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2015年9月 の投稿

太閣の巨いなる遺命

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者  岩井 三四二 、 出版  講談社
 ときは戦国時代。江戸時代がまだ始まる前のこと。日本人は、東南アジアとの交易を盛んにしていたのです。タイのアユタヤに出かけていきます。
鹿皮はシャムの国の特産品。ほかには、染料のもとになる蘇木(そぼく)、高価な香料の沈香(じんこう)、象牙、絹などが買い付けられ、日本からは刀や塗り物、銅などが持ち込まれる。支払いに一番喜ばれるのは銀だ。
 日本で生み出される大量の銀が、アユタヤとの交易を回している。だから、銀を積んだ朱印船が年に何十艭も日本を出航し、アユタヤばかりでなく南洋の各地をめざして海を渡っている。南蛮船や明国の船も、日本の銀を求めて南洋各地と日本を往反(おうへん)している。
 アユタヤには日本町があり、1000人近くの日本人が住んでいる。チャオプラヤ川に沿って南北に5町、東西の幅が2町ほどの矩形の中にある。アユタヤ産の鹿皮は、革袴や革羽織、馬に乗るときにつける行膳(むかはぎ)、甲冑(かっちゅう)の飾りなどに使われ、日本の武士のあいだで人気が高い。少し前まで鹿皮はルソンから日本に持ち込まれるものが多かったが、いまはアユタヤが最大の産地である。
 イエズス会は、バテレンの元締めであるローマ教皇に忠誠を誓った熱心な信徒の集まりだ。いわば、ローマ教皇の直参馬廻り衆である。デウスの教えを世界に広めるために設立されたのだが、ポルトガルとイスパニアという世界に覇を唱えた強国の力を背景にし、信仰のためには、どんな危険な地域にも入り込む、忠実で優秀な人材を抱え、なおかつ軍勢のように上意下達の仕組みを持っている。
 イエズス会が現にやっていることは、神の教えを広めるという崇高な建前とは裏腹に、ずいぶんと世俗の塵にまみれている。南蛮人が行く先々で、その地の人々に神の福音を説き、人々を手なずけて南蛮船が着く湊をしつらえ、商人が交易できるよう手助けする。
 果ては、ゴアやマカオのように、他国の領土に南蛮人の居留地をつくってしまう。そして、宣教師たちも、当然のように商売をし、ぜいたくも蓄財もするのだ。
 宣教師たちは、京都など宣教に訪れた日本各地では清貧な暮らしをして見せていたが、おのれの領地である長崎では下僕を使い、ポルトガルから運んだ酒や食物を飲み食いするなど、贅沢な暮らしをしていた。
 宣教師になるのに必須であるラテンの言葉や教養を学ぶのは、資力に余裕のある家に生まれなければ出来ないこと。だから、宣教師たちは、もともと貴族か裕福な商人だった者ばかり。貴族だから、召使を身辺におき、贅沢するのは当たり前だと思っている。そこは、日本の位の高い坊主と変わらない。
 しかも、南蛮の貴族は武人の一面も兼ね備えている。戦いとなれば、馬に剰従卒をひきいて出陣する。イエズス会が長﨑を守ろうとして大筒鉄砲を持ち込んだのも、もともと武人でもあった宣教師たちの目からすれば、何の不思議もない。
 手に汗にぎる大海洋冒険小説です。著者のたくましい想像力によって海賊船とのたたかい、そして海上戦闘をしっかり堪能することができました。
(2015年7月刊。1800円+税)

日本とイスラームが出会うとき

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 小林 明子   出版 現代書館
 
2014年現在、日本全国にあるモスクやムサッラーは80ヶ所。
ムサッラーは簡単な礼拝施設のこと。
日本のムスリム人口は10万人。
山梨県甲州市には、1万平方メートル(2700坪)のイスラム霊園がある。
日本人がイスラムへ改宗する理由の多くが結婚による。一般に、イスラームにおいて「棄教」は認められない。それは、刑罰では死刑になる。
日本自動車ユーザーユニオンで活躍していた安倍治夫弁護士(故人)が、日本イスラム教団の専務理事だったことを初めて知りました。
これまで日本にイスラームが広まらなかったのは、宗教的な感覚、あるいは価値観の違いが原因と思われる。イスラームは一神教の価値観で実践される宗教・文化であり、それは日本社会の習慣にあっていない。日本の宗教的伝統は、多神教的であり、非常にあいまいである。宗教の教義により社会や日常生活に厳密な規定があるイスラームとは根本的に異なっている。
イスラームでは、他の宗教のように「輪廻転生」(りんねてんしょう)を認めてはおらず、人間は楽園か火獄(かごく)のどちらかに行き、永遠の命を与えられる。だから、イスラムには、来世を楽園で過ごすために、現世でイスラームの教義に則した生活を送るよう努めることが求められる。
楽園は水と緑にあふれ、いくら飲んでも悪酔いしない酒を飲み、好きなだけ食べ物を食べることができる。火獄に行くと、業火(ごうか)によって永久にその身を焼かれることになる。
日本とイスラームとの関わりの現実と問題状況を知ることのできる本です。
(2015年6月刊。2600円+税)

満州難民

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  井上 卓弥 、 出版  幻冬舎
  いざというとき、国家は国民を助けず、冷酷に見捨ててしまう。
  そのことを証明しているのが、戦争末期の満州難民です。軍隊も国も、さっさと自分たちは列車に乗って日本に帰り、寄る辺なき大勢の日本人家族が満州の地に取り残されてしまいました。
  王道楽士をつくるという幻想にかられて満州へ移住していった日本人を、今の私たちが馬鹿な人々だと切り捨てるのは簡単ですが、それは日本の国策だったのです。その国策にしたがった人たちを日本の国家が見捨ててしまったのですから、国家指導者の責任は重いというべきです。
  いま、自民・公明の安倍政権は嘘八百を並べたてて戦争法案を強引に成立させようとしています。日本の自衛隊をアメリカと一緒になって地球の裏側まで派遣して海外での戦争に参加させようとする憲法違反の法案なのに、国民に対しては中国や北朝鮮の脅威をあおりたてて法案の必要性をことさら言いつのっています。マスコミでは桜井よし子が安倍政権の応援団です。こんなひどいウソを一国の首相が言い続けて、それをNHKなどのマスコミがそのまま垂れ流しているのです。許せません。
  主戦直後の8月9日、10日の2日間に、関東軍と軍属そしてその家族3万7000人が鉄道をフル稼働させて新京を発って南へ向かい、日本本土へ引き揚げていった。
  当時、満州在住の日本人は155万人いて、開拓移民は2割ほど。その3割近い8万人ほどが生命を失った。日本政府は、満州に住む日本人の一般住民(民間人)の日本本国への帰還について、きわめて冷淡だった。満州での日本人死者17万6000人のうち、開拓移民の犠牲者は8万人近かった。
  満州各都市における日本人死者は、終戦前に48万人の日本人人口をかかえた奉天が3万人で、一番多い。新京特別市は15万人の日本人人口が敗戦後は20万人にまでふくれあがり、うち2万7000人が亡くなった。
  ある子どもは亡くなる前に、「僕を穴のなかに埋めないでね」と言い残して息を引きとった。本当に可哀想です。何度読んでも涙が出てきます。
  終戦当時、朝鮮半島にいた日本人は、北緯38度線より北に30~40万人、南側に50~60万人。合計80~100万人。朝鮮北部にとめおかれた日本人は難民7万人をふくめて40万人。そして、1年間で3万4000人が亡くなった。その犠牲者の大半が子どもと女性。厳冬期のことだった。
  戦争の悲惨さを改めて実感させる本となっています。
  このような事態を引き起こした政府の責任は厳しく追及されるべきですし、いま再び安倍政権は同じ道に突きすすもうとしています。許せません。
(2015年5月刊。1900円+税)

生きて帰ってきた男

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 小熊 英二   出版 岩波新書
 
著者の父親の伝記です。さすがに社会学者だけあって、裏付け調査がすごいのです。父親の語る話が細かいところまで具体的なのには驚かされます。この親にして、この子あり、という気がしました。よくぞ、ここまで調べ尽くしたものです。
実は、私も父の聞き書きをもとにして、同じような伝記を完成させたことがあります。父が病気(癌)のため入院しているときに、テープレコーダーを病室に持ち込み、その生い立ちを語ってもらい、あとでテープ起こしをし、また、私なりに歴史を調べ、父が語った事実を裏付けていったのです。
たとえば、私の父は「三井」の労務係の一員として、朝鮮半島に徴用に行っています。朝鮮人の強制連行は炭鉱でひどかったのですが、化学工場では無理でした。勤労意欲のない人を、精密な化学工場で無理に働かせても、まともな商品はつくれなかったというのです。なるほど、と私は思いました。強制労働は単純肉体労働でしか役に立たない、このことを父からの聞きとりで理解しました。
この本は新書版で390頁もある、大変な労作です。最後に紹介された言葉がいいです。さまざまな質問の最後に、人生の苦しい局面で、もっとも大事なことは何だったかを訊いた。
父親はシベリアに抑留され、また戦後の日本で結核療養所に入っていた。未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切だと思ったか?
「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」
この答えだけでも、本書はここに紹介する価値があると思いました。
著者は、最後に、こう書いています。
父はやがて死ぬ。それは避けえない必然である。しかし、父の経験を聞き、意味を与え、永らえさせることはできる。それは、今を生きている私たちにできることであり、また私たちにしかできないことである。
なるほど、そうなんですよね。団塊世代の私たちは、みな定年退職してしまっていて、自分を振り返っています。先日、私が母のことをまとめた本(こちらも新書版)をネットで知ったとして、私の見知らぬ人から手続をもらいました。なんと、私と同じ年に生まれ、同じ年に東大に入った人でした。母の異母姉の夫の孫にあたる人ですから、私とまんざら縁のない人ではありません。世の中は狭いものだと痛感しましたし、ネットの威力を改めて思い知らされました。
1937年12月、南京が陥落したとき、「提灯行列」があった。下のほうは冷めていた。戦争について、勝った話ばかりが伝わってきて、そのたびに日本軍が占領した場所に地国の上に旗を立てる。ところが、いくら旗を立てても、戦争が終わらない。
なるほど、こんな冷めた見方が当時もあったのですね。
旧制中学の国語教師は、乃木希典について、こう言った。
「乃木さんは、日本では偉いことになっていますが、外国では、軍人としては能力不足で、そのため多くの犠牲者が出たと言われている」
ホント、そうなんですよね、、、。
サイパンで日本軍が「玉砕」し、東京が空襲されるようになって、日本の敗北が論理的に考えると必至になった。このとき、人々は、それ以上のことは考えられなかった。考える能力もなければ、情報もなかった。考えたくなかったのかもしれない、、、。人間は悪いことは信じたくない。 いつでも希望的観測をもってしまう。
シベリア抑留で、日本人が次々に死んでいった。おそらくロシア人は、日本兵がこんなに寒さに弱くて、犠牲者が続出するとは思っていなかったのだろう。
栄養失調になると小便が近くなる。もう少しひどくなると、下痢になる。夜中に、みんな頻繁に起きて小便に行っていた。便所で尻を出しても、尻は丸いから凍傷にはならない。凍傷になるのは、鼻とか指だ。鼻が赤くなっていたら、気をつけてゆっくり暖めないと、鼻が落ちる。誰もが、他人の消息を気づかうような、人間的な感情が失せていた。
戦前、「生きて虜囚の集めを受けず」という戦陣訓を教え込まれていた将兵は、自決に失敗した東条英機を軽蔑したし、昭和天皇は終戦の責任をとって自決すると思っていた。
著者の父親は、日本に帰ってきた昭和26年から4年間、結核のために療養所生活を余儀なくされた。
淡々と、体験した事実を具体的かつ詳細に語っていくのには、言葉が出ないほど圧倒されてしまいます。でも、こうやってフツーの日本人の戦前・戦後の歩みが語られ、明らかにされるのは、とてもいいことだと思いました。そこには「自虐史観」というナンセンスな非難は存在する余地がありません。
(2015年6月刊。940円+税)

空のプロの仕事術

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 杉江 弘   出版 交通新聞社新書
 
月に1回か2回は上京しています。もちろん飛行機を利用します。本心は、飛行機は怖いのですが、もはや新幹線に乗って上京しようとは思いません。時間がかかるうえに疲れてしまうからです。大学時代には、上京するときは寝台特急「みずほ」を利用していました。夕方ころ出発して、翌朝遅くに東京に到着していたと思います。今では、このブルートレインはなくなってしまいました。
私の身近には、飛行機は怖いから乗らないという人が何人もいます。その一人、福岡の弁護士は、北海道まで新幹線を乗り継いで行ったというのです。すごく疲れたことでしょうね、、、。飛行機は、なんといっても安全を第一にしてほしいと思います。
アメリカの政府専用機、いわゆるエアフォースワンは、エンジンが4基あるボーイング747の200Bを使っている。なぜか? 安全性で優れているから。エンジンが4基あると、一つのエンジンが故障しても、残りの3基のエンジンによって目的地まで飛行できる。エンジンが2貴だと、一つのエンジンが故障したら、ただちにも最寄りの空港へ緊急着陸しなければならない。シベリア大陸の上を飛んでいたら、なかなか空港は見つからない。太平洋上だと海上着水しか選択肢はないこともありうる。
エアフォースワンには、航空機関士1人、航空士1人も搭乗して、2人のパイロットとあわせて4人で運航している。
日本のボーイング新型機は、エンジン2基で、パイロット2人でしかない。本当に大丈夫なのだろうか、、、。
航空会社の経営陣にとって、コスト削減で一番かんたんなのは整備費を少なくすること。今では、自主整備をしている会社は一社もなく、すべて整備専門の会社に外注している。これでは自社に人材が育たない。育つはずがない。
飛行機の運航の安全性を確保するうえで大切なものの一つに労働組合を尊重し、きちんと対話することだと思います。労組を統制の対象としてしかみない古いやり方から一刻も早く脱してほしいと思います。『沈まぬ太陽』(山崎豊子)を読んだとき、JALの理不尽な労務政策を知って怒りを燃やしました。今もJALとたたかっている人たちがいます。私は飛行機に乗るたびに、彼らが現場作業を監視してくれていると感謝しています。
飛行の安全性は、ぜひ今後ともぜひ厳守してほしいものです。
(2015年2月刊。800円+税)

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