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2017年6月 の投稿

トリノの軌跡

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 脱工業化都市研究会 、 出版  藤原書店
私は、イタリアにはミラノに行ったことがあるくらいで、残念なことにローマにもポンペイにも行ったことがありません。ミラノにはスイスから特急列車に乗って行ったのですが、すべてフランス語が通用して安心でした。
トリノというと、イタリア車のフィアットの街ですよね。ところが、そのフィアットが落ち目になったあと、トリノをどう再生させるか、というのが大問題になりました。
本書はトリノ再生計画がかなりうまく進んでいることを具体的に紹介していて、日本人の私たちにも参考になります。トリノは、ミラノより西側、フランス側に近いところにあります。
トリノはイタリア北西部に位置する。晴れた日にはアルプス連峰の雄姿を眺めることができる。トリノでは、19世紀後半に、市域を南北に貫く鉄道が開発された。20世紀になると、フィアットのワン・カンパニ・タウン化が急進展し、鉄道の西側に自動車工場、その部品工場、手製鉄所などが連棟した。労働者向けの陣腐な集合住宅が立ち並び、街は灰色になった。市域は鉄道によって真っ二つに分断された。
トリノの人口は、1970年代半ばに120万人をこえたが、その後は人口減少を続け、現在は95万人。イタリア第四位の都市。
1950年代には、市内の労働者の80%以上がフィアットとその関連企業で働いていた。戦後のフィアットの急成長を支えたのは、国内移民労働者、とくにイタリア南部からの移民だった。フィアットの企業城下町だったが、巨大工場が1982年に閉鎖されると、建築家の手で商業文化複合施設にリノベーション(再生)された。
トリノでは食文化産業も注目されている。スローフードの聖地もトリノの近くにある。
トリノでは、自転車道路や遊歩道の整備といった小さなプロジェクトを結びつけて全体の改善が図られている。
2011年にトリノに居住する外国人は12.9万人。ルーマニア人が40%、モロッコ人が15%を占めている。1990年より前は南米やアフリカからの移民が多かった。しかし、今ではアルバニアやルーマニアなどの東欧からの移民が目立つ。
失業者・無業者の起業・自立を実践的に支援する取り組みがなされている。若年層や女性への支援も目立つ。
単一用途のゾーニングは、まちを単調にし、活力のない、つまらない街区にしてしまう。
市内中心部にある路上駐車場や歩道を活用(バールナイゼーション)するには、業者はその広さに相応した利用料をトリノ市に支払う。
60%の飲食店が路上駐車場・歩道をバールナイゼーションしている。
日本の都市再生にもぜひ生かしたいと思わせる具体的な提言がなされています。政権与党は共謀罪の成立を目論んだり、リニア新幹線のようなゼネコン本位の超大型プロジェクトに狂奔するばかりで、身近な町づくりのような本当に国民を守る力を育てようとしているとは、とても思えません。もっと庶民の力を育てる政治であってほしいものです。
(2017年2月刊。3300円+税)
 日曜日に仏検(一級)を受けました。いやはや難しいです。いつものことながら、知らない単語がたくさん登場してきます。動詞を名詞に変えて同旨の文章につくり直せと言われても、まるで歯が立ちません。年に2度、3時間、じっくり出来ない生徒の悲哀を味わいます。自己採点で53点(150点満)でした。
 この2週間ほど、20年に及び過去問を繰り返し復習し、NHKラジオ講座のCDを聞いて書き取り練習もしてみたのですが、いかんせん頭の劣化現象のほうが進んでいるようで、いつも単語が新鮮です(要するに忘れている)。
 まあ、それでも、フランス映画(なるべくみるようにしています)は、かなり聞きとれますし、字幕と見比べて、そういうことなのかと、一人納得したりしています。これはこれでうれしいのです。

日本のかわいい鳥、世界の綺麗な鳥

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 上田 恵介 、 出版  ビジュアルだいわ文庫
日本のかわいい鳥のオンパレードです。写真がよく撮れています。
わが家に来る鳥で、人気ナンバーワンは、なんといってもジョウビタキです。美しい頭上の銀と翼の白い斑紋が優雅。鳴きながらピョコンとお辞儀をするようにして、尾羽を振る。このとき、くちばしで「カチカチ」という音を出す。
冬島として、日本全国に飛来してくる鳥です。この本に紹介されていないのは、庭仕事をしていると、すぐそばまでやって来るということです。私が庭を掘り起こして虫が出てくるのを待っている、というのでもありません。ともかく好奇心が強くて、「何してんの?」という感じで、わずか2メートルほどのところまで近寄ってきて、尾羽を下げて挨拶するのです。その仕草の可愛さといったら、ありません。
そして、スズメです。残念ながら、下の田圃で米つくりを止めてから、わが家に棲みつかなくなってしまいました。警戒心旺盛なので、決してなつきはしないのですが、小スズメたちの朝の騒がしさがなくなったのは淋しい限りです。
さらに、メジロです。梅やイチゴの木の蜜を吸いにやってきます。まさしく目白(めじろ)ですし、ウグイス餅の色をしています。
ウグイスは6月に入ってもまだ美声で鳴いていますが、その姿を見ることは珍しいです。本当に目立ちません。ウグイス餅の色をしていないからです。
世界中のきれいな鳥も紹介されています。私が唯一楽しみにみているテレビ番組「ダーウィンが来た」で紹介された鳥たちがたくさん登場します。
写真がたくさんあって、楽しい文庫本です。
(2017年4月刊。780円+税)
 共謀罪法の成立はひどいものでした。森友・加計における安倍首相による政治の「私物化」が国会でこれ以上追及されないように、会期を延長せず、徹夜国会で問答無用式に憲法違反の法律をまたもや成立させてしまいました。その手法は、いくら国会で多数議席を占めているとはいえ、ひど過ぎます。
 私は、その日、夢を見ていました。共謀罪が廃案になったというニュースを聞いて、幸せな気分で新聞を手にとって、ガク然としてしまいました。
 映画「母」をみました。小林多喜二の母セキの物語です。戦前の治安維持法の下、特高警察に惨殺(拷問死)させられた小林多喜二は、戦争のない日本を願って活動していたために権力から殺されました。今の日本が再び「戦前」になろうとしている気がしてなりません。

城をひとつ

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 伊東 潤 、 出版  新潮社
「城をひとつ、お取りすればよろしいか」
これが本書の書き出しの一行です。うまいですね。憎いです。この本のタイトルにもなっていますが、ええっ、何、どうやって城を取るというの・・・。むらむらと湧いてくる好奇心に勝てません。
「江戸城を取るのは容易ではないぞ」
「容易かどうかは、入ってみねば分かりませぬ」
「間者(かんじゃ)は敵にばれたら殺されるが、貴殿はそれでも構わぬのか」
「命のひとつくらい懸けねば、皆さま方に信じてはもらえますまい」
小説の問答とはいえ、すごい状況ですよね。思わず息を吞んでしまいます。
城を取ると言ったのは大藤(だいとう)信基(のぶもと)。相手の殿様は、北条早雲の後継ぎ、北条氏綱。
今まで捕まった間者は顔色を読まれて捕まっている。つまり、自信をもってことにあたれば、恐れるものは何もないのだ。
江戸城内の権力抗争につけ入って、ついに内部崩壊させていく手口が鮮やかに描かれています。小気味よいものがあります。
信基は、義明の強固な自負心と年齢的な焦りを知り、その隙間に入り込み、自ら墓穴を掘らせることに成功した。その手法は見事なものです。
入込(いりこみ)とは、何者かに化けて敵や仮想敵の内部に入り込み、信用を得たうえで、味方に情報を流したり、撹乱工作をしたりすること。
戦国の時代、武士が商人に無法を働くことは極めて少ない。武力にものを言わせて商人から荷を奪えば、そのときは良くても、その武士は二度と交易ができない。必要な物資も情報も手に入らず、領内の経済が停滞し、自領でとれた米も、容易に売りさばけなくなる。
北条家中における大藤家の役割は、家伝の「入込」の技を使って相手の内部に入り込み、敵を撹乱することにある。
戦国小説の傑作の一つだと思いました。
(2017年3月刊。1600円+税)

「すずめ日誌」

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 熊谷 勝 、 出版  青青社
すずめの生態をとらえた写真集です。わが家にも、かつては2家族のすずめがいたのですが、すぐ下の田で稲作しなくなってから、姿を消してしまいました。朝、トイレに入ると、子スズメのせわしく可愛らしい鳴き声を聞くことが出来ていましたが、聞けなくなって楽しみが減りました。残念です。
庭にパンくずをまいても、前はすぐにすずめが群がっていましたが、今では2、3日、そのままのことがあります。たまにすずめ軍団が庭にやってくると、うれしくなります。
ふくらすずめ。冬のスズメはふっくらしていて、丸っこい。
スズメたちは、水浴びが大好き。冬、池の氷が少し溶けると、水浴びを始める。
スズメの砂浴びは、身体についたダニをとるため。
スズメは、休息していても、決してあたりへの警戒は緩めない。
焼鳥として食べられてきた長い歴史があるからでしょう。
スズメは、人間のすぐ近くで生活しながら、人間を以上に警戒します。そこがジョウビタキと完全に違います。
スズメの喧嘩は、けっこう激しい。そんな写真があります。そして、けんか相手に威圧されて、「参りました」と降参しているスズメの姿も写真にとられています。
オスは、お気に入りのメスや恋敵のオスに出会うと、尾羽を上げ、胸を張って自己主張する。
スズメの幼鳥たちは、独り立ちすると、幼鳥だけの群れをつくって夏を過ごす。
たくさんのスズメが群れをなして電線にとまっています。これは、幼鳥の集団だったのですね・・・。
知っているようで知らない、スズメの生態百態をとらえた写真集です。一見の価値があります。
(2017年1月刊。1600円+税)

異郷に散った若い命

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 高瀬 豊二 、 出版  オリオン舎
5月半ば群馬県にある富岡製糸場を見学してきました。世界遺産に登録されて見学者が急増したとのことでした。よく晴れた日曜日でしたが、大勢の小学生が教師に引率されて見学に来ていました。
広大な富岡製糸場の建物はよく保存されていて、一見の価値があります。一部の工場建屋では大がかりな復旧工事が進行中です。
官営富岡製糸場は、明治5年秋、フランス人指導者の下に開業した。欧米に比べてはるかに遅れていた日本の産業革命の夜明けを華やかに先端を切った画期的な工場だった。
ここで働く工女は、寄宿工女371人のうちの148人(40%)が士族出身者だった。
フランス人が赤いワインを飲むのを見て、若い娘を集めて生血を飲むのだと誤解して、応募者が少なかったという話が伝わっている。しかし、この話は疑問だ。フランスをふくめて外国人を知らない人が多い日本人が、ワインを外国人を飲むのを見たというはずはない。むしろ、これは、明治6年の徴兵令と、「血税一揆」ほうが関連しているのではないか・・・。
工女を出身別にみると、はじめは地元の群馬県出身者が多数を占めている。これに続いて、滋賀、長野、埼玉、東京、岐阜、愛知と続いている。明治14年ころからは、愛知、岐阜、大分など西南方面の人が増えている。
工女の死亡者は、明治9年から13年のあいだに集中し、明治13年の1年間に15人が亡くなっている。そして、死亡者は若い。最年少は、なんと9歳10ヶ月。最多が22歳までの17人で、次に20歳までの16人となっている。
富岡製糸所の募集要項は15歳から30歳までとなっていた。
9歳から10歳の少女たちが働いたということは小学生の年齢の工女たちがいたということです。むごいことですね。
有名な「ああ、野麦峠」は、岐阜県高山方面から長野県岡谷市の製糸工場に働きに来ていた工女が病気になって故郷に帰っていく(帰らされる)話です。
この本は墓石と過去帳で亡くなった女工たちの氏名となった女工たちの氏名と享年を明らかにしています。
日本の産業を底辺で支えて、人知れず若くして病死した女工たちの顕賞碑です。実に意義のある作業だと思いました。
官営富岡製糸所は明治26年に三井銀行の経営の移り、明治31年には工女230人のストライキがあった。そのあとの明治35年原合名会社に経営が移った。その後、片倉工業に移り、現在は、市営の施設となっている(ようです)。
私は生糸が出来る過程がようやく分かりました。今では全自動で出来るなんて、すごいことですね。
(2014年7月刊。926円+税)

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