法律相談センター検索 弁護士検索
2015年12月 の投稿

アジアのなかの戦国大名

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者  鹿毛敏夫 、 出版  吉川弘文館
  戦国時代の大名が海外貿易に積極だったことがよく分かる本です。
  周防(すおう)山口に本拠を置く大内氏は、15世紀半ば過ぎ、それまでの対朝鮮交易に主体的に乗り出していった。大内氏は、16世紀半ばの天文7年と天文16年の2度とも、遣明船経営を独占した。
  天文7年(1538年)の遣明船は、大内船三艘で編成されていたが、各船には百数十人が乗り込み、総勢400人をこえる船団だった。
肥後の戦国大名である相良(さがら)氏も遣明船を派遣した。相良晴広は、天文23年(1554年)に、「市木丸」を明に派遣した。このとき、日本からは、銀を持っていった。豊後(ぶんご)の大友氏も遣明船を派遣した。
  これまでの通説では、大内氏が滅亡した天文20年(1551年)をもって勘合貿易が断絶されたとされているが、実は、このように相良、大友、大内ら西日本の地域大名によって遣明船は派遣され続けていた。
  ただし、それは明(中国)側にとっては、密貿易(倭冠船)そのものでもあった。
  すなわち、16世紀に日本の地域大名が派遣していた遣明船は、明政府から日本国王使船として認められたら正式な朝貢貿易船として振る舞い、認められなければ密貿易船として南方海域で私貿易活動を行うというように、裏表を使い分ける二面性を有していた。
  15世紀の遣明船が日本から中国(明)へ運んだ最大の輸出品は硫黄だった。木造帆船に軽自動車54台分の重さの硫黄を積んで東シナ海を横断した。
  宋代の中国では、火薬を兵器として利用することが拡大し、黒色火薬の原料としての硫黄の需要が急増した。11世紀の宋政府は、日本から大量の硫黄を買い付け、軍需物資として硫黄を国家的に管理した。このころの日本では硫黄が、鬼界島(硫黄島)や大分で掘られていた。
  ゴールド(金)ラッシュ、シルバー(銀)ラッシュと同じように、サルファ―(硫黄)ラッシュが出現していた。15世紀から17世紀までのこと。
  カンボジアやシャム(タイ)とも九州の諸大名は取引をしていた。カンボジア国王は、大友氏へ返礼として象を送ろうとしたようです。
  西日本で多くのキリシタン大名が生まれたのも、これらと関係がある。戦国大名で最初に受洗したのは肥前の大村純忠。その後、九州では有馬氏や大友氏、中・四国では宇喜多氏や一条氏、幾内では高山氏。このように、西日本で多くキリシタン大名が生まれている。
 戦国時代の日本の実情について知らないことがたくさんありました。
(2015年9月刊。1700円+税)

あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  津田 久資 、 出版  ダイヤモンド社
 灘高そして東大法学部を卒業した著者は東大卒よりお笑い芸人のほうがすごいと強調しています。なぜ、どこが、すごいのか・・・。
テレビに出ているお笑い芸人の大半は、かなり優れた思考力を持っている。彼らは、深く考える習慣をわがものとしているので、強い。
 アイデアの質の高さは、アイデアの量が大きい。つまり、一流と言われる人ほど、発想量が多い。トップクラスのコピーライターは、100本のコピーを仕上げてもってくる。三流とか四流のコピーライターは、100本持ってくることはなく、あれこれ弁解する。
優れたアイデアを出せる人は、自分の直観力に信頼を置いていない。一流のクリエーターほど、愚直に考えて発想の数をギリギリ増やしている。
 発想することの本質は、思い出すこと。発想すると思い出すの両者は、頭の中から何かを引き出す点で共通している。
 「思い出す」のは、頭の中の情報(知識)を顕在化させること。「発想する」とは、頭の中に潜在的に眠っているアイデアを顕在化させること。
 ひとが考えているかどうかを決めるのは、その人が書いているかどうかである。アイデアを引き出すとは、アイデアを書き出すこと。
私も絶えず、頭の中に浮かんだことをメモに文字化するようにしています。車を運転中に、ふとひらめくことがあります。そんなときには、安全に心がけながらもメモを素早くとります。文字にしないと、すぐに忘れてしまうからです。
 頭の中に、いくらいいアイデアがあっても、それが文字にならない限り、どうしようもない。
 頭の中の情報は「絶対量」を増やすよりも、多様性(幅)を重視すべき。
 頭の中の情報を「知識」で終わらせず、「知恵」へと深めるべき。
 知恵とは、成り立ちや、理由までふくめて理解された知識のこと。知恵に転化された知識は、ほかの知識とより結びつきやすい。メモをとったら、なるべく早く文章にしておくこと。これが大切。
 このあたりは、まったく同感です。こまめにメモをとり、文章化していくのです。私が日頃実践している手法が高く評価されていて、とてもうれしく思いました。
(2015年11月刊。1400円+税)

ムシェ、小さな英雄の物語

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  キルメン・ウリベ 、 出版  白水社
 1937年、スペインのバスクから2万人の子どもたちが海路、フランス、ソ連、イギリスそしてベルギーへ旅だった。スペイン内戦からの疎開だ。この2万人のバスクの疎開児童は、その後、どうなったのか・・・。
 この本は、バスクの少女・カルメンチュのベルギーにおける里親となったロベール・ムシェの人生を追跡しています。
 ロベールは、より良い世界のためにすべてを捧げた。当時は、そういう人間が必要とされた。戦争のなかで、もっとも人格に優れた人たち、心優しい人たちが命を落とした。
 ところが、英雄であることは、裏の、陰の側面をもっている。それは、後に残された者の苦しみ。夫と父親を亡くした苦しみを、生き残った人々に残した。そして、その後の社会の担い手になるのは、その生き残った人々なのである。
 ロベールはレジスタンス活動をしていくなかで、ついにナチスに捕まり強制収容所に入れられた。そして、強制収容所のなかで、ロベールは若い弁護士と知りあった。収容所内でもレジスタンス活動はあり、政治犯たちは囚人たちを目立たないようにして保護していた。
ロベールの収容所での役割は、希望を広めること。この地獄も終わりが近いことを伝えることだった。
ナチスの目的は、囚人たちに死の脅威のほかには何も考えられなくなるように仕向けること、苦悶と屈辱を味わわせることだった。それに対して、レジスタンス運動のグループは、言葉を用いて、口伝えで情報を広め、士気を高め、希望をよみがえらせることでナチスと闘った。言葉こそがささやかな武器のなかで、もっとも強力なものだった。この秘密裡の活動を通じて、ロベールは生き返った。人々に勇気を与える役目をこなしながら、愛する妻子のもとに帰れると知ったことで、生きる喜びがふたたび湧きあがってきた。
 ロベールには、人生で何より大切なことが二つあった。それは、愛と正義。この二つの目標を持つことで、ロベールはその長く厳しい冬を耐え抜いた。
 著者は1970年にバスクで生まれています。親の世代に何がバスクで起きたのかを調べて小説風の読み物に仕立てたのです。
 バスクを旅だった2万人の子どもたちの多くが再びバスクに戻ることはなかったようです。
 有名なゲルニカの虐殺が起きたころのスペイン内戦にからんだ話でした。まったく知らなかった話です。
(2015年10月刊。2300円+税)
今年は国際的にも、日本でも大変な年でした。フランス大好きな私にとって、パリの同時多発テロはショックでした。空爆でISを「退治」できるはずがありません。暴力の連鎖がひどくなるばかりです。アベ首相の安保法によって自衛隊が海外へ戦争しに出かけることが可能となり、日本の平和が危なくなってしまいました。安保法を運用させない、その廃止を目ざして新年もがんばります。
今年よんだ本は540冊になりました。そして、40年前の修習生活をようやく小説化することができました。春までの出版を目ざしています。私がこの本で訴えたいことは、裁判官にもっと勇気をもってもらいたいということです。夫婦別姓の最高裁判決は自民党への気がねのしすぎです。福井地裁の原発容認は電力会社に屈服してしまっています。残念です。
新年もどうぞ、ご愛読ください。

第二次世界大戦1939-45(上)

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  アントニー・ビーヴァ― 、 出版  白水社
  本書について、半藤一利氏が、「東西の戦史の全容を網羅した決定版」だとオビに書いていますが、読んだ私もそう思いました。
  正しい「歴史認識」のために必読書なのです。アベ首相も読むべきです(どうせ、読まないでしょうし、読んでも理解できないのでしょうが・・・)。
  なにしろ第二次世界大戦を上・中・下の3巻にまとめていて、上巻だけで530頁もあるのです。とても全容を紹介することはできません。ヨーロッパ戦線から、日本をめぐる戦線までトータルに紹介しているのです。
  著者の戦史ものは、「ノルマンディー上陸作戦」「パリ解放」など、いくつもあり、それなりに読んでいますが、いずれも本当に読みごたえがあります。
  ヤン・キョンジョンという人物がいます(いました)。戦前、18歳のとき、朝鮮人のヤンは大日本帝国に徴兵され、満州の関東軍に配属された。ノモンハンの戦いでソ連赤軍に捕えられて収容所に入れられた。そして、対ドイツ戦の戦力補充のためソ連赤軍の兵士として、ハリコフの戦いに投入された。そこで、ドイツ軍の捕虜となり、今度はドイツ軍の「東方兵」の一員としてノルマンディー上陸作戦のときにはドイツ軍の守備隊の一員になった。そして、連合軍のノルマンディー上陸作戦が成功すると、アメリカ軍の捕虜となって、ついにアメリカへ渡った。アメリカで1992年、72歳で亡くなった。本当でしょうか・・・。実際、彼の半生を描いた映画をみた覚えがあります。信じられないほど劇的な人生ですよね・・・。
  ヤンが24歳のとき、ノルマンディーで捕虜になったころの写真があります。ふてぶてしい顔は、歴戦の勇士とは、こんな顔をしてるのかと思わせます。
  ヒトラーとナチ党は、ユダヤ人を孤立させる施策を講じ、一般市民の圧倒的多数を説得することに成功した。それ以降、人々はユダヤ人の運命に関心をもたなくなっていった。それがあまりにも簡単だったため、その後は、多くの人々がユダヤ人の家財の略奪、アパートの巻き上げ、ユダヤ系企業の「アーリア化」に狂奔した。
  イギリスのチェンバレン首相は、虫垂が走るほど共産主義者が嫌いだったので、スターリンと交渉する気になれず、またポーランドの力量を過大評価していた。
  要するに、イギリスはヒトラーとナチスをあなどっていたのです。ナチス・ドイツはスターリンとの協定によって多大なる恩恵をうけた。穀物・石油・マンガンはソ連が提供した。そしてゴムはありがたかった。
  ソ連赤軍は、ポーランドに進入すると、ポーランド、ナショナリズムの延命に貢献しそうな人物、すなわち地主・法律家・教師・聖職者・ジャーナリスト・将校などをすべて摘発し、処刑した。階級闘争と民族去勢の同時達成が企図された。
  フィンランド軍は15万人、しかも予備兵役と若者が占めていた。しまし、この15万人の兵士が100万人をこえるソ連赤軍に立ち向かった。赤軍の司令官は、粛清の恐怖におびえ、やみくもに将兵を前線に駆り立て、死なせていった。
  日本軍は、1937年12月、すべての捕虜を殺せとの命令を受けて南京城内に入った。第16師団のある部隊だけで1万5千人の中国人捕虜を殺害した。南京事件の被害者は20万人近い。  
  その構成員から人間性を奪っていく帝国陸軍の矯正プロセスは、日本人兵士が中国に致着した瞬間から、さらに一段と強化される。
  日本軍と戦っていた中国の国民党軍は、ソ連から500機の軍用機と150人の「志願」パイロットを受けとっていた。中国で常時150~200人のソ連パイロットが活動していて、2000人のソ連人が中国の空を飛んでいた。
  ダンケルクの撤退戦において、イギリス海軍本部は、せめて4万5000人は救いたいと考えていた。しかし、現実には、33万8000人をイギリス本土へ運ぶことができた。うち19万3000人がイギリス人で、残りはフランス人だった。8万人のフランス人兵士が置き去りにされた。
  ヒトラーがドイツ軍の進撃を停止させたのは、手持ちの装甲部隊が担当劣化していて、ここで虎の子を使い果たしたくなかったから。
  バトル・オブ・ブリテンは、イギリス軍とドイツ軍との空軍同士の戦いだった。このとき、イギリス空軍は723機を失った。しかし、ドイツ空軍は2000機も喪失した。ドイツ空軍はイギリスを夜間爆撃して2万3000人が亡くなった。しかし、イギリス国民の戦意は喪失するどころか、高まる一方だった。
  よくぞ調べあげ、まとめたと驚嘆するばかりです。
(2015年9月刊。3300円+税)

朝鮮・東学農民戦争を知ってますか?

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者  宋 基淑 、 出版  梨の木舎
  日清戦争が始まったのは1894年。その年に、朝鮮半島で、農民が立ちあがりました。
  はじめ、敵は中国でも日本でもなく、朝鮮王朝の横暴な政治への抗議行動でした。
  1000人で始まった農民軍の戦いは、次第に増えていき、ついには、何万人、何十万人へとふくれ上がっていきます。朝鮮王朝の政府軍に対しては、農楽隊が景気づけをしながら、鶏かご作戦など、知恵と工夫で連戦連勝していきます。
  ところが、中国軍が登場し、さらには、日本軍が出てくると、農民軍は竹槍主体でしかなく、武器・弾薬がたちまち欠乏して、日本軍の近代兵器の前には、なす術もなく敗退していきます。日本軍は戦上手なうえに冷酷無比。農民軍を圧倒し、虐殺の限りを尽くすのです。
  日本人として、日本が朝鮮半島を植民地化していく過程をきちんと認識しておく必要があると痛感しました。
  この本には、初めにマンガで少し背景の説明があります。それで、イメージをもって本文にとりかかれます。本文は、子ども向けのように分りやすい文章で、農民軍のたたかいの苦労がよくよくしのばれます。
この本の最後に訳者あとがきのなかで、1995年に北海道大学の研究室で発見された「東学党首魁」の頭骨のことが紹介されています。日本にとっては単なる反乱軍のリーダーだったのでしょうが、朝鮮・韓国の人々からすれば、まさしく英雄です。遺骨を韓国へ無事に送り返すことができたのは大変すばらしいことだと思います。
  このあと、朝鮮では、日本の植民地支配に抗して1919年3月1日に3,1独立運動が起きます。民族の独立と自由ほど尊いものはないのです。
  この本は、そこに至る朝鮮の人々の姿を生き生きと描いています。
  
(2015年8月刊。2800円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.