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2016年12月 の投稿

シェイクスピア

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 河合 祥一郎 、 出版  中公新書
ヒトゴロシの芝居をイロイロ書いた。シェイクスピアが生まれたのは、1564年4月23日ころ、亡くなったのは1616年4月23日。52歳で死んだことになる。1616年は、徳川家康が死んだ年でもある。
シェイクスピアは、生涯にわたって王族のカリスマ性に圧倒され、それを舞台でも表現しようとした。
シェイクスピアは、20歳の若さで三児の父親だった。当時のイギリスでは、劇の作者が誰なのかは、あまり問題にされなかった。それは江戸時代初期の歌舞伎の狂言作者と同じだった。そして、当時の台本は、何人かの書き手が共同で一冊の台本を書き上げることが日常茶飯事だった。
世の中の大きな流れにくみせず、少数派の見方も否定しないのがシェイクスピアの書き方。『ヴェニスの商人』には、当時蔑視されていたユダヤ人の視点も取り入れ、キリスト教徒たちの偽善性が暴かれている。
シェイクスピアは1604年、薬屋を35シリング10ペンスの不払いと10シリングの賠償金を求めて裁判に訴えた。シェイクスピアは、金銭に細かい人物だった。そして、当時のイギリスは、こんなことでも裁判沙汰にするほど訴訟が日常茶飯事だった。
シェイクスピアは1616年4月23日に亡くなったが、死の3ヶ月前に遺書を書いている。したがって、病死したと考えるのが自然だ。
シェイクスピアの演劇に幕は必要なかった。大掛かりな舞台装置は使われず、いわゆる場面転換もなかったからである。
張り出し舞台で、平土間には客席がない。つまり、客は立って観劇していた。
シェイクスピアの舞台は狂言と同じで、幕のない張り出し舞台で、女優も登場しない。女役は少年俳優が演じた。
シェイクスピアの劇をはじめ、エリザベス朝の演劇では、変装が頻繁に用いられた。76%もの劇で変装が用いられている。ただし、変装は基本的に喜劇的な手法であるため、悲劇では、あまり用いられない。
日常生活ではロゴス(理性)に支配されることが多いが、演劇は理性と対立する感性の世界においてその力を発揮する、そして、そこでもっとも重要となるのは想像力だろう。それは、ときに新たな現実そのものをも生み出す力さえ持っている。
さまざまな人々の生きざまを描いてきたシェイクスピアが最後に到達したのは、「信じる力」の大切さだった。いかに生きるか、それが問題だ。
久しぶりにシェイクスピアを読んでみたくなりました。
(2016年6月刊。820円+税)

チェロと宮沢賢治

カテゴリー:日本史(大正)

(霧山昴)
著者 横田 庄一郎 、 出版  岩波現代文庫
花巻にある宮沢賢治記念館には何度か行きました。『注文の多い料理店』とか『銀河鉄道の夜』とか、味わい深いものが多いですよね。『セロ弾きのゴーシュ』もよく出来ていると思います。
この「セロ」というのは、チェロのことです。昔はチェロのことをセロと言っていたのが、いまの日本ではチェロのことをセロというのは、この『セロ弾きのゴーシュ』のみ。そうなんですね・・・、改めて知りました。
宮沢賢治にとって、チェロは身近な楽器だった。賢治のもっていたチェロの胴の中には、「1926、K、M」という署名が入っている。
賢治は、自分用にチェロを買った。そして、一生けん命チェロを弾いて練習した。
賢治は労農等のシンパだった。労農党の活動家から賢治はレーニンの『国家と革命』を教わった。勉強に疲れると、レコードを聞いたり、セロをかなでた。賢治は羅須地人協会時代において、まぎれもなく労農派のシンパであり、協会はその運動を実践するためのものだった。
宮沢賢治がレーニンの『国家と革命』を学んでいたとは初耳です。私も大学生のころ、一生けん命にレーニンの本を読み、深い感銘を受けました。
宮沢賢治が亡くなったのは1933年(昭和8年)9月21日、37歳だった。その葬儀には2000人の会葬者があった。二・二六事件(1936年)の3年前のことですね・・・。
賢治の弾くチェロを聞いた人は、下手だったと評します。
「ベーベー、ブーブーって、馬の屁みたいな音を出して・・・」「彼の演奏は、ぎいん、ぎいんの域から脱け出るけしきはなかった」
賢治は、なにしろ運動神経が鈍かった。しかし、賢治はチェロを弾きたかったのだ。
生涯独身だった賢治は、チェロを「俺のカガ(妻)」とも言っていた。
『セロ弾きのゴーシュ』のゴーシュとはフランス語。下器用な、下手な、ぎごちないという言葉だ。
賢治とチェロの関わり、そして、社会との関わりについて、いろいろ知ることが出来ました。花巻の賢治館は必見の場所です。まだ行ってない人は、ぜひ足を運んでみて下さい。
(2016年3月刊。1180円+税)

炭坑美人

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 田嶋 雅己 、 出版  築地書館
 1987年から1991年にかけて、筑豊中を著者が駆けめぐって、元女坑夫だった150人ものお婆ちゃんたちを取材した本です。そのほとんどが顔写真を撮らせてくれたので、坑夫生活の様子が顔写真とともに紹介されています。炭坑美人と銘うった本になっている所以です。
 筑豊に炭坑が栄えるようになったのは、明治20年代から30年代にかけてのこと。もちろん戦後まで続いた。この100年間に掘り出された石炭は8億7000万ドルに達する。
赤い煙突目あてにゆけば、米のまんまがあばれ食い
当時の採炭はツルハシを使って石炭を掘る、男の「先ヤマ」と、その「先ヤマ」によって掘り出された石炭をスラと呼ばれるソリ状の箱やテボ・セナといった、竹でできた籠を使って運びだす「後ろ向き(あとむき)」を、もっとも小さな単位として成り立っていた。
闇夜よりもまだ暗い、真っ暗闇に下がった女坑夫の多くは、この「後向き」と呼ばれる労働に従事した。
女坑夫たちは、早ければ9歳から、15歳になれば公然と坑内に下がって働いていた。
 戦争が終わって、アメリカの時代になって女ごは坑内に下がることがでけんごとなった。ワシは喜んだばい。もう、これで明日から坑内に下がらんでいいと思うてね。そいき、日本は戦争に負けて本当に良かった。女ごは坑内なん下がっちゃあならん。
私も一度だけ、たった一度だけですが、炭坑の坑内に下がったことがあります。海底深くの切羽(きりは)までたどり着くのに1時間以上もかかりました。坑内電車に乗り、マンベルト(ベルトコンベアーに人間が座れるようになっています)に乗って、徒歩で真っ暗闇のなかを歩いていくのです。漆黒の闇です。もちろん、頭上にはキャップランプがついているので、行く先だけはなんとか見えるのですが、深い闇の中に入っていくのは本当に怖いものです。一度で私はこりごりしました。
 それでも、坑内は夏は涼しいし、冬は温(ぬく)い。慣れてしまえば、坑内ほど、いやすいところはないとたい。三日間、坑内にずっといたこともある。
一度は天井がバレて、2日ぐらい閉じ込められたこともあった。坑内では函がどまぐれてペチャンコになって死んだ人もおりなすった。そんなのは、よう見るくさ。恐ろしかったら坑内には下がられん。人が死んだ現場の横で明けの朝には炭を掘らんとやからね。
 ボロクソに怒られながら、地の底で虫ゲラのごとく働いていて、本当に情けない。坑内は暗い。いくら泣いても涙も分からない。涙と汗と炭塵で体中が真っ暗になる。上半身は裸なので、もうとても女の姿なんかじゃない。
 朝鮮人は何の訓練もなしに働かされていた。入坑するのも風呂に入るにも見張りがついていた。耐えかねて逃げ出しても、たいていは捕まる。すると、全員が見ている前で、ビシビシ叩いて水をザブザブかける。見せしめにするため。
 坑内では、男はもうヘコも何もせん。みんなフリ出しばい。娘たちはズロースだけは履いちょったばってん、オバサンたちなん、なんもはいちょらん。下から見れば、まるっきり見えるとやき。そげなふうで、昔は、みーんな裸。スッポンポン。そいで、シモの話ばっかりしよるきなぁ。坑内下がっとるときは面白かったよ。笑うげなことばっかしたい。
生理のときも休まず働いていた。
戦前の筑豊の炭鉱の驚くほど生々しい実態がよくぞ紹介されている、貴重な聴き取り集です。
(2000年10月刊。2500円+税)

武器輸出と日本企業

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 望月衣塑子 、 出版  角川新書
 いま、安倍政権は自衛隊をアフリカに派遣して、ついに武器の本格的行使を認めましたが、同時に、国内で製造した武器の海外への輸出まで認めてしまいました。
 2015年10月、防衛省の外局として防衛装備庁が発足した。武器の研究開発から設計、量産、調達、武器輸出までを一元的に担う組織である。
 「平成のゼロ戦」とも呼ばれるXZは、防衛省と三菱重工が349億円かけて研究開発した。
フランスの武器見本市に日本の企業13社が初めて参加した。
2012年度の装備品の調達実績で、三菱重工についで2位となったのは1632億円を受注したNEC。2013年度、富士通は、第6位となる400億円を防衛省と契約した。武器製造や輸出でもうけたい企業は、海外の企業を買収して子会社とすれば規制をはずれ、やりたい放題になる。
防衛産業はボロもうけかと思うと、案外、そうでもないというのです。本当でしょうか・・・。受注は少量で、品種は多岐にわたる。
防衛産業が積極的に武器製造につき進めない三つの理由。
一つは技術が海外に流出してしまうことの心配。
 二つは、武器を売ることによるリスク。
 三つ目は、人殺しのための武器を売ることへの心理的な抵抗。
 軍需産業に従事する人間はテロの対象として狙われることになる。欧米の軍事企業のトップは、アルカイダの暗殺者リストに常にのっている。海外出張のときは、いつも警護要員をつけている。
 日本企業が製造する武器価格は、国際価格の3~8倍。それは、限られた数の企業が、防衛省という顧客だけを相手として武器を開発し、納入してきたため、量産体制がとれず、開発費がふくれあがってきたためだ。
いま、欧米の軍事企業が何で一番儲かっているかというと、ミサイルと弾薬。中東全域で戦争になっているため、精密な誘導弾は大増産されている。
日本はオーストラリアへの潜水艦輸出に失敗した。潜水艦は、実は最先端の技術が盛り込まれた武器であり、国家機密の集約体と言える。ハンドルも弁も、全部が機密になっているという世界だ。潜水艦用のリチウム電池も秘密の魂だ。音の出ないポンプがあるが、特許もとっていない。それほどの秘密だ。
 10式戦車は10億円に近い。哨戒機P1は一機169億円。救難機US2は一機112億円。F2戦闘機は一機131億円。ひゅうが型護衛艦は一隻973億円、89式小銃は一挺28万円。12.7ミリ重機関銃は一挺537万円。
日本の武器は、戦車は欧米の3倍、機関銃は同じく8~10倍。そのうえ、海外での実戦経験に乏しく、値段が高くても、性能は実証されていない。
 日本の防衛市場は、2兆円。日本の全工業生産額250兆円の0.8%にしかすぎない。大手防衛企業の軍需依存率は、最大手の三菱重工で11.4%、川崎重工が14.0%。10%を超えるのは、この二社だけ。日立造船9.6%、日本電子計算機8.5%、コマツ8.4%、IHI6.7%、三菱重機4.1%、東芝1.1%、NEC1.1%。
アメリカ軍は、2000年以降、日本国内の26の大学の研究者へ合計して1億8000万円も提供している。
 軍事共同なんて、おぞましい限りです。日本でも無人偵察機グリーバルホークをアメリカから導入するといいます。総額1000億円もの高い買い物です。ところが、この無人攻撃機のオペレーターの兵士は極度の精神的ストレスに悩まされているといいます。連日、画面を見ながら人殺しをしているのですから、当然ですよね・・・。
 日本の軍事産業の実態と問題点がコンパクトな新書によくまとめられています。
(2016年7月刊。800円+税)

なぜ弁護士は訴えられるのか

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 升田 純 、 出版  民事法研究会
 弁護士が元依頼者から訴えられることが珍しくはないという時代になりました。アメリカでは弁護士過誤を専門とする弁護士までいると聞いたことがあります。
 医療問題を専門に扱う弁護士団体(研究会)が日本でも活動していますが、アメリカと同じような状況になるのでしょうか・・・。
 実は、私も元依頼者から訴えられた経験があります。代理人として誠心誠意やったつもりでも、結果が悪ければ、依頼した弁護士に八つ当たりしたくなるのでしょう。ちゃんと期日前に準備書面を作成して裁判所に提出し、証人尋問の打合もきちんとし、期日の報告を欠かさなくても、結果が出ないと責任を取れ、払った着手金を返せと迫られるのです。もちろん私は弁護士過誤保険に加入していますから、過誤があったとなれば、保険の適用を受けて保険会社に賠償金を代わりに支払ってもらいます。でも、結果が悪かったから着手金を戻せと言われたら、たまりません。
 その事件の反省点は、そもそも受任すべきではなかったし、相性が悪いと思った時点で、途中でさっさと辞任しておくべきだったということです、なんとなくズルズルと判決までいったのが失敗でした。
 この本は、弁護士が訴えられた218の裁判例を分類し、判決の意義と指針を短くコメントしています。といっても680頁もの大作です。
 驚くべきことに、裁判官が事件担当の弁護士の主張について名誉棄損の不法行為が成立するとされた判決があるのです(控訴審は否定しました)。
 「本件訴訟は裁判所の適法な訴訟活動に対して因縁をつけて金をせびる趣旨であり、荒れる法廷と称する現象が頻発した時代にもあまり例がないような新手の法廷戦術である」その裁判官は、このように書いたのでした。目を覆いたくなるほどのひどさです。
 この本には、「中には社会常識を逸脱した言動、根拠を欠く言動、粗暴とも思われる言動をする裁判官も見られるのも現実である」としています。
 たしかに、私も30年ほど前には、よく見聞しました。私がこの10年来、困るのは、枝葉にとられ、形式ばかり細かくて、大局観に乏しい裁判官、強いものや権力に歯向かう勇気のない裁判官、やる気の感じられない投げやり姿勢の裁判官が目立つことです。
弁護士は、どのような場合に法的責任があるとされるのか、多くの判例を集めて分析している貴重な労作です。
(2016年11月刊。6900円+税)

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