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2019年11月 の投稿

光の田園物語

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 今森 光彦 、 出版  クレヴィス
いやあ、思わずほれぼれしてしまう見事な田園風景です。写真が輝いています。
滋賀の里山に生きる写真家が、荒れ果てた土地、竹の密生する林を切り拓いていきます。とても人間の手だけではかないません。ついにはユンボなどの重機も登場し、竹を根こそぎ抜いていくのです。そして、そこにはひっそり古木が隠れていました。また、小道には石仏がいくつも埋もれていたのです。
クヌギの古木が姿をあらわしましたが、思い切って伐採。すると、翌年には、早くも新芽が吹き出してきます。たくましい自然の生命力に圧倒されるばかりです。
土手のカヤにはカヤネズミがいて、巣をつくっています。
真夏の田圃は緑したたる田園風景がずっと先まで広がり、そのみずみずしさを胸一杯吸いとりたくなる気分にさせてくれます。この頁を眺めるだけで、この本買って手にとる価値があります。
著者のすばらしいところは昆虫教室を開いて子どもたちに昆虫の生態を一緒に教えていることです。もちろん、著者自身が昆虫博士のように詳しいのです。いろんなチョウやトンボ、そしてカエルの名前を見分けわれるなんて、それだけですごい、すばらしいではありませんか・・・。
昆虫は、子どもたちが手にすることのできる数少ない生命、神様がくれた玩具だ。
竹藪を切り拓いたあとを整地し、水たまり(湿地)をつくり出します。水辺の生き物のためです。さっそくトンボがやってきます。
田んぼも大切だけど、土手も大事に育てます。土手にすむ生き物もいるからです。
環境農家を目ざす写真家の著者は大忙し。でも、その笑顔は輝いています。自然とともに生きる喜びがあるからでしょう。
琵琶湖のほとり、大津市の仰木という地区に広い田園をかまえて自然と生活している著者による、実に楽しい写真集です。できたら一度、ぜひ現地に行って、実感してみたいものです。
全国の図書館に一冊は常備してほしいと思いました。それだけの価値があります。
(2019年8月刊。2500円+税)

原城と島原の乱

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 服部 英雄、干田 嘉博、宮武 正登 、 出版  新人物往来社
2008年2月に開かれたシンポジウムをもとにして、島原の乱をふくめて原城の意義を多面的に探った本です。
1528年(天正10年)に天正遣欧使節団として、はるかヨーロッパへ旅だった4人の少年、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノは、いずれも原城近くの日野江にあった有馬セミナリヨの卒業生だった。原マルチノと中浦ジュリアンは有馬セミナリヨの一期生、千々石ミゲルが二期生。伊東マンショだけが、あとで有馬セミナリヨで学んでいる。ところが、8年後に帰国したとき、日本はキリスト教が禁止されていた。
それでも、4少年は豊臣秀吉の閲見を受けているし、活版印刷機を日本に運んできて、それでキリスト教関係の本を印刷などしている。
原城のなかには竪穴建物が密集していたが、この竪穴建物には戸別に炉やカマドといった暖房や煮炊きかかわる造構物が見つかっていない。これは籠城中に失火を起こさないように高い規律を守り、また人々は寒さに耐えていたということが分かる。旧暦の12月から2月までの3ヶ月なので、今の暦でいくと、2月から4月にかけてのことでしょうが、寒いことには変わりありません。
食料を集中管理して、調理し、食事を配給していたと推測されている。
原城は外周が4キロメートルに達する。大きすぎるほどの城だった。
原城に立て籠もっていた一揆軍は、イエズス会を通じてポルトガルの援軍を得る戦略を描いていた可能性が高い。さらに、全国の隠れキリシタンに蜂起を呼びかけ、内乱状態が全国一斉に湧き起こることを狙っていた。
かつてのキリシタン時代、島原半島には最盛時7万5000人ものキリシタンがいた。今、カトリック信者は100人ほどしかいない。
原城跡の現地に立ち、ガイド氏の説明を聞き、帰宅してからこうやって本を読むと、原城そして島原の乱がいっそう身近に思え、また人々の祈りが今に通じている気がしてきます。
(2008年11月刊。2200円+税)

太陽を灼いた青年

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 井本 元義 、 出版  書肆侃侃社
フランスの若き天才詩人アルチュール・ランボー。日本の詩人がフランスに出かけて、ランボーの足跡をたどった本です。たくさんの写真があって、楽しく読めます。
ランボー狂いの著者はランボーに関する本を数十冊も読み、あらゆる評を読んでいます。
そして、ランボーが生まれたシャルルの地に立ち、その空気を腹一杯、吸い込みます。ランボーが酔いしれて彷徨したパリのカルチェラタンをランボーのように歩いてみます。パリにむかってランボーが旅立ったヴォンク駅は今は廃駅となって線路もありませんが、そこに立ち往時をしのびます。手に傷を負ったランボーが悲痛な時を過ごしたロッシュ村を訪れ、そこにあるランボーの墓石を何度も撫でます。
本書はランボーを狂おしいほどにしたう著者が、フランス国内を歩きに歩いてランボーの面影をたどった記録です。著者は仕事をリタイヤして70歳のころ、3年間、毎年3ヶ月間、パリに下宿してパリ近辺を歩きまわったという行動派でもあります。
ランボーが死んだのは、1891年11月10日、37歳だった。マルセイユの病院で亡くなった。葬儀は盛大だったが、参列者は母と妹の二人だけ。このころ、ランボーの詩がかつて賞賛されていたことを身内は知らないし、世間は天才詩人ランボーの死を知らなかった。
ランボーの最高傑作詩の一つ、「酔いどれ船」は、ランボーが16歳のときの作品。その詩に感激したヴェルレーヌから、「来たれパリへ、偉大なる魂よ」と招かれ、ランボーはパリへ旅立った。それからの4年間が、若きランボーの情熱がもっとも輝くときだった。
ランボーは1871年のパリ・コミューンに出会い、コミューン兵士の一員になる。しかし、兵舎のなかは驚くほど無秩序で、1ヶ月もたたないうちにランボーは兵舎を出た。このころ、まだ16歳の天才少年だ。
詩の意味は、色や匂いや言葉や音の組み合わせだ。
ランボーは詩作をやめた。しかし、著者は、そこからが本当の詩人ランボーの誕生だと強調しています。すべてを見てしまった書かざる詩人が誕生したというのです。
ランボーはアフリカに渡り、武器商人になったのですが、結局、取引相手にうまくあしらわれて赤字を出したようです。そして、病気をかかえてフランスに戻るのです。リューマチが悪化、腫瘍ができたのでした。
ポール・クローデルは、アフリカでのランボーの生活や手紙には何の意味もない、ランボーの文学の価値は前半で終わっているとしました。著者は、これに激しく抵抗しています。
私は正直言って、書かざる詩人という存在なるものが理解できません。心象風景を文字にしてこそ詩なのではないか・・・、と思うからです。
この本は私のフランス語勉強仲間である著者から教室で贈呈されたものです。早速読んでみました。私も言ったことのあるパリのパンテオンやサン・ジャック通りなど、なつかしい光景が見事な写真とともに紹介されています。
ありがとうございました。ランボーの一生がチョッピリ分かりました。
(2019年10月刊。1600円+税)

日産自動車極秘ファイル2300枚

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 川勝 宣昭 、 出版  プレジデント社
日産自動車にはカルロス・ゴーンという権力者が長く君臨していましたが、その前は「天皇」とまで呼ばれた塩路一郎がいました。ただし、塩路一郎は会社の経営者ではなく、労組の委員長でしかありません。ところが、なぜか労組のトップが日産という会社の支配者然としていた時期が長く続いていたのでした。
本書は、日産の内部で塩路一郎に抗していた課長グループの動きを当事者が書いて発表したものです。著者は、日産自動車の広報室課長職で、40歳前後でした。
塩路一郎は日産自動車を含めた自動車労連の会長として絶大な権限をふるっていた(当時53歳)。
著者たちは、秘密組織をつくって塩路一郎打倒の取り組みをすすめていた。それは社長の特命任務というものではなかった。取締役会のなかでも、塩路一郎に意を通じている人間が少なくなく、彼らにバレないように隠密裡に活動していった。
塩路一郎は、中曽根康弘と太いパイプをもっていて、石原慎太郎の選挙参謀もつとめた。
塩路一郎の意向を受けて手足となって動き、ダーティーな行動もいとわない、「フクロウ部隊」という裏部隊が存在した。日産労組のなかには、大卒グループ、高卒グループ、高専卒グループの三大派閥があり、フクロウ部隊は、高卒グループのなかで組織されていた。
フクロウ部隊は盗聴を常套手段としていた。その主たる目的は、社内の幹部クラスの人間の弱みを握ることにあった。
著者が1967年に日産に入社したとき、入社式は労組との共催だった。そして、川又社長の訓示のあと、塩路一郎が登壇して挨拶した。
会社の人事は事前に労組幹部に伝えられ、その承認を得る必要があった。つまり、現場での人事権は完全に労組側が掌握していた。生産についても、労組との事前協議制によって、労組側の事前承認が必要とされていた。
多くの日産社員は、争いに巻き込まれたくない、自分の仕事ができて、給料がもらえて、生活が守れたらいいと考えていた。それで、組合にあえて抵抗するようなことはしなかった。
塩路一郎は、明治大学の夜間部出身にもかかわらず、1962年から自動車労連の会長を20年も独占した。
川又社長は興銀出身で、社内の基盤が強固なものではなかったので、労使協調路線をとった。これが潮路一郎の専横を許すことにつながった。
川又社長の次の石原社長は塩路一郎に追随しなかった。
塩路一郎は3500万円のヨットを専用とし、もっていたゴルフ会員権もあわせて4300万円した。塩路一郎は銀座で豪遊し、女性スキャンダルも派手だった。そこで著者たちは週刊誌にリークし、また女性スキャンダルを明るみに出すため張り込みをし、怪文書を発行するのです。
いやはや、大変な戦いです。ついに塩路一郎は倒れました。
しかし、次に登場したのはカルロス・ゴーン。果たして日産という会社はどうなっているにか・・・。他人事ながら心配になってしまいます。それにしても、企業のなかで生きるというのは大変ことなんですよね。つくづく自由人である弁護士になってよかったと思ったことでした。
(2018年12月刊。1600円+税)

日米戦争同盟

カテゴリー:未分類

(霧山昴)
著者 吉田 敏浩 、 出版  河出書房新社
安部首相がトランプ大統領の言いなりに買わされるF35はAとBの両型で105機。1兆2000億円にのぼる。そんなお金があったら、学費を無料化して、奨学金を充実できますよね。
「かが」と「いずも」はF35を搭載する予定。つまり名実ともに空母となる。もはや「ヘリ空母」でもない。
日本の自衛隊はアメリカ軍とともに戦う。だけれども、対等な関係ではなく、使い走りのような存在として、いいように使われるだろう。
アフガニスタンやイラクで、すでに日本の自衛隊はアメリカの戦争に加担した。日本人の多くがそのことを自覚していないだけで、イラクやアフガニスタンの人々は日本をそのように見ている。
日米合同委員会は、日米地位協定の運用に関する協議機関で、日本政府の高級官僚と在日米軍の高級軍人で構成されている。日本側は、すべて文官の官僚(トップは外務官僚)、アメリカ側は、大使館公使を除いてすべて軍人。
東京にある横田空域は日本列島の真ん中をさえぎる巨大な「空の壁」だ。この横田広域は、日本の領空なのに、日本の航空管制が及ばず、管理できない。日本の空の主権はアメリカ軍によって制限され、侵害されている。そのため、羽田空港をつかう民間機は、急上昇したり迂回させられたりする。
このような外国軍隊によって首都の空が広範囲に管理されているのは世界に例がない。
しかも、その法的根拠が疑わしいのに、日本政府はいまだに問題を明らかにしない。まさにアメリカの言いなり。
武器の開発・輸出にしても、アメリカの軍需産業の主導下に日本企業が組み込まれるだけ。巨大なアメリカの軍産複合体に従属するかたちで日米軍需産業の結びつきが深まっていく。
イラクに自衛隊が派遣されたとき、日本通運も実はイラク入りしていた。
ええっ、そ、そうなんですか・・・。ちっとも知りませんでした。そんなことは報道されていなかったと思います。
今、日本中にオスプレイが配備されようとしています。とんでもないことです。死の欠陥飛行機とも呼ばれているオスプレイなんて、日本のどこも必要ありません。
日本という国の現実を知るために欠かせない本だと思いました。
(2019年7月刊。1700円+税)

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