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2020年1月 の投稿

歴史のなかの東大闘争

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 大窪 一志、大野 博、柴田 章ほか 、 出版  本の泉社
1968年6月から1969年3月まで、東大では全学部がストライキに揺れ、この間、ほとんど授業がありませんでした。
東大闘争というと安田講堂攻防戦しかイメージしない人が多いと思いますが、私をふくめて当事者にとっては画期的な確認書を勝ちとったことの意義を再確認したいところです。この本は、その点が欧米との比較でも論じられていて、大変参考になります。
アメリカのコロンビア大学では1968年4月に1週間の校舎占拠、警察機動隊の導入と学生の大量逮捕があった。そして、コロンビア大学には、今も学生代表をふくむ大学評議会という全学的な意思決定機関がある。1960年代のアメリカの学生運動は、大学の管理運営の民主化に少なからぬ痕跡を残している。
フランスでも1968年の五月革命のあと、大学評議会が成立して学生参加が公認されている。学生は、もはや未成年者ではなく、自立した市民としての成人と認め、学内における政治的自由が公認されている。
欧米と日本の違いはどこから来ているのか・・・。西ヨーロッパ各国では、その後、学生参加などに親和的な左翼政権や中道左派政権が成立したことにもよる。それに対して日本では、東大確認書の破棄を迫った自民党政権が続いた。
では、東大確認書はどうなっているか。東大駒場の教養学部自治会は全学連から脱退しているが、今もHPには東大確認書がアップされている。そして、学生の懲戒に関しては学生懲戒委員会が存在するが、その手続のなかに参考人団による審議がなされることになっていて、学生団員5人を選出するにあたっては学生4人から成る学生参考人会があって、そのなかから互選で選ぶことになっている。これは、今もちゃんと機能している。
つまり、このように東大確認書は今も生きているのです・・・。
次に、東大闘争に東大生がどれだけ関わっていたかを確認してみます。
大野博氏によると、デモに71%、討論に85%、ビラまきに40%、ヘルメット着用したというのは34%というアンケート回答がある。そして、東大闘争によって人生観が変わったと答えた学生が70%いた。
東大法学部についてみてみると、6月から12月までのあいだ、毎週のように学生大会が開かれていて、定員数300人のところ、毎回、その倍の600人から最高821人の法学部生が参加していた。そして、無期限ストライキ突入を決議した10月11日の学生大会には、午後2時に始まり翌朝午前6時半まで、延々16時間以上も学生大会は続いた。このとき、629人の参加があり、うち430人が朝まで議場に残っていた。これって、今ではまったく信じられないほどの参加者ではないでしょうか・・・。
1969年1月の秩父宮ラグビーでの七学部代表団と加藤一郎代行ほかの大学当局の大衆団交には、教職員1500人、学生7500人が参加していた。全東大から9000人もの参加のある団交って、すごくありませんか。そして、駒場の自治委員長選挙の投票率は60%をこえ、最高80%にまで達していたのです。
このように、東大闘争では、きちんと議論もしていたのであって、警察機動隊に対してゲバ棒でふるう東大全共闘が東大闘争だというのは、まったくの誤解なのです。この本を読むと、その点がかなり理解してもらえると思います。
ちなみに、民青同盟員は全東大に1000人いたとのことです。これまたすごい人数です。その人たちは、その後、そして今、どうしているのでしょうか・・・。
(2019年10月刊。3200円+税)

呪いの言葉の解きかた

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 上西 充子 、 出版  晶文社
子どもたちへの道徳教育に異常なほど執着している安倍政権ですが、自分たちは道徳を守ろうとははなから思っていない様子で、膚寒い思いがします。その意味で、人間にとって他人との意思疎通のために不可欠な言葉があまりにも軽くなっています。安倍首相のへらへらした口調で語るコトバの何と薄っぺらなことが、この人は道徳教育よりも前に小学生の国語からやり直すべきでしょう。
ところが、もう一方で、激しい悪罵を他人に投げつけて喜んでいる人もいます。残念ですが、それも現実です。
私たちの思考と行動は、ともすれば無意識のうちに「呪いの言葉」に縛られている。
本書で、著者は、そのことにみんなが気がつき、意識的に「呪いの言葉」の呪縛(じゅばく)の外に出ようと呼びかけています。思考の枠組みを縛ろうとする、そのような呪縛の外に出て、のびやかに呼吸できる場所にたどりつこうと誘っています。大賛成です。
「嫌なら辞めればいい」という言葉は、働く者を追い詰めている側に問題があるとは気づかせずに、「文句」を言う自分の側に問題があるかのように思考の枠組みを縛ることにこそ、狙いがある。
「呪いの言葉」とは、相手の思考の枠組みを縛り、相手を心理的な葛藤の中に押し込め、問題のある状況に閉じ込めておくために、悪意をもって発せられる言葉だ。
悪質なクレームについては、相手の土俵に乗せられないように、心理的に距離を置きながら対応するという心構えが必要だ。
たとえば、「野党は反対ばかり」という人には、「こんなとんでもない法案に、なぜ、あなた方は賛成するんですか?」と切り返す。このとき、「賛成もしています」では単なる弁解であり、相手の土俵に乗ってしまっている。
呪いの言葉を投げかけてくる相手に切り返していく。それができたら、より自由に、より柔軟に、状況を把握し、恐れや怯(おび)えや圧迫から、心理的に距離を置いたうえで、状況への対応方法を考えられる。
権利要求には「発声練習」の場が必要なのだ。
三の目の選択肢がある。言うべきことは言い、自分たちの会社を自分たちの手で、より良いものに変えていくという選択肢がある。
著者は駅前や街頭などの公共空間で届出することもないまま(届出は必要ありません)国会審議の映像を公開しています。パブリックビューイングといいます。安倍首相や菅官房長官などが、意図的に論点をずらし、くだくだしい説明をし、野党とその背後にいる国民を愚弄(ぐろう)する答弁を続けている国会審議を国民に見てもらう、これが日本の現実を知るのに一番だと考えるからです。
11月8日の田村智子議員(共産党)の安倍首相との質疑応答は私も日本国民必見のものだと思います。ユーチューブで簡単に見ることが出来ます。30分間があっというまです。いつまで「桜」をやっているのかという野次に対しては、安倍首相が辞めるまでと私は切り返すことにしています。今よまれるべき価値ある本です。新年に読んで、心も軽やかに生きていきましょう。
(2019年6月刊。1600円+税)

海と陸をつなぐ進化論

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 須藤 斎 、 出版  講談社フィールドバックス新書
海中の巨大生物クジラが、かつて陸上で生活していたのに、海に戻ったというのは定説です。それも、もともと海で生活していたのが陸上にあがり、それから海に戻ったというのです。信じられません。本当なんでしょうか、どうしてそれが証明できるのでしょうか・・・。
クジラ類の祖先は、現在のアフリカに生息しているカバと共通。
インド亜大陸がユーラシア大陸に衝突し、ヒマラヤ山脈が隆起するまで、この地域には「テチス海」と呼ばれる浅い海が広がっていた。このテチス海に、クジラ類の祖先である「原クジラ」が暮らしていた。原始的な種は、頑丈な四肢をもつ完全な陸生動物であり、5400万年前に陸から水中へ進出していった。
インド亜大陸に生息していた原クジラ類は、斬新生に入ってそれまで暮らしていた河畔から海洋へと生活の場を移した。当初は半水・半陸の二重生活を送っていたが、次第に完全な水中生活に適応していった。
なぜ、かつて陸上で生活していたクジラ類が海へ帰っていったのか・・・。その理由として、インド亜大陸の衝突によって、それまで暮らしていた場所が消滅したこと、珪藻類の繁栄によってエサとなる動物プランクトンや魚類などが増加したことが考えられる。
すごいですね、こんなことが科学的に証明されているというのです・・・。
プランクトンという言葉には、「小型」という意味はふくまれていない。エチゼンクラゲもプランクトンに含まれているが、傘の直径が2メートル、重さは150キロにもなる。
植物プランクトンは、光合成をするため。光があたる範囲の深さにいなくてはいけない。つまり、植物プランクトンは、太陽光が届く水深100メートルからせいぜい200メートルほどの「海洋表面」に多く生息している。
大気に存在する二酸化炭素の一部は、海面から海洋中に取り込まれて、海洋表層に生息する生物、とくに植物プランクトンの光合成によって有機物に変化する。
海洋生物によって海洋の中層・深層部へ炭素が運ばれる。最終的に深海に貯蔵される炭素は70~80億トンの達する。
速く生長して、早く再生産し、さらに早く死ぬのが海の生産者である植物プランクトンの特徴であり、一次消費者の動物プランクトンの特徴だ。
単細胞の植物プランクトンは、平均して6日に1回、分裂する。そのうちの半数は、死ぬか、あるいは他の生物に食べられる。そのため、植物プランクトンの全量は1週間に1度、そっくり入れ替わっている。
プランクトンのなかには、葉緑体をもっていて光合成ができるのに、肉食動物のようにエサを狩る、植物なのか動物なのか、よく分からないものもいる。その一つが夜光虫。
海と陸とはつながっていることが分かった気にさせてくれる新書です。
(2018年12月刊。1000円+税)

弁護士のしごと

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版  しらぬひ新書
著者は25歳で弁護士になって今、71歳ですから、弁護士生活も46年間となりました。
これまで取り扱ってきた事件のうち印象に残ったものを少しずつ文章化していて、本書は読みもの編の第一弾です。
本書のトップは、勝共連合・統一協会による霊感商法でだまされた人のケースです。
主婦が32万円という高額なハンコを買わされ、600万円もの多宝塔を購入させられたのは、長男が短命で終わるとのご託宣によって心配させられ、それを回避するための行動でした。著者は洗脳の場になっているビデオセンターに乗り込み、パトカー2台が出動する騒動を起こしながらも、600万円全額を取り戻すことに成功したのでした。裁判所を待たずに弁護士も直接折衝することがあるというケースです。
二つ目のケースは、子どもの引き取りをめぐる争いです、裁判所の命令によって子どもを手放さなくてはいけない状況を打破するため不利を悟った相手方がテレビ局に駆け込んだ。ワイドショーのスタッフが東京から飛んできた。だまし打ちにあって田圃道でテレビ・カメラの皓々たるライトを浴びながら、世の中には理不尽なことも多いと実感させられた。それでも、なんとか人身保護命令の手続きのなかで、3歳の子どもを無事に取り戻すことができた。いやはやテレビ番組は怖いものです。
100万円の恐喝事件では、32回の公判を重ねて「被害者」の証言は信用できないとして、無罪判決が出て、そのまま確定した。ところが、被告人となった一人が民事で損害賠償を「被害者」に請求すると、裁判官は言語道断の請求だと決めつけて請求を棄却してしまった。
最後は、地場スーパーの倒産にともなう整理手続を裁判所の手を借りずに遂行した経緯が紹介されています。裁判所の破産手続を利用すると、手続費用(実は管財人費用)が高額なうえ、業者説明会がすぐにやれないとか、主導的に進行させられない。そこで任意清算手続で乗り切ったというケースです。
弁護士は何をしているのか、弁護士って役に立つものなのか、実例をふまえて、プライバシー保護に留意しつつ具体的に明らかにしている新書です。
いま、大学進学を希望する高校生のなかでは法学部より経済学部が人気であり、司法界の人気も低下しているといいます。とても残念なことです。地方にも人権課題はたくさんあり、それに取り組むのは人生を充実させるうえで、とてもいいことだと思います。この新書を読んで弁護士を志望する人が増えてくれることを願っています。
ですから大学生や高校生などに広く読まれてほしいものです。新書版200頁。
(2019年12月刊。500円(悪税こみ))

ドイツ軍事史、その虚像と実像

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 大木 毅 、 出版  作品社
『独ソ戦』の著者によるドイツ軍事史ですから、面白くないはずがありません。
従来の定説が次から次に覆されていく様子は小気味よく、痛快でもあります。
たとえば、日本軍による真珠湾攻撃について、ルーズベルト大統領はあらかじめ承知しておきながら、世界戦略に展開上、あえてこれをやらせたという陰謀論がある。同じように、スターリンもドイツ侵略を準備していたので、ヒトラーはそれに一歩先んじただけのこと・・・という古くて新しい主張がなされている。しかし、いずれも歴史的事実としては成り立たない。
1943年7月のプロホロフカの大戦車戦なるものの実体は・・・。
ドイツ側の装甲勢力は戦車、突撃砲、自走砲をあわせて204両だった。これに対してソ連側は850両の戦車と自走砲を保有していて、プロホロフカ戦区だけでも500両の戦車を投入してきた。しかし、結局のところ、ソ連軍の大戦車隊は大敗を喫した。
ソ連軍は、350両もの戦車と自走砲を破壊された。つまり、ソ連軍はプロホロフカで大敗北し、ドイツ軍は大勝利をおさめていた。
1944年冬、ドイツ本国にあった兵站部隊と後方勤務部隊は、保持していた小銃と拳銃の半分を前線部隊に引き渡していた。残りの半分は、1944年春、同じく手放すことになった。
ドイツの生産能力は、前線と後方の需要を同時にみたすことができる状態ではなかった。
1944年3月、ドイツの国内予備軍はなお1100両の戦車と突撃砲を有していたが、実にその半分が旧式化したⅢ号戦車、あるいは、その改造型だった。
1945年5月、アメリカ軍の捕虜となったドイツ軍10万人の将兵のうち、40%は何の武器ももっていなかった。
1944年以降、ドイツ軍は指揮官の未熟さによる失敗が目立った。というのもベテランの指揮官たちが倒れ、捕虜になっていくなかで、十分な訓練を受けていない経験不足の士官たちが占めた。
ヒトラーは、ベルリンでは虚勢を張り続けていた。そして、ヒトラーに自分の忠誠と勇猛ぶりを誇示する演技だった。
ドイツの敗戦後、アメリカ軍の捕虜となったドイツ兵たちの会話は、すべて録音されていた・・・。
1944年10月、宣伝大臣ゲッペルスは国民突撃隊創設に関するヒトラーの指令を公表した。このころ、600万人もの国民突撃隊を十分に武装させるのは不可能だった。ドイツ国防軍は既存部隊の維持で精一杯だったので、国民突撃隊は、猟銃やスポーツ用の鋭い旧式の小銃で武装するしかなかった。弾薬も不足していて、1人あたり5~10発の弾丸しか与えられない部隊すらあった。また、軍服も用意できなく、腕章をつけて軍服に代えた。
こうやって戦場に投入された国民突撃隊の末路は悲惨で、17万5000人が行方不明となった。
ドイツでは占領地で、パルチザン活動をすべく「人狼」部隊を創設しようとした。しかし、戦争に疲れ、犠牲につぐ犠牲を強いられたドイツ国民は、フランスやロシアとちがい、「侵略者」に抵抗する気運はなかった。抵抗運動としての「人狼」は、活動の基盤を失い、それを支えるはずだった親衛隊の「人狼」部隊は、消え去った。
現実には、ドイツ軍の大多数は、勝利の見込みなどかけらもないまま、奇跡なき戦場に投入され、非情な戦死のままに消滅していった。
ナチス・ドイツ支配下のドイツ国防軍の実態がよく分かる本です。よく調べてあるのには驚嘆するほかありません。
(2017年4月刊。2800円+税)

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