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2020年3月 の投稿

子ども福祉弁護士の仕事

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  平湯 真人 、 出版  現代人文社
 養護施設の子どもたちは経済的な自立の困難をかかえている。小さいときから、まわりの大人との信頼関係をもつことが出来ないため、人生に自信がなく、肯定感がもてない、自分が尊重されたという実感がもてないことが少なくない。大人が子どもにしなくてはいけないことは、子どもが生きていく自信をつけること…。
非行に走った子どもにとって、その行動への反省が大切なことは言うまでもない。しかし、問題は、反省する力を、そのようにして培(つちか)うか、ということ。これまで大切にされたことのない子どもは、すぐには反省することができない。子どもの首根っこを抑えて頭を下げさせるのが反省ではない。人間が自分の行動を反省できるためには、一定の成熟が必要であり、反省する本人の成長を認めてやれる環境が不可欠だ。
どこまでも子どもを権利の主体として扱い、その権利の実現のために働く大人の姿が求められている。このような役割をする弁護士が子ども福祉弁護士だ。
今年、喜寿になった平湯弁護士は、23年間は裁判官として事件に向きあい、48歳からは弁護士として子どもに向きあってきた。
著者は、幼い子どものころ、母の売り上げた納豆の代金の一部をかすめて自宅近くの駄菓子屋でお菓子を買った。両親はそれを知っていたが何も言わず、著者を叱りもしなかった。そこで、著者は考えた。子どもには考えたり、迷ったりするのに十分な時間が保障されるべきだ。子どもを叱ることなく、子どもが自分で考えて、どうすることを決めていくことの大切さを著者は両親から教えてもらった。
私より6歳年長の著者とは、著者が福岡地裁柳川支部の裁判官時代に面識がありました。そして、このとき、赤旗号外を配りながら「演説会に来んかんも」と声をかけた松石弘市会議員が公選法違反で起訴された事件で、公選法は憲法違反なので無罪とするという画期的な判決を書いたのでした。
著者は、弁護士になって子どもの権利委員会に所属して活動するようになり、国会で、子どもの虐待に関して3回、参考人として意見を発表することがあった。すばらしいことに、これらの意見発表の多くが立法化されたというのです。すごいです。
平湯弁護士は、現場を踏まえて法や制度を変えていくのも「子ども福祉弁護士」の役割だと強調します。
千葉で起きた「恩寵園事件」の取り組みが紹介されています。園長一家が収容されていた子どもたちを虐待していたという事件です。子どもたちが集団脱走して児童相談所に駆け込んだのに、千葉県は口頭指導しただけで子どもたちを園に戻してしまいました。行政のことなかれ主義のあらわれです。
ところが、新聞記事を読んで、現場に飛び込んでいった弁護士たちがいました。山田由紀子弁護士や平湯弁護士たちです。その行動力には本当に頭が下がります。そして、子どもたちを一時的にしろ受け入れた大人たちがいました。
この本には、そのときの園児たちが、今では子をもつ親となって、当時の悲惨な状況をどうやって切り抜けたのかを語っています。感動的な座談会です。平湯弁護士が、当時の園児たちに、子どもにとっての「ふつうの生活」とは、どういうものかと問いかけています。
・ 脅えながら生活しないこと。
・ 愛のある生活のこと。
・ 落ち着いて静かに暮らして、時間が来たら、「やったあ、ご飯だ。うれしいなあと感じる生活。
 なるほどですよね。たくさんのことが学べた本でした。
熱意と包容力、子どもに対する揺るぎない温かな眼差しをもつ人として、平湯弁護士が紹介されていますが、まったく同感です。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2020年2月刊。2200円+税)

マトリ

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 瀬戸 晴海 、 出版 新潮新書
ひところは刑事の国選弁護人になると、覚せい剤事犯が大半でした。その後、激減したのですが、近ごろ、再び覚せい剤事犯が少しずつ増えています。
マトリとは厚労省の麻薬取締官のことです。
マトリには300人の麻薬取締官がいる。その半数以上が薬剤師。
1980年ころは、毎年2万人以上が覚せい剤で検挙されていた。このころは、覚せい剤のほかは大麻やコカインなど5種類ほど。私も大麻事案は扱いましたが、コカインはありません。
ところが、今では、危険ドラッグや向精神薬など40種類をこえる。そして、最近は、検挙者数こそ年間1万人台だが、事態はより深刻化している。
覚せい剤は、2016年に押収されたのは1.5トンで最高だったが、2019年にも1トンをこえた。想像以上に海外から覚せい剤が持ち込まれていると考えられている。
麻薬産業は世界規模のビジネスとして確立している。アメリカ、カナダ、ベトナム、セルビアなど多国籍のメンバーが薬物密輸にからんでいる。
日本では薬物事件の80%は覚せい剤だが、これは世界的には珍しいことだ。
そもそも覚せい剤は、日本で初めて合成された有機化合物だ。
覚せい剤は、末端価額が1グラム6~7万円。これは東南アジアの相場の5~10倍。密輸入価格は1キロ1000万円だったのが、500~700万円に下がった。輸入価格が下がれば、暴力団のもうけは大きくなる。
検挙者は年間1万人だが、実際の使用者20万人はいるとみられている。
覚せい剤の製造には一定の技術が必要で、つくるとき特有の臭いが発生するため日本で密造するのはリスクが大きすぎる。そこで、日本の暴力団はすべて海外に依存している。そして、日本に運び込むため、事情を知らない女性が使われることも多い。
1963年ころの日本には、大小5000をこえる暴力団組織があり、構成員は18万人以上だった。それが2018年末には暴力団員は1万5600万人、準構成員1万4900人と激減している。
最近はインターネットを使った売買が多い。また、大麻を自宅で栽培している若者も目立つ。
マトリが活躍する必要なんかない社会を目ざしたいものなんですが…。
(2020年2月刊。820円+税)

地域から創る民主主義

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 宮下 和裕 、 出版 自治体研究社
いまは「危機とも転換ともなりうる、せめぎあいの新しい時代」だと、この本にこう書かれていますが、まったく同感です。
臆面もなく嘘をつき通し、証拠はすべて「処分」して国民の目にふれないようにして、追及されたら平然と開き直るアベ政治がまかりとおっています。少なくない国民は怒っていますが、「多く」の国民は、またかと呆れ、怒りを表明することがありません。でも、いつまでもこんな状態が続くほど日本国民はバカではないと私は確信しています。今は、政治の大転換の直前にあると自分によくよく言い聞かせているのです…。
著者は、日本国憲法がなぜ70年も続いたのかを改めて考えています。
憲法制定時の主要な政治勢力、GHQも日本政府も、そして共産党も、誰も憲法がこんなに70年も存続するとは思っていなかった。憲法制定にかかわったGHQ、マッカーサーや日本政府、政権担当者によって、早くもその制定直後に見捨てられた日本国憲法なのに、なぜ70年も改正されることなく続き、成文憲法としては世界で最長命の憲法となったのか…。
それは、憲法自身が、人類の、世界の到達点を示すものであり、日本国民とアジアの民衆の願いに合致していたから…。
まったく、そのとおりです。歴代の自公政権によってキズだらけにされてはいますが、今なお9条ふくめ、しっかり生きていると言うことができます。私たちの毎日の暮らしと平和をギリギリのところで守ってくれているのが、今の日本国憲法です。
1968年6月に、アメリカ軍のファントム戦闘機が九大構内に墜落したとき、著者は九大の全学自治会副委員長(あとで学友会中央執行委員長)でした。つまり、九大ジェット機墜落事故に関する抗議行動の先頭に立っていたのです。
2019年6月には、九大でかつては反目しあっていた学生運動各派が思想の違いをこえて統一集会をもったことも紹介されています。「暴力」の問題は簡単にタナあげすることは出来ませんが、考え方の違いはわきに置いて、今のアベ政治は許さないという点で一致した集会として成功したようです。といっても、みんな70歳をこえています。今の若い人たちに、この成果をどうやって伝承するかが私たちの切迫した課題となっていると思います。
大牟田出身の著者は自治体問題を扱う団体の専従事務局長として長く活躍してきました。この3年間の論稿をまとめて本にしたものですが、これで6冊目とのこと。地方自治と日本の民主主義の発展のために今後ひき続き活躍されんことを心から願っています。
(2020年3月刊。2000円+税)

キリン解剖記

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 郡司 芽久 、 出版  ナツメ社
子どものころからキリン大好きだった著者が、死んだキリンの解剖に明け暮れ、ついに大変な発見をしたという話です。好きなことに打ち込めるって、すばらしいことですね・・・。
この本に登場するのは、ひたすら死んだキリンの解剖の話だけです。いえ、キリンと対比させるため、オカピとかコビトカバも登場します。でもでも、主役はあくまでキリンなのです。
大人のキリンの身長は、メスで4メートル、オスだと5メートルにもなる。
体重はオスで1200キロ、メスで800キロ。車1台分くらい。
キリンの首の長さは2メートル。重さは100キロから150キロ。頭の重さは30キロ。
明の時代、アフリカにまで遠征した鄭和(ていわ)は、ケニアからキリンを持ち帰り、永楽帝にキリンを献上した。うひゃあ、知りませんでした・・・。
キリンの寿命は、動物園で飼育して20年から30年。
解体と解剖は、似ているが、まったく違う。解剖には知識も技術も必須。身体の構造が頭に入っていなければ、解剖はできない。
キリンは1種だけと思われてきたが、今では4つの集団に分けられている。アミメキリン、マサイキリン、ミナミキリン、キタキリン。日本にはアミメキリンとマサイキリンの2種のみ。マサイキリンは、ギザギザした不規則な形の斑紋をもつ。アミメキリンは、多角形の斑紋から構成される、きれいな網目模様をもつ。
キリンが亡くなるのは冬に多い。すると、解剖するのは、クリスマスも正月もなく1週間ぶっ通しですることになる。すべてはキリン最優先の生活だ。
キリンの第1胸椎が機能的には「8番目の首の骨」である。これを著者は実証したのです。
キリンの第1胸椎は、決して頸椎ではない。肋骨があるので、定義上は、あくまで胸椎。しかし、高い可動性をもち、首の運動の支点として機能している。キリンの第1胸椎には、胸椎ではあるが、機能的には「8番目の首の骨」なのだ。これは、キリンが首を動かすときには、頸椎だけでなく、第1胸椎も動いているということ。
キリンが高いところの葉を食べ、低いところの水を飲むという相反する2つの要求を同時にみたすためだ。
キリンは、水を飲むために頭を下げるだけで、5メートルほども頭の位置が変化する。キリンが頭を下げたときには、血圧が急上昇する。一度下げた頭を再び上げるときには、頭部の血圧が急減少する。
日本に現在いるキリンは150頭。これは584頭のアメリカについで、世界第2位(2011年)。野生のキリンは10万頭、過去30年間で4割も減少した。
著者のつとめる博物館には、「3つの無」という理念がある。無目的、無制限、無計画。たとえ今は必要がなくても、100年後、誰かが必要とするかもしれない。それで、標本をつくり、残し続けていく。それが博物館の仕事だ。
正月返上でキリンの解剖を1週間もぶっ通しで敢行するなんて、並みの人間にはできませんよね・・・。科学の進展には、こんな地道で粘り強い研究が必要なことを自覚させられました。
それでも明るく調査、研究をすすめている著者の姿を想像して、救われました。
(2019年9月刊。1200円+税)

古墳時代に魅せられて

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 都出 比呂志 、 出版  大阪大学出版会
三角縁(さんかくぶち)神獣鏡が日本で大きな話題となるのは、これが邪馬台国論争の重要資料だから。邪馬台国は九州にあったと考えている人は関西でも多い(6割)。ただ、これは、弱者(判官)びいきのせいかもしれない。私は、もちろん九州説です。日本の文明は九州に始まったと頭から信じているのです…。
土井ヶ浜で発掘された弥生人の骨格をみて、金関丈夫先生は、この長身の人々は朝鮮半島から新しい長身の渡来人がやってきたと説明した。今では、だいたいその説で落ち着いている。
現代日本人の血液型を調べると、A型が西に多く、東に少ないことが判明している。西高東低の配置だ。
新モンゴロイドの特徴は、胴長短足、顔は扁平で、デコボコが少ない。目はくりくりと丸いものではなく、細長い。これが現代日本人の平均的な姿。これは、2万年前のもっとも寒冷な氷河期を生きのびた東北アジア人のなかで形成されたと考えられる。私も新モンゴロイドなのかな…。
雄略大王は、中国の南宋に使いを派遣し、それまでと違って王一人だけの将軍の称号を受けとった。そして官僚制度を取り入れ、中央政権が指揮する軍事制をすすめ、各地の有力首長連合体制を解体させて、中央権力を強化し、国家形成を大きくすすめた。
6世紀の継体大王の時代に使われた土器には、朝鮮系のものが多く含まれている。
馬を飼っていたのは日本ではなく、朝鮮半島だった。日本には渡来系の人々が移住して始まった。文化的に高い渡来系集団が政治的に力をもち、継体大王を支える勢力になる盟主墳を築くようになった。
前方後円墳がもっとも巨大となったのは5世紀。
6世紀に入ると、前方後円墳の性格は大きく変貌する。6世紀になると、畿内では、さらに前方後円墳そのものが急速に減少していく。しかし、関東では逆に増加した。
古墳時代の中央政府は、地方の有力首長連合に支えられていた。しかし、中央政府は着々と力を蓄え、5世紀後半の雄略大王は地方の最大勢力である吉備や毛野を打ち負かし、管制、軍制、前方後円墳の祭祀イデオロギー定着で飛躍した。
ところが、雄略大王のあと、中央政権は磐井(いわい)の大きな反逆を受け、磐井を鎮圧したにもかかわらず、その後継者である息子は赦免するほかなかった。そのうえ、反逆者である磐井の墓(八女市)は九州最大の規模に築かれた。これは、中央権力は地方有力首長連合体の力を無視できなかったことを示している。
5世紀の倭の大王権力が朝鮮半島に執着していたのは、鉄資源を確保するためと考えられる。
6世紀も後半になると、岡山や京都北部で鉄を生産していたが、5世紀までは朝鮮半島に頼っていた。
急流の河川をもつ日本の稲作は、水を管理する非常に高度な灌漑技術が必要で、首長は高度な土木技術を身につけ、住民を組織して日本の河川を制御し、生産量を大きく伸ばした。その経験が首長のなかに受け継がれており、農民と固く結びついて共同体を支配する主張たちの力は大きく、中央の大王の力は相対的に低くなるので、前方後円墳体制につながった。
古墳時代をもっと知るには天皇陵とされている古墳を学術的に掘って解明していく必要があると思います。改めて勉強になった本でした。
(2018年12月刊。1700円+税)

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