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2018年7月 の投稿

法廷弁論

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 加茂 隆康 、 出版  講談社
司法界をめぐるリーガルサスペンスというと、やはり殺人事件が起きないといけません。
高村薫の有名な『マークスの山』を読み終わったとき、その迫力に押しつぶされてしまいそうになっていました。しかし、ふと気がついたのです。まてよ、この登場人物って私とほとんど同世代じゃないのか、とすると、それほど個々の人間に組織を動かす力があるとは思えない・・・、そう思うと、とたんに迫力がやわらぎました。
それはともかく、この本を読んで、ええっ、いったい殺人事件を起こすほどの動機が存在しうるのか、現役の弁護士としては納得できないところを感じざるをえませんでした。
この書評コーナーで紹介する本にケチをつけるのは、まったく私の本意とするものではありません。ただ、私も弁護士会の綱紀・懲戒手続にいささか関与していますので、いかに東京と地方の違いがあるにせよ、起案担当委員のみが独走するという仕組みだという記述は、いやいや、そんなことはありませんよ、他の委員を馬鹿にしすぎですと言わざるをえません。
そして、この本には東京ならではの記述があります。福岡では考えられないと思います。
2005億円の巨額訴訟を提起して制裁的損害賠償法が適用されたため、3倍の額の勝訴判決を受けたので、弁護士が一人で800億円という目のくらむような金額の報酬を得たというのです。税金もガッポリ払ったはずですが、それでも、地方ではまったく考えられもしない巨額の収入があったことでしょう。にもかかわらず弁護士を続けるというのですから、その仕事はいわば趣味の世界みたいものですよね、きっと・・・。
不倫関係を清算するための殺人事件というのは、小説でも現実でも、昔から無数にあったし、これからもあることでしょう。しかし、弁護士会長になりたくて、その選挙の票欲しさから懲戒手続を左右するため、殺人を依頼するなんて、あまりにも現実離れしていて、同じ業界人が書いたなんて信じられません。
弁護士会の綱紀・懲戒手続について詳しく紹介されているだけに、この手続は弁護士会の一部の有力者の意のままに操作されている、少なくとも、その可能性があるという誤ったイメージを世間に与える小説ではないかと心配してしまいました。すみません。
(2018年4月刊。1600円+税)

安土唐獅子画狂伝

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 谷津 矢車 、 出版  徳間書店
織田信長の安土城の天守閣に描いた画師は狩野永徳。その狩野永徳が主人公の物語です。ついつい画師の世界に引きずり込まれてしまいました。
本能寺の変で信長が亡くなったあと、狩野永徳は秀吉の依頼によって信長を描きます。肩衣(かたぎぬ)と袴(はかま)に身を包み、大小を差したまま座る老人。立ち上がった絵には実物と見紛(みまが)うほどの生々しさがある。肩をいからせるように座る男の像には、見る者を吞まんという気が満ち満ちている。
永徳は弟子に太筆と最上級の紙を買ってこさせた。一畳では収まらない大きな紙を、普段は空けてある大作(たいさく)用の画室に並べさせた。
永徳は気を張りめぐらせながら墨を磨った。清冽(せいれつ)な高音があたりに響き渡る。己の魂を切り刻んで溶け込ませるような気持ちで硯に向かう、そのうちに弟子の一人が用意の終わった旨を告げた。永徳は乗り板の上に座り、筆を墨に浸した。まっさらの筆は吸いが悪い。それゆえ、いつもよりも丁寧に穂先を墨にくぐらせた。
気を吐く。天地に己しかいない。そう言い聞かせる。織田信長・羽柴秀吉・千宋易・長谷川信春(等伯)。そんなものは紙の上にはいない。あるのは、ただ己の画の意のみ。そう思いを定めて筆を落とす。永徳にとって、絵を描くことは、筆先で新たな三世を紙の上に開闢(かいびゃく)するがごときこと。紙の上に広がるものに実体はなく、どこまでいっても、所詮は嘘だ。だが、内奥に迫れば迫るほど、現(まこと)と幻(まぼろし)の区別がつかなくなっていく。筆一本で、この世の秘密に迫ることができる。そのことが楽しくて仕方がなかった。
安土城の天守閣に永徳の描いた絵が残っていたら、どんなに素晴らしかったことでしょう・・・。残念です。画師として信長に対等に生きようとした永徳の苦闘の日々が「再現」されていて、一気に読ませます。
私は安土城の天守閣の跡地に2度だけ立ちました。昔ここに信長が立っていたのだと思うと感慨深いものがありました。近くに狩野永徳の描いた壁画が再現されています。
(2018年3月刊。1600円+税)

ぼくは虫ばかり採っていた

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 池田 清彦 、 出版  青土社
昆虫採集を大人になっても生き甲斐としている人が少なくありません。香川照之もその一人ですよね。海外にまで出かけて珍しい蝶を捕まえたりしていますし、それがテレビ番組になって紹介されています。
私は虫屋ではありませんが、虫にかかわる本や写真集、テレビ番組をみるのは大好きです。
採る楽しみ、集める楽しみ、そして形を見る楽しみがある。さらには、食べる楽しみまで出てきて、虫の楽しみ方は広がっている。
小さい虫は重力から自由なので、形がキテレツになったりする・・・。本当にそうなんですよね。奇妙奇天烈、とんでもなくありえない形をしているのを見ると、それだけでもワクワクしてきます。
チョウは、さなぎから成虫になると花の蜜を吸いに行くが、このとき最初に採蜜した花の色を覚えている。2回目以降も同じ花を探す。
モンシロチョウの成虫の期間は2~3週間しかないので、花の季節より寿命のほうが短い。蜜の吸える花の色を覚えておくと、ずっと食事にありつけるので、チョウは学習していく。
乾燥したクマムシは普通3%くらいまで、水が抜ける。0.05%の水しかないような状況になると代謝はしていない。ただの物質の固まりで生きていけない。これが最長20年続いても、水をかけると、命がよみがえる。
人間の脳は組織の50~60%が脂肪で形成され、そのうち3%強が多価不飽和脂肪酸、とくにアラキドン酸とドコサヘキサエン酸で、前者は肉や魚に、後者は魚に多くふくまれ、植物にはあまりふくまれていない。大きな脳を維持するためには肉食が不可欠なのである。
虫の話から生物一般の話まで、大変勉強になりました。著者は私と同じ団塊世代です。
生物って、知れば知るほど不思議です。人間だって・・・。
(2018年3月刊。1500円+税)

原城の戦争と松平信綱

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 吉村 豊雄 、 出版  清文堂
これは面白い。ワクワクしながら読みすすめました。わずか150頁もない本なのですが、じっくり精読したため、私としては珍しく半日もかかって読了しました。
表紙の絵は島原の乱に出動した秋月藩の活躍ぶりを描いた屏風の一部です。わざわざ秋月にまでいって現物を見る価値のある屏風絵です。島原の乱の100年後に描かれたものではありますが、悲惨な原城の戦場が実にリアルに再現されていて、資料的価値は高いとされています。
この本の何が面白いかというと、島原の乱で抜け駆けした佐賀・鍋島藩主が将軍家光から特別表彰までもらったのに、一転して幕府の法廷で、被告席に立たされ、よくて国替え、あるいは藩としての存続すらあやぶまれる事態になったのです。将軍家光は熊本の加藤家の取りつぶしを断行した実績がありました。なぜ、そんなことになったのか・・・。
ここで、42歳の松平信綱が登場します。「知恵伊豆(ちえいず)」とまで言われるようになったのは、まさしく、この島原の乱の陣頭指揮と、その後の軍法裁判で将軍家光を巻き込んだからなのです。
それにしても、将軍家光が臣下(老中です)の邸宅に出かけ、信綱と夜を徹して語り明かし、朝帰りしたということまで記録がのこっているのですね。これって、毎日の新聞に首相動静が記事になっているのと同じです。
何を一晩、家光と信綱の二人は語りあったのか・・・。島原の乱の抜け駆けを軍法裁判にかけると同時に、先代からの老中たちをいかに辞めさせるのか、語りあっていたようです。
つまり、親子といえども、将軍が代替わりすると、親の将軍の取り巻きの老中たちは、新しく将軍になった子ども将軍にとっては、まさしくうっとうしい存在であって、それに替えて幼いころから周囲にいた気心の知れた者たちを老中にして、名実ともに実権を握りたいというわけです。
ところで、家光はこのころうつ症状にあったとのことです。そんなことは初耳でした。
原城に籠った一揆勢は、板倉重昌は総攻撃を強行して失敗し、取り残されたところを一揆勢に殺されてしまったのでした。そこで、今度は負けられないとして信綱は総攻撃の日を設定し、抜け駆けは許さない、抜け駆けしたら軍法裁判にかけると明言していたのでした。ところが、ここで幕府に恩を売ろうと考えた鍋島藩勢は前日に戦を仕掛けたのです。鍋島勢が抜け駆けしたのは総攻撃予定の前日でした。その状況を見て、慌てて他の軍勢も出撃し、幸運にも天草四郎を見つけ出し、首をはねたというわけです。
では、何が問題なのか・・・。決められた出撃予定を日になっていないのに、鍋島勢は二の丸を攻めはじめたのでした。では、なぜ、いったん家光が特別に鍋島軍勢を賞賛したのか。それには筆頭老中の土井利勝がからんでいます。土井利勝は鍋島藩主とは深い関係にあり、加増まで画策していました。
でも、戦場では臨機応変に機を見て予定を変更して突入すべきときがある。理屈ばかり言うな・・・。そんな声も出たようです。たとえば、有名な大久保彦左衛門も、その一員でした。なるほど、戦場では予期せぬことも起きるでしょう。でも家光の威光をバックとした信綱は、ひるまずに先輩老中の抵抗をはねのけ、軍法裁判の開催にこぎつけました。結局、家光将軍の下した裁判の結論は予想以上に軽かった。
前将軍・秀忠時代の重臣(土井利勝ら3人の老中)は、新将軍・家光の時代が動いていくときに邪魔になるということです。幕府の上層部における権力抗争、将軍を巻き込んだ派閥抗争の様子が活写され、果たしてこの軍法裁判はどうなるのか、頁を繰るのももどかしいほどでした。将軍って、必ずしも独裁者ではなかったのですね。この事件のあと、いよいよ老中たちによる集団指導体制が固まっていったようです。
江戸時代初期の幕府の内情を知ることができました。ご一読をおすすめします。
(2017年11月刊。1500円+税)

沖縄からの本土爆撃

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 林 博史 、 出版  吉川 弘文館
アメリカ軍は日本に対して、都市も村も島も、無差別攻撃を繰り返しました。
そのあげくにヒロシマ・ナガサキへの原爆投下があります。都市への無差別爆撃を初めておこなったのは日本軍による南京爆撃です。これに対して、アメリカは戦犯調査の対象とはしませんでした。日本軍との戦争で無差別攻撃をアメリカ軍もしていたことが問題になるとまずいと判断したのです。
1945年6月の時点で、日本本土への侵攻作戦(コロネット)をはじめた。このコロネット作戦とあわせて、日本の突然の降伏に備えてのこと。ブラックリスト作戦と呼び、二つの作戦計画が同時並行ですすむことになった。
アメリカ軍の大佐は、次のように言った。
「日本の全住民は適切な軍事目標である。日本には民間人はいない。我々は戦争しており、アメリカ人の命を救い、永続的な平和をもたらすべき、そしてもたらすように追求している戦争の苦しみを短縮するような総力戦という方法でおこなっている。我々は、可能な限り短い時間で、男であろうと女であろうと最大限可能な人数の敵を殺し出し破壊するつもりである」
アメリカ軍が無差別爆撃したことについて、戦前の日本政府は国際法に違反すると、はっきり抗議した。これについて、アメリカ政府は、民間人を爆撃することを繰り返し非難してきたので、無差別爆撃を国際法違反ではないと主張したら、これまでの見解と矛盾することになる。また、国際法違反だと認めると、日本に捕まった航空機の搭乗員たちが戦争犯罪人として扱われる危険性もある。つまり、アメリカ政府は答えようがなくなって答弁しなかった、出来なかった。
沖縄に航空基地をつくって日本本土を無差別爆撃していたことをアメリカ側の資料も発掘して明らかにした貴重な労作でした。
(2018年6月刊。1800円+税)

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