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2018年6月 の投稿

新・冒険論

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 角幡 唯介 、 出版  インターナショナル新書
私は冒険をするような勇気は、これっぽっちも持ちあわせていませんが、冒険物語をハラハラドキドキしながら読むのは大好きです。
探検は、システムの外側にある未知の世界を探索することに焦点をあてた言葉。冒険はシステムの外側に飛び出すという人間の行動そのものに焦点をあてた言葉。
探検は土地が主人公の言葉で、冒険は人間が主人公の言葉だ。
冒険とスポーツとは、本質的に完全に対極に位置する行為だ。冒険には未知で予測不可能な世界に飛び込むという点が注目される。スポーツは、競技場という名の、舞台の整った場でおこなわれる行為だ。
著者は、冒険というものを自らの経験をベースに、現在の時代状況と照らしあわせて論じることのできる日本で唯一の人間だと自負していますが、まさしくそのとおりだと私も思います。だって、あとで紹介する著者の本を読めば、疑いようもありませんから・・・。
本多勝一は、①明らかに生命への危険をふくんでいること、②主体的に始められた行動であること、この二つが満たされたら、その行動は冒険だと言えるとした。
本多勝一は、朝日新聞の有名な記者で、私も、たくさんの本を読みました。
エベレスト登山は、いまや冒険とは認められない。なぜなら、エベレストに登りたい希望者が、熟練したガイド登山家が主催する隊にお金を払って参加するという、いわば商業ツアー登山の形をとっているから。登山客は定められたマニュアルにそった行動を指示される。公募登山の参加者は、自分の力で山に登っているわけではない。このエベレスト・ツアーに足りないのは無謀性である。
北極点を目ざすような極地旅行者は、ほぼ全員がGPSを持って行動している。使っていないのは、著者くらいだろう。
このコーナーで先に取りあげた『狼の群れと暮らした男』(築地書館)が紹介されていますが、この本は本当に驚くべき冒険にみちみちています。だって、文明人の大人がオオカミ(狼)の群れに近づき、ついには、その一員として認めてもらったというのです。その過程のすさまじさは圧倒的で、まさしく声を呑み込んでしまいます。
そして、もう一人は服部文祥の『サバイバル登山』です。これまた、大雪に閉ざされた冬山で一人、黙々と登山を敢行していくという苛酷すぎる体験記です。なにしろ、テントなし、コンロなし、食料は自給という生活を山中で続けていくのです。
そして最後に、先日よんだばかりの『極夜行』(文芸春秋)です。80日間、ほとんど真暗闇の極夜を過ごしていく極限の状況には声を呑み込むしかありません。
欧米人は単独行を避ける傾向にあるが、日本人は積極的に単独行をする。日本人は自然の本源に深く入り込むこと、生の自然に触れて、畏れおののくこと、結果以上に課程の充実を重視している。
冒険者は、自由状態をできるかぎり享受するため、あえて安全性を犠牲にしたり、緻密に計画することを放棄したりする。
なるほど、冒険って、そういうことなのか・・・。とても私には出来ないことだと再認識させられました。でも、自分が出来ないからこそ、こういう本を読むのは大好きなのです。
(2018年4月刊。740円+税)

小屋を燃す

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 南木 佳士 、 出版  文芸春秋
信州の総合病院を定年退職した医師が、身辺雑記を淡々と描いています。
この本のタイトルである『小屋を燃す』の前に、『小屋を造る』というものもあります。いったい、この小屋って何の小屋だろうか、気になりますよね・・・。
歩く習慣を獲得できたうつ病患者は、明らかに再発率が低下する。脳には血流。
診察室で、基準値からはずれた検査値をおだやかに指摘すると、急に無口になり、「人間どうせ死ぬんだしな」とふてくされて部屋を出ていく。どうせ死にゆく身なのだという真理がほんとに身についている老人は、もっと明るい表情をしているものだが、こういう、50代、60代の男性(ほとんどが喫煙者。まれに女性)は、眼前の現実を直視せず、あらゆる事象を明らかに見ないまま、おのれを包む脆弱な殻を後生大事に守りつつ生きてきた印象を受ける。
小屋は、村の知人たちが寄り集って建てた。それは、手造りそのもの。寝泊りするためというより、酒盛りをするための場所を確保しようというものだった。完成したら、みんなが車座になって焼酎で乾杯した。
この小屋は、半分以上が廃材で作られていたから、築6年となった小屋の解体はあまりにも容易だった。小屋を解体したあと、みんなで焼酎を飲みはじめた。
なんということもない日々を、つい振り返ると、そこにたしかに人それぞれの生きざまがあるのだと実感させられる本です。
これって、いわゆる私小説なのでしょうか・・・。
(2018年3月刊。1500円+税)

トレイルズ

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ロバート・ムーア 、 出版  A&F
アメリカ東部には全長3500キロメートルという長距離自然歩道、アパラチアン・トレイルなるものがあるのだそうです。初めて、知りました。全長3500キロメートルというと、下関市から青森市まで歩いて、折り返して下関市に戻ったときに3000キロメートルだそうですから、とてつもない長さだというのが少し実感できます。
幅300メートルの自然保護区域が帯状につながっています。そして、ここを毎年200万人以上の人が歩いているとのこと。信じられません。
なぜ、そんなところを歩くのか・・・。道を歩くことは、世界を理解すること。
長距離ハイキングは、自分にとって現実的で必要最小限のアメリカ式歩行瞑想だ。
トレイルは、その制約のため、より深く考える自由を精神に与える。悟ることは出来なかったが、かつてないほど幸せで健康だった。
歩くペースは徐々に上がっていった。初めは10~16キロだった。それが、24キロ、そして32キロになった。しまいには、1日に48キロも歩いていた。
山のなかで半年近くすごしたあと都市に戻ると、都市は驚異であり、奇怪だった。徹底して人間の手で変形させられている場所だ。いちばんの衝撃は、その硬直性。直線と直角、舗装道路、コンクリートの壁と鉄の梁、政府の定めた厳格な規則。廃棄物があふれ、あらゆるものが壊れている。
なぜ歩くのか。納得できる答えは返ってこない。もちろん、理由はひとつではない。体を鍛えるため、友だちとの絆、野生に浸り、生を実感するため、征服するため、苦しみを味わうため、悟のため、思案に耽るため、喜びのため・・・。だが、何にもまして探し求めているのは単純さ、道がいくつにも枝分かれした文明からの逃避だ。
トレイルを歩く一番の喜びは、明確に境界を定められていること、毎朝、選択肢は二つしかない。歩くか、やめるか。その決断をしてしまえば、ほかのことは、あるべき場所におさまっていく。選択からの自由という新たな開放は大きな安心感をもたらす。
夏の原水禁止大会に向けた平和行進は、集団で歩くものです。また、日本全国を歩いて旅している人が昔(江戸時代にも・・・)も今もいます。
歩くことの意義を改めて考えてみました。毎日、せわしなくあるいていますが、実際には1日8000歩も歩けばいいほうです。
(2018年3月刊。2200円+税)

「憲法の良識」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 長谷部 恭男 、 出版  朝日新書
安保法制がまだ法案の段階で、国会に与党推薦の憲法学者として登場した著者が、安倍首相の改憲案を平易なコトバでトコトン批判し尽くした新書です。
議論の精緻さ、厳密さよりも、ごくごくシンプルな説明をこころがけたというだけあって、なるほど、とても分かりやすいものになっています。
憲法は、国としてのあり方、基本原理という「国のかたち」を定めているもの。
安倍「改憲」は、祖父(岸信介)から受け継いだという自分の思いを実現するためのものであって、国の利益のためではない。公私混同もはなはだしい。
安倍政権は、集団的自衛権の行使は許されないとしてきた従来の政府解釈を変更したが、その根拠はないし、政府自体が根拠のないことを自白している。
明治憲法に兵役の義務と納税の義務が定められていたが、美濃部達吉は、これに法的な意味はまったくないとした。義務かどうかは法律で定めれば義務になる。ただそれだけで、憲法に書くようなものではない。
憲法に「これは義務です」と書き込むことに意味はない。
明治憲法は、君主が人民に押しつけた典型的な「押しつけ憲法」であり、ドイツからの直輸入品である。
憲法9条は非常識だという人は、9条を非常識なものとして理解するから非常識なのであって、良識にそって解釈すれば、非常識なものではない。それは解釈する側の考え方の問題である。
明治憲法こそ「押しつけ憲法」だという指摘には、はっと心を打たれました。
(2018年5月刊。720円+税)

世界を切り拓くビジネス・ローヤ―

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 中村 宏之 、 出版  中央公論新社
西村あさひ法律事務所に所属する弁護士たちを紹介した本です。
私はビジネス・ローヤーになろうと思ったことは一度もありませんでしたし、今もありません。
私が弁護士になったのは、ふつうに生きる市井(しせい)の人々のなかで、何か自分なりに役立つことが出来たらいいな、そしてそれが社会進歩の方向で一歩でも前に進むことにつながったらいいなと思ったからでした。
だいいち、ビジネス・ローヤーの「24時間、たたかえますか」式のモーレツ弁護士活動は、ご免こうむりたいです。いま、我が家から歩いて5分のところにホタルが飛び舞っています。少し前は、庭で新ジャガを掘り上げ、美味しいポテトサラダをいただきました。四季折々を実感させてくれる田舎での生活は心が癒されます。
それでも、ビジネス・ローヤーと田舎の人権派弁護士は、もちろん全然別世界で活動しているわけですが、共通するところも少なくないことを、この本を読んでしっかり認識しました。
西村あさひ法律事務所に所属する弁護士は500人をこえる。これは日本最大の法律事務所だ。片田舎にある私の事務所でも、西村あさひと対決することがあります。それほど日本全国にアンテナを張りめぐらしているわけです。
事務所の基本理念は明文化されている。その第1条は、「法の支配を礎とする、豊かで公正な社会の実現」。
西村あさひは、企業の事業再生、倒産関連で圧倒的な存在となっている。
パートナーシップの配分は収支共同(ロックステップ)。これは、いわば財布を一つにしているということ。パートナー(100人)会議があり、パートナー30人から成る経営会議があり、5人のパートナーからなる執行委員会がある。そして、毎年30~40人の新人弁護士を採用している。海外拠点も、9ケ所にあり、大阪・名古屋・福岡に地方事務所を置いている。
ビジネス・ローヤーは英語ができないと、どうしようもない。
ああ、これで私には入所資格がありません・・・。
弁護士業のすばらしいところは、プロフェッショナルとして、お金に左右されることなく、言うべきことが言える点である。
この点は、私も、まったく同感です。
常識の意味を考えることが大切。合理的でない常識でも、何かしら合理的な理由が存在しているはず。その常識を超えるサービスをクライエントに提供する。
交渉の場に出る前、どう出るのかをよく考える。相手や舞台を変えることも検証するし、ときには一対一(サシ)で議論することにもチャレンジする。
弁護士が天職だと感じる人は、やっていて飽きない。やっていて楽しく、面白い。いろんな人と話ができる・・・。
私も弁護士を天職、天の配剤と考えています。
弁護士の仕事に必要なものは、思いやりだ。これは、真に相手の立場にたてるかどうかも検討しなければいけない。いろんな関係者のことを考慮して、最善の選択肢を考えないといけない。
必ずしも人は理屈だけでは動かない。人間力、人としての物の見方や考え方の総合力が問われる。総合力を発揮して、より良い解決なり、よりよい同意を依頼者のためにするのが弁護士の仕事だ。
基本的に弁護士は一つのインフラなので、日本企業が海外で仕事をするときの用心棒、ビジネスパートナーであり、サポーターでもある。弁護士の「個の力」も大切だが、法律事務所の全体の組織力を上げないと、欧米の事務所には対抗できない。
事業再生を専門とする弁護士の特徴は、ほかの分野に比べて、判断することが求められる局面が多いことにある。想定外の問題が次々に噴き出していく。それを前提として解決をどうやって勝ち取るか・・・。
①若いうちは、まず正論を考えろ、②細かいところまでいちいち相談するな、③債権者は敵ではない。こんな文句(フレーズ)が受け継がれています。
弁護士の仕事は、とても面白く、まったく飽きない。やり甲斐があり、交渉や戦略を立ててのぞむのは当然のこと・・・。なるほど、まったくそのとおりです。
(2016年4月刊。1400円+税)

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