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2016年4月 の投稿

トンヤンクイがやってきた

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  岡崎 ひでたか 、 出版  新日本出版社
 戦争中、日本は中国で何をしたのか、そして日本人は国内でどんな生活をしていたのか、対比させながら話が進んでいきます。中学生や高校生、若い人にぜひ読んでほしいと思いました。340頁もありますが、なんとか挑戦してほしいものです。
 中国は上海近くの農村地帯で生活している子どもの目から、抗日戦争の無惨な実際が語られます。悪虐非道な日本軍は、最新兵器を駆使するので、中国軍はとてもかないません。それでも、中国の人々は、ひそかに抗日の戦いをはじめ、子どもたちもそれに関わるのです。ここらあたりは、著者が現地で取材した実話にもとづいていますので、真に迫っています。
 著者が取材に行ったとき、部屋の中は怒りの炎に包まれていた。恐ろしい燃えるような眼に囲まれた。中国の民衆にとって、まだ戦争は終わっていなかった。そうなんです。加害者は忘れても、被害者は、ずっと忘れることができないものなんですよね。
 日本が戦争を反省して、憲法9条を定めたことをふくめて、お詫びの言葉を述べると、すっかり部屋は穏やかな平和の色に包まれた。
世の中は星(陸軍)と錨(いかり。海軍)に闇に顔、ばか者のみが行列に立つ(清沢冽)
中国は、鉄鉱石にしろ石炭にしろ、日本とはケタ違いの生産量でべらぼうに安い。タダ同然。労働者はいくらでもいて、賃金はうんと安くてすむ。だから、中国で工場をはじめたら、企業はもうけ過ぎてもうけ過ぎて・・・。それに、協力するのは、つわものぞろいの関東軍。
職業軍人は、戦争を起こしたくて、待っていた。出世できるチャンスだから・・・。 職業軍人は、戦争がないと手柄をたてられず、出世が難しい。
「軍事予算をどんどん増やす。そして、献金を集める。戦争は大儲けのチャンスよ」
中国の人々は日本軍を「トンヤンクイ」と呼んだ。東洋の魂だ。
 日本軍が食料微発に来たときの対応4ヶ条。
 ① 逃げ隠れして、会うのを避ける。
 ② かくれることが出来なくなっても、粘り強く、一日でも先送りする。
 ③ コメを出すしかないときには、水にひたしてふかしておく
 ④ コメの袋のなかに、ニセ物を入れるなど、工夫する。
 いやはや、戦争というのは、まさしく生活全般を根底からひっくり返すものだと痛感しました。親子読書の一冊にしてみたらいかがでしょうか・・・?
 「自虐史観」だなんて、つべこべ言わず、この本を読んでほしいものです。いい本です。ご一読をおすすめします。
(2015年12月刊。1800円+税)

植物はすごい、七不思議篇

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 田中  修 、 出版  中公新書
 春は、なんといってもチューリップと桜です。チューリップは昔ながらの色と形、桜はソメイヨシノのピンクですよね。
桜の開花宣言が、九州より東京のほうが早いことが多いのはなぜなのか・・・。
開花宣言は、標本木として定められている木に、わずか5~6輪の花が咲いたときに出される。実際に満開となるのは、それから一週間くらいしてからのこと。
桜は、冬にきびしい寒さを感じなければ、春の暖かさを感じても開花が遅れてしまう。九州では冬でも暖かいので、春の暖かさに敏感に反応せず、開花が遅れてしまう。東京の桜は寒さがきびしいので、春の暖かさに敏感に反応して早く開花する。なーんだ、そういうことだったのですか・・・。
 北海道で、梅と桜の花が同時に咲くのは、梅の花が全国的にほぼ同じ気温(6~9度)で咲くから。梅の花が咲いた頃、北海道でも厳しい冬の寒さから少し暖かくなったと桜が感じるので花を咲かせる。
アサガオの花が夏に早朝から咲くのは、暗さを感じはじめて10時間後に咲くという習性があるから。10時間後に真っ暗な箱に入れられていても、アサガオは花を咲かす。
ゴーヤの果実の表面にブツブツがあるのは、このデコボコによって影をつくり、太陽の光が実全体に直接あたらないようにしている。強すぎる光があたると、かえって種に害を与える有害な物質が発生する。
植物の不思議な行動がとても分かりやすく解明されていました。
(2015年8月刊。820円+税)

ガラパゴス(上・下)

カテゴリー:警察

(霧山昴)
著者  相場 英雄 、 出版  小学館
 これは警察小説です。地道に犯人を追い求めてはいずりまわる警察官がいます。その対極に、利権をあさり、有利な転職先を確保しようとする警察官もいます。そして、キャリア警察官は、政権党の有力議員と談合して事件の幕引きを図ります。
 上下2冊の対策です。「警察小説史上、もっとも残酷で哀しい殺人動機」だとオビに書かれていますが、まことにそのとおりです。
 今日の非正規社員ばかりの、人間使い捨ての企業社会の実態が殺人動機そのものになっています。
 「派遣からやっと正社員になれたんだ。あんたらに分るかよ。その日暮らしの不安と、人として認めてもらえないキツさがよ」
 「今までは『派遣さん』と呼ばれていました。それが正社員になると、名前で呼んでもらえます。これが何よりうれしいのです」
 「派遣をクビになったら、ホームレスに落ちて、そこら辺の公園で野垂れ死にする人間がうじゃうじゃいるじゃないか」
 「そういう状況で、人間らしい心なんて、ここ何年かで、すっかり捨てた。そうやって生きなきゃならなかったんだ」
 「運が悪けりゃ、人間として扱ってもらえない世の中にしたのは、誰なんだよ」
 殺された派遣労働者の被害者は、殺され死んでいく過程で、「貧乏の鎖は、オレで最後にしろ」と叫んだ・・・。
 上下2冊の大作ですが、一気に読みにふさわしい内容です。警察内部の葛藤と現代社会の構造的不正がうまくかみあっていて、読ませます。
 それにしても、人間を金儲けのための手段としてのモノとしか扱わない人材派遣業なんて最悪の存在ですよね。それで金もうけしている竹中ナントカという「学者」の品性下劣さは決して許せません。
(2016年1月刊。1400円+税)

少年の名はジルベール

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  竹宮 恵子 、 出版  小学館
 私より少しだけ年下のマンガ家による半世紀です。『地球(てら」へ・・・』とか『風の木の詩』で有名ですが、その内容に圧倒されたことを今でも鮮明に覚えています。マンガって、馬鹿にできないと、つくづく思ったことでした。
 今ではマンガ家を卒業(?)して大学教授であり、学長です。すごいです。尊敬します。著者の良きライバルとして登場してくる萩尾望都は福岡県大牟田市出身として紹介されています(ちなみに、著者は四国・徳島出身で、徳島大学を中退)。前にもこのコーナーで紹介していますが、私の母が萩尾望都の母親と女学校(福岡女専)が同じで親しかったので、私は、その母親そっくりの萩尾望都の近影に驚いています。
 著者たちは、「大泉サロン」と呼ばれる古ぼけたアパートでマンガを描き続けたのです。20歳から22歳までのことです。「24年組」とも呼ばれています。1949年生まれということですね。1970年代少女漫画の基礎を築いたのでした。
中学2年生、14歳でマンガ家を目ざした。週刊誌の連載を目標とした。すごいですね。中学2年生のとき、人生の目標をもっていたなんて・・・。私なんか、いったい自分は将来、何になるのかな・・・。なんて、とんと見当もつきませんでした。もちろん、司法界とか弁護士なんて、考えたこともありません・・・。マンガは読んでいましたが、それこそ「イガグリ君」の世界です。中学時代に読んだ本と言えば、山岡壮八の『徳川家康』くらいしか思い出せません。それから、有名人・偉人の伝記は小学校以来、学校の図書室で借りて、よく読んでいました。
 萩尾望都が、親の反対を押し切って、上京してきたとき、マンガ道具と布団と当面の衣類だけだった。そりゃあ、親は反対するでしょうね。自分の娘がマンガ家になると言って、家を出ていくというのですから・・。
 著者も萩尾望都も、映画を1回みただけで、映像を、そのまま丸ごと視覚的に記憶できた。うひゃ~っ、こ、これはすごいですね。こんなこと、並みの人間には絶対に不可能なことです。やはり、常人にない才能をもっているのですね・・・。
 そんな著者にもスランプが訪れたのです。しかも、3年間。それを著者たちは45日間のヨーロッパの旅行を経て乗り越えたのです。まだ、22歳でした。
 私も初めて海外へ行ったのが30代前半だったと思います。それから、年に1回は海外へ出かけようと心に決めました。日本を深く知るためにはいったん身を海外に置いてみることが必要だと感じたからです。
ボーイズ・ラブの世界に挑戦した著者は少女漫画に新しい天地を切り拓きました。
 そして、担当の編集者とのバトルが生々しく紹介されています。このバトルも、著者を鍛えたもの一つだったのでしょうね。
 あらためて、著者の作品をみてみたくなりました。
(2016年2月刊。1400円+税)

第二次世界大戦1939-45(下)

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  アント二・-ビーヴァ― 、 出版  白水社
 いよいよ第二次世界大戦の下巻にたどり着き、ようやく読了しました。なにしろ500頁もの大作なのです。そして、内容がずっしり重たいので、そうそう簡単に読み飛ばすわけにはいきません。
 知らないこと、知らなかったことが、いくつもありました。そして、今日的意義のある記述が至るところにあるのです。たとえば、空爆です。イギリスはドイツの都市に住宅爆弾を繰り返しました。大変な被害をもたらしたのですが、戦争終結には直結しませんでした。これは、イギリス空軍の大将のまったく間違いだったと著者は厳しく批判しています。私もまったく同感です。
 イギリス爆撃機軍団を率いるハリス将軍は、都市への戦略爆撃によってドイツを屈服させると豪語していた。しかし、結果は、そうならなかった。むしろ、鉄道線路こそ狙うべきだったのです。そして、工場です。ところが、イギリス軍(ハリス将軍)は安易にも都市住民の虐殺に走ってしまいました。絶滅収容所への線路を叩いてほしいという要請も無視したようです。とても罪深い過ちだったと思います。
 同じように都市への爆撃を重視したのが、アメリカ空軍のカーチスルメイ将軍です。ルメイ将軍は、日本の製造業の中心地帯をひとつ残らず燃やしつくす決意だった。そして、それを着実に実行していった。まさしく日本人大量虐殺の張本人ですが、戦後日本は、そんなルメイ将軍に大勲章を授与しているのです。こんな人物に勲章をやるなんて、日本政府のアメリカへの従属性というか、奴隷根性はどうしようもありません。腹が立ってなりません。
そして、この本は、日本軍に人肉食が横行していたことを再三きびしく指摘しています。
日本兵は糧食不足に悩んだあげく、地元住民や捕虜を食料源とみなした。若い中国人女性を犯し、殺し、喰った。「味が良くて、柔らかかった。豚肉より美味だった」という日本軍兵士の告白が紹介されています。おぞましいばかりです。
 そして、七三一部隊は、中国人捕虜3000人以上を生体実験で無惨に殺していくのに、アメリカ軍はそのデータを入手して、誰ひとり、犯罪者として訴追することはなかったのです。
 こんな事実に目をつぶって、戦争にはひどいことがある。日本だけが悪いことをしたわけではない、なんて開き直るのは許されることではありません。
 自虐史観とかいって、都合の悪いことに目をつむっていては、憎しみあいが増すばかりです。悪いことをしたことに正面から向きあって、はっきり謝罪し、二度しないことを世界の人々に固く誓約することこそ必要な態度だと思います。
 それにしても、スターリンの悪知恵、悪らつさには、今さらながら背筋も凍る思いです。
 チャーチル首相は、終戦直後の総選挙で惨敗しました。それほど、イギリス軍のなかに上官そして、不合理な命令ばかり出していた政府の命令に怒っていた人たちが多かったということです。
スターリンはチャーチルの失墜にショックを受け、ソ連軍をきびしく取り締まったというのです。ジューコフ将軍は、そのあおりを喰らって、しばし冷や飯を食べることになります。
 世の中はタテから見るだけでなく、ヨコからも見る必要があることを教えてくれる本でもありました。ずっしりと重たい戦記本です。ぜひご一読下さい。
(2015年8月刊。3300円+税)

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