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2017年4月 の投稿

小説・ライムライト

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 チャールズ・チャップリン 、 出版  集英社
チャップリンって小説も書いていたのですね。まさしく天才って、何でも出来るという見本のようなものです。
この本は映画「ライムライト」の制作過程も丹念に明らかにしていて、興味深いものがあります。チャップリンが打合せのときに言った言葉もちゃんと記録され、ペーパーとして残っているようです。
チャップリンは、推敲に推敲を重ねていて、その手書きの校正の過程も紹介されます。
異常なほどのこだわりがあったようです。そのおかげで私たちは超一流の芸術作品を今日も楽しむことができるわけです。
映画「ライムライト」の先行試写会が催されたのは1952年8月2日。その翌月の9月17日、チャップリンはイギリスへの船旅に出た。ところが、アメリカ司法長官はチャップリンの再入国許可を取り消した。FBIのフーバー長官と共謀して、チャップリンを「アカ」と決めつけての措置だった。
当時、アメリカでは「アカ狩り」旋風が吹いていたのですね。今でも、アメリカではその偏見がひどいようです。なにしろ、国民皆保険を主張すると、そんな人には、みな「アカ」というレッテルを貼られるというのですから、狂っています。それだったら、ヨーロッパなんて、オール「アカ」になってしまいます。とんでもないことです。
チャップリンがアメリカに渡ったのは、20年後の1972年。このとき、アカデミー特別名誉賞が贈られ、チャップリンはようやくアメリカと「和解」した。
トランプ大統領に象徴されるような、アメリカの「影」の部分ですね。
1936年、チャップリンは、ジャン・コクトーに、映画は木のようなものだと語った。
揺さぶれば、しっかりと技についていないもの、不必要なものは落ち、本質的な形のみが残る。
チャップリンが家で新しいアイデアを考えているあいだ、撮影が中断されることはよくあった。それができたのは、プレッシャーがなかったからだ。スタジオはチャップリンの持ち物であり、スタッフは常駐していたし、未使用の映画フィルムは廉価だった。
『黄金狂時代』は撮影に170日、全体で405日かかった。『街の灯』は撮影に179日、全体で683日だった。そして、『殺人狂時代』は80日、『ライムライト』は59日で撮影された。
チャップリンが延々と書きものを続ける形でアイデアを発展させ、磨きあげ、記録していく。実際には、秘書に対して長時間口述するという作業があり、そのあと出来あがったタイプ原稿に対して、チャップリンが改訂を加え、それがまた新しいタイプ原稿とさらなる改訂につながる。このプロセスが問題なく続いていく。チャップリンは、なかなか満足しない性質だった。
チャップリンのこだわりぶりは際だっていた。
チャップリンは気の利いたフレーズを手放しで喜んだし、それがとりわけ自分の創作したものであったときには、なおさらだった。
チャップリンは映画に自分の子どもたちや、妻、兄などの家族も登場させていたのですね。知りませんでした。スイスにチャップリンの邸宅だったところが博物館になっているそうですね。ぜひぜひ一度みてみたいと思います。
映画「ライムライト」は忘れていますので、DVDを借りてみてみたいと思いました。
(2017年1月刊。3500円+税)

証言・北方領土交渉

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 本田 良一 、 出版  中央公論新社
この本を読むと、日本がソ連そしてロシアから北方領土を取り戻すのに大きな障害となっているのはアメリカであり、その意向を受けて常に動く日本の外務省だということがよく分かります。
アメリカは、北方領土に続いて沖縄を返せとなるのが嫌なのです。それは、沖縄の施政権が日本に戻ってからも変わりません。大量の米軍の基地があるからです。
アメリカにとって、沖縄の米軍基地を維持するのは至上命題。
「ソ連が千島列島の重要な部分を放棄するような事態が起きれば、アメリカは直ちに沖縄の施政権返還を求め日本からの強い圧力を受けることになる」「アメリカにとっての沖縄は、ソ連にとっての千島列島よりも、もっと価値がある。このため、沖縄でのアメリカの立場を危険にさらしてはいけない」
これはダレス国務長官の言葉です(1955年3月、4月)。
そこで、日本の外務省は、アメリカの意を受けて、2島平還で日本がソ連と平和条約を締結しようとしていたのを、「4島一括返還」にこだわる口実で、つぶしてしまった。その後も外務省は4島一括返還にこだわり続け、2島返還という「柔軟」路線をつぶした。
それは、共産党へニセ情報を流したり、鈴木宗男議員の逮捕につながっていた。
4島一括返還にこだわるより、当面は2島返還を先行させたほうがいいのではないか、主権も共同主権のようなあいまいな形のものからスタートしてもいいんじゃないかと、歴史をよく知らず門外漢の私は無責任にも考えてしまいます。ところが、それでは困るんだと日本の外務省の首脳部は考えているようです。本当でしょうか・・・。
日本の外務省が、いつだってアメリカの言いなりにしか動かない現実をずっとずっと見せられ続けている私は、もっと自主性をもって、柔軟にロシアと外交交渉してもよいように思いました。
(2016年12月刊。1800円+税)

張作霖

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 杉山 祐之 、 出版  白水社
満州某重大事件とも呼ばれる日本軍による張作霖爆殺(暗殺)事件までの経緯が刻明にたどられている本です。
張作霖というと、なんとなく馬賊の頭目というイメージですが、この本を読むとなかなかの人物だったようです。中国の政争、派閥抗争史としても興味深く読みましたが、著者の筆力はたいしたものだと感嘆しました。読み物としても面白いのです。
ちなみに、最近の日本の「ネトウヨ」一味のなかに、張作霖暗殺はコミンテルンによるものだという人がいるようです。昭和天皇が、この事件の報告をめぐって田中義一首相を嫌って退陣に追い込んだ事実が明らかとなっている今日、あまりにナンセンスな説であり、ネトウヨの知的レベルの低さをあらわしているだけだと思います。
張作霖爆殺事件は1928年6月に起きたが、この事件は、日本敗戦に至る亡国の軌跡への決定的な分岐点だった。
張作霖は、1875年3月、奉天近くの農村で、雑貨店主の三男として生まれた。父親は博徒でもあった。張作霖は、13歳のころ、3ヶ月間だけ教育を受けた。要するに、張作霖は正規の教育は受けていないのです。ところが、軍の近代化など教育には熱心でした。単なる馬賊ではなかったのです。
張作霖の14歳のころ、父親は殺され、そのあと一家は生活に苦労したようです。
張作霖は、獣医を始めた。馬の治療が出来たということです。
張作霖は、誰にでも、好かれる面をもっていると同時に、激しい衝動、人を凍りつかせる冷酷さももちあわせていた。張作霖は小柄で、身長162センチだった。
張作霖が匪賊に加わったのは1897年春ころの2ヶ月間のみ。人質の見張り役をしていた。22歳のころということになります。
張作霖は、人を見きわめ、信じ、用い、報いた。徹頭徹尾、人を生かした。いろんな事業に力を入れ、稼いだお金は部下にばらまいた。
袁世凱の下に張作霖は入り、38歳の若さで中将位の師団長となった。奉天最大の武人であった。張作霖は、日本との対立を慎重に避けた。張作霖は、44歳にして名実ともに「東北王」になった。
日本政府は、張作霖を完全には信用しなかった。張作霖は、日本の支援を得たいとき、困ったときには、日本との協力を口にする。だが、張作霖は、満州で日本が権益を拡大しようとすると、表面では笑顔を見せながら、のらりくらりと、裏では頑強に抵抗した。満州では、外国人への土地家屋貸借を禁じる条例が次々に施行されていった。
張作霖にすれば、何かと口実を設けて権益を拡大しようとする日本にフリーハンドを与えるわけにはいかない。中国では親日的であることが「売国」行為と見なされつつあった。義俠を誇る張作霖にとって、中国人から売国奴呼ばわりされることは耐えられない屈辱である。
張作霖は、若いころから、ためらうことなく新兵器を採用した。機関銃を導入し、迫撃砲を外国から買いいれた。
ソ連と国境を接し、その力や冷酷さ、詐謀を目にしてきた張作霖は、ソ連と共産党を恐れ、心底から嫌っていた。
1927年6月、張作霖は北京で大元師となった。国家元首である。
張作霖暗殺のシナリオは、張作霖を殺し、治安が乱れたところで関東軍を出動させ、一気に満州を制圧するというものだった。日本の朝鮮軍から呼び集められた工兵隊が橋脚の上部に200キロの黄色爆薬を仕掛けた。張作霖の乗っていた車両は吹き飛ばされ原形をとどめていなかった。張作霖は10メートルも飛んでいたが、まだ生きてはいた。亡くなったのは4時間後だった。起爆スイッチを入れたのは、鉄橋から300メートル離れた監視所にいた独立守備隊の東宮(とうみや)鉄男(かねお)大尉だった。亡くなったとき、張作霖は53歳だった。日本軍は爆破「犯人」として中国人3人を捕まえようとして2人を殺したが1人に逃げられた。この3人は日本軍に騙されたカムフラージュ用の浮浪者だった。逃げた1人は、張学良のもとに駆け込んで、すべてを話した。
張作霖を抹殺すれば満州問題は解決するというのは河本大佐らの甘い期待は、妄想でしかなかった。
日本政府は、日本軍の手による暗殺事件だと判明しても、それを発表することは出来なかった。国際社会からの批判を恐れて、満州某重大事件として、あいまいにしてしまった。
やはり、正すべきときに正しておかないと、あとで大変なことになるというわけです。
今の「森友学園事件」だって、権力行使の事実を明らかにすることが何より大切なことで、うやむやにしてはいけないということです。
大変な力作ですので、戦前の満州に関心のある人は強くご一読をおすすめします。
(2017年4月刊。2600円+税)

貧困クライシス

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 藤田 孝典 、 出版  毎日新聞出版
日本で貧困が広がり続けている。それも驚くほど速いスピードで。あなたも、気がついたら、身近に迫っていて、身動きできなくなっているかもしれない・・・。恐ろしいことです。
子どもの貧困は見た目では分からない。自分は誰にも大事にされていない。存在があってないようなものだと感じる。そんな子どもたちが日本各地にひっそりと生活している。
健康で文化的、そして人間らしい生活ができない。相対的貧困が拡大している。
私が大学生だったころ、つまり50年も前に、絶対的貧困と相対的貧困の違い、そして、今、どちらも進行しているのではないかという議論をしていました。この議論が50年後の現代日本にも依然として生きているというわけです・・・。
民間企業で働く人の平均年間給与は、1997年に467万円だったのが、2015年度には420万円と、50万円近くも下がっている。
公務員バッシングをして、自分たちの公共サービスを削減している。市民が自身の生活に深い関係のある公務員労働者を減らし、自分自身を、より厳しい状態に追い込んでいる。日本では、現在の公務員労働者の数は、すでに異常なほど少ない。
非正規雇用は、正規に比べて糖尿病合併症のリスクが1.5倍も高い。そして、教育年数が短い低所得の高齢者ほど、要介護リスクも大きい。経済力によって、病気のリスクや寿命に格差が生じる。
所得が低いほど食生活や健康に費用や時間を割けず、栄養状態も不良で、その結果、健康を損なう確率が高い。これでは自己責任だとは言えない。
まだ下流に落ち込んではいないと、少なくとも自分では思っている層が、下流を警戒し、憎むという構図になっている。
介護保険も生活保護も、申請主義である。なので、人様(ひとさま)には迷惑をかけられない、かけたくないという人は、手を伸ばしにくい。
日本とイギリスではホームレスの定義が異なっていて、イギリスの定義によれば、今の日本には膨大な人々がホームレスになっている。ネットカフェ難民は、立派なホームレスなのだ。
65歳以上の高齢者が刑務所に入るのが、この20年間ほぼ一貫して増加している。2014年は、1995年と比べて総数で4.6倍に、女子では実に16倍に激増した。女子の場合、罪名の9割が窃盗、うち8割が万引。
著者は、プライドを捨て、「受援力」をもというと呼びかけています。大切な呼びかけです。
そして生活保護は「相談に来ました」ではなく、はっきり「申請します」と言うことだとアドバイスしています。必要なことです。
社会のみんなで困っている人を温かく支えあう。それが社会の正しいあり方ですし、正しい税金のつかい方なのです。遠慮することなんかありません。
歯切れのいい新書です。一読をおすすめします。
(2017年3月刊。900円+税)
パキスタン映画『娘よ』を東京の岩波ホールでみてきました。先輩の藤本斉弁護士と、ばったり顔をあわせて驚きました。
パキスタンの山奥には多くの部族が割拠し、対立、抗争、復讐の連鎖による殺人が絶えない。女の子たちは15歳で親の言いなりに政略結婚させられる。しかし、王子様との結婚を夢見るばかりの可愛い我が娘を、敵対する老部族長の嫁に差し出すなんて耐えられない。母親は娘を連れて村を飛び出す。
この映画の主役の母親と娘の美しさと気高さには思わず圧倒されてしまいます。そして、行きかかりで母と娘の逃避行を助けるトラック運転手役の男優も格好いい限りでした。パキスタンの困難な状況の下でも、女性が活躍を切り拓いているからこそ、こんな素晴らしい映画が出来たのでしょう。

現代日本の官僚制

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 曽我 謙悟 、 出版  東京大学出版会
現代日本の官僚制において、政治任用や権限委譲の制限といった統制の程度は低い。これは、官僚制の側が戦略的に政治介入を防御している結果である。
現代日本の官僚制は、統治の質は高いが、その代表性はきわめて低い。世界的にみて、これは特異な状態である。この特異な姿は、政治介入の可能性に対して、あくまで政策形成者としての能力に特化することで介入の実現を防ごうとしてきたことの帰結である。
しかし、代表性が弱いことは、官僚制に対する人々の信頼の低さの一つの要因と考えられる。ここでいう代表性とは何なのか・・・。女性比率が高いほど、代表性は高いと考えておく、という文章があるように、女性や民族・宗教的代表性のことを指しているようです。
今日でも、女性の公務員はあまりに少ないように思われます。
「私人」のはずの昭恵夫人の付き人として国家公務員が5人(全員が女性)も存在していたとは驚き以外の何者でもありません。そして、彼女らは、なんと昭恵夫人と同じようにハチマキ姿で自民党の候補者の応援運動を街頭で公然としていたのです。私もネットで流れている写真を見ましたので間違いありません。明らかに国家公務員法違反です。これが革新候補の応援だったら警察が有無を言わさず逮捕して、自宅のガサ入れ、そして長期拘留になったはずです・・・。政権与党なら、何をやっても許されるというのであれば、日本は法治国家とは言えなくなります。
この本を読んでいて違和感があるのは、私にはまるで理解不能の数式が何回も登場してくることです。その解説が「自然言語」で説明されていますが、これまた私にはさっぱり理解できません。一般向けの本(と、私は思って買って読みました)に、なぜ数式が頻出するのか、これこそ学者の自己満足ではないのか・・・、そんな不満を覚えてしまいました。
日本男官僚制の実態の分析、そして問題点を指摘し、その改善に向けた処方箋を期待して私は読みすすめたのですが・・・。
内閣府の職員数は1200人から1300人。併任者が増えていて、この15年間で3倍、500人となっている。内閣府がより恒常的な政策の運営を所管している。
内閣官房には、職員、常駐の併任者、非常駐の併任者が、ほぼ同数の1000人ほど存在する(ということは3000人いる・・・)。
内閣官房は、今や新規立法活動の中心にある。この15年間で合計80の新規立法に関わり、第2位の国交省の60強、第3位の総務省の60弱とは大きな差をつけている。
内閣官房の比重の増大は、財務省や経財省の機能と併存している可能性が強い。
官僚になってもいいかなと一時的に漠然と考えたこともある私ですので、日本の官僚制と長所と短所について自然言語で諸外国と比較してほしいと思いました。労作ですが、難解すぎて、いささか不満を覚えてしまいました。
(2016年12月刊。3800円+税)

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