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2019年9月 の投稿

オオカミは大神

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 青柳 健二 、 出版  山と渓谷社
日本にオオカミがいたのは明治38年まで。アメリカでは絶滅したオオカミを移入して自然の生態系を復活させたそうです。日本だって、野生のクマがまだいるわけですから、やれないわけではないと思うのですが・・・。
日本各地の神社の前にある狛犬(こまいぬ)が、実はオオカミであったりする神社がたくさんあるということを本書を読んで知りました。日本人は、案外、オオカミに親近感をもっていたようです。ですから、この本のタイトルにあるように、日本人は全国各地でオオカミを大神(おおかみ)として祭っていたのです。これまた、知りませんでした。
そして、全国各地にあるオオカミの像といっても、いろんな形と色彩のものがあるのを見て、楽しくなります。必ずしもオオカミは怖いものではなく、愛らしい生き物だとみられてもいたようです。
著者は愛犬を連れて、現地に出向き、写真を撮って本書で紹介しています。こんなにあるのかと驚くばかりです。
オオカミは、人間にとって、むしろ田畑を荒らす猪や鹿などを追い払ってくれる益獣だった。ただし、東北の馬産地は、そうではない。オオカミ信仰は、この農事の神としての信仰から生まれた。ただし、オオカミは、神そのものではなく、多くは「眷属」(けんぞく)つまり山の神の使いだった。
東京のど真ん中、なんと渋谷駅から徒歩2分の宮益坂にある神社にもオオカミ像が鎮座しているのです。もちろん、渋谷だけでなく、都内各所にオオカミの像が今も残っています。飛騨高山の狛犬もオオカミ像なのかもしれないといいます。
犬、そしてオオカミに親近感をもつ人は意外な発見を教えてくれる楽しい写真集でもあります。
(2019年5月刊。1500円+税)

王家の遺伝子

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 石浦 章一 、 出版  講談社ブルーバックス新書
シェイクスピアが『ヘンリー6世』や『リチャード3世』のなかで身体は不具、そして極悪非道な王として描いたリチャード3世の遺骨が、なんと最近イングランド中部の都市であるレスター市内の駐車場の地下から発見された。
そのDNAによってリチャード3世にまちがいないとされた遺骨には、いくつも刃傷の傷跡があった。頭蓋骨、骨盤そして上顎骨に外傷があり、全身の傷は11ヶ所にものぼっていた。要するにバラ戦争で敗北したときの傷跡が遺骨に残っていたのだ。
いやあ、すごい発見ですね。それにしてもDNA鑑定とは恐るべきものです。
DNAって、人体の部所によって異ならないものかと疑問に思いますが、そんなことはないといいます。
人間の身体のDNAは、どこから採っても同じ。どれもみな同じDNAが検出される。
これも不思議ですよね・・・。
エジプト人は、東方から来た人々の子孫がいた時期もあれば、西のほうから連れてこられた何百万人もの奴隷の子孫の影響も受けているそうです。
では、日本人は・・・。第一段階は、4万年前から4千年前までにヨーロッパと東ユーラシアの中間あたりの民族が北から南から、あるいは朝鮮半島を経由して流入してきた。
第二段階は、4000年から3000年前に朝鮮半島から別の民族が入ってきた。そして、第三段階は3000年前ころ、朝鮮半島から稲作農民が渡ってきた。
現在、アイヌの人々や琉球列島の人々の遺伝子には縄文人の遺伝子が色濃く残っている。
みんな自分のルーツを知りたいですよね。そのときに武器となるのがDNA鑑定だということが改めて良く分かりました。
(2019年7月刊。1000円+税)

戦国日本のキリシタン布教論争

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 高橋 裕史 、 出版  勉誠出版
戦国時代の日本でキリスト教が爆発的に信者を増やしました。現代日本に生きる私にはとても理解しがたい現象です。戦国の世の殺伐とした社会がキリスト教に救いを求めたのでしょうが、キリスト教だって軍隊式のところもあるわけですので、もう一つよく分かりません。ストンと腹に落ちてこないのです。
フランシスコ・ザビエルが来日したのは1549年。ザビエル自体は2年半しか日本にはいなかった。ザビエルの所属するイエズス会は、九州から畿内地方へ拡大していった。
1593年にマニラからフランシスコ会士が日本へやって来て、イエズス会と激しく衝突した。さらに1602年にドミニコ会とアウグスティノ会が日本布教に参入し、キリスト教内の争いはますます激化していき、ついに1613年の禁教令が出るに至った。
1570年代の日本のキリスト教徒は3万人近いと想定されている。そして、1580年ころに10万人、1598年には30万人に達した。
イエズス会の背後にはポルトガルが、フランシスコ会の背後にはスペインがいた。そのことを秀吉も認識していた。
ローマ教皇と、ポルトガル・スペイン両国王のあいだで、地球全体が2分割された。それによると、日本はポルトガルの征服域に組み込まれていた。
ローマ教皇グレゴリウス13世は、1585年、日本布教はイエズス会が独占することを認める小勅書を発布した。それに違反するキリスト教徒は、「破門罪」というもっとも重い懲罰が加えられた。
日本イエズス会は、財政難を救うため、生糸貿易に手を染めた。
フランシスコ会の成立は1209年、イエズス会は、1534年に創設された。カトリック内の抗争なだけに、問題の根は深く複雑な様相を呈している。
1613年のキリスト教禁教令のころ、フランシスコ会は司祭9人、平修道士4~5人、司祭館と駐在所があわせて8棟あった。ドミニコ会は司祭9人、駐在所3棟をかかえていた。
長崎では、内町をドミニコ会とフランシスコ会が、外町はイエズス会の支配する町だった。
禁教令が発布されたあと、日本に潜伏・残留したキリスト教宣教師は圧倒的にポルトガル人イエズス会だった。
日本イエズス会は博愛をうたいながら、実践的には日本人イルマンを差別的に処遇し、学問を教授することを拒絶した。したがって、日本人聖職者の養成計画も途中で頓挫した。
カトリック宣教師内部の布教争いの実情も理解できました。戦国時代は人々が平和に生きる言葉に出会えていたことが分かった本でした。
(2019年4月刊。4600円+税)

幕末維新像の新展開

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 宮地 正人 、 出版  花伝社
江戸時代の人は「鎖国」のなかでも世界情勢を必死でつかもうとしていた。
オランダからの毎年の「蘭国風説書(ふうせつがき)」を入手し、長港に入港する清国商船から「唐国風説書」を入手しようとしていた。
1860年3月3日の桜田門外の変は、国内の政治的雰囲気を180度逆転させ、井伊直弼(いいなおすけ)亡きあとの幕府トップは、将軍=譜代結合のもとで粛清路線を貫徹させる自信を喪失し、公武合体の再構築のための和宮降嫁政策と開港開市の延期交渉、そして遣欧使節団派遣政策にシフトせざるをえなくなった。
そのうえで、1861年2月からのロシア艦隊対馬占拠という領土侵犯事件になんら対処しえない幕府は国内の批判をさらに浴びて、1862年1月15日の坂下門外の変による老中首座・安藤信正の失脚後、幕府は政治的イニシアチブのとれない「死に体」と化してしまった。
1866年6~8月の第二次長州「征代」の「官軍」完敗は、国内の政治的雰囲気を決定的に変え、幕府の軍事的能力の欠如が白日のもとに暴露された。
1867年10月、幕府は大政奉還をしたが、まだ慶喜ベースで進められていた。このままでは実態としては幕府体制の存続となると判断した西郷と大久保は、岩倉と連携し、尾張・越前・土佐・芸州の4藩を引き入れて、12月9日、王政復古クーデターを決定した。
1868年1月3~6日の鳥羽・伏見戦争が薩長両藩の奮闘で勝利したあと、薩長同盟が核となった維新政府に進化していった。
五箇条のご誓文を出したときに明治天皇は17歳だった。1877年2月に始まった西南戦争が、9月に西郷以下の自刃により終結したことから、武装蜂起による「有司専制」政府を打倒することは不可能なことが明白となった。
天皇の勅令が機能しないのは、明治7年の佐賀の乱でも、明治10年の西南戦争でも一貫している。
明治天皇が肉食をはじめた。肉を食べたら穢(けが)れるというのが江戸時代の人々の考えだった。すると、肉食をした天皇を崇拝できるのか、という問題が起きた。ようやく、明治20年代になって、近世的な朝廷から近代天皇制へ確立していった。
明治初めから10年代に各県で新聞が確立していった。これには活版印刷機の普及が背景にあった。在地でお金を出して情報を手に入れようとする層が出てきた。これがあって初めて自由民権運動が出てくる。自由民権運動は、雑誌と新聞なしでは起こらなかった。
末尾に著者は「竹橋事件」について触れています。西南戦争のあと、1878年8月の近衛砲兵の反乱事件です。近衛連兵隊の兵卒たちは、志願兵で徴兵兵卒のなかのエリート。彼らが今の政権は、わが祖国をなんら代表していないとの怒りから武器をもって反乱に立ち上がったのです。自由民権運動の影響を受けていました。弁護士になってまもなくのころ、この事件を知って、私はひどく感動しました。明治の若者に今を生きる私たちは学ぶべきところがあります。武装反乱ではなく、声を上げ、行動すべきだということです。
明治維新をめぐる、大変知的刺激にみちた本でした。
(2018年12月刊。2000円+税)

大量廃棄社会

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 中村 和代、藤田 さつき 、 出版  光文社新書
現代日本社会は衣料も食料も、まだ使えるのに、まだ食べられるのに、惜し気もなく捨てているのですね・・・。呆れるというより、寒気がしてきました。
バングラデシュの8階建てのビルが崩壊して、1000人をこす縫製工場の労働者が生命を落とした。日本の安い衣料を縫製しているのはバングラデシュの低賃金労働者なのだ。
ユニクロ・GAPなど、低価格の衣料品ブランドがバングラデシュに生産拠点を置いている。
1年間に10億枚の新品の服が一度も客の手に渡ることないまま捨てられている。日本で供給されている服の4枚に1枚は、新品のまま捨てられている計算だ。
ブランド品のタグを外して定価の1割で買って、17%ほどで売る企業も存在する。
待ってまで買ってもらえる商品は、そう多くない。だから、やっぱり多目につくるしかない。
高級ブランドの商品だと、安売りはせず、処分費用がかかっても、すべて破砕して焼却する。証拠写真をとって、確実に処分する。そうやってブランド価値を守る。
洋服の需要調整は難しい。どんな商品をつくるか企画して、発注から販売まで半年から1年はかかる。その間に、トレンドが変わってしまうことがある。需給ギャップは、ふたを開けてみないと分からない。
日本で1年間に発生する食品ロスは646万トン。1人あたり茶碗1杯のご飯を毎日捨てている計算になる。節分当日、全国のコンビニでは売れ残った恵方巻きが大量に捨てられた。
この本では、食品ロスをなくすパン屋さん、手づくり衣料品をつくる試みも紹介されています。何でも安ければいいという発想を変えたいものです。値段は、それをつくる人たちの生活を支えているわけなのですから・・・。
現代日本社会の悲しい現実を知ると同時に、怒りを覚え、また、ほんのちょっぴりだけ希望をもてる内容の新書でした。やっぱり、コンビニとかファーストファッション店ばかりになってしまってはいけないと改めて思います。
(2019年4月刊。880円+税)

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