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2016年4月 の投稿

ルポ 塾歴社会

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  おおた としまさ 、 出版  幻冬舎新書
私も小学4年生から塾に通いました。英語を勉強しはじめたのです。寺子屋のような小さな教室でした。英才教育なんていうものではありません。講師によるゼロ戦の話しか記憶に残っていません。同じころ珠算教室にも少しだけ通っていました。そして、中学生になると3年間、それなりの塾でした。高校の現職教師が講師でした。高校に入ってからは通信教育(Z会)のみでした。塾に行かなくても自分なりの勉強法が身についていたのです。
この本は、中学受験塾として一人勝ち状態にあるサピックスと東大合格請負塾として有名な鉄録会に焦点をあてて、その実際を紹介しています。
中学受験では、昔から有名な四谷大塚日能研を押しのけて、サピックスが圧倒的な存在感を示している。開成中学の定員300人に対して、サピックスからの合格者は245人。8割を占める。関西の灘中学については、募集定員180人に対して、浜学園が93人で、2位の日能研49人のダブルスコアとなっている。灘高の生徒4分の1は、鉄緑会大阪校に在籍している。
東大理Ⅲ(医学部)の合格者の6割以上が、鉄緑会出身者で占められている。
鉄緑会では、6年間かけて、ギリギリ合格ではなく、上位半分の位置で余裕をもって東大に合格できる労力を身につけさせる。
サピックスにも鉄緑会にも、受験勉強の達人みたいな生徒がいて、まわりからも一目置かれていた。ところが、30歳を過ぎた今、彼らにかつての輝きが感じられない。意外にパッとしない。これは私の実感でもあります。全国の受験の上位ランクで名前だけ知っている同期生が、まったく冴えず、久し振りに名前を目にしたら「自由と正義」の懲戒欄だったということも体験しています。
小学校に入る前からとか小学校低学年から「公文」に入って、処理能力を身につけている子が多いようです。でも、処理能力だけで物事に対処してきて、深い思考ができていなかった。司法試験では処理能力の高さだけでなく、深い理解が求められている。
大学に入るまで塾に頼り切る生き方は、もしかしたら、何かを深く思考する能力を奪ったのかもしれない。
せっかく東大法学部に入ったのであれば、「町の弁護士」ではなくて、大企業の法務を請け負うような仕事をしないと「負け」だと考える東大出身の弁護士がいる。私は、これって、可哀想な、発想の貧困さを本当に残念に思います。大勢の人々のなかで、生き、草の根から民主主義を盛り立てていく仕事こそやり甲斐があると、私は心から確信しています。
天下の灘や筑駒の出身者に限って、大人になってからは意外に普通の仕事に就いている人が多い。
てっとり早く「正解」を得ようとしたがる。正解らしきものを得ると、安心して思考停止に陥る。サピックスは、簡単な問題で原理原則に気づかせたうえで、類題演習をくり返し、徐々に問題のレベルをあげ、複雑な問題の中にも同じ原理原則が活用できることを体感させる。
灘関校ほど単純な計算問題や知識量を問う問題は出題しない。単なる知識の詰め込みでは太刀打ちできないようになっている。
サピックスで出される大量のプリントを整理するのは親の役割。スケジュール管理も親の役割だ。
親子の会話が豊富で、親と一緒に物事を考える習慣のついている子が求められる。受け身になる癖がついている子は、ついていくのが難しい。
サピックスは、討論型の受領と復習主義。予習をさせずに復習に重点を置く。それは授業に集中して、授業の中でできるだけ吸収してほしいから。復習主義のほうが学習効率はいい。
学力の高い子にはいいけれど、そうでない子がサピックスに通ったときには、弊害も大きい。
鉄緑会の講師は全員が鉄緑会出身者。東大や灘関医学部の卒業生。鉄緑会はベネッセグループの子会社。
板書したものをノートに書き写す。このひと手間が数学においては絶対に必要。解説プリントを読むだけではダメ。自分の手を動かすこと。
鉄緑会に入ると、目の前に東大医学部の学生を何人も見る。誰だって合格できると言う成功体験が空気のように漂っている。この空気を毎週吸い込めることこそ、鉄緑会に通う最大のメリット。
鉄緑会に向いているのは、処理能力が高く、量をこなせる子、要領よく手を抜いて、帳尻を合わせるのが得意な子。処理能力が低いのに、手を抜くことが出来ない子が鉄緑会に入ると、学校の勉強までうまくいかなくなり、自信を喪失してしまう心配がある。
なるほど、なるほど、そうなのかと得心のいくところが多い本でもありました。かなり経済的に余裕ある家庭でないと東大には入れないということでもありますね。
(2016年2月刊。800円+税)

おれのウチャシクマ

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)
著者  小川隆吉(瀧澤 正) 、 出版  寿郎社
私は沖縄に別の民族がいるとは考えていませんので、沖縄独立論には賛同できません。しかし、北海道に、アイヌ民族がいたことは歴史的事実だと考えています。ただし、その独立論は聞いたことがありませんし、ありえないと思います。
この本は、アイヌ民族と朝鮮人の両方の血を引いている著者の聞き語りをもとにしています。父は朝鮮人、母はアイヌ人だったのです。なぜ父親が日本に来たのか、それも北海道までやって来たのか・・・。
アイヌ人の母親は45歳のときに著者を産み、54歳で事故死した。
昭和55年(1980年)、札幌の小学校で、教頭が父母たちに次のように話した。学校が子どもにとって大切なことを強調する文脈のなかのことです・・・。
「もし教育をしなければ、アイヌのようになってしまう」
これは、いかんでしょう。あからさまな差別です。
次に、予備校の河合塾が、「アイヌは、もはや存在しない」とテキストに書いていることが発覚した。1984年(昭和59年)ころのこと。
問題になった、河合塾の人間が3人も飛行機でやって来て謝罪した。
著者たちは、旧大人保護法の廃止を前提として親しい法律をつくろうと運動していた。しかし、それは間違いだったと断言しています。旧法と一緒に、共有財産まで持っていかれて、文化一本槍になってしまった。
北海道に生まれ育ったアイヌ民族といっても、今では日本語を話すしかありません。どうやら細々とアイヌ語は伝承されているようです。大変な苦労がいることだと思います。
波乱万丈のアイヌ人男性の半生がよく追求され、紹介されています。
やっぱり、こういう生きた歴史を若い人に伝えたいものですね・・・。
(2015年10月刊。2000円+税)
 火曜日の夜、事務所内で恒例の花見会をしました。所員と依頼者や元依頼者の人たちをふくめて30人ほど集まり、美味しく食事をいただきました。タケノコの味噌煮が季節感あふれて、とても美味でした。桜の花はとっくに散っていましたので、机の上には元依頼者の方が持参された百合の花を飾り、楽しく歓談しました。
 今回の花見会の目玉は手品ショーです。あちこちでボランティアでしているという男性に演じていただきました。手品のマジックも見事でしたが、話術のほうも惹きつけるものがあり、30分間、笑いころげてお腹の皮がよじれてしまいました。マジシャンからも今日は受けがいいと喜んでもらえ、またお願いしたいね、ということになりました。

「ほら、あれだよ、あれ」がなくなる本

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  茂木健一郎、羽生善治 、 出版  徳間書店
物忘れしない脳の作り方というサブタイトルに惹かれて読んでみました。
脳を若々しく保つためには好奇心をもつこと。運動を定期的にしている人は、認知症になりにくい。運動したほうが、肉体だけでなく、脳も若々しくいられる。私は週1回、プールで1キロ泳いでいます。これだけでは足りないのでしょうか・・・・。
脳は、その人がチャレンジできるぎりぎりのものに挑戦しているときが楽しい。脳は楽をすると、どんどん衰えていく。
度忘れするのは、脳のなかの側頭連合野から前頭前野に記憶を引き出す回路が使われないから。前頭葉は、脳全体の司令塔。前頭葉が活性化すると脳全体も活性化し、回路を強めてくれる。
ドーパミンは、前頭葉のために神様がつくってくれた素晴らしい物質。子どもの脳が若々しいのは、ドーパミンがたくさん出ているから。初めてのことや、びっくりするようなことを経験したときに、ドーパミンは出る。子どもは初めてのことに毎日のように出会う。だから、子どもの脳は、毎日デビュー効果でいっぱいだ。
人間の脳は、何歳になっても、ドーパミンを出す能力がある。人間は不安になることに挑戦しないとドーパミンが出ない。つまり、挑戦してみようという気になるかどうかが、非常に大切。
私は、このところ初めて本格的に小説(フィクション)に挑戦してみました。もちろん、体験と歴史的事実はきちんと踏まえているのですが、それをつなぎあわせるところは、すべてフィクションにしてみたのです。4月には一冊の本に仕上がる予定です。今からワクワク楽しみにしています。売れたらいいな・・・。皆さん、ぜひ買って読んでくださいね。お願いします。ちなみに、著者名は、このコーナーと同じです。
初めてのことに挑戦してドーパミンを出すには、受け身ではなくて、自分から何かをやってそれからうまくいったときのほうがドーパミンは出る。
大人になっても、子どもの心を忘れてはいけない。脳のなかに安全基地がないと挑戦できない。
人間の脳には、自分で自分を治す力、自己治癒力がある。どうしたらマイナスのエネルギーをプラスに変えられるかというと、人との絆が非常に大切である。
個性というのは、出来ることとできないことが一つになって個性なのだ。
人間は、今のありのままの自分を受け入れるのが大事だ。ひとそれぞれの幸福がある。
脳の好奇心や人との絆の大切さがよく分かる本です。
(2015年3月刊。1000円+税)

矩(のり)を踰(こ)えて

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  霞 信彦 、 出版  慶應義塾大学出版会
明治時代につくられた司法制度について認識を深めました。
明治初年、新律綱領は、不倫は杖で70回たたくと決めた。しかも、夫ある妻の不倫は「徒3年」。これって懲役3年っていうことですね。重すぎるし、不公平な差別ですよ・・・。
そして、明治6年の改定律例には、男性同士の性的関係を刑事罰の対象とした。懲役90日。
賄賂については、収賄者だけを処罰の対象とし、贈賄者を罰しないと定められていた時期がある。収賄罪の立証を容易にするためというのが理由。
大審院は、明治15年から41年に至るまで、刑法の規定どおり、贈賄者を処罰しなかった。
江藤新平は初代の司法卿になって、各府県がもっている司法権を中央国家に引き上げようとした。府県に専属していた司法権を中央政府、それも司法省の一手専売にしようとしたのである。府県に専属ということは、江戸時代までの藩自治がなお尾を引いて生きていたということですね。
各県バラバラの司法判断というのでは、たしかに困りますね。もっともアメリカでは、州ごとに法律が異なるのはあたりまえのようです。
日本でいうと、条例の違いということなのでしょうか・・・?
解部(ときべ)という職名が裁判所にあったそうです。人的また物的取り調べにより得られた情報をまとめ、判決書作成資料を供することを主たる役割とする、法曹の一員。この解部は、今の判事補にあたるようです。
知らなかったことが、いくつもありました。
(2007年11月刊。2000円+税)

なぜニワトリは毎日卵を産むのか

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者  森 誠 、 出版  こぶし書房
私と同世代の農業博士です。ニワトリの専門家でもありますから、ニワトリをめぐる面白い話が満載の本です。
なま卵を食べるのは日本だけ。それだけ、日本の卵は安全なのでしょうが、驚きますよね・・・。古代ローマ人は、なま卵に穴をあけて、寝転がって中身をすすっていた。ちなみに、キリストの最後の晩餐でも、使徒たちはテーブルに向かってイスに座っていたのではなく、臥台に寝そべっていた。それが当時の風習(習慣)だったのです。
バイオリニストの先住真理子は、毎朝、3~6個のなま卵を呑む。これが彼女のスタミナ源。私も、おでんには卵がほしいと思いますが、毎日、なま卵という感じではありません。
温泉玉子とかたゆで玉子の違いを識りました。かたゆで玉子は、白身も黄身も固くなっています。それに対して、温泉玉子は、黄身は固まるけれど、白身は固まらない温度である70度のお湯に30分ほどつけておくと出来上がる。この温泉玉子も、日本独特のもの。ガイジンは半熟玉子を好む。
 フランスはモンサン・ミッシェルにある有名なレストランでオムレツを食べたことがあります。泡立てた卵を使って厚さが10センチにもなるものです。このときは、卵を銅製のボールで力一杯泡立てるのです。この銅イオンのおかげで、泡が安定するのだそうです。ですから、見かけこそ巨大オムレツですが、実は、一人前なんてペロリと食べることができます。食べ過ぎの心配は無用なのです。ぜひ、一度、ためしてみてください。
ニワトリは、1日に1個以上の卵は産まない。
日本人は、江戸時代は卵は食べても、ニワトリはあまり食べなかったようです。明治のはじめに東北地方を旅行したイギリス女性のエザべㇻ・バードは、結局、ニワトリを食べることはなかったと旅行記に書いています。
江戸時代の日本人は、動物の肉をおおっぴらに食べることはなかった。それで、鶏肉をカシワと呼び、猪肉はボタン、鹿肉をモミジと呼んだ。馬肉はサクラだ。
江戸時代の日本で、鶴は最高のごちそうだった。しかし、さすがの中国人も鶴は食べていない。なぜか・・・?つまり、鶴はまずいから。なーるほどですね。
ニワトリにまつわる興味深い話が満載の本でした。
(2015年12月刊。2000円+税)

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