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2019年10月 の投稿

三体

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 劉 慈欣 、 出版  早川書房
中国発のSF小説です。さすがにスケールが壮大です。
この「三体」3部作は、中国では2100万部も売れたというのですから、これまたスケールが日本とはまるで違います。
物語の始まりは1967年です。私にとっては東京で大学生としてスタートした記念すべき年でもあります。まだ大学内は嵐の前の静けさでした。ところが、隣の中国では文化大革命が深く静かに(実は、にぎにぎしく。静かだったのは報道管制下にあったことによる)進行中だったのでした。
文化大革命の本質は、実権を喪いつつあった毛沢東が権力奪還を企図して始めた武力を伴う権力闘争だった。ところが、表面上は文化革命というポーズをとっていたのでした。そこは毛沢東の巧みなところだ。そのため、この毛沢東が始めた文化大革命に全世界の文化人の一部が幻想を抱いて、吸い込まれていった。
武力をともなう残酷な権力闘争(文化大革命)の過程で、物理学教授である著者の父親は若い紅衛兵によって死に至らしめられた。
周の文王が突然登場したり、紂王(ちゅうおう)も出現したり、時代背景は行きつ戻りつします。そして、地球外知的生命体を探査するプロジェクトも関わってくるのでした。
やがて、秦の始皇帝まで姿をあらわします。いったい、この話はどんな結末を迎えるのだろうか…と心配にもなってきます。
三体時間にして8万5千時間、地球時間で8,6年後、元首が三体惑星全土のすべての執政官を集める緊急会議を招集した・・・。
ともかく、スケールの大きさが半端ではありません。縦にも横にも限りなく広がっていくのです。不思議な感覚に陥って、それを楽しむことができる本でした。
私はひたすら、すごいすごい、とてつもない発想だと驚嘆しながら読み通しました。
(2019年7月刊。1900円+税)

幸運を探すフィリピンの移民たち

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 細田 尚美 、 出版  明石書店
私のすむ町にも、かつてはフィリピン・パブが何店舗もあり、日本人夫とフィリピン人妻の離婚事件もいくつか扱ったことがあります。フィリピンからタレントとして日本にやって来て、ショータイムで踊ったりする女性がたくさんいました。そして、そのなかに日本人男性と結婚し、子どもを日本で育てている女性と出会ったのでした。今は、とても少なくなりました。
では、そんなフィリピン女性は現地フィリピンではどんな生活をしていたのか、日本人学者(女性)が現地で生活しながら探究していますので、とても具体的で説得力があります。
著者が住み込んだのは、サマール島。私はルソン島とレイテ島には行ったことがありますが、このサマール島には行ったことはありません。
マニラのあるルソン島の南東部にある山がちの大きな島。サマール島の基幹産業であるココナツ産業の最大の問題は、国際市場における価格の不安定さ。そして、このサマール島にも、新人民軍(フィリピン共産党の軍事部門)がいて、1972年から武力衝突が繰り返されていた。コトバは、まず地元のワライ語。そして、マニラに行く人が多いのでタガログ語も話せる人がほとんど。
今では、サマール島でも教育機会が増加し、大学進学者は着実に増えて、7万人へと倍増した。しかし、その就職先があまりないという問題がある。
サマール島は人口は疎らで、大きな都市や大規模農園がなく、マニラへ「冒険する」人々が増えていった。それは、若い女性が主だった。
女性のほうが男性より都市部へ向かう傾向が強い。それは、求職であると同時に結婚相手を探すという意味があった。
ある家族の最大の収入源は、マニラでお手伝いとして働く2人の娘からの送金だった。
生存レベルをこえて少しでも余裕のある村人は、村の家族に何らかの貢献をしてコミュニケーションを維持し、そうでない人は自分たちのできる範囲で維持すれば十分だと考えられている。
サパラランとは冒険。自らの運命が変わるのを受動的に待つのではなく、能動的に働きかける行為だ。したがって、サパラランには幸運探しと言い換えられる。
バサルボンは、村人が村に帰省したときに村人に渡す贈り物。マニラ帰り遊びだと、旅行カバン、ハイヒール、きれいな洋服だ。帰省する村人は、何らかのバサルボンを期待される。バサルボンの種類と量は、帰省する者の成功度を測る尺度の一つだ。
富を分配しない人は孤立し、村人のあいだの相互扶助をあてにできなくなる。他方、分配する人は社会的に認知され、周囲に人が集まってくるが、その態度は常に監視されている。富を分配していたとしても、集団の陰口で評判を落とされる可能性がある。
2000年から18年間にわたってフィリピンのサマール島に通った著者による貴重なフィールドワークが集大成された貴重な本です。
(2019年2月刊。5000円+税)

憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 高橋 哲哉、斎藤 貴男 、 出版  日本評論社
13年も前の本なのですが、タイトルに惹かれて読んでみると、内容的にはちっとも古くなっていませんでした。まだ集団的自衛権行使を認める閣議決定がなされておらず、安保法制法も制定されていないときの本です。
安保法制法が制定されても、自衛隊が戦争に参加していませんので、すぐにでも戦争に突入するかのように言っていたのは嘘だったのかと問い詰める人がいるそうですが、これはアメリカが、中東などで戦争をしていないことによるものです。
そして、戦争への危険はますます拡大しているような気がしてなりません。
全体としてみれば、戦争は経済的にプラスではない。しかし、特定の国にとって戦争がプラスの経済的影響を与えることがある。アメリカは膨大な軍需産業をかかえているので、戦争の遂行がアメリカの産業を潤すことになる。
日本にも、経済界のなかにグローバリゼーションや構造改革で利益を拡大している人たちは、アメリカとは何かを仲良くしておきたいと考え、戦争してもいいと考えているようです。残念です。
北朝鮮は、大規模な軍隊を保有している。しかし、実際には、日本に大規模な侵攻作戦をやれるだけの「もの・金」の裏付けをもっていない。そして、北朝鮮が仮りにやぶれかぶれになって日本に戦争をしかけてきたときには、日本が軍隊をもっていたからといって、何の役にも立たない。原発(原子力発電所)が一つでもやられたら、日本全土がアウトになるのは間違いありませんから・・・。
アメリカが日本に基地とアメリカ軍を置いているのは、あくまでアメリカ防衛のためであって、日本を守るためではない。そして、日本は、在日米軍の駐留経費(思いやり予算を含む)を負担しているので、日本に基地を設けてアメリカは大きな利益を得ている。
自衛隊の任務は国民を守ることではなく、国家を守ることにある。国民の生命・身体・財産を守るのは、警察の使命なのだ。
みんなが流されていって、あれよあれよと叫びたてるなかで戦争への道が目の前に登場していることになったら本当に大変です。安保法制法をなくせ、平和憲法を守れの声をさらに大きくしたいものです。
(2006年7月刊。1400円+税)

中国が世界を動かした「1968」

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 楊 海英 、 出版  藤原書店
あのフランス人歴史人口学者のエマニュエル・トッドが1968年ころ、17歳でパリ郊外の高校3年生のとき、フランス共産党系青年組織の一員だったというのには驚きました。
校内では権威的な校長を面罵してストライキを打ち、校外ではゼネストの労働者と一緒だった。政治うんぬんの前に単に楽しかった。
これは、日本の全共闘シンパに共通するものだと私は思いました。
中国における紅衛兵の造反は、フランスの学生運動など世界情勢に影響を与えた。
「欧米にしろ、日本にしろ、キャンパスの内外を問わず、もっとも活躍し、威張っていたのは、みな毛沢東派だった」
さすがに、ここまで言うと、明らかに言い過ぎです。毛沢東主義者は、日本ではML派などといって、目立ちはしましたが、しょせん新左翼党派のなかでは弱小セクトの一つでしかありませんでした。東大闘争のなかでも、全共闘のなかに、そう言えばML派もいたよね、という程度でした。
中国の紅衛兵のなかに、パリ・コミューンにあこがれる人物はあらわれたが、それは中国共産党の一党独裁に脅威を与えるものとして、たちまち「反革命」とされた。
毛沢東は、1958年からの大躍進政策や人民公社という惨憺たる失策から権力政治の中枢から外れ、地方を流離するなど、孤立状態にあった。
毛沢東が反逆の狼煙(のろし)に点火したのは、日本と中国両共産党のコミュニケが破棄された1966年3月末のことだった。毛沢東は、地方にあって劣勢な権力者が、中央にあって優勢な権力者に向けて蜂起するという、権力内部のクーデターを発動した。
この毛沢東による文化大革命による犠牲者は500万人にものぼるとみられている。
学生たちを辺境の地に追いやり労働させるという「下放」事業のなかで、学生たちは現実を直視せざるをえなかった。レイプや暴行、自殺、劣悪な労働環境下での事故死が相次いだ。
人間関係のない「よそ者」の青年たちは、移送先では、まったくの「社会的弱者」だった。
現実と直面するなかで、プロパガンダに対する疑問と抵抗感を抱くようになっていった。
ドイツでは、元毛沢東主義者が今も活躍している。1人はバーデン・ヴュルテンベルグ州の首相であり、もう1人は議員である。この2人は、首相が緑の党、もう1人は今では右翼政党に所属している。
ドイツには、左右を問わず、もとは毛沢東主義だったという政治家やジャーナリストが少なくない。とりわけ、緑の党に目立っている。
西ベルリンには、北京派ドイツ共産党が存在した。かつての毛沢東主義者は、教師・弁護士・ジャーリスト・研究者・作家・経営者・政治家として成功した者が少なくない。
彼らは、政治的な一面的思考を免れ、規律正しさと自己犠牲精神を身につけていた。
中国は「革新」を全世界に輸出することを夢見ていた時期があったようですが、そんなものがうまくいくはずがありません。
国際社会の歴史的動向をうかがえて、読んで良かったと思いました。
(2019年5月刊。3000円+税)

日米地位協定

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 山本 章子 、 出版  中公新書
日米地位協定については、知れば知るほど腹が立ちます。やっぱり日本はアメリカの属国でしかないんだ・・・。このことを改めて強く認識させられる本です。
アメリカ軍が日本にいるのは、決して日本を守るためではないのに、少なくない日本人は依然としてアメリカ軍が日本に基地をもって存在しているから日本の平和は守られているなんていう間違い(錯覚)をしています。しかし、アメリカ軍はアメリカを守るために安上がりの基地を日本に置いているだけのことです。アメリカ軍の基地は真っ先に攻撃目標となるのですから、日本は守られるどころではなく、無理心中させられるような存在でしかありません。怖い話なのです。
たとえば思いやり予算。これは、日米地位協定の明文にもない日本の負担のこと。在日米軍の労務費や施設費を日本が私たち国民の納める税金で負担しています。今から40年前の1978年に始まり、32倍の2000億円にまでなっている。
うっそー、うそでしょと叫びたくなります。日本政府にお金がないわけではなく、こんなムダづかいをしているのです。許せません。
アメリカと日本の密約では、沖縄のどこでも基地にできる全島基地方式が確認されている。したがって基地の場所が特定されていないから、アメリカは好き勝手に基地をつくれるのです。ひどい話です。
ドイツもイタリアも、もちろんアメリカ軍とは、友好関係にありますが、アメリカに対して言うべきことはきちんと主張するという、独立主権国家としてのプライドをもってアメリカと交渉しています。当然のことです。日本人として、日本政府の卑屈そのものの対応は恥ずかしいばかりです。
たとえば、イタリアでは、アメリカ軍の訓練、作戦行動は事前にイタリア軍司令官の許可が必要。イタリア軍司令官は、アメリカ軍基地内のどこにでも自由に立ち入ることができ、アメリカ軍の行動を危険だと判断したら、ただちに中止させることができる。
これって主権国家として当然のことですよね。ところが、日本政府は、そんなことすらしようとしないのです。まさしく名実ともに日本はアメリカの従属国家でしかありません。悲しいです。
これだけ日米地位協定の屈辱的内容の問題点を鋭く指摘しながら、「あとがき」によると、著者は日米安保条約を支援する立場だということです。これまた信じがたい話です。どうみたって、首尾一貫しないと思うのですが・・・。
(2019年5月刊。840円+税)

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