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2019年7月 の投稿

日本人の起源

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 中橋 孝博 、 出版  講談社学術文庫
アイヌは永らくコーカソイドの一員とみなされていた。しかし、最近の研究によると、アイヌとコーカソイドとの間には目立った近縁性はなく、それよりは本州以南の日本人をはじめとするアジア諸集団により近い関係にあることが明らかとなっている。今や、アイヌをモンドロイドの一員と位置づける見解がほぼ定着している。
そして、アイヌと琉球人の類似性が注目されている。
中世や近世の日本人はその身長がもっとも低くなり、全身が脆弱化していた。ところが、その後、日本人は都市部を中心として再び、高身長、高顔そして強い短頭へと変化した。
今では、顎が細くて手足の長い華奢(きゃしゃ)な、でなければ肥満体の若者が増える傾向にある。
縄文人は、相当な大頭だった。歯の磨り減りかたが激しく、顎のエラが張り出していた。これは、縄文人が現代人に比べて、はるかに物をかむことが多く、その力も強かったことを示している。
やわらかいものばかりを食べていると、アゴのかむ力が必要ないので、アゴは細く、キャシャになってしまう。
縄文前期の日本列島の全人口は2万人。それが、26万人あまりとなったが、近畿以西には1万人も居住していなくて、大半は東日本に集中していた。
ええっ、うそでしょ。日本の文明発祥の地である九州(と、私は固く信じています)にごくわずかな日本人しかいなかっただなんて・・・、信じられませんよね。
縄文社会では、東日本が圧倒的な優位性があった。なぜ、なんでしょうか・・・。それは、食物の豊富さの違いによるという仮説が立てられています。
日本人は、いったいどこから日本列島にやって来て、定着したのか、調べれば調べるほど、複雑怪奇になっていき、関心が深まりました。
(2019年1月刊。1280円+税)

壱人両名

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 尾脇 秀和 、 出版  NHKブックス
江戸時代について書かれた本は、それなりに読んだつもりなのですが、この本を読んで、まだまだ知らないことがこんなにあるのかと驚嘆しました。
1人が2つの名前をもっている。そして、武士としての名前と町人としての名前をそれぞれもっている。また、公家と町人、武士と百姓など、さまざま。
これは、当時の社会ルールにしたがって生きていくうえで必要な仕組みだった。ただし、それが公認されていたわけではなく、何か事件が起きると、1人が2つの名前をもっていることが問題視された。
たとえば、2つの名前をもっていると、裁判のとき砂利の上に座るのか、板張りに座るのかといった扱いの違いがあった。
公家(くげ)の正親町(おおぎまち)三条家に仕える大島数馬と京都近郊の村に住む百姓の利左衛門。二人は名前も身分も違うが、実は同一人物。この人物は大小二本の刀を腰に帯びる「帯刀」した姿の公家侍(くげざむらい)「大島数馬」であると同時に、村では野良着を着て農作業に従事する百姓「利左衛門」でもあった。一人の人間が、あるときは武士、あるときは百姓という、二つの身分と名前を使い分けていた。
これを、江戸時代に、「壱人両名」(いちにんりょうめい)と呼んだ。
江戸時代は、人の名前は、出世魚のように改名するのが普通だった。ただし、それは、同時にいくつもの名前をもっているということではない。つまり、江戸時代の人間も「名前」は一つしかない。公的に使用できるのは、人別などを通じて「支配」に把握された「名前」だけ。
この一人に一つしかないはずの「名前」を同時に二つ持つ者を「壱人両名」と呼んだ。
江戸時代には、僧侶には僧侶の、武士には武士の、商人(あきんど)には商人の、それぞれの身分にふさわしい名前と姿(外聞)があり、それは身分や職業を、およそを他者に知らせる役割も担っていた。
「壱人両名」は、村や名跡と化した名前や身分を、縦割りである各「支配」との関係を損ねることのないよう、維持・調整できる合理的な方法として、平然と行われていた。ただし、それは声高に奨励されてはならないものだった。
武士身分をもったまま、「町人別」まで保持して町人身分になっている者は少なくなかった。壱人両名は、ごくありふれたことだった。しかし、何かでそれが発覚すると、「所払い」などの処罰が加えられた。つまり、壱人両名は、江戸時代の社会秩序の大前提、とくに縦割りである各「支配」との関係から、表面上うまく処理するために行われていたのであって、その状態が他人を騙したり、村や町を苦しめたりしない限り、表沙汰にされることはなかった。
うひゃあ、知りませんでした・・・。
(2019年4月刊。1500円+税)

黒いカネを貪(むさぼ)る面々

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 一ノ宮 美成 、 出版  さくら舎
私も弁護士の一人として、ときに社会のドス黒い裏面の一端に接することがあります(といっても、ほんの少しだけで、全貌はとても見えてきません)が、この本を読むと、世の中には、ドス黒いお金が、何億円という大金のレベルで黒社会を漂流していることを感じさせます。まったく嫌になります。
最近、法科大学院で教えている大学教員の話を聞く機会がありました。以前は、社会的弱者のために何か役に立つ弁護士になりたいという学生がいたけれど、今では稼げる弁護士になりたいとか、大きなローファームに入って大企業の力になりたいという学生ばかりになっている・・・、とのことでした。残念です。とんでもない自己責任論が横行して、お金がない者は切り捨てられて当然だという社会風潮が強まるなかで、頼れるものはカネ、おカネを稼ぐしかないという拝金主義の発想に少なくない学生がとらわれているようです。本当に残念です。
福岡で起きた金塊160キロの強奪事件は、私も目を見張りました。7億6千万円もの金塊が白昼、博多駅前のビル正面で警察官を装った男たちから強奪されたのでした(2016年7月)。
2017年4月には、福岡空港から、現金7億3500万円を香港に持ち出そうとした韓国人4人が逮捕されました。この日は、天神で2億円近い現金の強奪事件が起きていましたから、その関係かと思っていると、無関係だったとのこと。
金地金の密輸が2017年には、6トン、280億円も税関によって摘発されているそうです。今の世のなかでは、とんでもない金額の現金や金塊が人知れず動いているようで、恐ろしいばかりです。
ヤミ金については、ビジネスとしてのヤミ金はすたれていて、素人のような個人のやる「見えない貧困ビジネス」になっているとのことです。フツーの市民がサイドビジネスとしてヤミ金融をやっているのだそうです。これもネット社会の怖さでしょうか。
積水ハウスが地面師グループから63億円も騙しとられた裏話も紹介されています。
要するに、土地所有者になりすます人間を用意し、本人確認のために必要なパスポートや運転免許証などを精巧に偽造するグループが存在するのです。弁護士も巻き込まれていて、その騙しに一役買ったりしています。それが金に困っての犯行であれば当然に責任をとってもらわなければいけませんが、騙しを見破れなかったとしたら哀れです。
まったく楽しくなく暗い気持ちになるばかりの本なのですが、ときに現代日本社会の現実を知るために必要な本だと思って速やかに読了しました。
(2019年10月刊。1600円+税)

沈黙する教室

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ディートリッヒ・ガルスカ 、 出版  アルファベータブックス
冷戦下の東ドイツの高校で起きた「事件」です。その高校の進学クラス全員が反革命分子とみなされて退学処分になってしまいます。
高校生たちは何をしたというのか、なぜクラス全員が退学処分になったのか、そして、高校に行けなくなった若者たちはどうしたのか、彼らは40年後の同窓会で何を語りあったのか・・・。先日、天神の映画館でみた映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』の原作本です。
ときは1956年(昭和31年)11月1日に起きました。ハンガリー「動乱」が起きたことをラジオ放送(RIAS。アメリカ占領地区放送)で知った高校生たちが、連帯の意思表示として授業中に5分間の黙祷を捧げたのです。「事件」は、たったそれだけのことでした。ところが、それが反革命の行動として国民教育省大臣が高校に乗り込んでくるほどの「大事件」になったのです。
高校生たちがしたことは、歴史の授業の時間に、午前10時から10時5分までの5分間だけ、何も言わない、何も答えない、何も聞かない、それを黙祷として実行した。ただ、それだけのこと。黙祷はもう1回やられたが、それは、授業中ではなかった。
映画では、西側のラジオは、森(沼)のはずれにあるいかにも変人のおじさん宅に集まってこっそり聞いていたことになっていますが、この本によると実際には、各家庭で日常的に西側のラジオ放送が聴かれていたようです。
東ドイツの国家権力は、ハンガリー動乱について高校生たちが連帯の意思表示として黙祷したことを許すわけにはいきませんでした。ところが、高校の校長ほか、高校生たちを追いつめるのはよくないという考えの人たちも少なくなかったようです。それでも結局、この高校生たちは全員が大学受験資格を喪うことになり、その大半は西ベルリンへ逃亡するのです。
1956年当時はまだベルリンの壁も出来ていなくて、年に15万人も西側へ逃亡する人がいました。高校生たちも、その大半が西側へ逃亡した(できた)のです。
事件の前は、誰も権力に立ち向かう力や勇気をもちあわせていなかった。しかし、黙祷がこれを変えた。突然、強くなった。あの永遠に続くようにも思われた黙祷を捧げているあいだ、クラスの全員が堪え切って行動が成功しますように・・・とずっと祈っていた。
このクラス20人のうち15人が西側へ脱出した。そして、東ドイツは、5年か10年しかもたないと思われていたが、なんと、その後33年も続いた。
映画で心を揺さぶられるシーンは、誰が主導したのか、首謀者なのか、クラス全員が最後までがんばって黙秘し続けているところです。仲間を裏切らない、裏切りたくないという高校生たちの揺れ動く心境が、当局の圧力との対比でよく描かれていました。
映画をみて、この本を読んで、当時の人々の置かれた苦しい状況をよくよく理解することができました。
(2019年6月刊。2500円+税)
6月に受けたフランス語検定試験(1級)の結果を知らせるハガキを受けとりました。もちろん不合格だったのですが、なんと得点は55点(150点満点)しかなく、4割に届いていませんでした(合格点は93点)。実は自己採点では63点だったのです。仏作文が予想以上にひどかったということになります。それでもめげず、くじけず毎朝のNHK、車中のCD、毎週の日仏会館通いを続けています。ボケ防止に語学は何よりです。

すべては救済のために

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 デニ・ムクウェゲ 、 出版  あすなろ書房
ノーベル平和賞を受賞したアフリカ(コンゴ民主共和国)の医師が自分の半生を語った本です。
女性へのむごい性暴力の実際、著者自身が何度も九死に一生を得て助かった話など、読みすすめるのが辛くなる本ですが、なんとか最後まで読み通しました。
コンゴの女性虐待はすさまじいものがあります。
レイプは始まりにすぎない。その後に暴力行為が続く。膣に銃剣を突き入れる。棒にビニールを被せ、熱で溶かしてから挿入する。下腹部に腐食性の酸を注ぐ。性器内に銃身を差し入れて撃つ。目的は、殺すのではなく、徹底的に傷つけること。その結果、被害女性の多くは糞尿を垂れ流す状態となる。
汚物にまみれて悪臭を放ち、日常の仕事をこなすのにも苦労する。性の営みをもつなど問題外。子どもは産めない。夫からは穢(けが)れ者とみなされる。無理やり犯された事実など関係ない。社会から締め出されてしまう。
コンゴでは、性暴力自体が最大の武器となっている。なぜか・・・。
村を制圧しようとするとき、最初に標的となるのは女性だ。社会全体での女性の地位は低くても、家の仕事をほとんどこなしている女性は、家庭では重要な地位を占めている。女性に暴力を振るうことは、必然的にその家族を傷めつけているのと同じこと。
働き者で責任感の強いコンゴの女性は、家族がつつがなく暮らしていけるよう毎日、心を砕いている。そんな女性を襲うことは、家族全体を攻撃し、その安全を損なう行為でもある。同時に、夫を深く傷つける方法でもある。多くの男性にとって、凌辱された妻と暮らすことほど屈辱的なことはない。
村々を破壊し、蹂躙するのに戦車や爆撃機は必要ない。女性をレイプするだけでよいのだ・・・。
ムクウェゲ医師の活動を紹介しているドキュメンタリー映画『女を修理する男』(2015年、ベルギー)がDVDになっているそうです。みなくてはいけませんね・・・。
生命の危険にさらされながら奮闘しているムクウェゲ医師の活躍に頭が下がります。
それにしても、長く独裁者として君臨していたモブツ大統領が中国の毛沢東個人崇拝をとり入れていた、というのには驚きました。そして、この独裁者の統治方式を他のアフリカ諸国の独裁者がとり入れて広がったといいます。恐ろしいことです。
コンゴでは豊富な地下資源があり、それを狙って各勢力が争っているようです。ケータイ(スマホ)の重要な部分もコンゴのレアメタルのおかげのようです。大虐殺のあったルワンダは、今では平和で落ち着いているとのこと。コンゴも早く安定した社会になってほしいものです。そのためには武器に頼らない平和的な取り組みをすすめるしかないと思います・・・。
アフリカの実際を知るために欠かせない本だと思いました。
(2019年6月刊。1600円+税)

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