法律相談センター検索 弁護士検索
2018年6月 の投稿

八甲田山、消された真実

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 伊藤 薫 、 出版  山と渓谷社
日清戦争(1894年)で日本が勝ち、日露戦争(1904年)が始まる2年前の明治35年(1902年)1月、雪中訓練のために八甲田山に向かった歩兵第5連隊第2大隊は山中で遭難し、将兵199人が亡くなった。
この事件については、新田次郎『八甲田山、死の彷徨』が書かれ、映画「八甲田山」になりました。
この本の著者は元自衛隊員で、八甲田演習に10回ほど参加した経験がありますので、説得力があります。
遭難後の事故報告は、都合の悪いことは陰蔽あるいは捏造し、ちょっとした成果は誇張するのが常のとおりだった。
予行行軍と予備行軍の違い・・・。予行行軍は、本番とほとんど同じ編成・装備で田代まで行軍し、露営すること。予備行軍は、編成・装備・距離等に関係なく、たとえば本番のために1個小隊40名が10キロ行軍するようなこと。
行軍計画と軍命令の違いは何か・・・。紙に書いたものが計画、それを下達すれば命令となる。
行軍計画で一番重要なのは、時間計画である。陸軍の夕食は17時。だから、遅くとも15時には露営地に到着していないと17時に給食はできない。
八甲田山に向かった将兵は、温泉に入って一杯やろうと考えていた。
当時の日本軍には、防寒・凍傷に関する教育不足があった。それは軍の防寒に対する未熟さと制度の問題があった。下士官以下の兵士には下着は支給品で木綿だった。ところが綿は汗を吸収すると肌にぴったりとへばりついて身体を冷やすので、冬には不向き。毛にすると、汗をかいても身体に密着することなく、かつ保温性もあった。
そして、兵士はワラ靴をはいて行軍した。ワラ靴は、歩くときにはあたたかいけれど、運動止めると、それに付着した雪塊でかえって凍傷を起こしていた。さらにワラ靴を長くはいていると、編み目に入り込んだ雪がヒトの体温で溶けてワラが濡れ、じわじわと広がってワラ靴のなかがびちゃびちゃになる。気温が低いときには、そのまま凍ってしまう。
目的地の田代を知らず、計画と準備は不十分なまま、二大隊は悲劇へと突き進んでいった。このとき救出された将兵は、じっと同じ場所でほとんど動いていないことが判明した。
八甲田山事件は血気盛んな日本軍の将校が準備不足のまま成果を上げようとして起きた悲劇だった。そして、功名心にはやる福島の冒険を師団長が評価した。このことのもつ意味は大きい。通説や新田次郎の本とは違った視点から事件の真相を究明している本です。
(2018年2月刊。1700円+税)

私は6歳まで子どもをこう育てました

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 佐藤 亮子 、 出版  中央公論新社
子育ては大変ですよね。若いときに夢中になって過ごした日々が、楽しくもあり、思い出すと後悔の日々でもあります。ついカッとなって、冷静さを失い手を出してしまったり、理詰めで説明しきれずにごまかしてしまったり・・・。思い出すと、冷や汗がどっと出てきます。でも、膝の上に乗せて、もみじのような手を握って、手をあわせて歌をうたったり、くすぐって無理にでも笑わせたり、そして、絵本を一緒に読んで、話の展開に読み手のほうが声に詰まってしまったり、楽しい思い出もたくさん、たくさんあり、みんな宝物です。
4人の子どもをみんな東大理Ⅲに送り出したサトーのママって、スパルタ・ママなんじゃないか、そんな決めつけを見事に裏切ってしまう6歳までの読んで楽しくなる子育て論です。
これは読まないと損しますね・・・。
著者が子育てのなかで、一貫して最優先してきたことは、子どもが笑顔で過ごすこと。そして、自分自身を笑顔にするためにも、しっかりと手を抜いた。
これは、これは、とてもすごいことです。何度読んでも、この考えには、ぐぐっと惹きつけられます。
肩の力を抜き、子育てを120%楽しむ。
振り返ったときに後悔しない。
子どもたちを目一杯大切にして、気持ちよく巣立たせる。
著者は長男が1歳4ヶ月のときに「公文」(くもん)を始めさせました。
三男は3歳でプールの水泳教室に。三男は、はじめの3ヶ月は、わんわん泣いてばかり。それでも著者はあせらず、あきらめずプールに連れていったのです。すごいです。
子どもの健康管理のため、小学2年生までは「うんちチェック」。子どもたちにうんちを流させずにチェックして健康状態を確認していたといいます。
これは皇室でもやられていることのようですね・・・。
子どもの歯、箸(はし)、鉛筆は一生モノの習慣。
 歯は3ヶ月に1回の歯科検診を欠かさない。いやあ、これにはまいりました。4人の子どもは、全員、ピカピカの歯だそうです。ちなみに、私も虫歯でさし歯をしているのが一本だけです。あとは、全部、自前の歯です。そして毎日、合計して9分ほどの歯みがきを励行しています。
箸と鉛筆のもち方は、私も子どもたちにはうるさく言いました。ただし、字のほうは、私と似て、子どもたちの字はあまり美しい字とは言えません。残念です。
子どもには叱られた経験より、たくさんの成功体験や自己肯定感を植えつけることこそ大切。これがあると、自分は大丈夫だという精神的な支えをもてる。
これは大切なことです。やっぱり自分は何をしてもダメなんだ。子どもにそう思わせてはいけないのです。
兄弟はみんな平等に扱う。いま「争族」事件が多くて、いわばそれで「メシを食っている」弁護士なのですが、その大きな原因として、親が子どもたちを平等に扱わなかったことがあるとのだと痛感しています。
著者は、みんな「ちゃん」と呼び、「お兄ちゃん」とか呼びません。お菓子を分けるときだって、みんな一人前で平等に扱うのです。これはすばらしい。
子育ての発想を転換させてくれ、励ましてくれる本です。ぜひ、子どもを持つ親だったら手にとって読んでみてください。
(2018年4月刊。1300円+税)

北斎漫画2

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 葛飾 北斎 、 出版  青幻舎
漫画といっても、いわゆるマンガではありません。「漫然と描いた画」だというのですが、実際には、なかなかどうして、とても精密な絵のオンパレードです。
北斎は、一瞬をとらえ、それを一瞬のうちに描き切っている。
19世紀にヨーロッパで巻き起ったジャポニズムのきっかけをつくったのは浮世絵、なかでも「北斎漫画」だった。
北斎は、独立したときに自分の師匠は「造化」だとした。「造化」とは、「天地万物を動かす道理」のこと。北斎が生涯かけて求めていたのは「造化」であり、世の真理だった。誰も気に留めないような、画題になりそうもない日常風景までもが北斎の「師」だった。
北斎は、当時の町人としては、破格の知識人だった。北斎は、西洋画(油彩画)。知識や技術を知っていた。
北斎は、画面手前の描き方は墨絵(すみえ)の中国的な描き方、全体の構図は西洋の透礼画法(三ツ割りの法)、人物は大和絵の伝統的なテクニック、背景の山並みは絵の具を重ねて塗る油絵独特の描き方で描いた(潮干狩図)。
北斎は、実際には関西までしか行っていない。しかし、「琉球八景」というシリーズも描いている。
この第二巻「森羅万象」では、「自然博物図鑑」とでも言うべきように、ありとあらゆる生き物を詳細にかつ生き生きと描いています。そのすごさは筆舌に尽くしがたいものがありますので、ぜひ手にとって眺めてみてください。
(2017年8月刊。1500円+税)

古稀のリアル

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 勢古 浩爾 、 出版  草思社文庫
私と同じ団塊世代の著者が、70歳になって何が変わったか、これからどう生きていくのかを、他者との比較で、あれこれ考察している愉快な本です。私自身はまだ古希にはなっていません。60代なのです。といっても目前に迫ってはいるのです。
すでに少なからぬ同級生がこの世とおさらばしています。現役弁護士として、それほど深刻ではありませんが、頭をふくめて老化現象を痛感することはしばしばです。
著者はさかなクンの天真爛漫ぶりを大いに評価しています。ハコフグの帽子をかぶってテレビ(たとえば『ダーウィンが来た』)にしばしば登場します。「好きなこと、夢中になれる何かがあると、毎日がワクワクでいっぱいになる。もっと知りたいという探究心が出てくる」。ほんとうにさかなクンの言うとおりですよね。
そして、二人目は前野ウルド浩太郎(『バッタを倒しにアフリカへ』の著者)です。秋田育ちの昆虫少年がアフリカ大陸でバッタ退治に乗り出す様子には著者だけでなく、私も言葉を失うほど圧倒されました。昆虫オタクの香川照之もいますよね。この人もまたすごいです。
本好きの人のなかに、いま読んでいる本を読み終わりたくないという人がいる。その気持ちは、よく分かる。本は読んでいるあいだが愉しい。その物語のなかにいる時間こそ、何物にも代えがたい。だから、またすぐに最初から2回目を読むという人もいる。しかし、著者は、そんなことはしない。別の新たな愉しみを求め、別の本を読む。
そうなんです。絶えず新しい出会いを求めるのです。その出会いがときにあるからこそ、世知がらい世の中を生きていられるのです。
読みかけている、その先を早く読みたい。これが面白い本の条件である。まったくもって、そのとおりです。
著者は私とちがってテレビ好きだそうです。ところがドラマはほとんど見ていません。もっともらしく、わざとらしく、ウソくさく、あざとくて、うっとうしいからだ・・・。
私は、テレビのドラマは全然みません。そのため「おしん」とか「大地の子」など、見逃してしまった残念な番組がいくつもあります。
70歳になったからといって大騒ぎする必要はまったくありません。それでも、いよいよ終末期を迎えようとしていることを自覚させられる本ではありました。
(2018年2月刊。700円+税)

TOEIC亡国論

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 猪浦 道夫 、 出版  集英社新書
かなりインパクトのある刺激的なタイトルのついた本ですが、読んでみると、ごくまっとうな英語教育論が展開されていて、大変参考になります。
私は英語はあきらめてフランス語一本でやっていますが、その理由の一つは英語の発音が私の耳にはあまりに聞きとれないことです。よほどフランス語のほうが聞きとりやすいのです。この本は英語が日本人に聞きとりにくい理由もちゃんと指摘していますので、私だけじゃないことを知って安心しました。
英語が聞きとれないという人は、文法や語法を知らない、単語力がない、会話の背景にある文化的バッググラウンドについての知識がない、それだけのこと。
日本に住んでいて、周囲が日本語で話している環境のなかで「日本語脳」を捨てて「英語脳」を獲得するなんて、まず不可能。
TOEICは、コツを覚えれば、誰でもある程度の点数がとれる。英語の本当の実力を測るには適当ではない。TOEICは、コツに習熟すると、実力以上のハイスコアがとれる。問題を解くのに複雑な思考を要求しないので、対策さえすれば、ある程度の点数はとれる。
TOEICは、年に何回も受けることができるので、お金のある人が有利。
海外では通用しないので、海外で何かしたい人にとってはムダな努力になってしまう。
TOEICは、作文能力をテストしていると言いながら、現実には、語彙(ごい)クイズ、語法クイズでしかならない。
TOEICは、日本人のためにつくられた試験。TOEICをつくったのは、通産省と経団連であり、英語ビジネスの既得権益を確保しようとしているだけのこと。
大学生に求められる英語能力とは、原書をきちんと読解する能力である。
日本人向けの英語力検定試験を早急に開発すべきだ。
ALTには資格が必要ない。ALTひとりに年間600万円もの予算がついている。英語が母国語だといっても、誰もが英語を教えられるわけではない。
語学の学習に必要なものは、お金と時間の二つ。語学の学習のための三種の神器は、良い辞書、良い参考書、良い教師だ。
いつまでも英語が身につかないという人は、英文を文法的に正確に書けず、語い力が不足しているのが根本的な原因だ。
発音はネイティブに習うより、音声学にもとづいた科学的な発音指導のできる日本人の先生から訓練を受けるのが非常に効果的。
大変よく分かりました。
(2018年3月刊。740円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.