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2018年5月 の投稿

1967、中国文化大革命

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 荒牧 万佐行 、 出版  集広舎
私が東京で大学生になった年(1967年)の2月、中国各地の状況を活写した貴重な写真集です。2月ですから、私は大学受験の直前ということになります。中国で大変なことが起きているという報道はありましたが、その実態は紹介されませんでしたし、解説記事もほとんどありませんでした。なにしろ竹のカーテンのなかで何が起きているのか、情報が伝わってこなかったのです。
この本で紹介されている写真を眺めると、北京でも上海でも、どこでも中国の各地で大勢の人々が路上にあふれ出てきていて、口々に何かを叫んでいます。
今では、文化大革命とは、文化革命なる美名をかりた毛沢東による権力転覆策動、独裁者としての自らの復権運動を本質とする権力闘争であることが歴史的にはっきりしています。しかし、この文化大革命のなかで三角帽子をかぶらされて街頭をひきずりまわされた多くの人々が無惨な死に追い込まれてしまいました。文化大革命終結後になんとか復権できた人は少ないし、きわめて幸運だったのです。
それにしても、街頭の壁一面に貼り出された壁新聞のボリュームには圧倒されてしまいます。人々が必死に手書きで壁新聞(大字報)を書いて貼り出したのです。そして、人々はそこに何が書かれているのかを読んで時勢(時流)を感じとっていました。
毛沢東語録をかかげながら、ふたてに分かれて激しく武力抗争するという事態が中国全土で進行していきました。やがて、それは毛沢東支配そのものをも脅かすほどになり、毛沢東自身がブレーキをかけ始めたのです。
このころ、日本にも文化大革命を礼賛する人が多数うまれました。毛沢東主義者と呼ばれる人たちです。その人たちは日本でも暴力を賛美して、社会を混乱させました。
やっぱり暴力からは、決して、まともな文化は生まれません。つくづく私はそう思います。貴重な写真集の頁をめくりながら改めて中国の文化大革命の悲惨さを実感しました。
(2017年11月刊。2500円+税)

立憲君主制の現在

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 君塚 直隆 、 出版  新潮選書
ナチス・ドイツが降伏し、ドイツの戦後処理を議論したとき、イギリスの外相はこう言った。この外相は労働党に所属する社会主義者であり、労働組合の指導者でもあった。
「第一次世界大戦後にドイツ皇帝の体制を崩壊させなかったほうが良かった。ドイツ人を立憲君主制の方向に指導したほうがずっと良かった。ドイツ人からシンボル(象徴)を奪い去ってしまったから、ヒトラーのような男をのさばらせる心理的門戸を開けてしまったのだ」
果たして、立憲君主制にしておけばヒトラー独裁は成り立たなかったのでしょうか・・・。
2017年現在、国連加盟国は193。そのうち君主制を採用しているのは、日本をふくめて28ヶ国。これに英連邦王国15ヶ国を加えても43ヶ国にすぎない。国連加盟国の2割強でしかない。このように今や共和国による世界連合が実現している。しかし、本当に「世界平和」が確立していると言えるのか・・・。
明仁天皇は、積極的に国民のなかへ入っていった。ところが、これについて天皇は神であってほしいと考える勢力(そのホンネは、天皇なんか掌中の玉として、絶えずうまく操縦しておきたいということなのでしょう)は、あまりに天皇が国民に近づきすぎると、神秘も影響力も失うと心配し、警告した。彼らは、天皇そのものを叩けないものだから、その身代わりとして美智子さんを叩き、今なお雅子さんを叩いているという見解があります。私も同感です。小室家を叩くのも同じ流れでしょう。
君主は、ときとして民衆のところに降りていかなければならない。このことは、ヨーロッパの皇室をめぐる歴史が明らかにしている。しかし、今でも皇室のホームページには天皇一家の団らんの場など、一切の私的要域の行動は報道されない。明らかに不公平である。これでは、「開かれた皇室」とは、とても言えない。
イギリスなどヨーロッパでは、男子優先の長子相続制をやめて、男女を問わず第一子が優先されることになっている(絶対的長子相続制)。
要するに、日本だって江戸時代末ころに女性の天皇がいた。明治になって初めて天皇は男系に限るとしたのです。「歴史と伝統」なんて、100年ぽっちのことでしかありません。
明仁天皇は外国へよく出かけました。皇太子時代には、22回の外遊で、のべ66ヶ国を訪問した。そして天皇になってからは、20回の外遊で、のべ47か国も訪問した。
皇族が次第に減っている現実がある。
天皇に女性がなってはいけないなんで、とんでもない間違いです。あくまで国権・国歌に固執するのもおかしいです。私はいまの明仁天皇は日本が戦争を繰り返さないよう身体をはってがんばっていると考えています。アベ首相に爪のアカを飲ませてやりたいです。ただし、天皇制というスタイルは、将来、変えるべきだと考えています。
(2018年2月刊。1400円+税)

刑務所の風景

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 浜井 浩一 、 出版  日本評論社
大学教授の著者が、その前に刑務所の矯正職員としての3年間の勤務によって認識した状況をまとめた興味深い本です。著者が刑務所で勤務したのは2000年4月からの3年間ですので、現在とは少し状況が異なります。
たとえば、当時は過剰収容が大きな問題となっていました。要するに、どこの刑務所も定員オーバーに悩まされていました。この点は、今では解消されています。
ところが、収容者の高齢化にともなう介護問題は当時に比べてはるかに深刻になっています。刑務所は、受刑者を選べず、受刑者が何か問題を起こしても、外に追い出すことはできない。
刑務所には、「経理夫」なる存在が刑務所を支えている。元教員や元公務員は、有能であっても刑務所内の経理夫には向かないことが大きい。
刑務所内で、「経理要員」として働くためには、特別な資質は必要としない。その要件はごく単純。健康であり、60歳未満、普通レベルの知的能力を有すること。暴力団に所属していないこと。ところが受刑者のほとんどが、作業をするうえで支障となるハンディキャップをもっている。
増加する受刑者の多くは、労働力として一般社会で需要がなくなった者でもある。刑務所の収容者の高齢化は、一般社会をはるかに上回るスピードで進行し、それにともない刑務所で死亡する受刑者も急増している。刑務所は、社会をうつし出す鏡である。
アメリカには、福祉予算の比率が低く、弱者を切り捨てる不寛容な社会(州)ほど、刑務所人口比が高いという研究がある。
収容者は、毎日、同じ時間に、同じ場所で、同じことを繰り返すのみ。彼らにとって、一日一日は長くても、ふり返ると、そこには何の変化もないから、時間が止まったかのように感じる。
刑務所生活に適応した人々のなかには、家畜同様に扱われ、外ではいきていけない。
刑務所では、食事は、収容者の最大の関心事である。私も弁護士会による刑務所視察に加わり、食事を試食したことが何回かありますが、なかなか美味しいと実感しました。
収容者の妄想も、その内容は多様である。刑務所の独居にいる限り、夢を見続けるのかもしれない。
刑務所と少年院とには本質的な違いがある。少年院では、少年を信頼し、信用することが共感の基本的な心構えでもある。これに対して、刑務所では受刑者を信用しないことが刑務官の基本的な心構えである。
刑務所とは、どのような世界なのか、よく分かる本です。
(2010年4月刊。1900円+税)

治安維持法と共謀罪

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 内田 博文 、 出版  岩波新書
アベ政権は明治150年を手放しで礼賛して、祝賀行事を大々的にしたいようです。
でも、明治維新から終戦まで、日本は繰り返し戦争をしてきました。「平和な国・ニッポン」のブランドは戦後に生まれ、なんとか定着したものです。
アベ政権の言うとおりに戦前に回帰したら、まさしく軍部独裁の暗い、人権無視の政治に変わることでしょう。
治安維持法が制定されたのは、大正14年(1925年)。治安維持令と治安維持法とでは内容が大きく異なっている。治安維持令は、言論等規制である。これに対して治安維持法は結社規制法だった。
治安維持法は1925年(大正14年)4月に公布され、5月より施行された。このとき、治安警察法も存続させる運動を展開した。
東京弁護士会は、1934年(S9年)に臨時総会を開いて、治安維持法の改正に賛成した。
戦時体制がすすむ中で、個人の権利主義は反国家的であるという風潮が強まり、自然に民事裁判は減少していった。刑事裁判についても、被疑者・被告人になったとき、個人の権利主張をしていると、反国家的であるのと同じだとして敵視する風潮が強まった。こうして弁護士の業務は目立って減り、活動範囲が狭まった。
共謀罪法が施行され、国家に異議申立することが事実上抑制されている。
戦前の治安維持法は共産党対策を名目として全面改正され、民主主義運動や自由主義運動、反戦運動の取締りに猛威をふるった。
テロ対策を口実として共謀罪が再び猛威をふるう危険がある。
戦前と現代日本とをリンクさせながら、共謀罪法の恐ろしさを明らかにした新書です。
(2017年12月刊。840円+税)

ウルフ・ボーイズ

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ダン・スレーター 、 出版  青土社
テキサス州のメキシコ国境の町に育つ少年たちが闇の社会に足を踏み入れていく経過をたどった、背筋も凍る恐ろしい本です。少年たちは、メキシコの麻薬カルテルに雇われ、対抗勢力に対する冷酷な暗殺者として働くようになりました。
ある青年はアメリカで警察官となり、麻薬摘発に生き甲斐、仕事の張りあいを感じていたが、やがて麻薬取引全体に及ぼす効果は、実はほとんどないことに気がついて、うんざりしてきた。麻薬の摘発率は、せいぜい2%から5%ほど。公式発表でも10%。密売人が逮捕され、服役する刑務所は麻薬取引の現場で押収したお金で運営され、捜査官の乗っている車は押収したお金で買ったもので、捜査官の残業代は押収したお金で支払われる。おとり捜査も、押収したお金を資金源にしていたりする。そして、いくつかある捜査機関同士が事件や資金を奪いあい、摘発やら起訴やらの功績をめぐって争っている。国境地帯での麻薬の取り締まりは、目的達成のためというより、州当局の功績のシンボルにすぎない。国境は劇場なのだ。
この町の高校に通う生徒は二種類いると校長は言う。麻薬ビジネスに進む者と、それを追いかける側になる者の二つだ。
警察の証拠保管室におかれた麻薬や現金、そして車が、別の場所で使われているということは、いくらでもあった。誘惑に負けた警察官は、もう一度やる。
密輸業者たちは賄賂をばらまいた。連邦司法警察にはいくら、そして、司法長官や警察署長にはいくらと決まった賄賂を手渡す。連邦犯罪抑止警察のボスと、連邦ハイウェイ警察のボスに対しては月に6千ドルから1万ドルを与える。警部補だと月3000ドルもの賄賂を受けとる。
メキシコでは、ペソの価値が下落するにしたがい、麻薬組織のために警護や密輸といった実際の労働を提供した。メキシコでは、警察官だけでなく、兵士までもが汚職に弱かった。
権力や階級の移り変わりが早いのが、カルテルの世界の特徴だ。刑務所を支配することが、いかに重要であるか・・・。
競馬は、資金洗浄をおこなうにはうってつけの方法だった。自分の住む地域に仕事がないと、銀行を脅して、お金を取りあげる。
メキシコの麻薬戦争のとんでもない実情が明かされます。私は見ていませんが、既に映画化されているようです。
仕事とお金がないことから、少年たちが麻薬カルテルに手先として雇われ、対抗するカルテルのメンバーを次々に暗殺していきます。死体はドラム缶に入れて灰になるまで焼き尽くします。
大物の犯罪者は逮捕されても、司法取引によって軽い罪ですみ、実行した下っ端は刑務所で一生を送ることになる。そして、少ない金額なら賄賂になり、莫大な金額ならクリーンな資金になる。
麻薬戦争の現場に踏み込んで、取材した著者によるものですから、リアリティーがありすぎるほどです。やっぱり麻薬は怖いです。人生を狂わせてしまいます。
(2018年3月刊。2400円+税)

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