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2018年1月 の投稿

不当逮捕。築地警察交通取締りの罠

カテゴリー:警察

著者  林 克明 、 出版  同時代社
 築地市場に仕入に来た寿司店の夫婦が交通取り締まりの女性警官に目を付けられ、言い合いになったところ、やってもいない暴行(公務執行妨害)で逮捕され、不起訴にはなったものの、それまで19日間も拘束されてしまった。
 納得できない夫婦は都と国を被告として損害賠償請求訴訟を提起し、事件発生から9年あまりたって240万円の賠償を認める判決を得た。その苦難の日々がドキュメントとして生々しく再現されていく貴重な本です。
事件が発生したのは2007年10月11日の朝8時ころ。逮捕されたときの被疑事実は、巡査(女性)の胸を7~8回突くなどの暴行をし、巡査の右手にドアを強くぶつけるなどして、全治10日間を要する右手関節打撲の傷害を負わせたというもの。しかし、付近にいた目撃者は口をそろえて暴行なんてなかったという。
 「被害」者である女性巡査のいう暴行の態様は、なんと6通りもある。少しずつ変化していっている。
 逮捕された男性の妻によると、女性巡査は、この妻から無視されたことに立腹したらしい。「この一帯を取り締まる権限をもつ自分たちが無視され」て気分を害したようだ。
 ええっ、これってまるでヤクザのセリフみたいなものではありませんか...。
 夫婦は巡査を被告とする損害賠償請求訴訟を代理人弁護士をつけないで提訴し、追行したが、あえなく敗訴(請求棄却)。
 そこで都と国を相手に国家賠償請求訴訟を提起する。このとき国民救援会の紹介で小部正治・今泉義竜の両弁護士に委任した。裁判が始まっても、警察も検察庁も一件記録の所在が不明だとして、提出を拒んだ。しかたなく文書提出命令の申立を6回もした。
 国賠訴訟で勝てた原因として、目撃者を4人も確保できたことは大きい。そして、目撃者を証人として調べないなど、不公平な審議をしていた裁判官を忌避していたことは効果があった。そして、さらに傍聴席を毎回満杯にできたことも大きかった。最後に、原告本人の強い意思、こんな理不尽なことをそのままにしてはいけないという信念の持ち主だったこと。それにしても警察官が事件をデッチ上げるなんて許せませんよね。
 担当した女性検事(五島真希)は現在、東京地裁判事になっているとのことです。そんなことで本当にいいんでしょうかね...。いい本です。とりわけ検察志望の司法修習生にぜひ読んでほしいと思いました。
(2017年12月刊。1800円+税)

興隆の旅

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者  中国・山地の人々と交流する会 、 出版  花伝社
 日本軍・三光作戦の被害にあった中国の村を日本人一行が訪れた記録集です。
 中国河北省興隆県は北京市の北東に位置し、三方を長城で囲まれた山深い地域。1933年の日本軍による熱河作戦によって満州国に組み込まれた。それ以降、抗日軍と日本軍の激しい攻防が繰り返された。
 興隆県は1996年まで外国人に対して未開放区だった。そこへ、1997年8月、日本の小中高校の教師集団が訪問したのです。
ここには、人圏があった。人を集中させて、八路軍を人民から隔絶させ餓死させようと考えて日本軍がったこと。人々は、着るものも食べるものもなく、すべて日本軍に奪いとられた。
 日本人訪問団は日本から持っていった算数セットをつかって算数の授業をした。授業が終わると、校庭で教材贈呈式。そのあとは子どもたちとフォークダンス。宿泊は、村内の農家に25人が分宿。ホテルも宿泊施設もない村で、25人もの訪問団を泊めるのは、村にとって一大事件だった。
日本軍の蛮行で被害にあった体験を村人が語りはじめます。本当は、今日、ここに来たくはなかった。日本人を恐れていた。でも、今日来ている日本人は前に来た日本人とは違うと言われてやってきた。
日本軍の憲兵は、中国人を捕まえて投降させ、スパイにて中国人を殺させた。男たちは全部捕えられ、女と子どもしか残らなかったので、ここは「寡婦村」と呼ばれるようになった。無人区で中国人を見つけたら、一人残らず殺す。それが当時の日本軍のやり方だった。
2010年8月まで、11回も続いた日中交流の旅でした。日本人のゆがんだ歴史認識は、その加害の真実を知らない、知らされていないことにもよると思います。私自身もそうでした。しっかり歴史の真実を知ることは、真の日中友好の基礎ではないかと思います。日中友好の旅の貴重な記録集です。
(2017年3月刊。1600円+税)

ヴェトナム戦争・ソンミ村虐殺の悲劇

カテゴリー:アメリカ

著者 マイケル・ビルトン、ケヴェン・シム 出版 明石書店
 私の大学生のころ、ベトナム戦争が真最中で、何度も何度も「アメリカのベトナム侵略戦争、反対」を叫びながらデモ行進したものです。
 ベトナム戦争が終わったのは、私が弁護士になった年の5月1日、メーデーの日でした。たくさんのベトナム人が殺されました。そして、ベトナムのジャングルで意味もなくアメリカ兵が死んでいきました。5万5000人もアメリカの青年が死んだのです。でも、ベトナム人の死者はその10倍なんかではありません。数百万人です。
 いったい何のためにアメリカは遠いベトナムに50万人もの大軍を送り込んだのか、まったく壮大な誤りとしか言いようがありません。ベトナム戦争で利益を得たのは軍需産業と一部の軍トップだけです。
 ベトナムでアメリカ軍は残虐な集団殺人を繰り返しました。それは、ベトナムの共産化を防ぐため、ベトナムの国民を共産主義の脅威から救うため、ベトナムに民主主義を定義させるためというのが口実でした。しかし、現実には、アメリカ人はベトナム人を人間とは思っていなかったのです。それは、ナチス・ヒトラーがユダヤ人を人間と思っていなかったのと同じです。
 この本は560貢もの大作です。
ソンミ村の大虐殺事件が起きたのは1968年3月16日。わずか4時間のうちに500人以上の罪なき村民が、子どもをふくめて虐殺された。犯人は第20歩兵連隊第1大隊チャーリー中隊の45人の隊員。アメリカ全土からベトナムにやってきた20歳前後の典型的なアメリカ青年たち。その出身は中流階級から労働者階級。
大虐殺事件が明るみに出て、小隊長1人だけが刑務所にわずか数ヶ月間だけ入れられ、そのあと「無罪」放免となった。むしろ、アメリカ国民の一部からは「英雄」かのように迎えられた。
このソンミ村大虐殺事件は、次のことを教えている。
戦争では、現場で戦っている軍隊に統率力と道徳的決意の明確な意義がないときには、まともな家庭の善良な若者たちでさえ、事件に巻き込まれ、罪のない無力な人々を故意に残虐に殺害するという恐ろしい悪習に巻き込まれることになる。
第1小隊の隊長カリー中尉は、無防備な老人を井戸に投げ込み射殺した。カリー中尉は、死者で一杯になった用水路から這い出てきた赤ん坊を見て、その足をつかんで穴の中に再び放り込んで射殺した。そして、ソンミ事件で有罪となったのはカリー中尉の一人だけ。1971年に重労働をともなう終身刑を宣告された。ところが、ニクソン大統領は一審判決の30日後にはカリー中尉の釈放を命じた。1974年にカリー中尉が保釈されたが、実はそれまでも基地内で特権的な自由を享有していた。
ソンミ事件で虐殺したアメリカ兵の平均年齢は20歳前後。アメリカル師団第11軽歩兵旅団の部隊であるチャーリー中隊は、ベトナムに駐留してまだ3カ月ほどしかたっていなかった。
1968年3月というと、私も彼らと同じ19歳なのです。まったく私と同じ年齢の「善良」なアメリカの青年たちが、武装していない老人、女性、子どもたちを冷酷に4時間にも及んで殺害し続けたのです。信じられないことです。しかも、強姦、肛門性交、四肢の切断など、、、。想像を絶するあらん限りの虐待を繰り広げました。
今では、アメリカ人のなかにソンミ村の大虐殺は完全に忘れ去られている。せいぜい、ベトナム戦争中に起きた不愉快な事件として、あいまいに記憶されているだけでしかない。
ベトナムでは、そうではない。ソンミ村の現場には、2階建の立派な博物館があり、毎年3月16日には、追悼式典が開かれている。
ベトナム戦争の最盛時、50万人のアメリカ兵がベトナムに滞在し、毎月20億ドルも費やしていた。世界最強の軍隊が50万人いても、侵略者は最終的に勝利することが出来ないことを実証したのが、ベトナム戦争でした。
1968年というのは、1月にテト攻勢があり、サイゴン(現ホーチミン市)にあったアメリカ大使館が解放戦後(べトコン)の兵士によって1日中、占拠されたのでした。この様子がアメリカ全土に実況中継され、アメリカ政府の言っていることは信用ならない、ベトナムから手を引けというベトナム反戦運動を一気に高掲させました。
ソンミ村で虐殺した兵士たちは正常な心理状態を奪われてしまいました。今もなおPTSDに苛まれているアメリカ人が28万人いて、12万人が治療を受けているのです。
しかし、アメリカ社会は全体として、カリー中尉たちを容認し、アメリカ兵が虐殺したことを忘れることに努めているようです。それはアメリカが戦争国家だからです。私は日本がそんな国にならないことを、ひたすら願います。貴重な本です。ぜひ図書館で借りてお読み下さい。                         (2017年6月刊。5800円+税)

オクトーバー、物語ロシア革命

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  チャイナ・ミエヴィル 、 出版  筑摩書房
 1917年10月に起きたロシア革命が刻明に再現されています。まさしく情勢は混沌としていて、決してレーニン率いるボルシェヴィキが情勢を切り拓き、リードしていったという単純なものではないことがよく分かりました。
 レーニンは始まったときにはロシア国内にいませんでした。始まったあとでドイツを封印列車で通過してロシアに帰還します。でも、それは大歓迎されることを予測してのものではありませんでした。レーニンはペトログラードに4月3日、到着する前、逮捕の危険があるのかと尋ねたほど。しかし、駅には数千人が歓迎に出迎え、花束を手渡し、敬礼した。そして、革命の遂行過程では、フィンランドへ身を隠すしかなかったのです。それほどレーニンの支持勢力は弱小だったということです。ところが、後半になって、情勢が一気に逆転していくのです。はじめて兵士と労働者が急進化して、一気に武力で権力中枢を支配するのでした。ロシア革命は決して一直線で進行していったのではなく、大変な紆余曲折があって進行します。いわば難産だったのです。
 レーニンには、並みはずれた意思力があり、それを誰もが認めた。レーニンには血や骨の髄まで、政治以外には何もない。レーニンに会った人は誰もが魅了される。レーニンが特に傑出しているのは、政治的な時期を見きわめるセンスだ。
当時のロシア皇帝・ニコライ二世を定義するのは、欠如だ。表情の欠如、想像力、知性、洞察、衝動、決断力、覇気の欠如。妻は、夫に輪をかけて人気がない。
皇帝ニコライ二世は、日本人を「猿」と呼び、劣等民族とみなしていた。ところが、楽に勝てるはずの日露戦争で、次々に日本軍に敗退する。
ロシア帝国の当時の人口は1億2600万人。人口の5分の4が土地にしばられた農民、農奴。
3月9日、臨時政府を初めて承認し、祝福したのは、アメリカだった。その次に、イギリス、フランス、イタリアが続いた。
スターリンは、古くからのボリシェヴィキの活動家。才気煥発とは言えずとも、有能な組織者だった。よく言えば、まずまず。インテリ。悪く言えば、面倒な人物、党内の左派でも右派でもない。風見鶏的存在。
7月には、レーニンはスパイだ、ドイツの手先だ、裏切り者だという噂が広まった。ボリシェヴィキは身の安全を求め、上層部の多くは、進んで身を隠した。
10月、軍事革命委員会は銀行を占拠した。そして、レーニンは権力を握ったとする声明書を発表した。そこに書かれた内容は事実ではなく、願望だった。しかし、10月26日午前5時、レーニンの声明書は圧倒的多数で可決された。
レーニンは、1924年1月、病気のため死亡。そのあと、レーニンが危惧していたとおり、スターリンの暴政が始まります。しかし、そのことにレーニンも責任を負うべきではないかという指摘があります。
それはともかくとして、ロシア革命の複雑な過程を400頁あまりの本によって、一見することができました。大晦日(12月31日)に、事務所内に一人こもって読了した本です。2017年に読んだ単行本は580冊になりました。
(2017年10月刊。2700円+税)

ウンベルト・エーコの小説講座

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  ウンベルト・エーコ 、 出版  筑摩書房
 『薔薇の名前』は驚嘆して読みました。中世の教会の馬鹿馬鹿しくも、おどろおどろしい雰囲気があまりにも真に迫っていて、背筋の寒くなるほど不気味な雰囲気のストーリー展開でした。ですから、画期的な名著であり、圧倒されてしまう傑作だと思いますが、もう一度よく読んでみようとは思わない本です。それはともかくとして、そんな偉大な傑作をどうやって書いたのか、そこはぜひ知りたいところです。なぜなら、私もモノカキを自称していますし、小説に挑戦したことがありますし、いまも挑戦中だからです。
 『薔薇の名前』を書く前に、登場する修道士全員の肖像画を作成した。そうなんですよね。私も、登場人物が10人をこえる小説を書いたときには、それぞれのキャラクターを区分けして書いたメモをつくっていました。肖像画を描く才能はありませんので、メモだけでしたが・・・。これは矛盾なく話をころがしていくためには不可欠なのですが、ストーリーが進展するなかで、どんどん人物像がふくらんでいくので、前後そして関連人物との矛盾をきたさないようにするのが大変でした。
 小説とは、何よりもまず、ひとつの「世界」に関するもの。何かを物語るために、作者はまず、世界を生み出す創造神になる必要がある。その世界は、作者が自信をもって、そのなかを動き回れるような、可能なかぎり精密な世界でなくてはならない。
書き手にとって、小説の世界の構造、つまり出来事の舞台や物語の登場人物は重要なもの。しかし、その正確な構造を読者に伝えたほうがよいとは言えない。むしろ、多くの場合、読者に対してはあいまいにすべきものである。矛盾があって、読者に探究心を呼びおこすのがいい。
 作家がひとたび特定の物語世界を構想したら、言葉はあとからついてくる。そのとき出てくる言葉は、その特定の世界が必要としている言葉なのだ。なるほど、たしかにそうなのです。ストーリー展開は、書いているうちに次々にふくらんでくのですが、それは自分の意識していない方向にペンが走っていくこともしばしばなのです。そんなことがあるから、小説の世界に意外性が生まれ、耳目を惹きつけるのかもしれません。
(2017年9月刊。2300円+税)

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