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2019年10月 の投稿

東大闘争から50年、歴史の証言

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 東大闘争・確認書50年編集委員会 、 出版  花伝社
今から50年前に東京大学で何か起きていたのか、それは何を目ざしていたものだったのか、そして、そのとき関わった東大生たちは、その後をどう生きてきたのか、討論集会(1月10日に東大山上会館で開催)での発言と、34人の寄稿による貴重な証言集です。
ここに集まったのは、全共闘と対峙しながら東大を変革しようとした人たちで、東大闘争を安田講堂攻防戦と直結させて考える、俗世間にある間違った見方を否定します。
東大闘争は、そのとき東大に在学していた東大生(院生もふくむ)が空前の規模で参加したものです。一部に暴力行為・衝突がたしかにありましたが、それでもメインはクラス討論やサークルでの討論が生きていました。リコールが成立したり、代議員大会が成功していたのは、きちんと東大生たちが議論していたということでもあります。決して「民青」が東大を暴力的に支配したというものではありません。
そして、安田講堂前の広場を学生を埋め尽くしたのと同じように、秩父宮ラグビー場での画期的な大衆団交によって確認書が結ばれました。この確認書は、大学の自治は教授会の自治だという古い考え方を改めて、学生をふくめた全構成員による新しい大学自治のあり方が示されたものとして、画期的な意義をもっています。
今では国立大学まで私立大学と同じように採算本位でモノを考えるようになり、学生の大学運営への参加が弱まっていますが、確認書の原点にぜひ戻ってほしいものです。
そして、闘争を経た東大生たちが、その後の人生をどう生きていったのかにも注目したいところです。医師として地域医療の現場で担い、支えていった人、社会科教師として民主主義や暴力の問題について生徒たちと一緒に考える教育実践を続けた人・・・。文部官僚になって活躍していた途中で病気で亡くなったけれど、前川喜平氏に「河野学校」の卒業生だと名乗らせるほど影響力を与えた人もいます。
この本を読んで、東大闘争とは東大全共闘が担っていたものという間違った思い込みをぜひ捨て去ってほしいものです。
350頁、2500円と分厚くて、少し高い本ですが、全国的な学園紛争の「頂点」と位置づけられることの多い東大闘争の多面的な様相を知ることのできる本として、強く一読をおすすめします。少なくとも、全国の公共図書館と大学図書館に1冊常備してほしいものです。
(2019年10月刊。2500円+税)

2つの粒子で世界がわかる

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 森 弘之 、 出版  講談社ブルーバックス新書
私の特技の一つは、よく理解できない本であっても、なんとか最後の頁まで読み通し、ところどころ分かることで良しと思い切れることです。この本も、まさにそうでした。まったく理解は出来ないのですが、うすぼんやり分かるところがあり、世の中の仕組みについて考えるきっかけの一つをつかむことができました。
私たち人間の身体も、地球も、本の活字のインクも、素粒子が集まって出来ている。もっとも早く見つかった素粒子は、電子。1897年にイギリスの物理学者ジョゼフ・ジョン・トムソンが発見した。
素粒子には、物質をつくりあげている粒子と、力を伝える粒子の二つがある。
光子には質量がない。運動エネルギーは持っていない。しかし、エネルギーがないわけではなく、別の種類のエネルギーを持っている。光は光子から構成され、光子が多いほど強い光であり、光子のエネルギーは光の波長で決まる。
これは、エインシュタインの立てた仮説。
光は、粒子と波の両方の性質を持っていて、場面に応じてその一方の姿を見せる。これを粒子と波の二重性という。ところが、実は、光だけでなく、あらゆるものが、波と粒子の2つの性質をあわせ持っている。
電子や原子も、波としての姿を隠し持っている。量子力学は、その波としての性質にとくに注目し、波の形や運動について記述した理論。
このように、あらゆる粒子は波でもあり、波は粒子でもある。粒子と思われていた電子は波としての姿も時おり見せ、波と思われていた光も粒子としての性質がある。
世の中のあらゆる粒子は、ボーズ粒子かフェルミ粒子のどちらか。世界の粒子は、この2種類に大別できる。
ボーズとは、インドの物理学者サティエンドラ・ボーズに由来する。
フェルミは、イタリアの物理学者エンリコ・フェルミに由来する。
原子核の大きさは、原子全体の10万分の1ほどでしかない。原子核は原子を図に示したとき、点として表すことができないほど小さい。電子にいたっては、大きさを持つのかどうかもはっきりしていない。つまり、原子は、ほとんどスカスカなのだ。
以上、私が少し分かったかな・・・、と思ったところだけを引用・紹介してみました。
私の身体が、そんなスカスカの原子の寄り集まりだからこそ、ミューオンとかが通過していくのでしょうね。でも、そうすると、私が小さな脳で考えているというのは、どんな現象になるのでしょうか・・・。これも宇宙の神秘の一つですよね。
(2019年5月刊。1000円+税)

埋葬からみた古墳時代

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 清家 章 、 出版  吉川弘文館
またまた認識を改めました。古墳時代、被葬者の半分は女性だったというのです。これには驚きました。後期になると、戦争があって軍事面から男性の比率が高まったのですが、前期から中期まで男性家長と女性家長が同じ比率で存在していました。すなわち、家族集団の長は性別を選ばず、男女ともに継承していた。これは、いわゆる父系社会ではありえないこと。
熊本県宇土市にある向野田古墳の被葬者も女性だ。女性首長は、古墳時代の前期には一般的に存在していた。非首長層でも、女性のリーダーが活躍していた。
鏃(ぞく)、甲冑(かっちゅう)、鍬形(くわがた)石があると、被葬者は男性。車輪(しゃりん)石や石釧(いしくしろ)を腕に置く副葬品を配置しているときには、女性が被葬者。
人骨が女性であると、妊娠痕が見つかることがある。妊娠中期をすぎると、胎児の胎動に負けないように骨盤の耳状面下部に靭帯(じんたい)が深く骨に食い込み、圧痕が付着する。これがあると、出産したか否かはともかく、妊娠したことは判明する。すると、妊娠痕のある女性首長には子どもを産む機会があったことが分かる。いやあ、こんなことまで判明するのですね、すごいですね。
もう一つ驚いたのは、古墳には、複数の人間が葬られるのが一般的だったということです。むしろ、単体埋葬の古墳のほうがかえって少ないのです。いちばん多いのは長野県にある森将軍古墳で、ここには81基もの埋葬が確認されているそうです。
平安時代の墓は、夫婦別墓が原則。嫁になっても、死んだら実家の墓に入り、夫婦は別の墓。
父系化が進行したのは、韓半島をめぐる軍事的緊張と戦争に巻き込まれ、あるいは積極的に関与していったことから、戦力とならない女性首長が姿を消していったと考えられる。
なるほど、なるほど、昔から日本人の女性は強かったのですね・・・。それにしても、やっぱり平和が一番ですよね。
(2018年5月刊。1800円+税)

義民が駆ける

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 藤沢 周平 、 出版  中公文庫
徳川家斉、水野忠邦。将軍と有力老中が3つの藩のお国替えを画策し、地元百姓の一揆の前にもろくも敗退し、計画は撤回された。この過程が忠実に再現されていきます。ウソのようなホントの話ですから、もとより面白くないはずがありません。
そして、そこはさすがの藤沢周平です。じっくり味わい深く読ませます。
幕府当局内の力関係を背景に、意思決定が少しずつ実現していくのです。ところが、対象となった^荘内藩では、藩当局と豪商たちが反対に動きます。そして、肝心なのは百姓たちの動き。
これを誰が動かすのか・・・。村のきもいりたち、それを背後で動かす豪商の存在。
川越藩主は、将軍家斉の24番目の男子を養子に迎えている。その川越藩主が実入りのいい荘内藩への移封を望んだ。川越藩が荘内に移れば、15万石から実収21万石になり、長岡藩は7万石が15万石になる。逆に荘内藩は半減する。何の落ち度もないのに移封されて半分に減収を余儀なくされるのは、いかがなものか・・・。
明日は我が身のように思い、内心では反対したい藩主が少なくなかった。でも、実力ある水野忠邦には容易に逆らえない。ことは着々とすすんでいく。
村内の寄合いが始まった。肝煎(きもいり)、長人(おとな)が集まるなかで、国替えに反対して、江戸へ請願に繰り出そうということになった。
いや、すぐに結論が出たわけではない。反対する人も慎重論者もいた。しかし、きびしい年貢の取立てが始まって飢え死にするの必至。それなら、そうならないように行動に移すしかない。次第に話がまとまり、村人たちが普段着のまま、江戸へ向かう。
頼みの相手から助力を断られ、すごすごと宿へ引き返す。ところが、さすがに裁判(訴訟)を専門に扱う公事宿は違い、百姓たちに知恵と工夫を授けた。
百姓たちは地元で2万人も集まる大集会を2度も開いた。ついに百姓たちが大々的に立ち上がったのだ。
初版は1976年9月に刊行されています。ずっしり読みごたえのある文庫本でした。
(2013年10月刊。743円+税)

くうとしの

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 晴 、 出版  辰巳出版
不思議な写真集です。ワンちゃんとネコちゃんが顔を寄せあって気持ち良さそうに眠っています。ほっこり心の安らぎを感じさせてくれる写真集です。
このワンちゃんは、年寄りのメス犬なのですが、認知症になってしまったのでした。
皮膚病にかかった犬をまちで見つけて自宅へ連れて帰ったのが始まりです。手厚い看護のおかげで、犬は元気になりました。そしてネコちゃんもまた、町でみかけたオスの子猫。
ワンちゃんは庭で暮らし、ネコちゃんは家の中の生活。ところが、ネコちゃんがワンちゃんに一目ぼれしてしまったのです。ですから、そのオスネコちゃんがメスワンちゃんに猛烈にアタックしていくのです。その様子が実によく写真にうつっています。そして、二匹はすっかり仲良しになるのでした。
ところが、ワンちゃんは認知症を発症し、行動に異状が出はじめます。そこをネコちゃんが見事にフォローしていくのです。
ワンちゃんがダンボール囲いのなかをぐるぐるまわると、ネコちゃんも一緒について歩きます。ネコちゃんはワンちゃんを丁寧に毛づくろいしてやり、おやすみのチュッも・・・。
ネコちゃんがそばにいると、ワンちゃんは、安心した表情になってぐっすり長く眠れるのでした。
二匹が一緒にいると、いつだって穏やかでゆったりとした時間が流れていきます。
いやあ、よく写真が撮れています。心の震える思いです。
犬派の私ですが、犬と猫がこんなにも寄り添っている姿は初めてみました。犬派にも猫派にも必見の写真集です。ぜひ、あなたも手にとって眺めて、心を癒してください。
ひととき幸せな気分に浸ることができることを約束します。
(2019年8月刊。1200円+税)

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