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2015年4月 の投稿

手のひらから広がる未来

カテゴリー:人間

                               (霧山昴)
著者  荒 美有紀 、 出版  朝日新聞出版
 私の娘も、大学院生としてパリに留学中に突然、弱視になり、今は盲学校で鍼灸師の勉強をしています。世の中には、いきなり信じられない病魔に襲われることがあるのです。
 この本の著者は、大学生の時、突然耳が聞こえなくなり、また視力を失ってしまったのでした。いやはや、大変な事ですよね。耳も目も不自由だなんて、想像も出来ません。それでも、大変な苦難をついに乗り越えていくのです。読んでいて、人間って、すごいと思いました。そして、彼女を支える人たちがたくさんいるのに救われます。一人娘を支えた両親の苦労は、いかばかりだったでしょうか・・・。
 ヘレン・ケラーになった女子大生というサブ・タイトルがついています。今では著者に彼氏もいて、明るく前向きに生きていますが、そこにいたるまでの苦しみと悩みが、本人によって語られています。ついついホロリとさせられました。難病の名前は、神経繊維腫症Ⅱ型(NF2)。聞いたこともありません。
身体にできた傷を治す分泌液は人間の誰もがもっている。ところが、この病気になると、傷が治ったあとも分泌が止まらない。そのため、身体中のどこかに腫瘍ができて、いろいろな神経を圧迫する。
 はじめ、難聴となり、19歳のときに右手がマヒし、22歳で耳が聞こえなくなり、やがて目も見えなくなった。目と耳の両方に障害をもつ人を「盲ろう」という。東大教授でもある福島智(さとし)氏も盲ろうだ。著者はそのうえ、腰にも障害が出て、車いす利用者になった。
 著者は、16歳までは視力も聴力も問題がなかった。だから、今でも、色や草花の形や人の声、ピアノなどの音色が容易に想像できる。
 盲ろう者にとって、人間の最低限の要求である、安心と安全感が日常生活にない。日常生活そのものがサバイバルなのだ。ごはんを食べるのも、毎日がヤミナベ(闇鍋)状態。
 最初に耳の不調を感じたのは、高校1年生の夏のこと。それで、3ヶ月に1度は、中国へ行き、中日友好病院の国際医療部で治療を受けた。
 著者は、明治学院大学文学部のフランス文学科に合格した。
 ところが、よく聞こえない。そして視界がどんどん白くなっていく・・・。
 福島智教授は、5時間も著者に向かって話をしてくれた。もちろん指点字での会話。
死なない。めげない。引きこもらない。転んでも叩きのめされても起き上がろう。しっかり前を向いて歩いていこうということ。命ある限り、生きよう。
 著者のような盲ろう者は、日本全国に1万5000人いると推計されている。しかし、派遣事業の利用登録をしている盲ろう者は1000人もいない。
著者は指点字を1週間で習得したというのです。すごいですね。そして、周囲の人たちもそれを学び、著者との交流を深めていったとのこと。本当に心温まる話です。
 つらい大変な日々も多いことでしょうが、これからも、めげず、くじけず、前を向いて生きていってくださいね。こんないい本を読むと、心が洗われる思いがします。あなたもぜひご一読ください。
(2015年3月刊。1200円+税)

豊臣秀頼

カテゴリー:日本史(戦国)

                               (霧山昴)
著者  福田 千鶴 、 出版  吉川弘文館
 秀頼の実像に迫った本です。
 秀頼は秀吉の実子ではないという説は誤りだと断言しています。
 秀頼の頭蓋骨ではないかと思われるものが、1980年に、大坂城三の丸跡の発掘調査で発見されています。秀吉の遺骨もあるそうですので、ぜひDNA鑑定をしてほしいものだと思いました。
 いずれにせよ、当時の戦国武将たちは、秀頼が秀吉の実子だということはまったく疑っていなかったようですね。そうでなければ、関ヶ原の戦いも、大坂冬の陣も、夏の陣も、違った話になってしまいます。
 そして、秀頼についても、「バカ殿」ではなかったからこそ、家康が恐れ、抹殺するしかないと考えたとされています。
 豊臣秀吉の死後、凡庸な秀頼と、その母親である茶々が淫乱な悪女であったことから、自ら滅亡した、いわば自業自得なのだというのが定説のようになっている。果たして、本当にそうなのか・・・。
 秀頼の生母は、浅井茶々。茶々は、近江小谷(おだに)城主の浅井長政を父に、織田信長の妹である市(いち)を母に、浅井三姉妹(茶々、初、江)の長女として生まれた。
 茶々は、一般には「淀殿(よどどの)」、「淀君(よどぎみ)」として知られているが、これは江戸時代になってから定着した呼び名であり、茶々の生存中には呼ばれていない。
 茶々が、独立した御殿をもち、居所にちなむ名前で呼ばれたことは、天下人である豊臣秀頼の妻の一人であったことを内外に示すものである。
 茶々が男子を産んだことを知ると、秀吉は、朝鮮出兵を放り投げて名護屋をあとにした。8月15日に出発して、25日には大阪に到着した。秀吉にとって、朝鮮出兵の凱旋パレードなどは二の次でしかなかった。秀吉は出発予定を10日も早めているのである。
 茶々が、懐妊の時期に名護屋に在陣している確かな証拠がある。それは、高極高次の書状である。
高極高次は、名護屋在陣中に待女を懐妊させてしまい、それが生母を怒らせてしまった。それで、大坂に向けて、とりなしを願う手紙を出した。
 名護屋では、茶々が懐妊した事実を誰もが知る状況となったが、まだ大阪にはその情報が伝わっていないと書いている。このことから、茶々は名護屋にいるとするのが妥当な解釈だ。こう書いています。なるほど、と思います。
 茶々は、秀吉の第一夫人である寧(ねね)と同等の妻である。優先順位は寧が先であっても、茶々も秀吉の妻なのである。決して「愛妾」というものではない、あくまでも茶々も「妻」なのである。天下人であり、武家関白である秀吉の妻が一人でなければならないとする理由は、制度・経済・倫理・慣習・歴史などの、あらゆる観点からみて存在しない。
 茶々を秀吉の妾(側室)とするのは、江戸時代になってからの史料にしかない。秀頼は、秀吉の正妻である茶々から生まれた嫡出子であり、秀吉自身が秀頼のことを実子かどうかを疑う要素はまったくなかった。多くの人々が秀頼に対して、秀吉の遺児として崇めたことも、これを裏付けている。
秀頼は文禄2年(1593年)8月3日、大阪城二の丸で生まれた。そして、生母の茶々が母乳を与えて育てた。
 茶々と寧は、対立関係になく、協調する関係だった。
 秀吉の死後に起きた関ヶ原の戦いにおいて、豊臣恩顧の武将たちは、「秀頼様」のために石田方と戦ったのであり、「家康様」のためではなかった。つまり、西も東も、ともに秀頼守護を大義名分として戦った。
 家康は関ヶ原合戦の勝利によって天下人となったが、それは秀頼が成人するまで天下を預かる場としてであった。そこで、家康は合戦が生じた原因は起請を破った秀頼側にあると難癖をつけ、成人した秀頼に天下を渡さないことの正当化を図った。
 この家康に対して、秀頼は冷静な頭脳戦で応じた。
 大阪冬の陣、そして夏の陣において秀頼側が敗北したのは、徳川方が大坂方の勢いを挫くため、総大将の秀頼を出陣させないように謀略を仕組んだためだった。このことは徳川方の日誌から読みとれる。すなわち、秀頼敗北の最大の原因は、大坂城内の意思決定が分裂していたことにある。
 秀頼は、家康にとって、「凡庸」ではなく、「賢き人」だったので、抹殺するしかなかったということを実証した、画期的な本です。
(2014年11月刊。1700円+税)

プラチナタウン

カテゴリー:社会

                               (霧山昴)
著者  楡 周平 、 出版  祥伝社
 舞台は東北のさびれゆく町です。冬に雪に埋もれてしまうという点こそ違いますが、東北も九州も、田舎に残っているのは年寄りばっかりという点では、まったく同じです。
 そんな町が、ハコモノだけはどんどん造ってしまうのです。もちろん、その利用者なんかいなくて、宝の持ち腐れ、町は大赤字を抱え込んでしまいます。それでも、公共工事を請け負った土建業者と政治家は大もうけするのです。この本に欠けているのは、公共工事を取り仕切っている暴力団が登場しないという点です。そして、悪役として、古狸の町会議員はいるのですが・・・。
主人公は大手総合商社の部長にまで登りつめているサラリーマンです。ところが、実力ある取締役ににらまれて、子会社へはじき飛ばされようとするのです。そこへ、故郷の町をよみがえらせる救世主になってほしいという話が飛び込んできたのでした。
 なんとかマッケンジーといったコンサルタント会社への、次のような痛烈な皮肉もあります。まったく同感至極です。
 コンサルタントの話をまともに受けて事業が成功するのなら、苦労はしない。連中の能力がそれほど高いというのなら、世の中につぶれる会社なんて、ありやしない。世の中に存在する会社で、少なくとも一流と目される企業でコンサルタント出身の社長なんて、ただの一人も存在しない。それが何よりの証拠だ。
 真の公共事業とは、一時のカンフル剤であってはならない。恒久的に利益を生み、雇用を確保するものでなければならない。
 この本では、工場を誘致しようとして整備した3万坪の土地に定年退職後の人たちの住める町づくりをしようという企画が進行していきます。たしかに、私たち団塊世代が引退後の生活を、どこで、いかに過ごすかは、国家的な関心事のはずなのです。ところが、いま十分な対策がとられているとは、とても思えません。
 この本では、赤字再建団体寸前の田舎を、外国に住んだこともある総合商社の部長が町長になって、町の特産を生かしつつ、高齢者本位の町づくりに成功したというストーリーです。現実には、それほどうまく行かないように思いますが、こんな取り組みが本当にあってほしいものだと思いました。介護施設というのは、若者の働く場でもあるのですから・・・。ご一読をおすすめします。
(2008年7月刊。1800円+税)

ギャンブル依存国家、日本

カテゴリー:社会

                                    (霧山昴)
著者  帚木 蓬生 、 出版  光文社新書
 病的ギャンブリングは、患者の病態や治療の面で依存症と瓜二つ。
 いずれにも、離脱症状と耐性がある今では、ギャンブル依存症ではなく、ギャンブル障害といい、病的ギャンブラーのことをギャンブル症者という。
 ギャンブルは、ひとつの産業であり、ギャンブルをする人は、その消費者といえる。
 ギャンブルには悲劇が必然的に付随しているのだから、ギャンブル企業側には、危険性を警告する義務がある。それは、消費者の権利として、その傾向を受ける権利として存在するはずだ・・・。
 ギャンブル症者は、日本人男性の8.7%、女性の1.8%にのぼる。
 ギャンブルの開始年齢は平均して20.2歳。そして、借金の開始年齢は27.8歳。精神科に相談に来る平均年齢は39.0歳。ギャンブルに手を染めて7年後には、借金を始め、借金し始めて11年後にはニッチもサッチもいかなくなり、助けを求めて精神科診療所を訪れる。
 ギャンブル症者のはまっていた元凶はパチンコ・スロット。それは、8割強を占める。
 ギャンブル症者の頭を占めているのは、こうなったらいいなという希望的見通し、都合のよい考え。限りなく空想に近く、既に妄想の領域に片足をつっこんでいる思考法である。
 パチンコ店の年商は20兆円ほど。公営ギャンブルと宝くじの2倍半から4倍の規模を誇る。カジノで有名なマカオの年間売上げは4兆700億円。つまり、日本には、マカオが5カ所もある。ところが、日本ではパチンコ・スロットはギャンブルとされていない。
 パチンコは警察が指導監督する許認可業種であり、警察OBの天下り先。
 パチンコ・スロット業界には、1県あたり1000人もの警察OBが職を得ている。パチンコ業界の用心棒として警察は存在している。
 人がギャンブルにはまり込むのは、何も一攫千金の夢を満たすばかりが理由ではない。一攫千金の前に、ハラハラドキドキの期待感、そして危機感がある。これが、刺激のない平凡な日常から抜け出す、非日常的な瞬間を与えてくれる。
 ハラハラドキドキは、一種の戦闘状態であり、このときの脳を司る神経伝達物質は、ドーパミンである。
 日本で最初のギャンブル禁止令があるのは、『日本書紀』。689年、持統天皇のとき、双六(すごろく)禁止令が出ている。さらに、『続(しょく)日本紀(にほんぎ)』で孝謙天皇の天平勝宝、6年(754年)にも双六禁断例が出された。
 この年は、唐から鑑真和尚が日本に着いた年であり、東大寺の大仏の開眼(かいげん)供養から2年後のこと。
外国には、パチンコも競輪も競艇もオートレースもない。あるのは、競馬とカジノやスロット、ビンゴ、ロトくらい。
 外国の多くのカジノは、ギャンブルの敷居を高めるため、入場料をとり、身分証明書の提示を求めている。イギリスのカジノは、一般市民への宣伝は禁止、建物の外での広告も禁止されている。ギャンブル中の判断力を損なわないため、アルコールも禁止されている。そして、クレジットカードでの支払いも禁じられている。ところが、アメリカのカジノは正反対。
日本では、パチンコ・スロットは、全国津々浦々にあり、コンビニなみだ。
 日本人の500万人以上がギャンブル障害をもっているというのに、厚労省は実効性のある措置をしていない。ギャンブル障害の3割にアルコール症が合併している。
 日本は既にギャンブル王国なのだから、これ以上カジノをつくれば、文字どおりギャンブル地獄となってしまう。
ギャンブルとは、所詮、他人のポケットに手をつっこんで、自分のポケットにお金を移すような行為である。
 ギャンブルは幸せを生まない。ギャンブルでえたお金で幸せになった人がいるのなら、胴元であるパチンコ業界や公営ギャンブルを運営している役所が大宣伝しているはず。
 ギャンブルは幸せをこわし、犯罪を誘発する。ギャンブルがはびこれば、はびこるほど、国という器にひびがはいり、国も国民もつぶれていく。日本を、これ以上、重篤なギャンブル依存症国家にしてはいけない。
 安倍政権はカジノで日本経済の向上を図るとしていますが、実は、そんなことにはならないことは、この本でも強調されています。パチンコ依存、ギャンブル依存とは何かを知りたい人、カジノに頼る日本経済振興というのはおかしいと感じている人には絶対おすすめの本です。
 著者は北九州の精神科医であるのと同時に、たくさんの傑作を書いている文学者でもあります。
(2014年12月刊。740円+税)

ヒトラー・ランド

カテゴリー:ヨーロッパ

                               (霧山昴)
著者  アンドリュー・ナゴルスキ 、 出版  作品社
 ドイツにいたアメリカ人の見たヒトラーの印象が紹介されています。
「人を惹きつける力のある弁舌家で、組織をまとめあげる類いまれな能力に恵まれた人物だ」
 「キリスト教の使徒を思わせる熱心さと、説得力のある弁舌、人を惹きつける魅力に恵まれ、共産主義および社会主義団体の中枢からも支持者を引き寄せるなど、ヒトラーは指導者としてのあきらかな資質を持っている。ヒトラーが、いつの日か、バイエルン州の専制君主として名乗りをあげるという恐れもある」
 「とてつもない扇動政治家だ。あれほど論理的かつ狂信的な男の話は、めったに聞けたものではない。ヒトラーが民衆に与える影響ははかり知れない」
 ヒトラーは、議会も議会政治も廃止すべきだ。今日のドイツを議会が統治できるはずがない。独裁政治だけがドイツを再び立ち上がらせることができると主張する。
 他方、ヒトラーに対しては、次のような冷ややかな見方もありました。結局、間違ったわけですが・・・。
 「ドイツには、すぐれた知性がある。あんな、ごろつきに騙されやしないさ」
 そうなんです。日本人に比べて格別に「民度」の高いはずのドイツ人の圧倒的な多数が単なる「ごろつき」にころっと騙され、とんでもない蛮行を犯してしまったのです。そこから、今日の日本でも、安倍首相のとんでもない大嘘に騙されないようにという教訓を生かし、実行しないといけません。
 「ドイツは、一時的におかしくなっているだけ。誇り高いドイツ人が、あんな田舎者に我慢していられるはずがない」
 こう言っていたユダヤ人は、強制収容所で生命を落としてしまいました。安倍首相の悪だくみを黙過していると、大変なことになること、これに日本人はもっと真剣に自覚すべきだと思います。まさか、まさかが、自分たちの首を絞めてしまうのです。
 「ヒトラーは、労働者に向けてドイツ人の名誉と権利や新しい社会について、じつに説得力のある話をする男だ」
 「ヒトラーは、声や言い回しとその効果を自在にあやつる術に長けており、あんな芸当ができる人間は、ほかにいない。ヒトラーは、はじめ軽いおしゃべりのような調子で話しはじめた。やがて、本題に入るにつれ、その弁舌は鋭さを増していった。ヒトラーは、ユダヤ人が暴利をむさぼり、周囲の人間を惨めな状況に陥れていると糾弾した。
 目を釘付けにされたようにヒトラーを見つめる若い女性がいる。彼女らは、まるで宗教的な恍惚感に包まれているように、我を忘れている。
 被告人とされたヒトラーの法廷での話は、ユーモア、皮肉、情熱がこもっていた。きびきびと動く小柄な男で、新兵を訓練するドイツ軍の軍曹のようでもあり、ウィーンの百貨店の売り場の監督のようでもあった。
 「ヒトラーは、まるでコルクだ。国民感情という名の波があれば、やつは必ずその上にぷかぷかと浮かんでいる。ヒトラーほど大衆の心理をうまく嗅ぎ分け、それに対処できる人物はいない」
 「大衆をペテンにかける大がかりなゲームにおいて、ヒトラーは並ぶ者のいない達人だ」
 ヒトラーの統治を受け入れ、ヒトラーとその運動に完全な忠誠を誓わなかった者たちは、ただ消し去られただけではない。そんな人間は、もともと存在していなかったことにされる。
 レームらSA幹部に対する殺害は非常に大規模になされ、また犠牲者の背景がそれぞれことなっていたという事実は、ヒトラーとSSが、かつて敵対した者も全員を抹殺するつもりだということを示唆した。
ユダヤ人に対する凄まじいまでの暴力を誰も止めようとしなかった理由は二つ。一つは、ドイツは、このころ、ナチ党のやることであれば「何であれ信じる」ようになっていたから。もう一つは、怖くて何も言えなかったから。
 アメリカとドイツは、1935年に、お互いの士官訓練校の交換留学生を受け入れることを合意した。そして、この合意は実行された。
 ドイツが緒戦で立て続けに勝利とおさめたことで、それまでナチスに対して懐疑的だった人々までは、ナチスへの熱狂的な信者になっていった。
 同時代のアメリカ人のヒトラーに対する好意的、あるいは軽視する見方が紹介されて、興味深い内容がありました。
(2014年12月刊。2800円+税)

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