法律相談センター検索 弁護士検索
2020年6月 の投稿

住民主権の都市計画

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 岩見 良太郎・波多野 憲男ほか 、 出版 自治体研究社
弁護士5年目くらいから10年間ほど区画整理をめぐる住民訴訟にずっと関わってきました。区画整理というから、はじめのころは何か道路を拡幅し、住宅地を前より住みやすくするための技術的な手法というイメージがありました。ところが、実は、とても政治的に運用されている行政手法だということを理解するようになりました。
そして、この本によると、世間には、もう区画整理の時代は終わったという人もいるようです。現実に、たんに換地操作によって、局部的な土地の入れ替えにすぎない事例もあるようです。
以前は、区画整理に反対ないし異議申立する住民運動がしきりに全国で起こりました。
「自分たちは、住むために土地をもっているんだ。売るために土地をもっているんじゃない」
住み続ける住民にとっては、区画整理で資産価値が上がったからといって、小住宅地にも負担を負わせるのには無理がある。庭を削ったり、住宅まで削ったりして「宅地利用の増進」は考えられない。そして、区画整理後には広い道路に面するようになったからといって、利用価値を損なう強い減歩は無茶であり、理不尽だ。なので、ノー減歩、ノー清算を住民の多くは望んだ(望んでいる)。
ところが、今や高齢化がすすむなどから住み続けるのが難しい状況が生まれている。やがて処分の時代がやって来る。
区画整理が実施されたあとの宅地は、ミニ開発地よりは、相対的には高く路線化評価される。
区画整理の認可状況は、1972年度に350地区1万3千ヘクタールをピークとして、その後2003年度からは100地区を下まわり、また、2017年度には、住民と「市」とは、お互いに助けあうこともなる。
区画整理をめぐる単語(キーワード)として、8コ。再開発、まちづくり、道路、清算金、駅宅地、探地減歩、住民運動くり出す、これをテキスト・マイニングをして解析する。すると、初期には、都市計画の技術知に関わる傾向があった。1995年あたりを境にして、「実践知」に変化してきている。住民の公共観は確実に「技工」から「実践」へ変遷しているように思われる。あとは、再び「協働」志向について国民的公論が交わされるような出来事が起こるのを待つしかない。よく分かりませんが、区画整理の手法も位置づけも変化しているようです。
区画整理の歴史をふまえた研究書の貴重な一冊だと受けとめました。
(2019年10月刊。1600円+税)
 町のあちこちにアガパンサスの花が咲きはじめました。わが家の庭にも咲いています。小さな青い花火のようで、まさに夏到来となりました。
 日曜日に孫と一緒にサツマイモの苗を植えつけました。この秋が楽しみです。鳴門金時などです。
 さらにチューリップを植えていた一区画を掘り起こして夏の花を植える準備をしたら、腰と左肘が痛くなり、いつものマッサージにかけ込んで、身体をほぐしてもらいました。こんなときは残念ながら身体の老化ぶりを実感させられます。

「森友事件」の真相

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 渡辺 國男 、 出版 日本機関紙出版センター
モリ・カケそしてサクラときて、またモリ(森法相)とカケ麻雀(黒川)があり、安倍首相をめぐる黒い霧があまりに多くて何が何だか覚えきれなくなっています。
「森友事件」とは不動産鑑定価格9億5600万円もの国有地が学校法人森友学園にタダ同然で払い下げられた、前代未聞の事件である。
なぜ、この土地が国有地になったかというと、大阪空港に近く、航空機が着陸する飛行ルートの真下にあたるため騒音公害がひどく、国が買収して住民が退去していったから。
豊中市が土地の半分を14億円で国から購入して、中央公園として整備されている。なので、問題の土地も14億円での売買もありうるのに、なぜか1億3400万円で買い戻しという特約つきで売買された。
なにかおかしいと思って調査を始めた人がいた。木村真市議(無所属)だ。
塚本幼稚園では、園児たちが「教育勅語」を暗誦する。そして「愛国行進曲」やら「軍艦マーチ」などの軍歌まで唱和させていた。そして、運動会では、園児たちが、「安倍首相ガンバレ、安保法制国会通過よかったです」と唱えた。
この動画は私もみましたが、腰を抜かしそうになりました。こんな時代錯誤の偏向教育が今どきの日本の幼稚園であっているなんて信じられませんでした。親たちはどうして黙っていたのでしょうか、不思議です。
そして、森友学園の籠池泰典理事長の正体が明らかになった。日本会議の有力メンバーだった。
2015年9月5日、安倍昭恵夫人は、「名誉校長を引き受けました」と記念講演で語った。はじめ「安倍晋三記念小学校」とされていたのを、首相になったので、「瑞穂(みずほ)の國記念小学院」として、安倍首相の昭恵夫人が名誉校長に就任した。
ところが、森友学園は小学校の設置基準を満たしていなかった。それを「クリア」したのは大阪の維新の会の力だった。安倍晋三と松井一郎とは「愛国」教育で意気投合する仲なので、便宜が図られたようです。
鑑定価格が9億5600万円だったのを1億3400万円で売却したのは、地中のごみ撤去費用に8億1900万円かかるという「理由」だった。いったい、8億円もかかる「ゴミ」の撤去とは何なのか…。
結論から言うと、そんなものはなかったのです。要するに、「首相案件」として特別扱いされたのでした。この渦中にいた昭恵夫人の秘書をつとめていた谷恵子氏は沈黙を守った報償としてイタリア大使館へご栄転してしまいます。他方、近畿財務局でつじつまあわせをさせられた赤木氏は悩んだあげくの自死に至ります。 まさしく「天国と地獄」の世界です。
さらに籠池夫妻は逮捕され、泰典氏は長い勾留生活を余儀なくされて現在、刑事裁判の被告人席に立たされています。でも、被告席には、もう一人、昭恵夫人とそのバックにいる安倍晋三首相本人が不可欠です。そこまで追い詰めたいものだと本書を読んで改めて思ったことでした。
ともかく、目まぐるしい世の中ではありますが、軽々しく忘却してはいけない事件であることには間違いありません。
(2020年3月刊。1400円+税)

私のおっぱい戦争

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 リリ・ソン 、 出版 花伝社
フランスの若い(29歳)女性が自分の乳がんのためのおっぱいを半分切除した体験をマンガで描いたものです。
著者はフランス生まれのフランス人女性。カナダのケベック州(フランス語が公用語の一つ)でテレビゲームのグラフィック・デザイナーとして活躍していた。29歳で乳がんの診断を受け、その3日後から、友人などへ漫画ブログを開設した。このブログが評判となり、開設して6ヶ月でコミック本となった。
全3巻のうちの1冊目の本書では、乳首に異変を感じたあと、検査と診断を受けてから、左胸を乳首ごと切除した。
がんという事実をなかなか受けいれられなかった自分の心の動き、周囲の反応、そして同棲中の恋人の支え、手術後の自分の身体などが、かなり正直にユーモラスな絵と文章で紹介されています。
フランスでは本になって1万部も売れたとのこと。なるほど、身近な人ががんになったら、どう接したらよいのかをふくめて、いろんなことを学べ、考えさせられます。
乳房をとったら女性ではなくなるのか、片方の乳房をとったら半分だけ女性ということになるのか、などユーモラスな問いかけもあり、考えさせられます。
巻末の解説によると、著者は治療を終えてフランスに帰国し、今はマルセイユに恋人と1歳の息子と一緒に元気に住んでいるとのことで、ほっと安心しました。
著者は、がんに「ギュンター」というドイツ風の名前で呼ぶことにしたそうです。要するに、ギュンターとは共存せざるをえなくなったことを受け入れたわけです。
ギュンター退治のことだけを考えるのではなく、毎日、ささやかなことに楽しみを見出すようにしたとか、いろいろな工夫をしたところも大変参考になりました。
気楽にさっと読め、そして大いに考えさせられるマンガ本です。
(2019年10月刊。1800円+税)
 例の10万円が6月5日(金)に入金があり、翌土曜日に手にしました。私が支払っている税金が少し戻ってきたという気分です。大切に使います。
 それにしても、この遅さはどうでしょうか…。スピード感と言えば、アベノマスクをつくった業者に460億円とか、その不良品の検品に8億円。持続化給付金を扱う電通などに700億円以上、さらにコロナ後の観光対策事業を扱う業者の手数に3000億円。こちらは、ものすごいスピード感で巨額のお金が惜しみなく使われています。みんな「アベ様のおトモダチ」です。なんで、竹中平蔵のパソナまでがコロナで肥え太るのか、天下の電通って、こんな汚れないお金までむしりとる存在なのか…。悲しくなります。もうアベシンゾーの顔なんか見たくないという人が圧倒的だというのは本当です。もっともっと怒りの声を上げましょう。

マリー・アントワネットの衣裳部屋

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 内村 理奈 、 出版 平凡社
1769年、オーストリアのパプスブルグ家のマリー・アントワネットとフランスのブルボン家の皇太子ルイの婚約が成立した。いわゆる政略結婚であり、このときアントワネットは、まだ13歳の少女だった。
この当時、結婚前に会うことはなく、相手の肖像画が手渡され、それだけを頼りに、結婚のその日を迎えるのが通例だった。すなわち、肖像画を贈りあうことは、結婚を進めていくための大切な第一歩だった。
結婚式の費用は200万リーヴル。およそ200億円。衣裳のために10万リーヴル、10億円が充てられた。
このころ、女性は人生で2度、白い布類を大量に用意しなければならなかった。結婚と出産のとき。当時、真っ白な布は大変高価で貴重なものだった。そして、レースも驚くほど高価なものだった。
アントワネットは、フランス国境に入ったとたん、オーストリアから着てきたすべての衣裳を脱がされて、フランス流の宮廷衣裳、ローブ・ア・ラ・フランセーズに着替えさせられ、髪型もフランス王室髪結い師によってフランス流に整えられ、靴もフランスの華奢な靴に履き替えさせられた。うひゃあ、す、すごいことですね…。
1770年5月30日、結婚祝賀の最終日、婚礼祝賀花火のあと、広場は大混乱状態になり、大勢の死傷者を出す大惨事が出来(しゅったい)した。死者は男性45人、女性87人の計132人にのぼった。広場でパニック状態となり、将棋倒しが起きたのでしょうね…。
朝、1日の始まりは、恭しいシュミーズの儀式から始まった。アントワネットにシュミーズを手渡すのは、その場に居合わせた最も高位の貴婦人がつとめる名誉ある行為だった。他人を寝室に招じ入れながら、着替えを披露することは、特権階級の、まさしく特権だった。
18世紀も大貴族の女性にとって、自分より格下の者たちは、羞恥心を引きおこす必要などまったく感じることのない相手だった。つまり、大貴族の女性からすれば、身分が下の人物は畑のかぼちゃやキャベツと同じようなものだった。
化粧着でゆったりと過ごしながら、衣裳係から差し出された衣裳見本帳を見て、その日の衣裳を決める。これが午前の儀式のクライマックスだった。公式の衣裳、非公式の衣服、儀式用の衣服の3種類があった。
衣裳係と女官は、アントワネットの衣裳をすべて管理していた。そして、彼らは、アントワネットの衣裳を売買して利益を得ていた。
マリー・アントワネットの実像の一端をちらっとだけ垣間みた気のする本でした。
(2019年10月刊。3200円+税)

中世の裁判を読み解く

カテゴリー:日本史(鎌倉)

(霧山昴)
著者 網野 善彦・笠松 宏至 、 出版 学生社
45年以上も弁護士をしている私は、日本人は昔から裁判を嫌っていたと高言する人に出会うと、とても違和感があります。裁判が大好きな人も少なくないし、弁護士を言い負かすことを生き甲斐にしているとしか思えない人もいるという日頃の実感があるからです。
聖徳太子の「和をもって貴しとなす」をもってくる人がいたら、このコトバは、それほど争いごとを好む人が昔から多かったので、おまえらいいかげんにしろ、平和(平穏無事)が一番なんだぞとさとしたコトバなんですよと反論し、教えてやります。誤った思い込みほど怖いものはありません。
この本は鎌倉時代の裁許状(今日の判決文)を歴史学の二大巨頭が対談形式で解説しているものです。これを読むと、日本人は昔から裁判が大好きな人間だったんだなと、つくづく思います。
鎌倉幕府の裁許状ほど、内容の豊かな文書群はあまりない。これは、鎌倉幕府の裁判制度が、前近代においては、世界史的にみても例のないほどに充実した手続にもとづいて行われていたことによる。
裁許状とは裁判における裁許、すなわち判決の内容を記した文書。裁許状のほとんどは、下知状(げちじょう)と呼ばれる文書形式を採用していた。
鎌倉幕府は、執権北条泰時のイニシアティブのもとに、法曹系評定衆を起草者として制定された御成敗式目(ごせいばいしきもく)51ヶ条を定めた(1232年)。
この本の一番目の裁許状で地頭が敗れたのは、証人たちから裏切られたからとなっています。
このころ村の中に湯屋があり、それは、集会の場所であり、刑罰の場所であり、饗応する場所でもあった。湯屋は、風呂というよりサウナのようなもの。
百姓は、それぞれ栗林をもっていた。栗の木は、建築用材だった。
中世の日本では、和与(わよ)とか贈与という行為が非常に大きな意味をもっていた。
代官は必ず荘園の現地に来て、きちんとつきあっていた。正月には、百姓たちと盛大に酒を飲む。そのときの酒がまずいと百姓たちが問題にした。百姓は、一面でいえば、そんなにヤワではない。この費用は、お祭りの費用と同じく、必要経費として控除された。
遠くから客が来ると、必ず接待するというのは、日本社会の基本的な儀礼になっている。この接待費も必要経費として年貢から落せる。
訴訟を公事(くじ)というのは、訴訟はおおやけごとだから、公事というようになった。つまり、公の事務ということ。
詳しい裁許状(判決文)があるということは、原・被告の双方が詳しく書面で主張を展開していたことを前提としています。当事者間で書面による激しい応酬があっていたのです。
鎌倉幕府には、民事訴訟専門の機関として引付(ひきつけ)制度があった。3~5方の部局に分かれ、訴訟を審理し、判決の原案を評定会議に提出した。この引付制度の発足によって鎌倉幕府の訴訟制度は急速に発達した。
もうひとつ、よく分からないなりに、裁許状についての議論を読んでいきました。唯一分かったことは、鎌倉幕府は刑事裁判だけでなく、民事裁判も大切に扱ってきたということです。裁判は人々の関心の的(まと)だったのでした。むしろ今のほうが、民事も刑事も裁判に関わりたくないと高言する人が増えているようで、そちらがよほど心配です。
(2007年8月刊。2400円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.