遅れた世代(1951年生まれ)なので、勤めていた病院は既に定年で退職し、今は嘱託医として週4日間だけ働いているといいます。
医師である著者は芥川龍之介の手紙を読んで、発熱、胃痛、下痢、神経衰弱という身体状況の描写から、胃痛はヘリコバクター・ピロリ感染胃痛と診断し、こんな患者には旅に出ることをすすめるとし、また、神経衰弱というのは恐らく「うつ病」にあったのではないかと推測しています。なるほど、と思いました。
著者は、小説を書く、という行為の業の深さを思い知ったとしています。そうですか、だから私には本格的な小説が書けないということなんですね…。本当に私は、そう思います。
よい小説を書きたかったら、まじめに暮らすこと。これは、著者に向かってベテラン編集者が放った言葉でした。この点、私も、言われてみたら、すごくもっともな指摘だと思われます。
ある程度の年齢の人には、人生を考え直させるきっかけが満載の小さな本でした。
(2020年5月刊。1300円+税)

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