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2019年8月 の投稿

東京は遠かった、改めて読む松本清張

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 川本 三郎 、 出版  毎日新聞出版
松本清張の本は、それなりに読みました。読み終えたとき、心の底に黒々としたオリのようなものがたまっているのを感じる本が多かったという印象です。
小倉にいた松本清張は東京(中央)の文壇から認められたいという思いを強くもっていました。東京と地方の格差の問題が松本清張の本に通底しています。
『Dの複合』を読むときには、かたわらに日本地図を置き、しばしばそれを開いて、地名、場所を確認しながら読むことになる。それは主人公たちと一緒に旅することでもある。旅といっても、にぎやかな観光地を訪ねる旅ではなく、旅先は、一般に広くは知られていない、地方の小さな町や村である。
松本清張にとって、東京は遠かった。東京は、いつかそこで作家として成功する約束の地。晴れ舞台であり、同時に地方在住者からみて、強者の威圧的な中央だった。
松本清張は、東京をつねに地方からの視線で描く。弱者が強者を見る目で東京をとらえる。中央の権威、権力によって低く見られている地方の悲しみ、憎しみ、怒り、そして他方での憧れといった感情が複雑に交差しあう。
東京(中央)に出たい。東京の人間に認められたい。それによって地元の人間たちを見返してやりたい。松本清張の作品には、しばしば東京への強い思いをもった人間が登場する。ときに、その思いは、歪んで異様なものになることもある。
男の趣味がカメラと旅行。写真帖を見せてもらうと、東尋坊、永平寺、下呂、蒲郡、城崎、琵琶湖、奈良、串本など・・・、名勝地ばかり。普通、孤独好きで一人旅する人間は、こんな観光地には行かない。これらの旅は、女が連れ添っていたに違いない・・・。なるほど、ですね。
松本清張は、酒をたしまなかった。それでも、文壇バーには通っていたようです。作家仲間との交際は続けていたのでした。
松本清張には、「追いつめられた作家もの」と呼びたい作品がいくつかある。原稿が書けなくなった作家が盗作する。代作を頼む。かつては人気のあった作家が零落して殺人を犯す・・・。
松本清張にしても、
「アイデアが浮かばない」
「書けない」
などの悩みは決して他人事ではなかっただろう。
松本清張は古本屋をよく利用した。歴史小説を書く人間として当然のこと・・・。
松本清張の本をもう一度読んでみたいと思ったことでした。
(2019年3月刊。1800円+税)

本と子どもが教えてくれたこと

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 中川 李枝子 、 出版  平凡社
『いやいやえん』とは、すごい絵本です。子どもが必ず通過していく何でも「いやいや」期を実に見事にあらわしています。大人が読んでも楽しい絵本です。そして、『ぐりとぐら』。文章もいいし、絵も素敵です。この本によると、絵は著者の妹さんが描いてくれたとのこと。
そんな著者は20歳のときに、私設保育園の主任保母となったのでした。これまた、すごいというか勇気がありますよね。まだ20歳の若い女性を主任保母に任命した人たちも偉いと思いました。
20歳前後から子どもたちをしっかり観察し、人の心をうつ絵本をつくりあげてきた著者の言葉は心に深く突きささり、震わすものとなっています。
本とたくさん読めたから、私の人生は幸せだった。著者はこのように断言します。
読書を通していろいろな心の経験をしたし、古今東西たくさんの人に出会って、ハラハラ、ドキドキしながら喜びや悲しみをともにした。読み終わって、ああ、よかったという感動が全身にしみわたる。これが心身の糧(かて)になった。
不肖、私も子どものころから、本を読むのが大好きでした。小学校の図書室でエジソンだとかナポレオンだとか世界の偉人伝を片っぱしから読みあさっていました。中学校では山岡壮八の『徳川家康』、そして高校では古典文学大系に挑戦しました。おかげで、国語と古文の試験はいつも楽勝でした。参考書にでてくる断片の文章をあれこれ解釈して、いじくりまわす前に、原典にあたって全体の流れを知ると、深みとすごさが実感できるのです。
私が面白いと思った著者のエピソードを紹介します。
子どものころ、著者は「みなしご」に憧れていたとのこと。物語に登場する波乱万丈に生きる「みなしご」がうらやましかったのです。それで、大人になって小児科医(毛利子来)にたずねると、「うん、あなたは可愛いがられたんだな。ちっとも心配することはない」と診断された。
なるほど、ですね。私も、おかげさまで、末っ子なので、両親だけでなく姉や兄たちから本当に可愛いがられて(申し訳ありませんが、実は、その自覚はあまりありません)育ちましたので、他人(ひと)は信頼できるというのが心の根底に今もあります。不信感のかたまりのような人に出会うと、この人は子どものとき、可愛いがられたことがなかった人だな、かわいそうだ同情してきました。
著者の両親は岩波少年文庫を買い与えてくれたそうです。これって、とてもすばらしいことだと思います。
ところが、なんとなんと、著者は、もう一度、子どもになりたいとは思わないというのです。なぜなら、大人は気楽に都合のよい嘘をついたりするし、できるけれど、子ども時代は、そんなことは許されない、とても厳しいものだから・・・。なーるほど、ですね。
私もよく考えたら、大学受験に明け暮れた高校生に戻りたいとは思いませんし、中学時代の先も見えない生活もごめんですね。小学生時代だって、楽しいことばかりではありませんでしたね・・・。
子どもにとって、たくさんの本は必ずしも必要はない。楽しい本、うれしい本だと繰り返して読む。好きな本だったら、毎日読んでも目を輝かせて、「明日も読んでね」と言って帰っていく。
子どもは、現実と空想の間を出たり入ったりして、愉快に遊んでいる。
『いやいやえん』のモデルは、著者の家に一泊してもらって、妹さんがつきっきりでデッサンしたとのこと。なるほど、そういうことなんですね。本当によく出来た絵本です。
いま84歳の著者は、元気一杯です。さすがです。すごいです。
心が楽しく軽くなる絵本でした。
(2019年5月刊。1200円+税)

脳はなにげに不公平

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 池谷 裕二 、 出版  朝日文庫
ヒトは表情で嘘をつくことができる。しかし、バレる。目が笑っていない。眼輪筋は不随意筋なので、ごまかせない。
男性は、女性の目については感情が上手に読めない。これは、男性は、その身を守るため、相手の感情や危険な表情を読むのに脳が特化したからという解説がついています。
顔写真から喜怒哀楽を読みとるテストをすると、女性のほうが男性より上手に読みとる。
ただし、「怒り」の感情を読みとるのは男性のほうが素早い。これは、野生時代の本能が残っているからでしょうか。
快感回路が作動したとき、人は「自分だけのものにしておくのは、もったいない」、「私は、こんな秘話を手に入れたぞ」と、他人と情報を共有したくなる。つまり、「人に伝えたい」という感情は、相手への思いやりではなく、それを通じて自分が快楽を得るための自己満足的な行為である。
この一文は、まさしく、毎日、書評を書いてアップしている私にも共通するものです。大いに意を強くしました。
人がもっている視線を読む能力は驚異的。5メートル離れた人が、自分を見ているのか、自分から10センチ右隣にある物体を眺めているかを区別できる。
第二言語の習得は、環境よりも遺伝要因が強く、71%を占めている。
脳には、顔情報を処理する専用回路(FFA)がある。
DNA変異の原因はほとんど父親の精子にある。年齢が1歳ふえるごとにDNA変異が平均2個増えている。そして、これには父親の年齢がカギを握っている。年齢が高ければ高いほど変異の数が多くなる。つまり、1歳ふえるごとにDNA変異が平均2個ふえる。すなわち、高齢の男性は、自分の遺伝子が、より不正確に、子孫に受け継がれるということ。
狩猟する男性は迷わないために位置に、採集する女性は食あたりしないよう草木の識別に、その能力を磨いてきた。
10代の脳は、一番つかいものにならない。何か新しいものを吸収するためには、それなりの大きさの受け皿が必要。受け皿があると、新しいこともどんどん学習できる。
10代は人生経験がまだ浅いから受け皿が小さい。だから、丸暗記するしか方法がない。
30代以降、40代や50代のほうが脳はよく働いているという側面がある。
肥満な人ほど睡眠時間が短い傾向にある。これは、睡眠不足になると、食事を制限しようという自制心そのものが減ってしまうから。
脳と人間の体について、相変わらず大変タメになる本でした。
(2019年5月刊。620円+税)

ボランティアとファシズム

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 池田 浩士 、 出版  人文書院
ええっ、ボランティアとファシズムと何の関係があるんだよ・・・。本のタイトルを見て、センスを疑いました。ところが、この本を読んで、すっかり納得がいきました。400頁近い大作の前半は、戦前の東京帝大セツルメントについて詳細に紹介しています。私も戦後の学生セツルメントに関わっていましたし、川崎市古市場に住んで(レジデントと呼んでいました。要するに、下宿したのです)、セツラーとして若者サークルに関わって活動していました。つい先日、大学を卒業してもう50年も会っていない「カッチャン」から突然電話があり、びっくりしました。先輩セツラーに尋ねて私の連絡先を知ったのだそうです。若者サークルに参加していた青森出身のリンゴさんとは昨年も会って懇親を深めてきました。
日本でセツルメント活動が始まったのは1923年に発生した関東大震災のとき、東京帝大生たちが被災者救援のボランティア活動を始めたことがきっかけでした。法学部の末弘厳太郎教授や穂積重遠教授が学生たちの活動を励まし、支援しています。どちらも今でも高名な民法の大家です。
東大には既に「新人会」というマルクス主義の影響を受けた思想団体がありました。学生たちは、活動の主人公は自分たちではないという基本理念を共有していたので、被災者たちに自治組織をつくるよう働きかけた。当事者自身の自治と主体性を尊重したのだ。この根本理念は帝大セツルにも受け継がれた。
1923年12月14日、東京帝大に学生50人が集まって、第1回総会が開かれた。法律相談部や児童部、医療部など6部に分かれて活動を始めたのです。
帝大セツルは、慈善事業ではなく、また「救援」を名とする特定の定数や主義思想の「伝道」でもない。学生の自発的な活動は、他者に何か恵みを与えることではなく、自分自身に課題を与えることだった。
帝大セツルの初代の代表者は末弘厳太郎、後任の代表者は穂積重遠だった。
帝大セツルの卒業生を紹介します。武田麟太郎、福本和夫(共産党の福本イズムの提唱者)、林房雄(転向作家)、志賀義雄、村田為五郎(NHK解説委員)、森恭三(朝日新聞論説主幹)、扇谷正造(評論家)、正木千冬(鎌倉市長)、服部之総(日本史)、清水幾太郎(転向学者)、戒能通孝(民法)、山花秀雄と足鹿覚(いずれもセツルの労働学校の卒業生)。
帝大セツルは昭和13年(1938年)1月末に名称を変更して解散し、14年間におよぶ活動に終止符を打った。ただし、セツルメント解散は、ボランティア運動の歴史の終わりではなかった。戦時体制の下、これまでとは異質な段階へ移行した。それが満蒙開拓団だった。官製ボランティア活動が始まり、あとで悲劇的結末を迎えた。
官製ボランティアという共通点で、ヒトラー・ナチスのボランティア活動が紹介されます。
自発性と主体性を組織化し、任意制度から義務制度へと変える道をすばやく歩んだのが、ヒトラー・ドイツだった。
ドイツの企業にとって、自発的労働奉仕の失業者を受けいれたら、人件費を格段に安くおさえられて好都合だった。安価な労働力は、国家の財政負担を軽減させ、とりわけ企業に莫大な利益をもたらした。
ナチ党は、政権発足時に、10数万人のボランティア青年たちを獲得した。
ヒトラーは、本当に失業をなくした。現役兵以外の兵役適齢者が相次いで召集される状況下で、ドイツの労働力は底をつき、マイナスに転じた。そこを労働奉仕制度が埋めた。今や失業対策事業ではなく、その反対に不足している労働力を補うための手段となった。
ボランティアの2面性というものをしっかり認識することができました。
戦前の帝大セツルについては、加賀乙彦の大河小説『雲の都』の第1部『広場』に生き生きと描かれています。そして、戦後の川崎・古市場の学生セツルの活動については東大闘争と同時並行的に描いた『清冽の炎』(花伝社)第1~5巻が詳しいので、あわせて紹介します。
(2019年5月刊。4500円+税)
盆休みに天神の映画館でイギリス映画『ピータールー』をみました。マンチェスターの悲劇というサブタイトルがついています。イギリスのウェリントン将軍がウォータールーでナポレオン軍に完勝した直後のイギリスで起きた事件です。
当時のイギリスの国王はジョージ四世で、フランス革命から20年しかたっていないので、フランス革命のような事態がイギリスで起きることを恐れていました。
マンチェスターの紡績工場で働く労働者は食うや食わず、仕事や見つからない状況にありました。そして、議会は地主と企業家たちが独占しています。1人1票、毎年改選をスローガンとしてかかげてマンチェスターの市民6万人がピーターズ広場に集まり、平和な集会を進行させていたのです。そこへ支配層の意向を受けた「義勇軍」と国王の正規軍が襲いかかりました。公式発表で死者18人、負傷者650人以上といわれる大惨事となりました。
この事件が直接のきっかけとなったのではありませんが、選挙法が改正され、庶民の生活も少しは改善されたようです。
私のまったく知らなかったイギリスでの出来事でした。よくぞ映画にしたものです。日本でも、このように大泉が広く深く盛りあがりつつあることを実感しています。
そのときの支配・権力側のえげつない対応が予測されるような迫真の映画でした。
それにしても、このように血と汗で勝ちとられた普通選挙を現代日本では6割近い人が行使しないのですから、その現実に思わずため息をついてしまいます。

明智光秀・秀満

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 小和田 哲男 、 出版  ミネルヴァ書房
私はテレビをみませんので、2020年のNHK大河ドラマの主人公に明智光秀が登場すると知っても何ということもありません。明智光秀が世間に復権したということですよね・・・。
でも、なぜ光秀が信長に反逆したのか、なぜ信長の遺体が見つからなかったのか、歴史上の謎は大きいと考えられています。
この本では、光秀が本能寺の変を起こすに至る経過を丹念にたどっていて、そして、学説もいろいろ紹介していますので、問題の所在と最新の到達点がよく理解できました。
ときハ今あめが下しる五月哉
有名な連歌です。この「とき」は、「時」と「土岐」を重ねたもので、「今こそ、土岐の人間である私が天下を治めるときである」として、信長に対する謀反の心のうちを吐露したものというのが通説だ。
そうではなく、横暴な平氏を源氏が討つということ、美濃源氏である土岐氏の分かれという明智光秀の意識のなかに平氏である織田信長を討つということを意味している。
信長は征夷大将軍への任官を希望していて、武士で平氏の人間が将軍になった前例はない、平姓将軍の誕生を阻止するというのも光秀の動機だったのではないか・・・。
私は安土城には2回のぼっていますが、信長が日常的に起居していた天主より下に天皇が行幸したときの宿泊所を予定していた本丸御殿がある。つまり、信長は天皇より上位に自分を位置づけていた。
ルイス・フロイス書簡によると、イエズス会の巡察師であるヴァリヤーノに対して、信長は、「予がいるところでは、なんじらは、他人の寵を得る必要がない。なぜなら予が国王であり、大内裏である」と言い放ったとのこと。
そして、馬揃えのとき、信長は中国の皇帝しか着ることのできない「きんしゃ」を着て登場した。このように信長が天皇より上に立つ、朝廷をいくらかないがしろにする気持ちをもっていることを光秀が察して、信長の態度に危惧を抱きはじめていたのではないか・・・。
信長は公家の近衛前久(さきひさ)が現職の太政大臣であるのに、馬上から徒歩の前久に対して見下ろした言葉づかいをした。これを光秀は見ていて、信長の暴走と思ったのではないか・・・。
本能寺にいて光秀の謀反を知った信長が「是非に及ばず」と言ったという言葉について、「しかたがない」というあきらめの言葉ではなく、言語道断、けしからんと光秀に怒りをぶつけた言葉だという説に著者は賛成しています。
光秀は文化人であり、領民には慕われていて、光秀を神として祀っている神社もある。
ふひゃ、これは驚きました・・・。
光秀は、その前半生は今に至るも謎だらけで、生年も確定していない。本能寺の変のとき、55歳だったというのが通説だけど、そのひとまわり上とか下の年齢だったという説もある。
ただ、美濃守護土岐氏の一族である明智の人間であったことはたしからしい。
そして、朝前の朝倉義景のもとにころがりこみ、そこで、足利義昭・藤孝主従と出会ったことから、信長の有力武将に出世していくことになる。
明智光秀という人物はなかなか複雑・不思議な人物だったようです。
著者は『武功夜話』を偽書としていないなど、疑問に感じるところもありましたが、全体として大変詳しく、さすがに勉強になりました。
(2019年6月刊。2500円+税)

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