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2017年2月 の投稿

一歩前へ出る司法

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 泉 徳治 、 出版  日本評論社
裁判所、とりわけ最高裁判所の内幕を知ることのできる大変興味深い本です。
正確には憲法学者を前に語った本ですが、著者は、最高裁の事務総長を経験して最高裁判事になったという、エリート中のエリート裁判官です。
ところが、弁護士になってからは自ら東京都議会議員定数是正訴訟で原告となるなど、憲法秩序をたもつためには裁判所は憲法を盾にして一歩前に出るべきだと声を大にして訴えています。そして、この訴えを、裁判官のときから実践していたことがこの本を読むとよく分かります。
著者は、裁判所は議会の立法裁量や政府の行政裁量の陰に隠れてはいけないと何回となく繰り返し強調しています。
裁判所のなかに、憲法で課せられた司法の役割に対する認識が十分に育っていない。憲法施行後70年の歴史のなかで、裁判所が法律や行政処分を違憲と判断したのは、わずか20件に過ぎないことがそれを裏付けている。
そして、国連の定める自由権規約について、条約に違反する法令は無効とすべきであるのに、現在の裁判実務は、条約適合性の審査を欠落させている。
日本の裁判所は、憲法より法律を重視し、法律解釈で立法裁量を最大限に尊重し、法律に適合するならば、憲法違反とは言えないとし、条約は無視している。このような現状は早急に改められるべきである。
私もまったく同感です。この指摘を受けとめ、広めるためにも、本書が広く法曹全般に読まれることを願います。
著者は、最高裁の司法行政部門と裁判部門の双方を知り尽くした存在である。司法行政部門では最高裁事務総長をつとめた。裁判部門では、調査官と最高裁判事を経験している。そして、最高裁判事としては、多くの個別意見を表明した。
この本を読むと、かつての自分の考えが誤りだったものもあるというのを著者は率直に認めています。たいしたものです。
著者は「ミスター司法行政」とも呼ばれる矢口洪一最高裁元長官の下でも長く働いていて、共通点と相違点があることを明らかにしています。
矢口裁判官は裁判官は少数精鋭でよくて、増員反対、むしろ弁護士からの任官者を増やせと言う考え方。これに対して著者は、裁判官を増員して裁判の迅速化を図るという考え方。
裁判官の外部研修について、著者はそれによって裁判所が準行政庁的機関になることがあってはならないと強調しています。外部研修によって、統治機関としての意識を強くして帰ってくる人がいないとも限らないからだという理由です。なるほど、その心配は的中しているかな、そんな気がしています。
著者は、再婚禁止期間の違憲判断は当然であり、夫婦同姓強制の合憲判断は間違っていると明確に断言しています。その論理はきわめて明快です。
多数決原理で個人の人権を無視することは許されない。
憲法を単なる要請、指針である、憲法は裁判規範ではなく、プログラムであるという最高裁の姿勢を強い口調で批判しています。
社会全体としては同一氏で規格化したほうが便利かもしれない。しかし、多少の不便は我慢しても個人としての生き方を認めていくべき。個人としての生き方が集団の中で押しつぶされてしまってはいけない。
現在の裁判官再任審査について、著者は次のように述べています。
下級裁判所裁判官指名諮問委員会の諮問を経て再任拒否が行われるようになったが、これには弁護士会側が会員から集めた情報が反映されており、当事者を強い調子で叱りつけるといった、訴訟指揮が乱暴であるとか、裁判の運営の仕方が問題とされるケースが多い。
記録を読んでいるとは思えない裁判官、形式的な枝葉にばかりこだわって大局観をもって臨んでいるとは思えない裁判官、強いものに弱いくせに弱い者には強い裁判官、まったくやる気の感じられない裁判官など、私も40年以上の弁護士活動で何度となく絶望的な心境になったことがあります。ですから、たまに当事者双方の意見をよく聞いて、なるほどと思える訴訟指揮をする裁判官にあたると、宝くじのように大当たりだと思ってしまうのです。
著者は最高裁による青法協攻撃を是認はしていませんが、その深刻な内情をあまり知らないのか(本当に知らないとは思えないのですが・・・)、やんわり批判するにとどめています。
青法協問題というのは、偏向裁判という外部からの攻撃をかわすために、最高裁が裁判官に対し、裁判所攻撃の口実を与えるような行動は慎むよう求めた、それが裁判所内にやや重苦しい雰囲気をもたらした、その後は、偏向裁判という攻撃も薄らいできたので、最高裁があれこれ言うようなこともなくなってきたということ。
しかし、私は「裁判所内にやや重苦しい雰囲気をもたらした」程度ではなかったと考えます。結局、裁判所のなかに青法協会員が一人も入らなくなったというだけでなく、憲法価値を裁判に活かそうと志向する人は裁判所という「暗黒世界」に足を踏み入れようとは考えなくなり、著者のいう統治機関としての意識ばかりの強い人が支配する硬直した組織になってしまったのではないでしょうか・・・。
著者は最高裁の裁判官に三人くらいは、物事の本質を見ようとする人、官僚的な発想にとらわれない人が必要だと強調しています。
いまの最高裁長官と同期(26期)で惜しくも最高裁判事にならなかった園尾隆司さんについて、著者は高く評価しています。民事裁判を柔軟で使いやすいものにしなければならないという考え方の持ち主で、大変才能と機知に富んだ人だ。「才を秘めた人」というより「才があふれ出ている人」なのである。
園尾さんは、学生時代に私と同じようにセツルメント活動をしていました。また、落語研究会(オチケン)にも入っていたとのことで、裁判官の仕事をしながら高座に出ていたというのでも有名です。破産法の運用について大胆な手法を取り入れた実績もあり、その解説を弁護士会主催の講演会で聴いたとき、固い話を笑わせながらわかりやすく話すのは、さすが「オチケン」出身だと感嘆したことでした。
著者は、自分のことを保守的な人間だと思うとしつつ、保守派でもリベラル派でもないとしています。
最高裁が違憲判決を出したのは、それが与える影響の非常に少ないケースのときに限っている。果たして、裁判所はそれでよいのかという疑問を投げかけています。
放送の自由をめぐっても、裁判所は、もう少し敏感になって権力側に自制を求める必要がある。いまの最高裁には官僚派の裁判官が大勢を占め、社会秩序重視の判決が多くなっている。
私としては異論のあるところもいくらかありましたが、全体としては、エリート裁判官として歩いてきた割には、憲法価値と少数者の人権擁護を守る裁判所の役割を強調するなど、かなり思い切った発言をしていると驚嘆しました。一読に価する本として、法曹三者に限らず広く読まれてほしいものです。
(2017年1月刊。2700円+税)

少年が来る

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者  ハン・ガン 、 出版  クオン
 1980年5月18日。韓国全羅南道の道庁所在地である光州で、市民による自発的な民主化闘争が戒厳軍によって無惨にも武力鎮圧される事態が起きました。いわゆる光州事件です。当時、日本のマスメディアは手のつけられない暴徒を軍部がようやく鎮圧したと報道し、まるで、市民が暴徒化したのが悪いかのように描いたのでした。
 なにより厳重な情報統制により、詳細かつ正確な情報が日本に入ってこなかったのです。私自身も何か大変なことが韓国で起きているけれど、何が起きているのか分からないという、もどかしい思いで一杯でした。
 光州事件の真相が広く知られるようになったのは、7年後の1987年6月に軍部出身の廬泰愚(ノテウ)大統領候補が民主化宣言をしてからのことです。
 この本は光州事件をテーマとする小説です。いろんな手法で事件の真相、実情にアプローチしていますので、小説の作法として目新しさを感じました。
 軍人が殺した人々に、どうして愛国歌をうたってあげるのだろうか。どうして対極旗で柩を包むのだろうか。変だと感じた。まるで、国が彼らを殺したのではないとでも言うみたいだ。軍人が反乱を起こしたんじゃないの、権力を握ろうとして。真っ昼間に人々を殴って、突き刺して、それでも足りないみたいに銃で撃ったのを見たでしょ。そうしろって、彼らが命令したの。そんな彼らを、私たちの祖国の人たちだと、どうして呼べるのか・・・。
 機関銃と戦車がある精鋭部隊の戒厳軍が、朝鮮戦争のときに使っていたカービン銃をもっている市民軍を怖がるなんて考えられない。作戦の段取りをしているだけのこと。
軍人が撃ち殺した人たちの遺体をリヤカーに載せ、先頭に押したてて数十万の人々とともに銃口の前に立った日、不意に発見した自分の内にある清らかな何かに自分で驚いた。もう何も怖くはないという感じ。いま死んでもかまわないという感じ。数十万の人々の血が集まって、巨大な血管をつくったようだった新鮮な感じを覚えている。その血管に流れ込んでドクドクト脈打つ、この世で最も巨大で崇高な心臓の脈拍を感じた。
この日、軍人に支給された弾丸は80万発。当時、光州の人口は40万人。光州にすむ都市全住民に2発ずつ死を打ち込むことのできる弾丸が支給された。
 できる限り過激に鎮圧せよという命令が下っていた。そして、特別残忍に行動した軍人には、軍の上部から数十万ウォンずつの褒賞金が渡された。
 畜生のアカどもめ、降伏するってか、命が惜しくなったってか、くそったれめ、いかす映画みてえじゃないか。
両手をあげて前にすすんできた五人の生徒たちをM16自動小銃で撃ちまくった。
 特別に残忍な軍人がいたように、特別に消極的な軍人もいた。人に弾を当てないように銃身を上にあげて撃った兵士たちがいた。軍歌斉唱のとき、最後まで口をつぐむ兵士もいた。
 光州事件の実際をまざまざと思い起こさせてくれる小説集です。
(2016年10月刊。2500円+税)

実践!刑事弁護・異議マニュアル

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  大阪弁護士会刑事弁護委員会 、 出版  現代人文社
 私の世代には刑事弁護から足を洗ったという弁護士も少なくありませんが、私は当番弁護士も被疑者・被告人国選弁護も引き受けています。常時1件は担当している状況です。国家権力と対峙する弁護人の職責を忘れたら弁護士ではなくなる気がするのです。私選刑事弁護はたまにしか依頼がありません。その数少ない私選刑事弁護人として、最近のことですが、被告人質問していると、情状弁護なのに検察官が異議を出してきて驚きました。私が質問時間の短縮のために一覧表を示したところ、根拠条文は何かと若い検察官が口をはさむのです。記憶喚起のために必要だと答えたところ、裁判長も助け舟を出し、検察官はすぐに撤退し、私はそのまま尋問を続けることが出来ました。
 刑訴規則199条の11によると、裁判長の許可を受けたうえで書面を示して尋問できるとなっています。よく覚えていないのですが、このとき、私が裁判長の黙示の許可で一覧表を示した点を検察官が突いてきたのかもしれません。このときは、事実を争うケースではなく、情状に関連する事情を強調したかっただけでしたし、尋問の流れを詳細に準備していましたので、検察官がチャチを入れたからといって、動揺することもありませんでした。しかし、異議が出ると、たいていは調子が狂ってしまい尋問の流れがしばらくギクシャクしてしまうものです。つまり、法廷での異議は、それが認められるかどうかよりも、大変な効果のある「武器」なのです。
この本は、その異議について、きわめて実践的な解説本になっています。
異議は、時宜に応じて適切に申立することが必要である。明らかに不適切な異議は、訴訟の進行をもっぱら阻害し、裁判官・裁判員の信頼を損なってしまう。
異議を述べるときには、起立して行なう。そして、理由を簡潔に述べ、裁判所が裁定するまで着席しない。決して感情的にならず、あくまで冷静な口調で異議を述べ、その理由を明らかにする。
異議を申立しにくい心理に陥らないためには、早めに何度か異議を言っておくこと。中心争点に入る前に異議を述べるのは有効である。
異議申立の効果は、①検察官が慎重になって、誘導尋問が減る。②裁判所が尋問の内容に敏感になるとともに、異議の裁定に慎重になる。③弁護人として、ためらいなく異議申立てできるようになる。
ただし、証人が検察官の誘導尋問によって自己矛盾供述を始めたときには異議を述べずに自由に証言をさせるほうがよい。
検察官の異議に理由があると思ったら、速やかに撤退して質問を変える。
裁判所の尋問に対しても異議申立は許される。裁判官であっても、誘導尋問や、誤った心証を導く危険性のある尋問をする可能性があるのは当事者と同じなので、裁判所による尋問に対しても異議が認められるのは明白である。当然のことです。
 最後に、刑事弁護人として高格な後藤貞人弁護士へのインタビューが紹介されていますが、なるほどと思わせる内容でした。
 異議申立をしにくい理由は三つ。一つは、瞬時に判断して行動しなければならないのが難しい。二つは法文の知識が欠けている。三つには、異議申立に理由があったとしても、戦略上それを行使すべきか判断が難しい。
 被害者が参加している法廷では、攻撃せず、防御に専念したほうがいい。
 刑事裁判の法廷にのぞむ前に読んでおくべき本の一つだと思いました
(2012年5月刊。1700円+税)
郵便受けに白い大型封筒が入っていました。仏検(準一級)の合格証書が送られてきたのです。これで5枚目です。
筆記試験もさることながら、口述のほうが思わしくないのを反省して、毎朝の書き取り練習に加えて、金曜日の夜は、仏作文に挑戦することにしました。翌朝のフランス語教室で発表してフランス人教師から添削してもらうのです。思ったように単語が出てきませんので、辞書を片手にフランス語で文章を書き、自由に話せることを目ざします。
古稀も近づいてきましたので、ボケ防止策として、がんばっています。

BABY

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者  アンジェラ・セレナ・イルドス 、 出版  日経BPマーケティング
 動物の親子の生き生きとした表情が見事に撮られている写真集です。
 人間の赤ちゃんも可愛いですが、動物の赤ちゃんはみんな愛くるしいばかりです。
ヌーの赤ちゃんは、生れ落ちて5分後には立ちあがり、翌日には大人たちとあまり変わらないスピードで走る。ヌーは、危険一杯のアフリカのサバンナで生きているため、捕食者のえじきとなる危険を少しでも少なくするため、メスが一斉に妊娠し、出産する。
 ゾウの妊娠期間は22か月。出産のときには群れのメスたちが助産婦のように集まり出産を見守る。そして、赤ちゃんが生まれると、胎盤を取り除いたり、砂浴びをさせて立ちあがるのを助けたり、いろいろ世話をして、産後の母ゾウに休息の時間を与える。
 ホッキョクグマの母グマが子どもの世話をするのは2年半。オス(父親)と一緒にいるのは、わずか1週間だけ。
 ニホンザルの子育てはメスの役目だが、オスも手伝う。
 ヒョウのメスは、ほかのメスの子育てを手伝うことがある。
 ブタは家畜として飼われていても、なわばり意識が強く、群れをつくりたがる。メスはそれぞれの子どもをつれて、階層社会を構成し、オスは単独で行動する。
 動物の子どもにとって、遊びは成長がもたらす爆発的なエネルギーを解消する安全弁であり、自分の能力を試し、限界を知るための場でもある。そうした知識と意識は今後の生活で大いに役に立つ。
 子ゾウは2年以上も母乳を飲みつづけるが、生後5ヶ月から植物も食べる。
好奇心は、未知の物を知りたいという欲求であり、外の世界に慣れしたしむために自然が与えてくれた大切な手段だ。好奇心を抑えきれずに行動してしまうのは、幼い生き物の特徴でもある。これに対して親は愛情をもって接しなければいけない。
動物の子どもが眠っている様子をじっくり観察してみると、夢をみていることがはっきり分かる。それは、動物にも心のあることが実感できる瞬間だ。
とても癒される写真集です。図書館で借りて(なければ注文して下さい)でも、ぜひ手にとって眺めてほしい、とても素敵な写真集です。
(2016年12月刊。2900円+税)
各地から梅のたよりが聞こえてきます。わが家の庭でも小ぶりの紅梅と白梅が満開です。そのうち梅の実をつけてくれることでしょう。
映画「この世界の片隅に」をみました。心に沁みいる、とてもいい映画でした。市民のささやかな生活が戦争によって無惨にこわされていく状況が描かれています。
庶民の日常生活の様子がアニメでよく再現されています。そして、戦争というのは徐々に忍び寄ってくるものだということも実感させられました。アベ政治の暴走をなんとかして止めないと、いまの日本の平和も守れなくなってしまうと、孫の顔を思い出して、涙したことでした。

日本史のなぞ

カテゴリー:日本史(鎌倉)

(霧山昴)
著者  大澤 真幸 、 出版  朝日新書
 著者は日本の歴史上ただ一人の革命家は、信長でもなければ龍馬でもなく、北条泰時だと主張しています。
日本社会の歴史のなかで、天皇や朝廷に全面的に反抗して、なお成功したものは承久の乱のときの北条泰時のみ。それ以外には一人もいない。
そもそも、天皇に真っ向から完全に対決した者は非常に少ない。
承久の乱のあと、鎌倉幕府は、ときの仲恭天皇を廃し、三人いた上皇を、隠岐、佐渡そして土佐に流した(流罪)。非皇室関係から皇室関係者が一方的に断罪されたのは、これが初めてで、その後もない。
承久の乱(1221年)のとき、鎌倉幕府が執権北条得宗家を中心にしてまとまったのは、承久の乱を戦うことを通じてだった。この戦いのなかで武士たちは連帯した。鎌倉幕府は、京都からの軍を鎌倉で迎撃するのではなくて、積極的な攻撃に出た。
北条泰時は、地方の武士を連合させて中央の政争に介入して皇室軍に勝利した。
そして、日本列島全域に及ぶ権力を獲得し、独自の法(御成敗式目)を公布した。これによって「武者の世」が本格的に始まり、明治時代の幕開けまで続いた。泰時のなし遂げた革命とは、このことである。
北条泰時は、執権として関東御成敗式目(ごせいばいしきもく)を定めた。この法では裁判の公正性がもっとも重要だった。この御成敗式目は、中国の法律を受け継いだというものではなく、日本史上初めての体系的な固有法である。
北条泰時は、日本社会の歴史のなかで唯一の成功した革命家である。北条泰時は日本社会に初めて体系的な固有法をもたらし、この法は広く深く日本人の生活に浸透し、定着した。
北条泰時は、院宣に反して幕府軍を率いて天皇軍を打ち負かした。そして、天皇の一陪臣の身でありながら、三人の上皇を配流した。だから天皇制支持者から罵詈雑言をあびせられても不思議ではない。ところが、逆に天皇を熱烈に支持する学者からも激賞されている。
なるほど、こういう見方も出来るんだと、驚嘆しました。
(2017年1月刊。720円+税)

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