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2018年11月 の投稿

文字講話、甲骨文・金文編

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 白川 静 、 出版  平凡社
2004年から2005年にかけての著者の講話が文字になっています。
甲骨文というのが写真で説明されていますが、よくぞ、今の漢字にあてはめたものだと驚嘆します。よほど漢字の成りたちを知らなければ解説できないと思いますが、さすが大先達は、軽々と文章を読み解いていきます。
日本の古代王朝では、あまりにも近親婚が多い。天智天皇の皇女4人が天智天皇の弟の天武天皇の妃になっている。兄の娘を弟が4人とも嫁にもらうというのは、明らかに異常な状況だ。
しかし、殷(いん)の皇位継承も似ていて、系統法には、これら二つのクラスに分けられる。要するに、相互に交替しながら継承するという形式をとっている。
第一に、殷王朝は、わが国と非常に親縁の関係にあった。
第二として、殷王朝は子安貝を非常に貴重な宝として用いた。子安貝は、生産力の象徴だった。
入墨の風習があったのは、中国では沿海民族だけだった。
戦争のときには、女シャーマンが前線に3千人ほど、ずらりと並び、呪力のかけあいをする。
目は非常な呪力をもっているので、目の威力で敵を感服させる。
文字は、古代においては、まことに神聖なものだった。
よく分からないなりに、漢字の源流を眺めました。それにしても、シャンポリオンがヒエログリフを解説したほどのものではないのかもしれませんが、大した偉業です。
(2018年2月刊。1300円+税)

ナポレオン

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 杉本 淑彦 、 出版  岩波新書
ナポレオンが皇帝になったあと、なぜ次々に周囲の国々へ戦争を仕掛けていったのか、この本を読んで初めて理解できました。
国内体制を固めたナポレオンは、対外戦争にのめりこんでいった。海ではイギリス上陸作戦が計画され、英仏海峡にのぞむブーローニュに一大軍事基地が建設された。陸では、総勢50万人に及ぶ大陸軍の編成が企画された。徴兵制度が整備・拡大され兵員適齢男性の30%が軍務に就いた。
ナポレオンを戦争に駆り立した動機の一つは、軍備増強に起因する財政負担の重荷だった。戦争に勝てば、占領地に巨額の賠償金や税金を課すことができる。戦争への備えが、戦争をもたらした。
ナポレオンがロシアへ侵攻していったのは、ロシアに占領地を得て、賠償金をもぎとることが大きな目的だった。しかし、その目論見ははずれ、冬将軍の下で退却するナポレオン軍をロシア軍が追撃してきた。ついに、ナポレオン軍がロシア領から無事に帰還できたのは、1割の3万人にみたなかった。
ナポレオンのアフリカ遠征は、結果としては失敗、敗退したにもかかわらず、当時の新聞等への報告をうまく操作して、フランス軍が連勝していたかのような幻想をフランス本国に与え続けていた。その意味で、ナポレオンのマスコミ操作術は見事としか言いようがない。
その結果、フランス国民はあたかも救世主かのようにナポレオンを熱狂的に迎え入れた。
ナポレオンがセント・ヘレナ島で死んだのは享年51歳のとき。その死因は、胃がんが現在では最有力。
ナポレオンについて、改めて深く認識することができました。
(2018年2月刊。840円+税)

ねないこは わたし

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 せな けいこ 、 出版  文芸春秋
絵本。私は絵本が大好きです。ごく最近のものだと、『あらしのよるに』ですね。福岡で舞台劇になるといいます。ぜひ、みたいものなんですが・・・。古くは滝平二郎の『八郎』とか、かこさとしの『どろぼう学校』も良かったですね。子どもたちに一生けん命に読んでやりました。繰り返して読みましたので、すっかり暗記できるほどでしたが、それでも子どもたちは「読んで、読んで」とせがむのですよね。心地いい、ひとときでした。
そんな絵本のひとつが、この著者のものです。『ねないこ だれだ』、『いやだ いやだ』、『あーん あん』・・・。素朴な絵に心が惹きつけられました。
「おばけになって 飛んでいけ・・・」と言われたら、子どものなかには、「いいよ、飛んでいくよ」と答える子もいるとのこと。ええっ、おばけって怖くないのかしらん。一人じゃなくて、親と一緒なら、おばけなんか子どもは怖くないんです。
著者は「貼り絵」が得意です。なんだか身近な新聞紙などを無造作にちぎって並べて貼りつけているように見えますが、どうしてどうして、簡単なものではありません。この本を読むと、やはり基本はデッサン力だと痛感します。
『いやだ いやだ』の絵本。子どもはみんな、やがてこの時期に突入します。なんでも『いや』と言って、抵抗し、親を泣かせ、怒らせます。それでも子どもは「いやだ」と言って、したばたするのです。まさしく親の忍耐力が試されています。若い私はガマン力に欠けていましたので、ずいぶんと乱暴に対応してしまい、今では深く反省しています(時おそしなのですが・・・)。
楽しい絵本づくりの本でした。本当にありがとうございました。大変お世話になりました。これからもどうぞお元気に絵本を描いて世の中に送り出してください。孫に読んでやりますので・・・。
(2016年7月刊。1450円+税)

戦国大名 武田氏の領国支配

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 鈴木 将典 、 出版  岩田書院
甲斐の武田氏は、「甲州法度」(はっと)という分国法を制定していました。この本は、この甲州法度のなかでも「借銭法度」を深く掘り下げて論じ、興味深いものがあります。
「甲州法度」57ヶ条のうち、借銭に関する条項は14ヶ条で、もっとも多い。
債権者が債務者の財産を差し押さえするとき、先に作成した文書を優先する。子の債務を親に肩代わりさせることを禁止する。債務者が死亡したときには保証人が弁済の責任を負う。借銭の年期中に担保を売却することを禁止する。借銭の利息が元本の2倍になったら返済を催促できる、困窮のため借銭を返済できないときには、もう10年返済を延長できる。
「借銭法度」は、武田氏が領国内の問題に対処するため、独自に制定した条項であった。「甲州法度」の追加条項でもっとも多数を占める「借銭法度」こそ、このころの武田氏が直面していた最重要課題であった。
天文から永禄年間の武田領国では、戦乱・災害などによって、武田領国内の給人・百姓層が困窮し、飢饉を生きのびるため、あるいは軍役負担や年貢納入等のために借銭を重ねていた状況だった。
訴訟の際に、売買・貸借の証拠書類が重視されたことは「借銭法度」に明記されていた。とくに、債権者が複数存在していたときには、確実な「借状」を所持している者が権利者とされた。他方で、「謀書」(偽文書)であることが判明したときには罰せられることになっていた。
こうやってみると、日本人って、本当に昔から裁判大好きな人々だったとしか思えません。
「借銭法度」が制定された背景には、戦乱や災害で武田領国内の給人・百姓層が困窮し、借銭を重ねていた社会状況があり、そのうえ武田氏の「御蔵」を管理し、その米銭で金融活動を行う「蔵主」の存在があった。彼らは武田氏の経済基盤として位置づけられており、給人・百姓層を中心とする債務者層側の売買・貸借をめぐる相論(訴訟)を武田氏が裁定するとき、その基準として定めたのが「借銭法度」であった。
戦国大名である武田氏は、「借銭法度」をふくむ「甲州法度」を制定することによって、「自力」による紛争解決を規制する一方、自らの権力基盤である給人・百姓層や「蔵主」などの権益を保護することで、大名領国を支配する公権力として、自らの正当性を確立していった。
「甲州法度」のなかに裁判や債権執行のあり方などを定めた「借銭法度」なるものがあることを初めて識りました。戦国大名が領国を支配するときに、武力だけでなく、法令を定めていたこと、裁判の手がかりとしてたことを認識できる本です。
(2015年12月刊。8000円+税)

コモリくん、ニホン語に出会う

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 小森 陽一 、 出版  角川文庫
著者は、小学校低学年のときに、チェコのプラハに移り住み、プラハにあるソ連大使館付属のロシア語学校で学ぶようになりました。その体験にもとづく日本語の面白い話です。
クラスの生徒たちのあいだには、当然のことながら、学校特有の序列が微細なところまでつけられていた。子どもは、そうと気づかず、冷酷であり、差別的であり、政治的であり、権力的でもある。
著者は、学校の論理に順応しながら、ロシア語の能力を上げていき、集団内の序列を一段一段上にあがっていくことに快感を覚えるようになった。
家の近所ではチェコ語、親とは日本語、学校ではロシア語という生活が1年半ほど続くと、頭の中で考える言語はロシア語となった。やはり、学校教育の中で使われる言語がもっとも強い支配力をもつのだろう。この状態が日本に戻ってきてからもしばらく続いたために、当初は耳から聞いた日本語を、いったんロシア語に翻訳して理解していた。ところが、日本に帰って半年くらいたったある日、朝目が覚めてみると、頭の中が日本語になっていて、なんとも不愉快な気持ちになった。
ソウルに住む私の3歳の孫は、保育園では韓国語、父親とも同じで、母親(つまり私の娘)とは日本語で、私の家に来たときにも、もちろん日本語で話します。その切り換えは見事なものです。
小学6年生のとき日本に戻ってきて、学校に通うようになったとき、著者の話す日本語が友だちから大笑いされるという衝撃を受けます。つまり、著者の話す日本語は、文章語としての日本語だったのです。
話しことばとしての日本語は、文章語としての日本語とは、およそ異質なことばだということに毎日毎日気づかされていった。 日本語は、決して言文一致体ではなかった、教科書に記されたウソに身をもって気づかされたのです。
ところが、小学校のときに話して友だちから笑われた文章語が、高校に入って生徒総会という政治的な立場での発言としては通用する、多くの聴衆に向かってなら文章語で語って許されるのです。ええっ、そ、そうでしたっけ・・・。
自己とは、語る行為と語りの場、そして聴き手とのあいだで、瞬時に編成されていく現象だ。こともたちが英語を習いはじめると、文章というものは、「私は・・・」から始めなければならないものだという幻想を抱くようになる。
なるほど、そうなんですよね。私も、かつてはそうでした。主語のない文章を書いてはいけないというのは当然の至上命題でした。ところが、日本語の特質は、まさに主語を省いて書くところにあります。述語などから主語を推量していく、させるのが日本語なのです。
日本語の苦手な子どもが、今や大学で国語(日本語)の教師として学生を教えているのです。すごいですね。比較するというのは、まさしく物事の本質をつかむことなのだということがよく分かる文庫本でもありました。
(2018年6月刊。720円+税)

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