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2015年1月 の投稿

今、あらためて八鹿高校事件の真実を世に問う

カテゴリー:社会

著者  兵庫人権問題研究所 、 出版  同
 今から40年前ですから、ちょうど私が弁護士になったとき(1974年)の秋(9月から11月にかけて)に起きた八鹿(ようか)高校事件について、40周年を記念して振り返った本です。
県立高校で教職員が集団で監禁され、暴行・障害を受けたという大変な事件です。
加害者たちは、全員が有罪となりましたし、民事上の賠償責任も認められました。また、事件を放置した兵庫県の責任も認められ、和解が成立しています。
私自身はまったく関わっていないのですが、現代日本で、こんな無法なことが起きることに大変な衝撃を受けたことを、今もはっきり覚えています。そして、なにより驚くべきことに、日本の警察は、目の前で監禁・暴行・傷害事件が進行しているのに、何の助けにもならない、まったく動かないのです。さらに、マスコミは、タブーとして報道しない(できない)のです。これでは、日本の民主主義は、あまりにも根が浅いとしか言いようがありません。
でも、救いがありました。教職員集団は、みな暴行・障害に耐えるしかなかったのですが、八鹿高校の生徒たちは立ち上がったのです。広い河原に1000人もの生徒たちが集まり、町なかへデモ行進しようとしました。
それを見て、泣き寝入りするかと思われた町民が立ち上がり、ついには、事件直後におこなわれた町長選挙で暴力反対派が勝利したのです。
暴力に屈せずたたかえば、やはり、いつかは世の中から認めてもらえるということを、身をもって証明した貴重な記録集です。高校生たちの激しい怒りと、集会を成功させた力を改めて見聞きして、昔も今も、日本の若者は捨てたものではないと思いました。
もう40年もたってしまったのかという思いとともに、40年たって、良く変わったところと、今なお変わらない悪い面と、日本の現実を知った思いです。
当時、八鹿高校に在学していた高校生も、すでに定年間近になっていますよね。皆さん、元気なのでしょうね・・・。こんな大事件に遭遇して、その後の人生に、どんな影響を与えたのか、その点も知りたいところでした。
(2014年10月刊。3500円+税)

日米〈核〉同盟

カテゴリー:社会

著者   太田 昌克 、 出版  岩波新書
 核兵器と原子力発電所が、根っこで共通した問題のあることを明らかにした本です。
 そして、西山記者が暴いた「核密約」が今も生きていて、私たち日本人の生命、安全を脅かしていることも明らかにしています。
 2011年3月15日は、日米同盟の盟主である米国が驚愕し、菅政権と東京電力に、その当事者能力に見切りをつけた「運命の日」である。
 海兵隊の特殊専門部隊CBIRF(シーバーフ)は、1995年の地下鉄サリン事件を機にアメリカ軍内に設置された専門集団で、部隊は二つしかない。うち一つは常時、アメリカの国家機能の中枢である首都ワシントンでの有事に備えて即応体制をとっている。そんなアメリカ有数の資産であるCBIRF(隊員50人)がアメリカ本土から遠く離れた外国(日本)に派遣されたことの政治的意味は格別に重い。
 日本側の「当事者能力」喪失を疑ったアメリカは、「複合的人災」と呼べる福島の原発事故の初期対応に能動的に関わった。
 核超大国であるアメリカは、冷戦時代から今日に至るまで、「核の傘」という「核のパワー」に依拠した軍事的手段を日本に供与し続けると同時に、原子力という民生用の「核のパワー」を「平和利用」の名の下に被爆国ニッポンに担保し続けてきた。
 核搭載艦船の日本への通過・寄港を無条件で可能にする「核持ち込みに関する密約」が必要だった。1954年5月、アメリカの国防総省は、国務省に対して、日本に原爆を持ち込み貯蔵したい、在日米軍基地から核攻撃できるよう、日本政府から事前の許可をとってほしいと要求した。
 アメリカ軍は、1945年末から1955年初めに沖縄への配備を断行した。そして、1955年春に西ドイツ、57年にフィリピン、58年に韓国、台湾へと、順次、核の前線配備をすすめ、「核の脅し」を具現化していった。
 核兵器にきわめて敏感な反応を示す日本人に、いずれ核配備を受け入れさせるためにしたのが、「原子力の平和利用」による「核ならし」という、日本国内世論のマインドコントロールだった。
 「平和利用」と「軍事利用」とは、コインの裏表の関係をなすものである。アメリカのCMRT(被害管理対応チーム)は、核事故の特殊専門チームであり、ホワイトハウスは、3.11の原発事故から3日たった時点で、福島の現場に投入することを決めた。
 CMRTは、二つのチームに編成されており、一つは西部ネバダ州のネリス空軍基地に、もう一つは首都ワシントン郊外のアンドリュース空軍基地に常駐している。
 CMRTのメンバー33人が3月16日に横田基地に到着し、アメリカ軍機に乗り、福島の上空700メートルから放射線の空間線量を測定した。CMRTが海外における核危機の現場に投入されたのは、福島での原発事故が初めてだった。
 ところで、このCMRTから日本政府に届けられた初期の重要データを日本側が有効活用していない疑いが強い。
 村田良平・元外務事務次官(1987~89年)は、回想録のなかで、「核密約」の存在を認め、歴代自民党政権は国民に虚偽の答弁をしていたと書いた。
 外務省の事務方中枢は、長続きしそうで、「立派な」(口の軽くない)外相だけに「核密約」のことを教えていた。
 冷戦終結を受けて、アメリカ政府は核搭載した艦船を日本に寄港させなくなった。このアメリカ軍の戦略の変化を反映して、「日米核同盟」の象徴的存在だった核密約の政策的な重要性が低下した。
 日本は2013年の時点で、使用ずみ核燃料を再処理して抽出した45トンのプルトニウムを保有している。45トンのプルトニウムから製造できる核爆弾は5000発以上になる計算だ。
 いま、全世界にある核兵器は1万7000発ほど。うちアメリカが7400発(そのうち2700発は解体待ち)、ロシアが8000発(うち3500発が解体待ち)。アメリカに次ぐ原子力大国のフランスは57.5トンの民生用プルトニウムを保有する。ロシアは50トンのストックをもつ。イギリスは91トン、中国は20キロにみたない。ドイツは6トン。すなわち、日本の45トン、5000発分のプルトニウムは、とてつもない量なのである。
 日本を取り巻く核兵器と原発の危険性を改めて認識しました。広く読まれてほしい新書です。
(2014年8月刊。800円+税)

辺野古に基地はいらない

カテゴリー:社会

著者  東アジア共同体研究所 、 出版  花伝社
 昨年末の衆議院総選挙で「オール沖縄」が4議席を占め、沖縄では全勝しました。政府・自民党の完敗です。沖縄県の民意が見事に示されたと思います。ところが、残念なことに本土のマスコミはあまり大きく報道していません。安倍政権のマスコミ操作の「成果」がここにもあらわれています。
 辺野古につくろうとしている基地は、アメリカ国防総省によると、運用年数40年、耐用年数200年の基地だ。そのための予算は1兆円。
 在沖アメリカ海兵隊の砲兵隊中隊長によると、辺野古につくる基地は日米安保条約とは何ら関係がない。これは、日本の鉄鋼業界を救うという政治目的でつくるもの。しかし、せっかくつくっても真珠湾に次いで、世界で2番目に海底に沈む基地になる。
 鉄の柱を何千本も立てて、その上に鉄の箱をいくつもリングでつないで、その上に厚い鉄板を張って滑走路をつくるのだが、鉄の箱と箱を結ぶリングが日本でもアメリカでも、まだ発明されていない。現在のリングでは、沖縄の暴風に耐えられず海底に沈んでしまう。
 現在、普天間基地では、腐食を防ぐためにヘリコプターを2週間に1回ずつ真水で洗っている。基地を辺野古に移すと、塩害がひどくなるので、毎日でも洗わないといけない。
 ヘリコプターを1機洗うのに4トンの真水が必要。すると、有翼機をふくめて100機になるので、1日に400トンの真水が必要になる。沖縄は年中、水不足に苦しんでいるので、どこから、これだけ大量の水を持ってくるかは、大問題となる。
 辺野古に基地をつくったら、オスプレイを1回に2機ずつ洗うことになるので、巨大な水タンクを設置する必要がある。兵舎も海上につくらなければならない、食堂も食糧倉庫も、格納庫も・・・。さらには、バーやクラブも欠かせない。そのためにはウイスキー倉庫も。そうなると、関西空港なみに巨大化し、費用も1兆5000億円にもなりかねない。
普天間基地を辺野古に移したら、陸からも海からも自由に爆弾を積める施設をつくる。今の普天間では爆弾は積めず、嘉手納基地で積んでいる。
 普天間基地の年間維持費は280万ドルだけど、辺野古に移したら2億ドルにはね上がる。それを、アメリカは日本の税金で負担してもらうつもりだ。
 わずか4万数千人の在日アメリカ軍のために日本が負担・支出している総額は、沖縄の140万人県民を養うための県予算よりはるかに大きい。
 2009年度の日本が負担しているアメリカ軍駐留費総額は、「思いやり予算」1881億円をふくめて7146億円。同じ年度の沖縄県の予算は6730億円でしかない。
 「思いやり予算」は、1978年に始まったときには62億円だったものが、20年で30倍以上になってしまった。
 「思いやり予算」のなかには、アメリカ軍基地内で働く76人のバーテンダー、48人の自動販売機の管理人、47人のゴルフコース整備係、25人のクラブ支配人、9人のレジャーボート操縦士、6人の劇場支配人、5人のケーキ職人、4人のボウリング場係、3人のツアーガイド、1人の動物世話係が含まれている。これを、みな私たちの税金で負担しているわけです。
 辺野古の基地建設のため、辺野古ダムからベルトコンベアーに土砂を運んでくる工事を大成建設が51億円で落札している。
 オスプレイは戦闘には向かない。平時の兵員や物資の輸送機としてしか使えない。横風や追い風に弱い。密集隊形で突入するとき、両脇の自分の味方機と接近しすぎると危なくなる。隣の機の気流で不安定化してしまう。いずれにしろ、全然、役に立たない。
 鳩山由紀夫には、首相としては大変ガッカリさせられましたが、本人は今なお、いたって真面目です。だからこそ、アメリカが全力をあげて、日本のマスコミも使って首相の座から引きずりおろしたのですね。貴重なブックレットです。ご一読をおすすめします。
(2014年10月刊。780円+税)

脱ダムへの道のり

カテゴリー:司法

著者  編集委員会 、 出版  熊本出版文化会館
 熊本県の住民が川辺川ダムを苦労の末に止めた闘いの教訓を学ぶことのできる本です。
ハードカバーで、400頁をこえる大作ですので、手にとるのに少し勇気がいりました。正月休みの人間ドックのときにホテルに持ち込んで読了しました。
とても勉強になりました。とりわけ、行政とのたたかい方は、大いに参考になりました。広く、多くの国民に知ってもらいたいと思います。何事によらず、権力の横暴とたたかうためには、あきらめないことが肝心です。
川辺川ダムを建設する話がもちあがったのは、今から60年も前の1954年(昭和29年)のこと。すごーく古い話です。そして、そのときのダム計画は、水力発電を目的とするものでした。
1950年(昭和25年)ころ、五木村の人口は6000人をこえていた。ところが、1970年(昭和45年)には4000人、2007年(平成19年)には、わずか1400人にまで減ってしまった。
それは、気象災害、ダム計画がもたらした村内対立そして、展望のないまま外へ移住していったことによる。
1966年、建設省は治水を主たる目的として川辺川ダム建設構想を打ち出した。
1968年に、利水(かんがい)を含む多目的ダム構想によって、ダム反対を叫ぶ五木村は孤立化していった。国と県は、五木村を孤立化させながら、「所得」と「札束」で揺さぶりをかけた。
行政処分に対して異議申立したとき、口頭審理の申立ができる。申立があれば、法によって審査は口頭でしなければならない。
私も、公害認定審査会における口頭審査を何回も体験しましたが、これは、裁判の口頭弁論以上に面白いものです。行政とのあいだで丁々発止のやりとりができます。真剣勝負です。もちろん、そのためにそれなりの準備が必要です。
弁護団は、口頭審査申立書を農水大臣あてに送付した。その回答が来ないので、九州農政局へ抗議に行った。すると、課長や次長は「口頭審理の申立など知らない」とうそぶき、抗議団を立たせたままで応対した。次長に至っては、足を机に乗せてスポーツ新聞を読むという対応だった。そして、抗議団の一人が帽子をかぶっていると、「帽子を取れ」と高飛車に命令した。
弁護団が、行政手続は送達主義であって、裁判の到達主義とは違う。このように説明しても、農政局は、口頭審理申立書を受けとっていないと繰り返した。やむなく弁護団が抗議したあと事務所に戻ると、九州農政局の課長らが追いかけてきて、「口頭審理申立書が来ていました」と言いながら、土下座して謝罪した。
なんということでしょうか・・・。しかし、まだその次があります。今度は、口頭審理の日時・場所を一方的に指定したうえ、発言は代理人に限るとしたのです。とんでもないことです。
発言する人のための椅子は一つだけ。農政局側は十数人が机を前に座っている。そして、窓のカーテンを閉める。隣のビルからのテレビ局の撮影を妨害しようとする。それで、閉めたカーテンを開けさせた。そのうえ、農政局側は、本人の発言を許さないという。
そこで農政局の法律スタッフに「使者」という概念があるのを確認させ、弁護士が「私の使者である○○さんに発言させる」と言って、本人発言を認めさせた。結局、こうやって本人発言を認めさせていって、合計207人もの住民が口頭意見陳述を実行した。
このたたかいによって、はじめは弁護団に依頼しなかった人たちも、裁判のときには弁護団に委任するようになった。
川辺川ダムの裁判では、一審の熊本地裁では敗訴したものの、福岡高裁では逆転勝訴します。福岡高裁の井垣敏生裁判長は、第一回口頭弁論で、双方の主張をスライドなど絵を使ってするよう求めた。そこで、原告弁護団は動画を作成し、4×4メートルのスクリーンで上映し、国を圧倒した。井垣裁判長も偉いと思いますが、それにこたえた原告弁護団も見事ですね。
そのうえで、原告弁護団は、4000人の農家を調べて、その3分の2以上の同意がないことを立証するという大変な作業にとりかかったのです。土、日、祭日に農家の人たちに地域公民館に来てもらって、調査したのでした。大変な作業です。しかし、この作業を立派にやり終えたことによって、原告側の勝訴判決が得られたのでした。
住民運動とともに裁判をすすめていくときの弁護団の苦労がしのばれる本として、とても教訓にみちた貴重な本だと思いました。恵贈いただいた板井優弁護士に感謝します。
(2010年11月刊。2800円+税)

日本人は人を殺しに行くのか

カテゴリー:社会

著者  伊勢崎 賢治  、 出版   朝日新書
 昨年末の西日本新聞に、アフガニスタンで活躍中のペシャワール会の中村哲医師の活動が写真とともに大きく取り上げられていました。中村医師は福岡県出身で、自宅も福岡県内にあります。わが郷土の誇るべき偉人です。
 中村医師は、安倍首相とはちがって、アフガニスタンの復興に必要なのは銃ではないと強く訴えています。中村医師は患者を治療する前に病気にならないようにすることが大切だとして、農業用水路を自ら開設していったのです。
 丸腰で働く中村医師には、絶えず二人の護衛が銃をもって付き添っているとのこと。それでも戦後一度も戦争をしたことのない平和な国・ニッポン人だからこそ、中村医師は丸腰のままアフガニスタン復興に身を挺することができているのです。ある意味で、「美しい誤解」を日本人は受けていて、中村医師もその恩恵を蒙っています。
いま、安倍首相のやっていることは、日本をフツーの戦争する国に変えることですから、これでは中村医師の活動を誤解する人が生まれても不思議ではありません。安倍政権は、中村医師の足をひっぱり、ひいては日本人全体の信用を害していることになります。
 この本は、「紛争屋」と自称する著者が、安倍首相の集団的自衛権行使の問題点を徹底的に究明したものです。
安倍首相の唱える「集団的自衛権」の行使が容認されると、間違いなく日本と日本を取り巻く国際環境に劇的な変化が起きる。
 現時点で、すでに日本人が海外で人を殺し、殺される一歩手前まできている。
 「集団的自衛権」は、あくまで国益のために行かれるものであるため、ときに国のエゴがむき出しになることがある。これまで、権利としては持っているけれど、集団的自衛権はあくまでも使うことができないものだと解釈されてきた。集団的自衛権の問題は、アメリカとの関係に左右される。
アフガニスタンでは、武装解除を免れ、武器を与えられてきたアフガンの警察は、いまは腐敗国家のシンボルと言ってよい存在だ。アフガニスタ警察を腐敗させたのは、アメリカのブッシュ政権に帰属する。
 ブッシュ大統領は、もともと地方軍閥の子飼いの民兵だった連中に、ロシアから輸入した大量の武器を与え、その連中を地方の警察として各地に配置した。わずか数か月で5万人もの促成地方警察を生み出した。日本の掲げた「治安分野の支援」は、腐敗の象徴であるアフガン警察に給料を払い、それを肥大化させることにつながった。
安倍内閣は、「集団的自衛権の行使」に際して、自衛隊の出ていく範囲を限定するつもりは全くない。
 日本に50ケ所以上ある原発(原子力発電所)の排水口に向けてRPG(携行ミサイル)が発射されたとき、日本全体が破滅してしまうことになる。
 「売れるから」という理由だけで書店に並べられている本が、日本人の好戦性を少しずつ、しかし確実に煽っている。これはなんとも不気味で恐ろしい話だ。人々の「熱狂」というのは、核兵器も超える真の大量破壊兵器になりうるものである。
 シリーズ累計100万部の『マンガ嫌韓流』(晋遊舎)、27万突破。『呆韓論』(産経新聞社)、20万部を突破した『韓国人による恥韓論』(扶桑社新書)など、ヘイトブックと批判されている本が大変売れている。
昨年末の衆院選で、得票を減らし、議席数も本当は減らしているのに「圧勝した」と間違った情報をたれ流し、マスコミは安倍政権を助けています。
何度も武装解除の現場に立ち向かったことのある著者ならではの本です。ご一読ください。
 
(2014年10月刊。780円+税)

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