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2017年2月 の投稿

乱読のセレンディピティ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 外山 滋比古 、 出版  扶桑社文庫
セレンディピティとは、思いがけないことを発見する能力のこと。
乱読によって、面白いアイディアが得られる。
夜ねているうちに当面、不要と思われるものが分別されて、廃棄、忘却される。頭のゴミ出しのようなものである。朝、目が覚めたとき気分が爽快なのは、頭のゴミ出しがすんだあとなので、頭がきれいになっているからだ。
まったく忘れることが出来なかったら、人間は生きていられないだろう。それを忘れていられるのは、忘却のおかげである。
どんどんものを忘れるのは健康な証拠。頭をきれいにする、はたらきやすくすることで、忘却は記憶以上のことをすることができる。知識によって人間は賢くなることができるが、忘れることによって、知識のできない思考を活発にする。その点で、知識以上の力をもっている。これを創造的忘却、新忘却と呼べる。
私は、この書評を書くことによって文章力を身につけると同時に、安心して忘れることができます。
本は買って読むべきである。私も同じ考えです。
自分の目で選んで買ってきて、読んでみて、しまった、と思うことのほうが重い読書をしたことになる。人からもらった本がダメなのは、その選択ができないから。
図書館から借りた本だと、読んでいる本に書き込みが出来ません。私は、それでは困るのです。
広く知の世界を、好奇心にみちびかれて放浪する。人に迷惑がかかるわけではないし、遠慮は無用。20年、30年と乱読していれば、ちょっとした教養を身につけることが可能となる。
私も乱読を始めて、もう40年になります。この書評を始めてから16年を過ぎました。好奇心というのは、どこまでいっても尽きないものだと、我ながら驚嘆しています。
さっと読める手頃な文庫本でした。さすが、乱読の大先輩だけあって、含蓄あふれる指摘がいっぱいです。
(2016年10月刊。580円+税)

大統領を操るバンカーたち

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者  ノミ・プリンス 、 出版  早川書房
 アメリカの政治が財界によって動かされてきたことを実証している本です。銀行家がアメリカの大統領を背後から操っていたのです。日本でも同じことが言えるのでしょうか・・・。
1929年の大暴落から2008年まで、銀行家たちが民主的に選ばれたリーダーではなく、君主的なリーダーとして、アメリカを支配してきた。これらのエリート銀行家たちは、今日もなおアメリカの金融システムを動かしている。
アメリカの偉いところは、アメリカの政治の根幹に関わる文書が国立公文書記録管理局や大統領図書館に保管され、分類され、一般にも公開されているところです。
 1933年3月4日、FDR(フランクリン・ルーズベルト)大統領は就任演説で、次のように述べた。
「恐れる必要があるのは、恐怖そのものだけだ」
 この当時のアメリカでは1400万人が失業しており、900万人が蓄えを失っていた。FDRは、1933年5月、連邦緊急救済局を設立した。公共事業プログラムによって、失業した人々にさまざまな政府の仕事を提供した。1935年、公共事業促進局と社会保障局に引き継がれた。
 FDRは、銀行業に対する国民の信頼を復活させた。資本主義を下支えし、銀行家たちの賛同を得つつ、彼らを自己破壊的な行動から抜け出させた。
 さらに、銀行産業の世代交代を促進した。銀行業界は反撃したが、FDRは屈しなかった。FDRは銀行業界に対して、過去のどの大統領よりも大きな力をもっていた。議会や一部の主要銀行家の支持はもちろん、国民の支持も得ていた。
 ニューディールの第二段階で、FDRは社会保障法によって退職者や障がい者のためのセーフティーネットを導入した。このとき失業保険プログラムも創設した。
これに加えて、FDRは富裕層に対する積極的な増税を実施した。最高税率が25%から63%に引き上げられた。1942年には税率は82%へ、1944年に94%に引き上げた。そして、法人税のほうも31%を40%に引き上げた。銀行家たちは怒り、FDRの敵となった。
1936年の大統領選挙で、FDRは大企業や最上層の金融資本家を声高に批判し、圧倒的な国民の支持を得て再選された。
1939年9月、イギリスがドイツに宣戦布告したとき、ニューヨーク証券取引所には買いが殺到し、史上最大の債券取引高を記録した。このとき、戦争は経済的恵みになると投資家たちは考えた。戦争はヨーロッパの競争相手に打撃を与え、アメリカの資金と金融サービスを世界の金融ピラミッドの頂点にしっかりと位置づけたのだ。
戦争はもうかるもの。銀行家たちは戦争を好ましいものと考えるというわけです。実におぞましい存在です。そんな輩が国を間違った方向へひっぱっていくわけです。
(2016年11月刊。2700円+税)

砂漠の豹、イブン・サウド

カテゴリー:アラブ

(霧山昴)
著者  ブノアメシャン 、 出版  筑摩書房
 サウジアラビアの建国史です。1990年12月の発行ですから、今から25年も前の古い本です。書棚にずっと眠っていた本ですが、サウジアラビア王国のことが気になって読んでみました。
 著者は1901年生まれのフランス人ジャーナリストです。ヴィシー政権で大臣をつとめたこともあって、戦後、戦犯裁判で死刑の宣告も受けています。
 著者がイラクやエジプトなどで会った(1960年より前のこと)政治家は、その後、暗殺されたり、処刑されたりしています。そうでなくても、イラクのように劇変を遂げました。それはともかくとして、現在のサウジアラビア王家を創設したイブン・サウドの生い立ちから王の座に就くまでは、まさしく血なまぐさい激闘の歴史でした。
 イブン・サウドとは通称で、本名はアブドルアジズ(「力のしもべ」という意味)といいます。
「天国は前にあり、地獄は背後にあり」
 これはアラブの熱意を燃やすために定められたコーランの規定であり、このように断定して、結束させる号令になっている。
イフワンとは、武士の兄弟のちぎりのこと。教友。
イブン・サウドは一家の長男ではなかった。二人の兄、ムハンマドとアブダラーがいた。その二人の兄が戦闘のなかで殺されてしまったことから順番がまわってきた。
 砂漠のなかの戦いは常に容赦がない。敗者は決して勝者の寛容をあてにしてはならない。脅かされている場合には、こちらから先手を打って出なければならない。
 兄二人が敵に殺されるときには、イブン・サウドはその現場にいて、黒人どれいの脚のあいだから震えつつ見ていた。
 アラブの部族は、砂漠の砂に似ていた。その一つ一つは完全に独立している。砂のように、こぶしのなかに握りしめることはできるが、それを固めてひとつのかたまりとするのは難しい。握っている力がゆるめば、砂の粒は指の間からこぼれ落ち、ぱらぱらになって、以前と同じく独立した、小さな独立した単位にもどってしまう。
 大部分のアラブは、忠節あるいは理想によってイブン・サウドを支持したのではなかった。打算から味方についただけなのである。
イブン・サウドを狙った暗殺国19人を処刑するとき、18人まで斬首したあと、19人目は、殺されず、解放された。見たことを広く、多くの人々に語れ、ということである。
 イブン・サウドは大胆な武人だったようです。イブン・サウドは、もちろんイスラム教徒ですが、その宗派はワハブ派です。
 イブン・サウドは、トルコのケマル・アタチュルクと同世代の人物であり、それぞれの国を近代生活のレベルにまで引上げようと試みた点は共通しているが、ケマルはスルタンを追放し、宗教を政治から切り離そうとした。それに対してイブン・サウドは、イスラムの純化を唱えるワハブの教えを広め、みずから政教両面のあるじとなって国家統一の基礎を築いた。
 イブン・サウドはまた、「アラビアのロレンス」とも同時代を生きています。イギリスとの関わり方は、大変むずかしかったようです。
 いろいろ知らないことばかりでした。建国史というのは古代日本もそうですが、血なまぐさい話のオンパレードですね。
(1990年12月刊。2400円+税)

進駐軍が街にやって来た

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  堤 淳一 、 出版  三省堂書店
 私の敬愛する東京の先輩弁護士が書いた本です。日弁連の弁護士業務委員会でご一緒させていただきました。
 年に2回、盆暮れに事務所報を送っていただきますが、その歴史読み物は秀逸です。ともかく半端な掘り下げ方ではありません。よくもここまで調べたものだと驚嘆しています。
 弁護士生活50年を迎え、これまで所報に書いた文章を選び出して一冊の本にまとめられています。有事法制や日本の防衛問題の点では著者の考えは私と一致しませんが、その指摘には、なるほどというところがたしかにあります。
 著者は居合道を55歳で始めて、今も続けているとのこと。すごい粘りです。今では三段です。
居合道では、敵は頭の中で想定されたもので、実際にはいない。要するに居合は形(かた。所作)を修業するのであって、居合において斬突する相手はイメージである。
 ガリ版、そして「ガリ版をきる」という懐かしい話も出てきます。私も大学生のころは、必死で「ガリ切り」をしていました。コピー機なんて、なかったころの話です。
そして、この本の白眉は、横浜大空襲と飢餓の体験談です。
 アメリカ軍のB29が昭和20年(1945年)4月、5月、横浜を襲いかかりました。当時37歳のカーチス・ルメイ少尉が指揮する大空襲でした。このカーチス・ルメイは、まさしく「大放火魔」と言うべき人物であり、ベトナム戦争では「ベトナムを石器時代に戻すと高言し、実行しました。アメリカ軍は、昭和20年以降は4~5000メートルの高高度から、もっぱら焼夷弾をもって民家を焼き払うことを狙った。
ところが、戦後の日本は、こともあろうに「大放火魔」のカーチス・ルメイに勲一等という大層な勲章を与えているのです。日本政府には信じられないほど、アメリカ人へのおべっか使いばかりです。日本の政治がアメリカにこれほどまでに従属しているかと思うと、思わず泣けてしまいます。
戦後の日本において、子どもたちの遊びが絵入りで紹介されています。懐かしい思い出がたくさんで、ありがとうございました。
(2016年11月刊。2000円+税)

児童相談所における子ども虐待事案への法的対応

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  久保 健二 、 出版  日本加除出版
 著者は福岡県弁護士会に所属する弁護士ですが、現在は福岡市の一般職員として子どもセンターの緊急支援課の課長として勤めています。その経験を生かした本です。
 児童相談所に常勤の弁護士が存在する第一の意義は、即応性。虐待事案では、一時保護や立ち入り調査など緊急に対応すべきことが少なくない。常に現場にいて職員とともに活動し、法的助言もまさに現場で即時に対応できる。そのことによって職員の法的革新にもとづく業務や心理的負担の軽減に寄与することができる。
 弁護士が常勤していることによって、隠れた法的問題を指摘してトラブルに対して予防的に対処することもできる。常勤弁護士は児童相談所の業務の適法性だけでなく妥当性を確保することができる。
著者は、児童相談所に警察官が常駐するのを当然としていいものかと問いかけてもいます。私も、この疑問は正当だと思います。
 面前DVというコトバを私は初めて知りました。子どもがDVを目撃することのようです。それは子どもの心理面に影響を与え、心理的虐待に該当する。とはいえ、面前DVは、ほかの虐待事案と比べると、子どもの安全自体は確保されていることが多いので、緊急に子どもの安全を図る措置をとらなければいけない事案は多くない。すべての面前DVについて、一律に同じ対応することは、児童相談所の乏しい人員体制を考えると、効果的な配分とは言えない。なーるほど、たしかにそうなんでしょうね。ひどい直接的虐待事案が優先されるべきなのですよね。
 ネグレクト事案のときには、具体的に何が不適切なのかを示さなければ、保護者が改善を図るのは難しい。不適切養育を具体的に指摘して、改善を促す必要がある。
 全国にいる里親(さとおや。養育里親として登録されている人数)は7900世帯で、実際に委託されているのは2900世帯。子どもの実数は3600人。児童養護施設は定員3万3000人のところ、現員は2万8000人(入所率84%)、児童自立支援施設は定員3750人に対して現員1400人(入所率37%)。
 ネグレクトは、必要な食事を子どもに与えないとか、必要な医療を受けさせないというだけでなく、子どもの不安に親がきちんと対応してやらない、不安を解消して子どもが情緒的に安定した生活が送れるようにしないで、放置し続けるという情緒的ネグレクトもある。その結果、子どもが親から安心を得ることができず、情緒的に不安定ななかで生活することになり、成長の過程で、家出や深夜徘徊、万引きなどの問題行動としてあらわれることがある。
 なるほど、そういうことですね。表情の乏しい大人を見ていると、きっとこの人は子どものときに親から愛情たっぷりにかまってもらえなかったんだろうなと私は見ています。
 児童相談所をめぐる法的諸問題のほとんどを網羅していますので、いわば百科全書のように実務上すぐに活用できる本になっています。著者の引続きのご健闘を期待します。
(2016年10月刊。3900円+税)

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