法律相談センター検索 弁護士検索
2018年5月 の投稿

絶景本棚

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 本の雑誌社編集部 、 出版  本の雑誌社
愛読家にとって蔵書の収納場所をいかに確保するか、常に頭を悩ます大問題です。必ずしも世に広く知られた有名人だけではありませんが、本のコレクターとして書斎に何万冊も並べている光景が1冊の写真集になっています。
私も60歳台の前半までは、「本は一冊だって捨てられない」と高言していました。雑誌は捨てても単行本は捨てることができなかったのです。
しかし、60歳台も後半になって一大心境の変化が生まれ、まず、今後もう読むことはないと思う本を書斎から抜き出し、私の関係する団体の事務所に本棚ごと贈呈し、移動させました。それでもまだまだ本はあります。次に、主として警察小説と中心とする推理小説を知人の市会議員の個人事務所にそっくり寄贈しました。推理小説を2度読み返すことは、まずありませんので、読み手のいそうなところに引き取ってもらって、本のリユースを願ったのです。そして今、資料価値がなくなっていて、保存しておくことのないと思った本を大胆に捨てています。
私はこの20年ほど、毎年500冊の単行本を読了しています。買ったけれど読んでいない本が何冊かあります。ちなみに、私は本は買います。読んで光るところは赤エンピツで棒線を引きます。弁護士生活も40年以上となっていますので、私の所有する本は単純に数えても2万冊を下回ることは考えられません。自宅も事務所も本であふれています。
本は段ボールに入れてしまったら終わりです。死蔵ということは使わないことと同義。やはり、背表紙を見えるようにして、すぐにも手に取れるようにしておく必要があります。
この本に出てくる書斎は、本の高さと形に応じて、みんな苦労していることがよく分かります。私の事務所にはスライド式書棚がありますが、これは本の保管としては適さないと考えています。
本は背表紙を読んで、「えっ、こんなところにいたの・・・。」というつぶやきとともに、すぐに手を伸ばして胸にかかえこむべきものです。今度、そのうち買って読もう、なんて考えていても、そんなことはついつい、すぐに忘れ去ってしまいます。今、ここでの出会いを大切にして、フィーリングで購入することを表明して、いい本(いい書斎)にめぐりあえたことを高く評価します。ありがとうございました。
(2018年3月刊。2300円+税)

松本清張「隠蔽と暴露」の作家

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 高橋 敏夫 、 出版  集英社新書
松本清張が死んだのは1992年8月なので、もう25年以上がたっている。しかし、その書いたものは今もそのまま通用している。何回となくテレビドラマ化されている文庫本がたくさん出ている。
松本清張は無類のカメラ好きで、旅行には何台化のカメラを携帯していた。そして、英会話ができて、海外では通訳なしで取材していた。さらに、考古学にも深い関心を寄せていて、日本古代史の知識は学者と対等に議論できるレベルだった。
清張の学歴は尋常高等小学校の卒業というだけ。ところが、そのあくなき勉強のおかげで、並の知識人は足元に近づけないほどのレベルに達したのです。やはり、勉強する人こそ強いと言えます。
そして、松本清張はプロレタリア文学仲間と交流していたことから、戦前、警察に検挙・勾留され、拷問も受けています。山村多喜二の虐殺のころです。そして、兵隊にとられ、衛生兵として朝鮮に送られました。
このように苦しい生活を過ごしたわけですが、父親は陽気で政治や歴史にやたら詳しく、母親は優しく、心配性だけど、へそくりして着物をつくってくれた。そのため、貧しいなかにも人間としての豊かな感性を失うことはなかったのですね。
ただ、上の学校に行けなかった清張は、「オレ、オマエ」でつきあえる友だちはいませんでした。それを大いに残念がっていたようです。私は、その点は大いに共感します。高校や大学で学ぶことの利点は、同じレベルの友人と出会い、世の中や社会のことを、心おきなく語りあえることです。それは、私にとっては、大学時代のセツルメントサークルのなかで得ることができました。これが私の原点であり、今も心の支えになっています。
松本清張の『黒地の絵』(1958年)は、朝鮮戦争まっさいちゅうの北九州で起きたアメリカ兵の集団脱走事件を素材にしています。全編、不気味な太鼓の音が鳴り響いています。黒人兵から妻を暴行された男が復讐するという暗い話です。一度よんだら忘れることができません。
そして、松本清張の得意分野のひとつが政財界を結んだ大々的な汚職事件です。小役人が追いつめられて自殺するというのは、モリトモ事件でも不幸なことに起きてしまいました。でも、下っ端はオドオド、ビクビクしているのに一番悪いやつが高笑いして、ぐっすり眠っているなんて、絶対におかしいです。清張は、そこに鋭く切り込んでいきます。
北九州にある松本清張記念館にまた行ってみたくなりました。まだ行ったことのない人は、ぜひとも行ってみてください。
(2018年1月刊。760円+税)

隠れナチを探し出せ

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 アンドリュー・ナゴルスキ 、 出版  亜紀書房
フリッツ・バウアー検事、アイヒマンなどが登場するナチ残党を探し出していく大変な仕事の苦労を紹介した本です。
アルゼンチンに潜伏していたアイヒマンを探し出す苦労については前に紹介しましたが、簡単にはいきませんでした。それでも、イスラエルのモサド長官ハルエルの陣頭指揮で成功したようです。
アイヒマンの裁判をイスラエルですすめるのも大変苦労したようですが、アイヒマン調書は貴重な資料になっています。有名なハンナ・アーレントの「怪物」ではなく、「殺人マシン」の一部にすぎないというレポートの反響も詳しく紹介されています。まるほど、アイヒマンを「怪物」に仕立てあげてしまえば、その他大勢のドイツ人は責任がなかったとして無罪放免になってしまいます。それも、いかがなものか・・・という気がします。
著者は、アイヒマンには相反する特性があったといいます。アイヒマンは全体主義体制のなかで上官を喜ばせるためなら何でもする出世主義者だった。同時に多くのユダヤ人を死に追いやることに無上の喜びを覚え、ナチの手を逃れようとする者は一人残さずつかまえる悪意に満ちた反ユダヤ主義者だった。そういうことなんですね。
アイヒマンは死刑判決が確定したら2時間もあけずに処刑された。なぜか・・・。アイヒマンのシンパが処刑を中止させるために、ユダヤ人の子どもを人質にとったりすることのないようにするためだった。なるほど、そういうことまで考えなければいけないのですね・・・。
ワルトハイム国連事務総長(元)がナチスの一員だったことを暴いた話は当時、私にとっても大変な驚きでした。戦前、ナチスの一員だったことを、そんなに簡単に隠せるものなのかという点と、そんな過去があるのに、そのことを隠したまま、反省することもなく国連事務総長という世界的要職に就いてバリバリ仕事をしていたことに大変な衝撃を受けました。
これには、オーストラリア人の心性が大きく関わっているようです。ヒトラーもオーストラリア出身の伍長だったと思いますが、オーストラリア人の多くが戦前・戦中はナチスの熱狂的支持者だったのです。ところが、戦後は一転して、オーストラリア人はナチスの第三帝国の被害者だったという強固なイメージをつくりあげ、世界に定着させていたことと関わっています。なるほど、微妙な問題なのですね。
ナチ・ハンター同士のいさかいもあったようです。世間には一般的に名高いジーモン・ヴィーゼンタールについては、口から出まかせ、人気とりに長けているという批判(非難)があるなかで、一定の功績はあるとされています。
本文480頁の、読み応え十分の本でした。
(2018年1月刊。3200円+税)

みかづき

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 森 絵都 、 出版  集英社
これは面白い本でした。本屋大賞2位、中央公論文芸賞受賞というのも素直に同感できます。教育とは何か、家族って、どういう存在なのか、よくよく考えられた人物描写とストーリーです。私は朝から電車のなかで読みはじめると、たちまち車内放送が耳に入らなくなり、裁判の合い間にも手放さず、帰りの車中でついに読了してしまいました。読了したとき、あまりの満足感に、深い溜め息のようなものを、思わずついてしまったほどです。
先日、娘二人を女子プロレスの選手として育てあげ、国際試合でチャンピオンになったというインド映画『ダンガル』を天神で観ましたが、そのときと同じ充実感、満ち足りた思いがあり、やっぱり人生って、こんな感動にたまには浸りたいよねと思ったものでした。
この本のメインストリームは学校教育ではなく、塾あるいは予備校です。あとでは津田沼戦争と呼ばれた予備校同士の熾烈な競争も下敷きにしています。が、出発点は、あくまで補習塾です。四谷大塚とか浜学園のような英才塾ではありません。
どんな子であれ、親がすべきことは一つ。人生は生きる価値があるっていうことを、自分の人生をもって教えるだけ。
塾の教師の役目は、その気になれば、いくらでも伸びていく子どもたちの火付け役になること。つまり、マッチ。頭をこすって、最後は自分が燃え尽きて灰になったとしても、縁あって出会った子どもたちのなかに意義ある炎を残すことが出来たら、それはすばらしく価値のある人生なのではないか・・・。
常に何かが欠けている三日月(クレセント)。教育も、それと同じ、そのようなものであるのかもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑚を積むのかもしれない。
勉強が苦手な子は、基本、集中力がない。はじめのうちは10分間も勉強したら、5分間は雑談して休ませ、さらに10分間の勉強をさせる。それに慣れたら、15分、20分間と集中の時間をのばしていく。
子どもを教えるとき、教える側が口を挟みすぎないこと。つきっきりで勉強をみていて、つい口を出してしまうと、子どもは、その場では分かったような気になっても、それでは基礎学力が身につかない。
国語も数学も英語も、子どもたちの挫折のもとをたどると文章力不足に行きつく傾向が目立つ。ゲームやメールは打てても、長い文章は書けないし、読めない。そんな子には、文章を組み立てる訓練に時間をさいてやるといい。そうなんです。英語を身につけるためにも、国語の文章力が基本なのです。
親と似た性格を嫌がる子ども、おとなしそうでいて、実は忍従しているふりをしているだけ、明るく快活だと思っていると、それは仮面をかぶっているだけの子ども・・・。
いろんな子どもがいて、親と対決し、議論し、乗りこえていこうといいます。そして、親と同じ道を歩んだり、親と正反対のまま進んでいったり・・・。
人生とは、かくも複雑・怪奇なものなのだ・・・。そんな思いに浸ることのできた半日でした。
(2017年4月刊。1850円+税)

バカロレア幸福論

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 坂本 尚志 、 出版  星海社新書
50年もの長きにわたってフランス語を勉強してきて、すっかりフランスびいきの私ですが、日本人はフランスに学ぶべきところが本当に大きいと考えています。その一つがバカロレアです。
バカロレアとは、大学入学資格試験です。日本で言うと、高校卒業資格試験でしょうか。
バカロレアに合格すると、学生は基本的に自分の希望する大学の学部に入学できます。フランスの大学はすべて国立で学費は安く、年に2万5000円ほど。50年前の日本の国立大学の授業料はその半分、年に1万2000円でした(月1000円)。ただし、大学に入っても卒業するには、ちゃんと勉強しないとダメで、トコロテン方式のように卒業できる日本とは違います。そして超エリート層の入る「グランゼコル」と呼ばれる学校に入るのには、別の選抜試験があります。
このバカロレア試験では、初日に、哲学の試験を受けます。朝8時から昼12時までの4時間に、記述式の試験を受けるのです。本の持ち込みは許されません。
どんな問題なのか・・・。
①理性によって、すべてを説明することができるのか?
②芸術作品とは必ず美しいものだろうか?
③ルソーの『人間不平等起源論』からの抜粋について、説明せよ。
ええっ、こんな難しいテーマで4時間もかけて、何を書いたらいいのかしらん・・・。
日本の大学入試では、およそ考えられない設問です。
この本は、なぜフランスでこんな設問があるのか、その理由を説き明かし、さらに、その解法、つまり答案の書き方が説明されます。なるほど、論理的に考える力を養う試験だということがよく分かりました。フランスの高校では、3年生は文科系だと週8時間もの哲学の授業を受けるのです。これって、すごいことですよね・・・。
高校で哲学を教える目的は、哲学者を育てることではなく、哲学という知のモデルをつかって、自律的・批判的に思考する力を育てることにある。なので、哲学史の知識はあまり必要とされない。
バカロレア試験では、設問を分析する必要がある。これは、決断するという社会一般で役立つ能力を育てる目的もある。
小論文の議論は、必ずしも自分の考えを述べるものではない。哲学書を引用することが高得点をとるためには、必要不可欠。その意味で、哲学の勉強にも暗記することが求められる。
そして、自由に書けばいいのではなく、「型」を守って書く。持ち時間の半分は考える時間とする。書く前に、スタートからゴールまでの道筋を決めておく。哲学者の文章を引用し、使いこなす。
まるほど、たしかに、このような思考訓練を経ていると、あとの人生で議論したり考えるときに役立つと私も思います。
ちなみに、バカロレアの合格率は8割ほど(哲学分野では6割弱)。
幸福論をテーマとした関連で、いろいろ書かれていますが、日本人よりフランス人ははるかに幸せです。「世界幸福度調査」(2016年)によると、フランスは世界32位で、日本は53位でしかない。ちなみに、1位はデンマーク、2位はスイス、3位はアイスランド。
ところが、失業率はフランス9.4%、日本は2.9%。フランスの殺人発生率は日本の5倍。成人の肥満率は、日本は4.5%なのにフランスは15.6%。フランス人にとって、幸福は感じるものであると同時に考えるものなのです。
フランスの医療制度は日本よりすすんでいて、子育て支援は日本よりはるかに手厚い。フランスの出生率が向上するのも当然です。
フランスでは労働者のストライキが頻発していますが、市民は迷惑を受けながらも、明日は我が身だと考えて耐えています。フランスでは過労死は基本的に考えられません。バカンスをとるのも日本とは違って当然であり、それが美徳なのです。
頭の切り換えに役立つ本として、一読をおすすめします。
(2018年2月刊。900円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.