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2019年3月 の投稿

キンモクセイ

カテゴリー:警察

(霧山昴)
著者 今野 敏 、 出版  朝日新聞出版
日米関係の闇に挑む、著者初の警察インテリジェンス小説。
これがオビのキャッチコピーです。ネタバラシをするつもりはありませんが、この本で重要なポイントになっているのは、アメリカ軍基地を出入りしたら、日本の入管手続なしで済ませますので、誰がいつ日本に来て、いつ日本から出ていったのか、まったく分からない闇の世界があるということです。アメリカの大統領が成田や羽田空港ではなく、横田基地に入ったときも、もちろん同じです。日本は大統領もその随行者もまったくチェックできません。いわば治外法権です。まともな独立国ではありえないことでしょう。本当に日本は独立国なのか、疑ってしまいます。もちろん、安倍政権はアメリカべったりなので、このことを問題にする気はさらさらありません。
米軍関係者は米軍基地を経由すると、日本を自由に出入りできる、米軍関係者は出入国管理を通らないで、日本に出入国できる。
公安警察から尾行されないためにはケータイを利用しないこと。ケータイは、電源を切っていても微弱電波を察知されて位置情報が分かると言われているが、それは正確ではない。電源が入っていたときに送った微弱電波の記録が基地局に残るので、電源を切っても、その残った情報から位置を割り出されることがあるということ。
逃亡するときのケータイは、家電量販店で、プリペイドSIMカードと、型落ちの安価なSIMフリーのスマートフォンを購入してつかう。
盗聴しようと思えば、ケータイからも固定電話からも同じく可能だ。しかし、端末から電波を飛ばしているケータイのほうが傍受される危険は桁違いに高い。
スイカを使って地下鉄やJRに乗るのも要注意だ。電子マネーから居場所をつかまれる恐れがある。クレジットカードほど分かりやすくはないが、痕跡をたどれなくはない。交通系電子マネーから瞬時に居場所を割り出すのは難しい。
逃亡するときには現金に限る。
アメリカのCIAに相当するインテリジェンスの実働部隊は、警察庁警備企画課が統括する日本全国の公安警察だ。その中心は、警視庁の公安部である。
CIAやSIS(イギリス)に相当するのは内閣情報調査室で、シギント(電子的諜報活動)は、ほぼ防衛省が担っている。ヒューミント(人的諜報活動、スパイ活動ですね・・・)は、公安警察が担当している。
この本は、私立大学出身でキャリア官僚になった同期生が定期的に集まっているという設定でスタートします。外務省に警察庁に防衛省に経産省、そして厚労省です。お互いに、マル秘の話をふくめて情報交換しあうのです。私も東大法学部出身のキャリア官僚から直接そんな話を聞いたことがあります。相互に面識を深めていくのが身の処し方を語らない一番の対策なのです。
キンモクセイとは、我が家の庭にもある植物のことではなく、禁止の禁、沈黙の黙そして制圧。つまり禁黙制なのでした。ここから先は紹介できません。よく情報を握るものが権力を握るというのは真理なのでしょうね・・・。
(2018年12月刊。1600円+税)

麦酒とテポドン

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 文 聖姫 、 出版  平凡社新書
北朝鮮の人々の生活の実情に迫った貴重なレポートです。
著者は朝鮮総連機関紙の朝鮮新報記者をしていて、拉致事件を北朝鮮が認めたことから嫌気がさして職場をやめ、大学で学び直したあと一般ジャーナリストになったのでした。
平壌には、2度も特派員として住んでいましたし、在日コリアン2世として朝鮮語にも堪能ですから、現地取材も容易にできたのです(といても基本的に案内員が同行)。
平壌市内にも市場経済の大波がひたひたと洗っている状況がよく分かります。
合法的な農民市場があり、非合法的な「キルゴリ市場」(露店)が全国各地にある。これらの市場では、工場や企業所に出勤せず、おのおの自家製のパンや麺類などを売って稼ぐ人々がいる。
1990年代の経済危機に直面した金正日政権は、市場をつぶすのではなく、これをいったんは容認し、供給システムが正常化するまでの代替手段として利用する現実的な政策を選択した。
2010年に北朝鮮に訪問したとき、従業員の食糧を自力で解決する企業所や工場が増えていた。そうしなければ、従業員が離れてしまうのだ。
市場が「必要悪」として欠かせないものと認識されていた。
路上の市場は、メトゥギ市場、つまりバッタ市場と呼ばれていた。ときに取り締りの警察官が来ると店の売り子たちがとんで逃げていく様子がバッタに似ているということ。それでも、また舞い戻って市場を再開して商売を続けるから、チンデゥギ市場、ダニ市場と呼ばれるようになった。このダニはたくましさの象徴であって、悪いイメージはない。
貧しい人々の多い北朝鮮でも、新興富裕層が台頭してきている。
いったい、どんな人々なのでしょうか・・・。
2013年4月、北朝鮮政府は不動産の売買を公的に認めた。そのため不動産価額が4年前の10倍にはね上がっている。
北朝鮮には、公式的には「私企業」は存在しない。しかし、個々と細々と商売している非公式の個人事業主は存在する。
北朝鮮の経済は、もはや厳格な社会主義計画経済ではない。
社会主義企業責任管理制なるものが導入されて、すっかり変わった。農業においても、集団で所有する農地を農家が分割して個別に請け負う。集団への留保分を除いて、残りすべては農家が自由に処分してよい。これは、限りなく個人農に近づいたということ。
現在、北朝鮮には経済特区が24ヶ所ある。全通に設置されている。中央クラスの特区が5ヶ所、地方クラスの特区は19ヵ所。
北朝鮮は世界各国に労働者を派遣している。それは23ヶ国に及ぶ。中国、ロシア、カンボジア、ベトナム、ポーランド、クェート、アラブ首長国連邦など・・・。このように労働力は貴重な外資獲得手段になっている。
北朝鮮の大同江ビールは、韓国のビールよりうまいとの定評がある。
北朝鮮で停電は日常茶飯事で、懐中電灯は生活必需品だ。そして、都市型アパートの10~15%がベランダや窓にソーラーパネルを取りつけている。
金正恩とトランプ会談がシンガポールそしてベトナムで実現したことを、私は心からうれしく思っています。まだまだ実のある成果はでていませんが、こうやって直接話し合っている限り、戦争行為が当面ないことは間違いありません。イージスアショアなんて、まるで無用です。
北朝鮮の人々の生活実態をしっかり認識し、彼らのプライドも尊重して交渉を続けることこそ真の平和は生まれると確信しています。とてもいい本でした。
(2018年12月刊。840円+税)

労働弁護士50年

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 高木 輝雄 、 出版  かもがわ出版
名古屋に生まれ育ち、大学も名古屋、そして弁護士としても一貫して名古屋で活動してきた高木輝雄弁護士に後輩の弁護士がインタビューしたものが一冊の本にまとめられています。話し言葉ですし、インタビュアーの解説もあって大変読みやすく、私は機中で一気に読み終えました。
司法修習は20期で、同期には江田五月、横路孝弘そして菊池紘・自由法曹団元団長などがいる。当時は青法協が非常に活発で、修習生の半分以上が青法協の会員だった。
弁護士になってすぐ弾圧事件にとりくみ、打合せして帰宅するのは午前2時。それから尋問の準備をしたあと、4時に寝て、朝6時には起きる。
うひゃあ、す、すごいです。とても私にはマネできません。すべての時間を仕事に注入したのでした。
次は、四日市公害訴訟。このとき、疫学的因果関係が認められました。
次の全港湾事件は、日韓条約反対のストやデモをして、業務命令違反で組合役員8人が解雇された。裁判所は、政治的な問題がからむと非常に弱い。司法の独立は大切なものだと考えて司法の世界に入ったけれど、結局のところ、司法は立法や行政に頭が上がらないことを実感した。
レストランのコックに対して営業職への出向が命じられて拒否したところ、業務命令に反したというので解雇された。このとき就労請求を求めたら、裁判所が認容した。コックは業務をやっていくなかでコックとしての能力を向上させるものという特別性を訴えた。このころは解雇の事前差し止めの仮処分申請をして、認められることがあった。
東海道新幹線が開通したのは1964年(昭和39年)、私が高校1年生のときです。大学生のときは新幹線は高値の花で、寝台特急みずほや急行などを利用して九州へ帰っていました。
沿線住民があまりの騒音・振動に耐えかねて裁判を起こした。一審だけでも3回ほど現地で検証した。そして、国労が現場で減速走行してみせるというように協力してくれた。沿線の住民がワァーって歓声をあげると、運転士がパッパッパッーと汽笛を鳴らして応じる。
いやはや、すごいことですよね、これって・・・。今では、まったく考えもしません。
法廷に緊張感があり、傍聴席から裁判長に対して意見をいうと、強く受けとめている気配があった。このころ、著者は「喧嘩太郎」とか「瞬間湯沸かし器」と言われていた。
この裁判のあと、JR東海とは1年に1回協議をしているが、もう30年以上は続いている。これってすごいこと、すごすぎますね・・・。
新幹線訴訟のときも午前2時まで作業していて、毎日2時間ほどしか眠れなかった。
こうなると、過労死寸前ですね・・・、笑いごとではありません。よく身体がもちました。
運動は楽しくなきゃいけない。義務だけではダメ。本当にそのとおりです。
著者は今76歳。ますますお元気にご活躍し、お過ごしください。
(2019年1月刊。1600円+税)

ツバメのくらし写真百科

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 大田 眞也 、 出版  弦書房
ツバメを見かけることも少なくなった気がします。スズメにいたっては明らかに激減しています。暖冬だったことと関係があるのかが分かりませんが、この冬は、ジョウビタキの姿をたまにしか見かけることがなく、寂しい思いをしました。と書いたら、3月半ばの朝、姿を見かけました。旅立ちの挨拶に来てくれたようです。
さて、ツバメです。人の目に目立つところに巣をつくるのは、天敵対策として人間の目を利用しているということです。
ツバメは、平均気温9度の等温線とともに北上するという説が有名。熊本には毎年、ヒナ祭りの3月3日ころに姿をあらわす。先に日本にやって来るのはオスで、メスに呼びかけます。そのラブコールは「土食って虫食って渋ーい」というもの。
つがいの相手を選ぶのはメス。オスを見分けるポイントは、尾羽の長さ、白斑の大きさ、喉の赤さ。これらはオスらしさの象徴であるだけでなく、ヒナの生育を阻害する寄生虫の少なさを示す指標でもある。
巣づくりを始めてから4日目ころから、巣の近くで交尾する。オスはクチュクチュジュクジーなどと早口で鳴きながらメスに接近し、ころあいをみて、さっとメスの背に乗って交尾する。精子は新しいものほど受精しやすいので、メスが一腹卵数を産み終えるまで、オスはメスにつきまとって、毎日数回、交尾を繰り返す。これには、メスの不倫を防止して、自分の遺伝子だけを確実に伝えようとする意図がある。
抱卵は主としてメスがし、オスは手伝う程度。夜間はメスだけでする。抱卵して2週間ちょっとでヒナがかえる。丸裸同然なので、5日間くらいは卵のときと同じく温め続ける。ヒナは親鳥の発するクイッという鳴き声で一斉に口を開ける。口内は赤くて縁取りは黄色。もっとも大きく開いた口のヒナがもっとも空腹で、親鳥はいちばん大きい口にエサを入れ与える。きわめて合理的。エサをもらったヒナは、すぐ後ろ向きになって糞をする。親鳥はそれをくわえて外に捨てに行く。
口を大きく開けさえできれば、羽色には関係なくエサをもらえて育つ。ツバメの巣にスズメのヒナが入って立派に育ったこともある。ええっ、驚きます。
親鳥は雨が降ると、雨を受けて雨浴びをして、寄生虫を駆除し清潔につとめる。雨浴びしたあとは、電線にとまってくちばしで、丁寧に羽毛を整える。
ヒナは卵からかえって3週間後に巣立つ。巣立ちはだいたい午前中。当日になると、親鳥の態度が一変し、エサをヒナに与えず、巣の近くにとまって見せびらかして、誘う。
親鳥は、ヒナを巣立たせて2週間もすると、2回目の繁殖に取りかかる。巣立ってからも10日間くらいは、親鳥からエサをもらいながら、エサのとり方、天敵、危険なものは何か、生きていくうえに必要なことを学ぶ。子どもたちは、巣立ちして1ヶ月くらいは巣に戻ってきて休んだりする。
越冬ツバメは、留鳥になったのではなく、日本の北方の寒いところのツバメたちが冬の厳しい寒さを避けてやって来ているのだろう・・・。
身近なツバメの百態を写真と文で詳しくできる楽しい本(写真集)です。
(2019年1月刊。1900円+税)

酔十夢(第1巻)

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 手塚 英男 、 出版  同時代社
1957年に著者は東大に入学し、まもなく大学から3キロほどの距離にある北町に通ってセツルメント活動を始めました。
私が大学にはいったのが1967年ですから、ちょうど10年先輩ということになります。そして、私は北町ではなく、川崎市幸区古市場でのセツルメント活動でした。
北町は、敗残時までは連隊兵舎だったという巨大な木造アパートが十数棟も建ち並ぶ貧民の街だった。そこには社会の底辺の人々が集まり、肩を寄せあって暮らしていた。
著者は、放課後の子どもたちと一緒に遊び、ときに勉強をみてやり、紙芝居や絵本を読んだ。休日には遠足やプール通い、冬休みにはクリスマス子ども会をした。
いっしょに夕方の銭湯に行き、背中の流しっくらをやった。
子どもの親たちとも交わり、料理講習会、教育懇談会、青年たちとは読書会もした。
私が古市場でセツルメント活動していたときは青年サークルに入って、「グラフわかもの」の読者会をいていました。もちろん子ども会もあり、法相部のほか栄養部や保健部などの専門部がありました。セツルメント診療所がその中心に位置していたのです。
貧民のために何かやってやるなんていうのは、とんでもなく生意気で尊大な発想だった。むしろ、何かしてくれたのは北町の住民だった。セツラーの地域活動を受け入れるように見せかけて、実は生意気な学生たちを育ててくれていた。
この点は、私も今になって、本当にそう思います。なにしろ大学生のころの私は、自分がひとりで育ち勉強して大学に入ったなんて、とんでもない勘違いをしていましたから・・・。その間違いを地域の人たち、そしてセツラー集団にもまれてよくよく理解し認識していくことができました。ところが、観念論にとらわれやすい学生集団ですから、こんな議論もありました。
「地域転換論」です。これは、学生セツラーがいくら活動しても北町は変えられない、変わらない。組織労働者の居住地に地域転換して、労働者に働きかければ、地域は変れる。地域が変われば、居住者である労働者が変わる。労働者が変われば、社会が変わる。地域活動を本気でやるなら、労働者になって労働者の寮に住め。
著者は60年安保闘争をたたかい、卒学後は郷里の長野県で公民館などの社会教育活動に取り組みました。
同じ川崎セツルメントの先輩セツラーであり、弁護士としては同期同クラスの大門嗣二弁護士(長野市)より2009年8月に贈られた本を、今ごろ読んだのでした。ありがとうございました。
(2009年8月刊。2800円+税)

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