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2015年4月 の投稿

女たちの審判

カテゴリー:社会

著者  紺野 仲右工門 、 出版  日本経済新聞出版社
 死刑囚を収容するのは刑務所ではなく拘置所。拘置所の職員が死刑執行を担当する。死刑を宣告される被告人だから何も本人に言い分がないかというと、そうとは限らない。そして、確定した死刑囚となったとしても、親兄弟そして妻や子などの関係者はいる。
 この本は、刑務所・拘置所の現場を知った人(元職員)によるものだけに、臨場感にあふれています。
 それにしても、熊本や福岡が舞台になっているのには、驚かされました。
 たしかに、熊本県北部を舞台として凶悪な殺人事件が起きたことがあり、犯人は死刑が宣告されて確定したと思います。
 そして、大牟田市が登場し、福岡拘置所が舞台となるのです。博多拘置所として登場します。
 大牟田弁、博多弁が出て来ますので、私にはとてもなじみやすい本でもありました。福岡県南部の暴力団抗争事件も背景事情として描かれていますが、実際、少なくとも十数人が抗争によって殺されたと思います。
 拘置所や刑務所の職員の派閥抗争も問題となってますし、名古屋であったような刑務官による被収容者(囚人)暴行事件も登場します。
 そして、職員が被収容者の秘密通信を手伝う行為があることも描かれています。このハト行為は、結局、発覚してしまうのですが・・・。
 私も20年以上も前、福岡刑務所内で銃の密造事件が発覚したとき、刑務所内でひそかにタバコを吸っていたことがあるという体験を聞かされ、驚いたことがあります。
 ともかく、とりわけ弁護士には読んでほしい本だと思いました。
(2015年2月刊。1600円+税)

日本語の科学が世界を変える

カテゴリー:社会

著者  松尾 義之 、 出版  筑摩選書
 私をふくめて、英文は読めても英語で話すことはできないという日本人がなんと多いことでしょう。もちろん、みんな漢字かなまじりの日本語のほうは縦横無尽に使っているわけなんですが・・・。
 幼児から英語を話せるようにすべきだ。大学での授業はオール英語にしよう、なんて言われると、英語を話せない私にとっては、とんでもなく怖い話にしか思えません。そんなに英会話ができる必要があるのでしょうか・・・。
 ノーベル賞を受賞した益川さんは、授賞式のスピーチで英語は話せませんと宣言して、日本語で話したのでした。英会話のできない科学者でもノーベル賞をもらっているという事実を、どう考えたらいいのでしょうか・・・。
 本書は、そのことについて大胆に答えています。日ごろの私の実感にもぴったり来る主張です。ぜひ、幼児英語教室万歳の人に考え直してほしいと思います。
 日本人科学者の英語の話し下手は、広く知られている。しかし、その理解力には定評があるし、超一流の英語論文を書く。
 日本人は英語ではなく、日本語で科学や技術の研究成果を展開している。
 日本人のつかう日本語には、科学を自由自在に理解し、創造するための用語、概念、知識、思考法まで、十二分に用意されている。
なぜ日本人は日本語で科学するのか。それは英語で科学する必要がないからだ。日本語で最先端のところまで勉強できる。自国語で深く考えることができる。実は、これって、すごいことなのである。
 母国語が日本語の人で、きちんと日本語で文章表現できない人が、英語できちんと科学を表現できるはずはない。日本語で論理的に考えられない人は、英語でも論理的に考えられない。
 日本人科学者は、英語によるつまらない論文書きを、1割りでも2割でも減らしたほうがいい。
明治になる前、日本語には科学も技術も、そんな言葉は存在しなかった。
日本語が正確に使えないことには、日本文化の構成員とはなりえない。だから、英語よりも国語(日本語)教育を充実させることが大切(必須)なのだ。
 中身がないのに、英語だけぺらぺらなんていうのは、使いものにならない。
英語がうまく話せない科学者でも、立派な英語の論文を書けるし、ノーベル賞までもらえることを多角的に実証した本です。
 ノーベル賞なんかは無縁の私ですが、いつだって、英語で話せなくても世渡りはできると叫んでいます。還暦をとっくに過ぎ、日本語はそれなりに使えるようになったと自負している私の主張を大いに励ましてくれる本でした。
(2015年1月刊。1500円+税)

帝国の慰安婦

カテゴリー:司法

著者  朴 裕河 、 出版  朝日新聞出版
 慰安婦問題を多角的に解明している本です。300頁、2100円という本ですが、ずっしり読みごたえがあります。
慰安婦の存在を世に広く知らしめたのは日本人だった。1973年、千田夏光(せんだかこう)の『従軍慰安婦、声なき女、8万人の告発』という本。
 当時の朝鮮では、まだ幼い少女たちをだまして連れていって売り飛ばすことは少なくなかった。わずか12歳の少女をかどわかして酌婦として売り飛ばそうとしたのは、同じ村の人だった。
 幼い少女たちが「慰安婦」になったのは、殆どの場合まわりの人がだまして連れていった場合が、彼女が所属した共同体が彼女を保護するような空間ではなかったケースである。
 慰安婦の多くは日本軍に要請連行されたというより、誘惑に応じて家を離れたと語っている。ただし、日本軍が慰安婦を必要とし、募集と移動に関与したことだけは否定できない。
 兵士たちに供給できる女性をもっと調達しようとした軍の希望を直接または間接的に知った業者が、慰安婦を「募集」した。
 慰安婦の多くは二重性をもつ存在だった。300万をこえる膨大な人数の軍隊がアジア全域にとどまりながら戦争を行ったため、需要が爆発的にふえた状況に対処すべく動員されたのが、慰安婦である。日本軍慰安所は、一様ではない。
 慰安婦を必要としたのは、間違いなく日本という国家だった。しかし、その需要にこたえて女たちを誘拐や甘言などの手段まで使って「連れていった」のは、ほとんど中間業者だった。「強制連行」した主体を日本軍とする証言も少数ながらあるが、それは軍属が制服を着て軍人と勘違いされた可能性が高い。
 軍と何らかの関係をもっていた朝鮮人が、その特権を利用して、軍の管理下に慰安所を経営していたのであろう。国家の規律を利用して慰安婦たちを競争させ、繰り返される暴行で「管理」していた主体は業者たちだった。当時も不法とされていた行為をしていた業者が多かったことを看過してきたことが「慰安婦」に対する正確な理解を難しくしてきた。
挺身隊とは、男たちが戦場に送られて労働力が不足したもとで、女性を工場の一般労働力として動員するための制度である。
 挺身隊に動員された若い人は、学校教育システムのなかにいた者たちである。
 慰安婦のなかで暗黙に公認された「強制」と強姦の対象は、中国やオランダ、フィリピンなど、「敵国」の占領地の女性だった。
軍人たちが戦争をしているあいだ、必要なさまざまな補助作業をするように動員された存在が慰安婦だった。その補助作業のなかでもっとも大事だったのは、軍人たちの性欲にこたえることだった。そこは、あたかも疑似家庭のような空間でもあった。性的に搾取されながらも、最前線で死の恐怖と絶望にさらされていた兵士を、後方の人間を代表とする女として慰安し、彼らの最期を疑似家庭として見守る役割を果たしていた。
朝鮮人慰安婦たちは、小百合や桃子などの花の名前の日本名で呼ばれた。植民地人が日本軍慰安婦になることは、「代替日本人」になることだった。
 朝鮮人慰安婦と日本人兵士との関係は、構造的には「同じ日本人」としての「同志的関係」だった。
 慰安所の役割は性欲を満たすことだけでなく、軍人たちの「心を和らげ」るとにもあった。
 身体以上に心を慰安する機能が注目された。慰安婦と一緒に泣く軍人たちは、必ずしも同情だけでなく、自分の立場もまた慰安婦の運命に劣らないと思って泣いたのだろう。
 慰安婦が、国家によって自分の意思に反して遠いところに連れていかれてしまった被害者なら、兵士もまた、同じく自分の意思とは無関係に、国家によって遠い異国の地に「強制連行」された者である。
 朝鮮人慰安婦は、植民地の国民として、日本という帝国の国民動員に抵抗できずに動員されたという点において、まぎれもない日本の奴隷だった。慰安婦たちが総体的な被害者であることは確かでも、その側面のみに注目して、「被害者」としての記憶以外を隠蔽するのは、慰安婦の全人格を受け入れないことになる。
 慰安婦、つまり性的サービスを強制された主な対象は、まともな教育を受けられなかった乏しい階層の女性だった。そして、慰安婦の平均年齢は、25歳だった。
 オランダ人慰安婦は、日本軍にとって征服の結果として得た「戦利品」だった。日本人、朝鮮人、台湾人の慰安婦は、士気高揚の目的で常に必要とされた軍需品だった。彼女たちは、ともに男性と国家の被害者である。
 慰安所は、占領地の女性を強姦しないためという名目で作られた。そのことから、慰安所をつくらないで強姦をくり返した他国について野蛮な国とする人もいる。しかし「野蛮」(被管理)に対照される「文明」(管理)的場所としての慰安所は、貧しさやその他の理由で「もの」として扱われやすかった女性が集められた場所だった。そのような暴力を公式に容認した場所でしかない。つまり、慰安所とは、人間が人間を「手段」に使っていいとする「野蛮」を正当化する空間でしかない。性病の管理をしっかりしたという意味で、いたって「文明的」な顔をした、野蛮で暴力的な場所というほかない。
 大変勉強になりました。「慰安所」について大いに考えさせられる本として、ご一読を強くおすすめします。
(2014年11月刊。2100円+税)

徹底解剖・国家戦略特区

カテゴリー:社会

著者  浜 矩子・郭 洋春 、 出版  コモンズ
 安倍政権のやっていることは富めるものはますます豊かにし、貧しい者は生存を保障しないというものでしかありません。すべては国民の自己責任だというのであれば、もはや政治ではありません。単に山賊の親分と同じです。
 いま言われている新自由主義は新新自由主義という表現のほうが正確。なぜなら、人々の自由な展開をむしろ阻害する側面をもって広がっているから。
 新新自由主義が求めているのは、強き者の自由であり、富む者の自由であり、大なる者の自由である。強いものがより強くなる自由、大きい者がより大きくなる自由、豊かな者がより豊になる自由を徹底的に追及する。
 小泉純一郎には何の思想性もないけれど、「時の風」を読んで、新自由主義をもち込んだところ、どんどんウケてしまった。
 アベノミクスとは、経済のことが何も分かっていない政策だから、何のミクスでもないというのが、もっとも本質的な評価だ。強兵路線を支える富国を実現するための政策パッケージであるという説明に尽きる。
 アベノミクスは「取り戻したがり病」にかかっている。そのためには、弱き者、切り捨てられていく者のことなどに構っている余裕はない。弱者を助けるどころか、弱者がいるという現実そのものを見ない。
国家戦略と名づけられた「特区法」は、法治国家の基本的な手続を形骸化している。特区における減税や免税を法律上の手続を簡略化して容認するならば、日本の統治機構は崩壊する。
規制一般が、政府やマスコミによって悪いものというレッテルが貼られている。しかし、本当にそうなのか・・・。すべてが無駄で不要な規制とは言えない。たとえば、医療規制は適切な負担で安心して医療を受けられる医療保険制度を支え、労働規制は安定した雇用と適正な賃金を守っている。
 安倍首相が激しく攻撃してやまない「既得権者」とは、実は大金持ちとか有力者ではなく、ごくごく善良な市民、つまり多くの働く国民なのである。
 いま、安倍政権はTPP交渉を妥結させるのに必死になっていますが、これが実現してしまえば、日本の農業が畜産業界は大打撃を受けることが必至です。
 マスコミ、とりわけテレビはNHKを先頭として、「与党協議」なるものしか報道せず、集団的自衛権のもつ本質的な怖さについて、ちっとも報道してくれません。
 日本社会の現状に激しく警世の音を乱打している本です。
(2014年11月刊。1400円+税)

第一次世界大戦

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  マイケル・ハワード 、 出版  法政大学出版局
 1914年に始まり、1918年まで続いた第一次世界大戦は、最初の世界戦争ではない。ヨーロッパ諸国は、過去300年にわたって地球規模でずっと戦ってきたからだ。
 ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が生まれたことは、ドイツだけでなく世界全体にとっても不幸だった。ヴィルヘルム2世は当時のドイツ支配エリートを特徴づけた三つの属性をもっていた。古めかしい軍国主義、とてつもなく大きな野心、そして神経症的な不安感。
 ドイツの軍指導者たちは、戦争をするならば、早い方が好ましいと判断した。今ならロシアは1905年の日露戦争の敗北からまだ完全には回復しきれてはいない。むしろ、3年後だとロシアがフランスの資金を使って巨大な鉄道建設を完了させ、またロシアをまったく新しい軍事同盟国に変化させうる動員計画を完成させてしまうだろう。
 この当時、鉄道網と電信の発達があった。また、平時における一般徴兵制度の導入があった。さらに、長距離兵器の発達があった。
 日露戦争の教訓はヨーロッパ諸国で丹念に研究された。最新鋭の武器を整備し、死ぬことを恐れない兵士からなる軍隊であれば、勝利は可能だ。そして、スピードが勝利をもたらす。短期間で戦争に決着をつける唯一の方法は、攻撃すること。
 第一次世界大戦の勃発は、すべての交戦国の主要都市で熱狂的に迎えられた。いたるところで、人々は自分たちの政府を支持した。戦争は、甘ったるい都市生活がもはや与えることのない「男らしさ」を試すものとみなされた。
 イギリスとドイツにとって、戦争はもはや単なるパワーをめぐる伝統的な闘争ではなく。イデオロギー闘争の度を深めていった。
 6ヶ月で終わると一般的に予想されていた戦争は、1915年末時点で1年半も続き、すぐに終了するとは、もはやだれも思わなかった。
 そのような戦争の長期化を可能にしたのは何だったのか。ひとつは、すべての交戦国の国民の断続的な支持だった。
1916年末まで、アメリカのウィルソン大統領の主要な関心事は、アメリカを戦争から遠ざけておくことだった。
1918年、ドイツ軍最高司令部が断念したのは、西方からの脅威ではなかった。ドイツ国内の動きこそ、不安にさせるものだった。民衆が暴動とストライキを起こし、兵士が堂々と反乱していた。
 ドイツ国民は、自分たちの軍隊がいたるところで勝利していると信じていたからこそ、耐えきれないほどの困難に耐えていた。ところが、自分たちの軍隊が崩壊寸前の状態にあることを知り、政府に対する信頼は完全に消滅した。
戦場で何十万人もの将兵が死んでいく悲惨な戦争が起きたのです。
 戦争の始まりを民衆は熱狂的に支持しました。そして多大の犠牲を払わされたのでした。なぜ、かくも悲惨な戦争を人類は止められないのか、歴史に大いに学ぶことが必要です。
 1月1日の天皇の言葉も、同じことを指摘しています。第一次世界大戦の全体をざっと見ることのできる本でした。
(2014年9月刊。2800円+税)

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