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2015年1月 の投稿

自己が心にやってくる

カテゴリー:人間

著者  アントニオ.R.ダマシオ  、 出版  早川書房
意識の明らかな成果としては、生命の効率的な管理と安全の確保があげられる。
脳なんかまったくない生物ですら、単細胞生物にいたるまで、一見すると知的で目的性のありそうな行動を示す。
ニューロンは再生産しない。つまり、細胞分裂しないし、再生もしない。
植物はニューロンを持たず、ニューロンがない以上、決して心を持てない。水頭無脳症の子どもは何年も生き続け、思春期を迎えることさえある。決して、植物状態などではない。それどころか、目を覚まして行動している。世話係とも無視できないほどの意思疎通ができるし、世界ともやりとりできる。彼らは明らかに心をもっている。頭や目は自由に動き、顔には情動表現があり、おもちゃやある種の音にはほほえむ。くすぐられると笑って、通常の喜びさえ表現できる。痛い刺激には顔をしかめて手を引っ込める。
渇望する物体や状況に向けて、移動もできる。たとえば陽のあたっている床へはいって、日向ぼっこをして、明らかに暖かさから便益を引き出し、満足しているように見える。
さらに、特定の人物に対する選好を示す。知らない人にはおびえ、いつもの母親や世話係の近くにいると、もっとも幸せそうだ。好き嫌いは明確で、とくに音楽の場合には、それが著しい。子どもたちは、一部の音楽をことさら気に入る。耳の方が目よりもいいらしい。水頭無脳症の少女たちは、思春期には、生理にさえなる。
身体から脳への通信と同じように、脳には神経と化学の両方の経路で身体に語りかける。神経経路は神経を使い、そのメッセージは筋肉の収縮と行動の実行を引きおこす。化学経路は、コーチゾル、テストステロン、エストロゲンなどのホルモンを使う。ホルモンの放出が体内状態を変え、内臓の働きを変える。
脳内で生じた思考は、体内で生じる情動状態を引き起こせるし、身体は脳の風景を変え、したがって思考の基盤を変えられる。
脳の状態は、ある精神状態に対応するが、特定の身体状態を引きおこす。そして、身体状態が脳にマッピングされて、継続中の精神状態に組み込まれる。情動と感情とは区別される。情動と感情は、緊密に結ばれた周期の一部ではあるが、プロセスとして区別できる。重要なのは、情動の本質と感情の本質とか違っていることを認識すること。
情動の世界は、もっぱら体内で実行される行動の世界であり、たとえば顔の表情や姿勢から、内臓や内部状態の変化などが含まれる。これに対し、情動の感情は、情動が動いているときに、心や身体の中で起こることについての複合的な知覚だ。
感情は、行動そのものではなく、行動のイメージだ。感情の世界は、脳マップ内で実行される知覚の世界だ。情動は、アイデアやある考え方を伴う行動である。
情動は、脳内で処理されたイメージが各種の情動の引き金となる部位を活性化させると機能する。
目を覚ましているというのは、意識をもつ前提条件だ。
人は、レム睡眠中には活発に夢を見るし、一晩に何度も見ている。だけど、もっとも記憶に残るのは、睡眠から目を覚ましかけてだんだん水面下から、徐々にまたは急激に水面、つまり意識状態に戻ってくるときの夢らしい。
麻酔薬は、ニューロンを過分極させて、アセチルコリンをブロックすることで作用する。アセチルコリンは、通常のニューロン間通信では、重要な分子だ。
アルツハイマーは、人間にしか見られない病気である。典型的なアルツハイマー病をもつほとんどの患者は、病気の初期も、中期も、意識は阻害されない。初期には、新しい事実情報の学習がだんだん阻害されるようになり、過去に学んだ事実情報を思い出すのも、だんだん困難になっていく。初期には、この病気の影響は小さく、社会的な穏やかさは維持され、平常な生活に近いものがある程度は維持される。しかし、やがて自伝的記憶の基盤が浸食され、そのうちあっさりと消えてしまう。
意識と脳について、深く知ることのできる本です。
(2013年11月刊。2900円+税)

筑紫の磐井

カテゴリー:日本史(古代史)

著者  太郎良盛幸・鹿野真衣 、 出版  新泉社
今から1500年も前の日本で、福岡県八女の地に「大和王朝」に対抗した偉大な大王(おおきみ)がいました。その名を、筑紫(ちくし)の磐井(いわい)と言います。
マンガで古代日本のあり方を考える手がかりを与えてくれます。マンガって、本当にバカになりませんよね・・・。
原作者の「太郎良」って、どう読むのでしょうか・・・。「たろうら」と読むのです。八女郡に生まれて、社会科の教師でした(教頭・校長もつとめています)。 そして、岩戸山歴史資料館の館長もつとめています。
皆さん、八女市にある岩戸山古墳に行っていない人は、ぜひ行ってみてください。私も最近、久し振りに行ってきましたが、すごい石人像があります。私の個人ブログでも写真つきで紹介しています。
マンガの絵のほうは、なんと八女市出身の養蜂家の男性と結婚したという神奈川県出身の女性が描いています。とても品格のある絵です。大王(おおきみ)というのは、こうでなくてはいけないと思いました。威厳と慈愛がよく描けています。
北部九州を支配する筑紫君(つくしのきみ)一族は、大分君(おおいたのきみ。大分県)や火君(ひのきみ。熊本県)をまとめて筑紫連合王国を形づくっていた。そして、自分の子弟を「大和王朝」に留学させると同時に、朝鮮半島の国々にも子弟を留学させるなどして、深い関係をもち、交流していた。
磐井の祖父の墓といわれる石人山(せきじんざん)古墳、磐井の墓である岩戸山(いわとやま)古墳が今も八女に残っているのです。そこに行ってみると、古代日本が文明先進国である朝鮮半の国々と深くかかわりながら、まだ大和王朝と緊張関係にあったことを想像することができるのです。
この歴史マンガはそのことをちょっぴり実感させてくれます。ぜひ、あなたも手にとって、古代日本を想像してみてください。
意外に、日本は国際交流は昔から盛んだったのですよ・・・。
(2014年12月刊。1500円+税)

憲法を守るのは誰か

カテゴリー:司法

著者  青井未帆 、 出版  幻冬舎ルネッサンス新書
 今、大いに行動し、声をあげている気鋭の憲法学者による本です。
 憲法は道徳本とは違う。
 自らの人生をどう生きるかは、個人の選択に委ねられるべきこと。国家は、人の心に入り込んで、その選択に介入してはいけない。
 自民党の憲法改正草案は、憲法に定めるべきでないことを盛り込んでしまっている。
 明治憲法には、人々の自由や人権という概念や、その保障のための制度が大いに欠けていた。
 選挙で勝った「時の多数者」によって、簡単に人権規定などの思い意味をもつ憲法の規定がコロコロと変えられたら、選挙という民主的政治過程で負けてしまいがちな少数者の人権を危機にさらすことにほかならない。
 小選挙区制は、選挙区から一人しか当選しないので、振れ幅が大きくなってしまう。
 憲法9条の「キモ」は第2項にある、9条1項だけでは、武力行使の全面的な放棄にはならない。第2項があってはじめて、いかなる戦争をも放棄し、武力をもたないという我が国の憲法独自性が発揮されることになる。
 9条が規範力を及ぼした結果、他国とはひと味ちがう独自の安保政策が70年近くのあいだに積み重ねられてきた。
 日本は、関係機関と協力して、小型武器の回収・廃棄プロジェクトや、元兵士、元児童兵の武装解除・社会復帰事業などを実施してきた。
 軍縮・不拡散の取りくみへの日本による努力は、もっと広く知られてよい。
 平和的な外交の蓄積が、日本人が世界各国を観光やビジネスで訪問するとき、目には見えていないけれど、日本人の安全を保障する貴重な財産となってきた。これを改めて認識すべきだ。
いま、安倍首相が、それを根底から覆そうとしています。怖いです。
 まさしく、憲法を守るのは、私たち国民一人ひとりの声です。あきらめることなく、声を上げていきましょう。
(2013年7月刊。838円+税)

文革

カテゴリー:中国

著者  董 国強  、 出版  築地書館
南京大学14人の証言、こういうサブタイトルのついた、かつての中国で吹き荒れた文化大革命の体験談を集めた本です。
私も南京に行ったことがあります。とても大きな都市です。南京大学には行っていませんが、南京の城壁にはのぼってみました。とても大きな城壁です。
日本軍は1937年12月、南京事件(南京大虐殺)を起こしています。30万人かどうかはともかくとして、日本軍が中国軍の敗残兵を大量に殺害し、罪なき多数の市民を無残に殺したうえ、無数の女性を強姦した事実は絶対に消せるものではありません。加害者は忘れても、被害者はずっと後の世代まで忘れることができません。
南京は日本軍の支配下から脱したあと、重慶から移ってきた蒋介石政権が首都としたこともある重要な都市です。そこにある南京大学は、北京大学と並ぶ中国でも有数の大学です。その南京大学における文化大革命の顛末が、当時、教授や学生だった14人から語られていて、大変興味深い内容になっています。
南京大学での文革の開始は、わずかに北京大学での動きに遅れるだけだった。
文化大革命における大衆運動が想像外にエスカレートした背景は・・・。
まず、毛沢東の政治的威光。当時、毛の権威は絶大だった。毛思想教育が徹底しており、毛の呼びかけには何らかの形で応える政治的必要があった。
次に、共産党政権への不満である。階級区分による差別、私生活の管理に対する不満、非正規雇用が増加し、社会には不満が渦巻いていた。したがって、文革に名をかりて、自らの不満解消を図る人々も少なくなかった。
1971年9月の林彪事件は、紅衛兵も海外の文革礼賛派も幻滅させ、文革への疑念を生じさせた。
1974年の批林批孔運動のときには、過去の熱狂は失われていた。
文革の運動に積極的に参加していた人々の多くは、個人的な目的を心に抱いていた。家庭条件が悪く、自分の資質が良くない人は、文化大革命の期間を通じて「造反」「経験交流」などに出かけ、多くの利益を得た。
農村に追いやられた学生たちは、そこで農民の大変な生活を目にした。農民の生きていく唯一の目的が、いかに腹を満たすことであるかを知った。この現実を見て、学生たちの考え方が大きく変わった。
当時の農民には、ほとんど娯楽と呼べるものはなかった。彼らの精神生活は、きわめて貧困だった。しかし、農民もばかではなかった。彼らには彼らの考え方があり、知恵があった。
重大な言い間違いをしたとき、苦労して育ててきた豚を殺し、村人や幹部を招いて宴会をするのだ。そうすると、何事もなかったことになる。
農民は懐中電灯すら買えなかった。しかし、人間性は失っていなかった。何も持ってなかったが、善良だった。
南京大学では文革期に20人以上も自殺した。しかし、人間性のまったく失われてしまった時代にあっては、自殺した者も屈辱に耐えて生き抜いた者も、どちらも弱者とは言えない。自殺は自尊心と人格を守るため、本人の生命を犠牲にし、家族の長期にわたる苦しみにもかかわらず選択されたもの。一方、生き抜いた者も、自尊心を売り渡すことを余儀なくされ、屈辱と肉体の苦しみを我慢しながら、最後に誰が笑うのかを歯軋りをこらえて見ようとしたのだ。
批判闘争が行われるときには、頭を下げて、ひたすら主催者が『毛主席語録』の一節を読むのを聞き、今日の批判がどの程度のものかを判断する。もし、『毛首席語録』のなかの「革命は、客を招いて食事をすることではない・・・」が読まれたら、その日の批判は厳しく、心して対応しなければならなかった。
毛沢東の犯した誤りは、極めて重大であって、「誤り」という言葉では軽すぎる。文化大革命が中国の民族と国家に与えた損害は空前絶後のものだ。
文革という運動は、個人の精神にまで及んで、ふだんであれば現れにくい部分が曝露される結果になった。彼らは「革命の継続」というお題目の下で、私怨を晴らした。
上のやることを、下も真似して、どこでも同じことが起きた。分配された仕事に不満をもっていた人たちが動いたのだ。こういう人たちの自己顕示欲と野心の心強さは、学生時代からみられた。
育ちの良い青年学生たちは、若くて単純だったので、簡単に巻き込まれ、素朴な階級感情が刺激された。保身に走った人たちもいる。場合によっては、あえて過激な言動をすることで攻撃から自分を守っていた。
南京大学では、造反派に攻撃された死んだ人はいない。しかし中学校では、教師や校長の多くが学生に殺された。南京大学で殺された人がいないのは、南京大学の造反派は、南京大学そのものではなく、省委員会に関心をもっていたことによる。南京大学には何のうまみもなかった。
しかし、中学校の事情は違っていた。彼らにとって権力など、どうでもよかった。そんなものには興味がなく、暴れ回ることで単純に気持ちを発散させていた。ふだん生徒に対して厳しい先生は徹底にやられた。それに対して、南京大学の造反派は、はじめから教師に興味をもっていなかった。
南京大学の死者は、造反派が造反派にやられるという形の内紛によるものだった。
文化大革命は、始まったときから、完全な権力闘争だった。
毛主席の「経験大交流」の呼びかけがあったので、学生たちは、この機会に乗じて遊びに行った。みな見識を広げたいと思った。これを機会に各地の風景を観光して回った。
「経験交流」では、一ヶ所に最低3泊4日いることができ、出発のときには列車で食べるように、弁当箱一杯にご飯を詰めてもらえた。マントウも、蒸しパンも無料で食べられた。
1976年の第一次天安門事件は、名義上は四人組への反対だったが、実際には毛沢東と文革への反対だった。これは、毛沢東自身もはっきり自覚していたはずだ。
「批林批孔」運動のときには、人民大衆の消極的な拒絶にあった。
南京大学の紅衛兵は北京へ行き、北京大学で文革を引き起こした黒幕と出会った。それは、康生の妻だった。そして、上海の張春橋を紹介されて会っている。
文化大革命は、さまざまなものが上級機関と密接にからみあっていた。大衆組織間の是非も、実際には上級機関の一言によって左右された。中央の指示がなければ、造反派は一日だって存在できなかった。「お前たちは反革命組織だ」と言われたら、たちまち反革命組織になってしまう。
文化大革命では、末端の人々はみな操り人形で、上級機関に操作されていただけ。当時の熱狂的な状況のなかで、中央に従属して大騒ぎしていただけのこと。しかし、不幸なことに、誰も逃げることは出来なかった。
国家、共産党、人民解放軍には共通する特徴がある。それは派閥が存在すること。誰がどの派閥か、みな知っていた。文革で、この矛盾が表面化した。中国人は、「内輪の闘争」の能力がある。これは共産党ではなく、封建主義だ。
文革の後遺症は克服されていない。文革の動乱を経て、誰もが人間関係で傷ついた。文革中に他人を攻撃した人は、攻撃された人に謝罪した。しかし、内心の腫物が完全に取り除かれたとは言えない。
派閥問題の影響も残っている。過去に同じ派閥に属していた人とは戦友と同じつながりをもち、一種の個人資源となった。同じ派閥に属さなかった者は、学術問題ですらもめて、徒党を組んで意見の異なる人を攻撃した。
文革は社会の気風を破壊した。詐欺や日和見主義などで道義を論ぜず、良識と人格を売り払い、文革に利益を求めた人もいた。これらが批判・清算されないまま、人々の道徳観や価値観が悪くなった。また、共産党の名声も傷ついた。これによってブルジョワ的自由化思潮が発展し、蔓延する条件となった。
誤りの多くは清算できないままで、はっきりしていないことも多い。そのため、現在でも、毛沢東と文革に対する深層での見方は簡単に統一できない。
実際のところ、文革のなかには抜本的に、どのような民主も存在しなかった。いわゆる「大民主」とは、毛沢東の「左」の専制路線のもとの暴虐政治だった。
運動の初期、誰もが文革は現体制を転覆する革命だと誤解していた。まさか、実際の結果が、それまでの専制体制をさらに強化することになろうとは思いもしなかった。
中国の統治は、基本的に暴力と恐怖による。畏怖の気持ちと、服従しなければ、すべてを失ってしまうという社会心理がつくり出されている。
文化大革命を体験者が振り返った貴重な本です。正月やすみ、人間ドッグのときにホテルで熟読しました。
(2009年12月刊。2800円+税)

NHKと政治権力

カテゴリー:社会

著者  永田 浩三 、 出版  岩波現代文庫
 NHKは、イギリスのBBCと並んで世界を代表する公共放送。2014年度予算は、6539億円。これは世界最高。事業収入の97%は、受信料である。
 NHKの存立基盤は1950年につくられた放送法。NHKは、放送法によって生まれた特殊法人。国営放送ではないし、会長も職員も、国家公務員ではない。
 1950年に朝鮮戦争が始まると、NHKはラジオ第二放送をアメリカの対北朝鮮謀略放送として提供した。当時のNHK会長は、NHKは他にさきがけて国策に貢献すると明言した。
 NHKが権力から自立を図る可能性があったのは、1964~1973年の前田義徳会長の時代。前田会長は、副会長時代から目に余る自民党からの介入や干渉を苦々しく思い、なんとしてもときの政府と放送行政からNHKを切り離し、独立したNHKをつくりたいと考えていた。前田会長は、放送の自立と地位の向上に執念を燃やした。
 しかし、前田会長には、もう一つの顔があった。権力と癒着する顔である。NHKが現在の神南に移転するときのこと。そして、佐藤栄作首相との関係・・・。
 そして、次の小野吉郎会長は田中角栄元首相が逮捕され、保釈されると、自白の田中角栄邸にNHKの公用車で見舞いに行った。
 今の籾井会長は、三井物産の元副会長、その前の松本会長はJR東日本、その前の福地会長はアサヒビールというように、NHKの会長は財界人出身者が続いている。
 NHKが政治との距離をとることがいかに難しいかを示している。
 この本で問題とされる事件が起きたのは、2001年1月末のこと。「戦争をどう裁くか」シリーズの2回目「問われる戦時性暴力」の番組内容が大幅に改変された。
河野談話が今も自民党などから激しく攻撃されていますので、起こるべくして起きた事件とも言えます。
NHKの上層部は、慰安婦とされた女性について、「ビジネスで慰安婦になった人たちです」と言い換えられないかと迫った。
 これはひどい。ここまで言うか、と思いました。
 永田町(自民党)からの圧力で、それこそちゃぶ台をひっくり返すような指示を出してくる。
 中央大学の吉見義明教授が、専門家として、次のようにコメントする予定だった。
 「今回の民間法廷では、歴史の専門家が呼ばれ、慰安所制度への軍の関与を示す文書が提出されました」
 これに、NHK上層部が、「これは、軍の関与といっても、トラブルを避けるために関与した、いわばよい関与を示す証拠文書ではないのか」と異を唱えて介入してきた。これまた信じられない暴言です。
 この問題で介入してきた自民党の三議員は、古屋圭司、安倍晋三、荒井広幸だった。
 東京高裁判決は編集の自由を損なったのはNHKの側だったと厳しく指摘した。
NHKは、公共放送としてもっとも大切にすべき、自立のための編集の自由を乱用し、逸脱して、番組をぼろぼろになるまで変えてしまった。自民党政治家の意図を過剰におもんばかり、何より大切にしなければならないはずの編集の自由を損なった。
 NHKの番組制作過程に自民党の圧力が陰に陽に加えられ、「自主的に」改変させられている現実が、体験した事実をもとに明らかにされた貴重な本です。
(2014年8月刊。1240円+税)

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