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2016年2月 の投稿

尼崎事件、支配・服従の心理分析

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  村山満明・大倉得史 、 出版  現代人文社
尼崎事件とは何か。主犯の角田美代子は、私と同じ団塊世代の女性です。1970(S45)年ころから2011(H23)年までの40年間わたって、いくつもの家族を取り込み、金銭的に搾取し、崩壊させていった事件。その過程で少なくとも9人が死に追いやられた。ところが、主犯の美代子は直接に手を下して殺したのではない。取りこんだ家族員相互に暴力を振るわせるなどして、激しい虐待を繰り返して、その結果として死に追いやった点に特徴がある。
美代子は、取り込んだ家族を崩壊させる一方で、その一部の成員を養子にするなどして、疑似家族、角田ファミリーを形成していた。
 角田ファミリーは、明らかに異様な疑似家族だった。周辺ないし中心において虐待、監禁、殺害、死体遺棄等が繰り返されていた。少なからぬ人間が関与し、それを知っていたにもかかわらず、長年にわたって、事件として発覚することがなかった。
美代子の「奴隷」となった人々は、必ずしも生来から反社会的性向をもっていたのではなく、むしろ至って平凡で穏やかな社会生活を送っていた人が多かった。
ごく普通の住宅地の一角で、ごく普通の人々が、角田美代子というたった一人の女性にいいように操られ、こられだけの事件を起こした。
美代子は、逮捕されてから1年後の2012年12月に留置場で自殺した。
 暴力団の組織に属しているわけでもない一人の中年女性に、これほど多くの家族が巻き込まれ、財産を搾り取られ、壊滅させられるというのは、一体どういうことなのか・・・。
 角田美代子は、1948年10月に尼崎市内で出生した。両親は美代子が幼いころに離婚した。美代子は、関西弁で怒鳴り散らし、凄い迫力があって、ヤクザ風の女だった。美代子は、頭が切れる一方、何を考えているのか分からない、得体のしれない不気味なところがあった。しゃべるのは上手で、記憶力はものすごくよく、人が話したことは本当に覚えていた。美代子は、言い方がうまくて、断るに断れなかった。
 角田ファミリーでは、誰も仕事に行っておらず、パチンコ、美代子の買い物、そしてときに寺参りをする。常に団体行動をして、自由はない。みなが常に美代子の顔色をうかがっていた。
 角田ファミリーでは、美代子を1位として、ランク付けが明確だった。ランクによって美代子の態度、食事の内容、座席の位置がはっきりしていた。
角田ファミリーでは、1~2週間に1回、子ども会と称して、全員で話し合いをさせられた。繰り返して虐待を受けるうちに、美代子の言うことには絶対に逆らえない、もし逆らえば精神的にも肉体的にも追いつめられるということを身にしみて感じていった。精神的にも肉体的にも、ぼろぼろになって、反抗することもできず、言われたことにただ従うだけだった。
 「私が悪いんだ。美代子は何も悪いことはしていない」
 「お世話になった人に恩を仇で返し、本当に美代子に悪いことをした」
 「自分がすべて悪い。美代子が正しい」
 「美代子は、自分のことを本当に心配してくれているんだ」
 そう思えた。
 ファミリーの一員が死んだことを可哀想だと思うことはなく、自分のことしか考えていなかった。動揺しているのを見せて、美代子の不興を買うことにだけはならないよう必死だった。
 「やっぱり、美代子は裏の人間だ。普通の人間ではない。逆らったりしたら、次は間違いなく殺される」
 角田ファミリーのメンバーは、パチンコと万引きを毎日のようにやっていた。万引きしてきて冷蔵庫に入りきらない食品を何箱もの発泡スチロール箱に入れて冷やしていたので、そのために必要な氷を毎日、大きな袋に2~3袋分もスーパーに取りに行って、スーパーの従業員からクレームを受けていた。パチンコで月に100万円ほど稼いでいた。
 角田ファミリーは事前に万引きしておいた商品を、美代子から誕生プレゼントとしてもらっていた。角田ファミリーのメンバーが死んでドラム缶にコンクリート詰めにされた。その作業をしているとき、犯罪を隠している感覚とか悪いことをしているという感覚はなかった。
 睡眠、食事、排泄、喫煙などの生理的欲求に対して適切に対処できないとき、人間には羞恥の感情や自己の意思力・能力への疑惑が生じる。それらの欲求を充足できるか否かの決定権が全面的に他者に委ねられているとき、人はもはや自分が自分をコントロールできるこということを信頼できなくなり、自分の内側までもがその他者に掌握されているという感覚を抱き、その他者を自分の支配者として認めざるをえなくなる。このような被支配感によって、急速に抵抗の意思を喪失し、美代子のさらなる支配を受け入れざるをえなくなるような状況へと追い込まれていったと思われる。
 人間が他の人間を完全に支配しようとするとき、相手の人間としての尊厳をもっとも傷つける行為として、性的行為が選ばれる。性的行為を人前でするのは、家畜や獣である。
 性的行為の強要は、支配者側にこの上ない優越感と愉しみをもたらすものとして、被支配者側を奴隷化しようとする試みの延長線上に自然に出てくるもの。
 極端な脅迫下では、どのような人でも必ず「背筋が折れる」。その第一段階が「ロボット化」である。被害者は、人間でない生命形態への退化によって生き延びようとする。おのれの内的自立を、世界観を、道徳律を、他者とのつながりを犠牲にして、感情に、思考に、イニシアティブに、判断にシャッターを下ろす。
 人間の破壊の第二段階は、被疑者が生きる意思を失ったとき。生きる意思の喪失は自殺念慮ではない。自殺は積極的意思の表明でありうる。生きる意思の喪失は、「絶対的受け身の態度」、すなわち生きながらの死者をつくる。
 ロボット化した心理状態の第一の特徴は、正常な心的機能の麻痺。
 このような状態にあっても維持されている唯一の精神機能は、自分自身を第三者に見つめる観察自我である。感情や思考といった内面的活動が麻痺して、ロボットや自動人形のように心が空っぽになった自分自身を、まるで自分とは無関係な物体の運動を見るかの如く(離人症的に)眺めている観察自我の記憶が残るために、被害者自身による外傷体験の記述は、しばしばそれをどう感じたかという描写を欠いた出来事の羅列になる。
 心理的狭窄は、監禁状態を生きのびるための適応の結果である。監禁された被害者は、人間らしさを放棄して支配者に絶対服従し、次なる虐待をともかく避けること、ただ生きのびることのみを目標とするようになる。そのとき、心理的狭窄は、適応に不可欠な形式となる。対人関係も活動も、思考も、記憶も、情緒も、感覚さえも狭くなる。
 被害者は、どの行動もすべて監視されており、主動的な行動は禁止されており、失敗したら高くつくことを身体に叩きこまれている。被害者にとっては、自分の主動的な行動は、すべて加害者に対する不服従を意味し、危険であると感じられる。だから被害者は、最後には、これまでどおり服従していれば、再び激しい虐待を受けることだけは避けられるだろうという安全策を選んでしまう。内面の激しい葛藤と裏服に、外面的には完全な従順さを維持し続ける。
 監禁生活のなかで、食事は1日1回、わずかな量しか与えられなかった。飢餓衝動には圧倒的な影響力がある。飢餓衝動は、あらゆる精神的な装いをかなぐり捨てる。文明の名で呼ばれるすべてのものは、この飢餓衝動に屈服してしまう。その結果、精神的に赤裸な状態で、動物のように、臆病に、激しく残酷に、自分本位に、自己中心的に、行動するようになる。
美代子のもとから逃げ出すことは、以前のような正常な社会生活に復帰すること。ところが、仕事もなく、住むところもなく、お金もない人間にとって、社会に復帰するための手がかりをすべて切られていた。一般社会とつながりたくてもつながれない状況に置かれていた。
 美代子というバタラーは、被害者側からの肯定を求める。バタラーの究極の目標は、自発的な被害者をつくり出すことにある。美代子は、角田ファミリーのメンバーからの自発的な愛情と感謝の表明を常に要求し続けた。被害者の心理的支配の最終段階は、被害者がみずからの倫理原則をみずからの手で侵犯し、みずからの基本的な人間的つながりを裏切るようにさせてはじめて完成する。
 一つの理不尽を受け入れたことが、次なる理不尽の受け入れにつながっていく。
 内側からの自立性を脅かされ、外側から尊厳を傷つけられ、自分が自由意思をもった一人の人間であるという感覚は、きわめて効果的に破壊されていく。
一般に、虐待者の加害者によって、あらゆる人間関係が断絶され、孤立させられた被害者は、許容されている唯一の対人関係である加害者への依存的関係にはまり込む傾向がある。被害者は加害者の中に良き人間性を発見し、そこにしがみつきたい誘惑にかられる。  
人間とは何か、どういう存在なのか、極限状態に置かれた人間の行動の分析を通じて、よくよく考えさせられました。司法に関係する人にとって、必読の本だと思います。
          (2015年12月刊。3200円+税)

身近な鳥の生活図鑑

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者  三上 修 、 出版  ちくま新書
 わが家からスズメがいなくなりました。10年くらい前までは家の2ヶ所スズメの巣がありました。トイレに入ると、子スズメたちのにぎやかな声が聞こえてきたものです。親スズメは巣に入るときは、そっとして音を立てません。今でも、古くて固くなったパンくずを庭にまくのですが、何日もそのままなのが残念です。
 毎年やって来るジョウビタキが今年は、なぜかほとんど姿を見せてくれません。愛嬌ある仕草で、大好きな小鳥が来てくれないので庭仕事が物足りません。
 相変わらず多いのがヒヨドリです。ヒヨドリ夫婦がいつのまにか庭のスモークツリーに巣をつくっていて、ヘビに狙われてヒナが食べられてしまったことは、このコーナーで報告しました。ヒヨドリ自体は毎日うるさいくらいに鳴きかわしてやって来ます。
 この本は、スズメ、ハト、カラス、ツバメなど、身近な鳥の生活習慣を教えてくれます。
 スズメは、オスもメスも同じ色をしているので、観察しているだけで見分けるのは不可能。スズメの足の指は4本。前に3本、うしろの1本。スズメが巣をつかうのは1ヶ月ほど。子育てのため。スズメは同じ巣を何度もつかう。スズメは、合計4~6卵を産み、全部うんでから卵を温めはじめる。そして2週間ほどで孵化する。
 スズメは雑食だが、ヒナに与えるのは昆虫が多い。親鳥による子スズメへの世話は、巣立ちして10日間ほど。
 子スズメは秋になると一部は長距離を移動する。なかには数百キロ先まで移動する。
巣立った子スズメのうち半数以上は、その冬を越せない。しかし、6年以上も生きたスズメがいる。スズメが群れている時に鳴きかわしているのは、個体同士で意思疎通をしているということ(ではないか・・・)。
 スズメの数は1990年に比べて、半減している。日本にスズメは1800万羽いる(だろう)。
 減ったのは、スズメが巣をつくれる場所が減ったから・・・。そして、エサをとれる緑地が減っていることから。
 スズメを飼ってみると、スズメは人を見分けていることが分る。
ハトはミルクで子育てをしている。ハトの食道でミルク(ピジョンミルク)を作り出す。オスもこのミルクを出せる。
 鳥はおしっこはしない。糞と一緒に、水の必要のない形で排出する。
 鳥は一般に、あまり水を飲まない。飛ぶために身体を軽くする必要があるから。
 ハシボソカラスは繊細なカラスなので、開けた場所を好む。ハシフトカラスは神経が図太く、高いところから見下ろしてエサをとる。ボソとフトでは、体重差が1.5倍もある。地上を歩いているカラスはハシボソカラス。フトは、ぴょんぴょん跳ねて移動することが多い。
 わが家には、メジロもよくやって来ます。
ヒヨドリが10羽ほど一度にやって来て、収穫間近のほうれん草をたちまち食べ尽くしてしまったこともあります。
 身近な小鳥をもっと知りたいと思っている人に一読をおすすめします。
          (2015年12月刊。940円+税)

真田一族と幸村の城

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者  山名 美和子 、 出版  角川新書
真田幸村のことがよく分かる新書です。
真田一族は信州小県(ちいさかた)地方、上田盆地の北東隅の真田の里に発祥した小さい豪族。戦国時代、真田の里の四囲には、群雄が勢力を競って、ひしめきあっていた。
小豪族の真田氏は、大勢力の真っただ中をかいくぐって台頭し、戦国大名にのしあがり、激動の世に名をとどろかせた。真田三代は、すぐれた調略戦を駆使した。
真田一族は、時勢に応じて武田、織田、豊臣、上杉、徳川と同盟したが、武田のほかは主君としていない。
真田幸村の父・昌幸は、秀吉から「表裏比興(ひょうりひきょう)の者」と言われた。これは、卑怯者というより、変幻自在の知略策謀による、あざやかな出前進退が興味深いというのもで、いわば戦国武将へのほめ言葉だ。
真田一族は六文銭(六連銭)の旗のもと、覇者への野望をいだくこともなく、国のごとく時代を疾走していった。
ヤマカン(山勘)というのは、当て推量のこと。山本勘助が上杉謙信との戦いのときに霧を読み誤ったことから来る言葉。
天正13年(1585年)、昌幸と家康とが戦った第一次上田合戦のとき、徳川軍の戦死者1300人、これに対して真田軍は、わずか40人のみ。真田軍の大勝利だった。
幸村が無名だったのは、次男だったから。江戸時代の前まで、長子相続は定まっていなかった。
幸村は20歳からの12年間を、秀吉の馬廻衆(近習)として秀吉のそばに仕えた。父の昌幸は、嫡子の信幸を家康に仕えさせ、幸村を秀吉の人質にした。これは、戦国の世には、よくあること。
戦国武将の多くは、世俗権力の介入を拒む高野山に菩提所をもちたいと願った。幸村の兄・信之は、93歳まで長生きし、戦国時代を知る語り部として奉公した。
真田家は、江戸時代に老中まで出して、名功として明治まで生き残った。
幸村は高野山においてたくさんの子らの声に囲まれていた。戦国武将の一人として、正室のほかに4人から5人の特定の女性がいて、子どもも10人を超えることは珍しくなかった。 
気軽に読める新書です。
(2015年9月刊。800円+税)

水車小屋攻撃

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  エミール・ゾラ 、 出版  岩波文庫
 岩波文庫でフランス文学の古典が出たので、読んでみました。
 大学生以来フランス語を勉強しているわけですので、50年近くにもなることからフランス文学を原典で読めたら、どんなにいいことでしょう・・。
 でも、現実は原典を読むどころか、覚束ない会話力がサビてしまわないように維持するのがやっとなのです。トホホ…。
 この文庫本はゾラの短編集です。ゾラというと、「ジェルミナール」などの長編小説を思い出しますよね。
 普仏戦争(プロシア=ドイツとフランスの戦争)の現実を批判的な立場から描いた「水車小屋攻撃」など、読ませます。
 訳者の解説によると、ゾラの作品は戦争一般の残酷さと愚劣さを、のどかな田園風景のなかで展開する牧歌的な恋と対比することによって浮き彫りにしようとしている。
 戦争というものは、勝とうが負けようが、平和な市民生活を破壊するものでしかない。このことを、じっくり味わうことができる。かのアベ首相に読ませたいものです。
 フランス全体が愛国的な、好戦的な雰囲気に包まれるなかで、ゾラは反戦を訴える勇気を示した。
 今の日本にもなんとなくそんな雰囲気がありますよね。それを根本であおっているのがアベ首相を先頭とする自民・公明の与党です。口先では「平和を守るために必要だ」なんて聞こえのいいことを言って、日本の青年を平気で死地に追いやる安保法制法を「成立」させた責任は重大です。
 ゾラの小説を読みながら、今年も、安保法制法の廃止を目ざしてがんばる決意を固めました。
(2015年10月刊。860円+税)

ヴィクトリア女王の王室

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  ケイト・ハバード 、 出版  原書房
19世紀イギリスのヴィクトリア女王の宮廷の実情が女王付きの女官の生活を通じて明らかにされている本です。
宮廷というのは、とんでもなく退屈な空間だったことがよく分かります。私なんか、とても耐えられそうにありません。
空想以外には何の退屈しのぎもなく、何時間もただひたすらじっと待機しているだけの状態が続く。「命令」を待つだけの終わりのない待機。頭ごなしの命令を受け入れるしかなく、義務にがんじがらめにされるだけ。宮廷は、毎日が同じことの繰り返しで、それが毎年続いていく。ウィンザー城の生活は、おだやかな退屈とともに進んでいった。
ヴィクトリア女王は、誰がどの部屋に泊まるのか、誰が馬に乗って、誰が馬車に乗るのか、さらには食堂に入るときにつくる列の順番まで決めていた。つまり、訪れる者たちのあらゆる行動を管理していた。
王室というのは息苦しい閉鎖空間だ。少人数で、互いを思いやる必要がそれほどなく、暇をもてあまし気味で、しかも家族や友人といった外の世界とは切り離されている。そこでは、ほんのわずかなゴシップの種にも飛びつき、むさぼる者が大多数だった。
ヴィクトリア女王は独立心の権化とも言える存在だった。女王が下す判断は本能的かつ断定的で、自分が愛する人々に対しては熱狂的に、ときには盲信的なまでに忠実だった。他方、自分が気に入らなかったり、それ以下の感情を抱いた相手に対しては、徹頭徹尾、冷ややかに接した。
女王に近づいたり離れたりする際の決まりがあった。ドレスの裾をどうやって持ちあげるかについても規則があった。離婚した女性は夕食には同席できなかった。
ヴィクトリア女王にとって、子どもたちは、人生にとってもっとも大きな喜びである夫・アルバートとの人生における障害物だという意識を捨てることができなかった。
エリザベス一世の時代、女官たちは、上から寝室付きの女官、私室付きの女官、女官、未婚の女官と、4つの階級に分かれていた。ヴィクトリア女王の女官は大部分が下流貴族の妻や未亡人や娘たちだった。
宮廷では、自由な意思と自主性は捨てる必要があった。そこでは、辛抱と自制心、そして寛容の精神が求められた。
イギリスの女王の宮廷生活の一端を知り、その恐ろしい退屈さを知って、身が震えてしまいました。可哀想な人生としか私には思えません。創意や工夫が許されない生活だなんて・・・。人間らしさが感じられません。
(2014年11月刊。2800円+税)

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