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2014年11月 の投稿

動物が教えてくれた人生で大切なこと

カテゴリー:生物

著者  小菅 正夫 、 出版  河出書房新社
 旭山動物園の前園長による本です。私と同世代の著者は、獣医師として旭山動物園に就職し、今では日本有数の動物園となった旭山動物園の中興の祖となりました。
 オオカミはペアリングがうまくいくと、一生を添いとげ、決して別れることがない。ただし、夫婦となる衝動がない限り、妥協してペアリングになることはない。そして、それは出会った瞬間に「縁」を感じとることがあるようだ。
 これって、人間に似てもいますし、まったく似てもいないといえますね。一目ぼれは、人間にもありますが、人間社会では「不倫」、離婚はあたりまえですからね・・・。
仲の良いオシドリ夫婦とよく言われますが、実は、オシドリは一夫一妻制どころか、乱婚制なのである。
野生のチンパンジーの雄同士は、グルーミングによって協力関係を維持している。
ゴリラは、近親交配を避けるため、幼いころから一緒に育ったオスとメスはお互いを避けあう習性を持っている。
カバ同士は、口を大きく開けたほうが勝ち。
「カバさんの歯磨きイベント」で、カバが大きく口を開けるのは、目の前になんか大きなものがあると、とりあえず自分の口を大きく開けて、「自分のほうが大きい」と自己主張しているということ。そのとき、開いた口に歯ブラシをあててこすっているだけ。
サルのメスは、α(アルファ)オスと儀礼的な交尾はするが、妊娠の可能性を自覚すると、自分の好みのオスと交尾してそのオスの遺伝子をもった子を妊娠している。うひゃあ、ですね。
チンパンジーは、人の心の動きを読みとって行動する。あるとき、著者が仲間と夕食を一緒にとる約束をしたら、チンパンジーの一頭が著者の言うことを聞かなくなった。からかったのです。
 動物は、相手の顔つき、声、におい、殺気などを総合して、相手の心を読むことができる。
 チンパンジーは、人間に育てられると、チンパンジーには育たない。チンパンジーは交尾するのにも学習が必要。群れのなかで育たないと交尾は出来ない。
 戦前の日本にあった動物園は全国にわずか16。それが、戦後、もっと多いときに98園あり、今では87園になっている。今、ゾウのいない動物園が増えている。そうなんです。私のすむ町にある動物園でも、先日、ゾウが死んだあと、結局、よそから入れることは出来ませんでした。
 これは、動物園の怠慢が原因だと著者が激しく批判します。つまり、オスとメスをペアにして飼わなかった、その努力をせずに一頭のみ飼う動物園が多かったということです。そうなんですね・・・。今や、ゾウは絶滅危惧種なのである。
 さすがに動物の生態を詳しく、よくつかんで紹介している本です。
(2014年8月刊。1400円+税)

虹の岬の喫茶店

カテゴリー:人間

著者  森沢 明夫 、 出版  幻冬舎文庫
 不思議なストーリー展開の本です。でも、それでいいのです。多少あいまいで、ええっ、どうしてそうなるのと不思議感があるくらいが、ちょうどいいのです。何事も論理的にきちんとしすぎると、ギスギスしてきます。心にゆとりをもたせるためには、いくらかのミステリーがあったほうが前向き思考になじむのです。
 映画「ふしぎな岬の物語」も早速みました。この本を読んでいましたから、本にあって映画にないもの、映画にあって本にないものが分かりました。両者あいまって、映画を見終わったとき、ほんわかした気持ちになって帰路につきました。いい映画をみた後は、いつも、ありがとうございましたと心の中で叫んでしまいます。
 この本、そして映画は、吉永小百合のために書かれ、つくられたようなものです。彼女も年齢(とし)をとりました。でも、本当に美しいです。反核・平和のために今も大きな声をあげているのも偉いものです。ギラギラしたところがなく、ちょっととぼけた味わいすら出しているところが、たまらなくいいのですよね。
 吉永小百合の、私にとっての秘密は、週に何日もプールで泳いでいるというのに、顔にゴーグルの跡が見あたらないことです。私なんか、週に1回しか泳いでいませんが、目のまわりには、はっきりしたくぼみがあります。
 ゴーグルの違いなのでしょうか・・・。誰か、その秘密を知っていたら、教えてください。
岬の先にある古ぼけた喫茶店が舞台です。実際に、房総半島に、こんな喫茶店があるそうです。誰か、ブログで紹介してくださいな。でも、常連以外の客はなさそうですから、きっと採算はとれないでしょうね。それでは長続きしないのではないかと心配になります。
 毎朝、湧き水を汲みに行って、コーヒーを湧かします。そして、「おいしくな-れ、おいしくなーれ」と呪文をとなえるのです。
 ブラックのコーヒーって、私はあまり好みではありませんが、本当においしそうです。そんな青息吐息の喫茶店に、食いつめた刃物職人が夜中に泥棒に入ります。女主人は、「泥棒さんも大変ね」と声をかけ、心を通わせるのです。
 私も、弁護士として、同じような思いを何度もしました。食いつめたあげく、無人の倉庫に泥棒に入ったところ、たまたまやって来たパトカーにライトを浴びせられ、逃げようとしたけれど、何日も食べていなかった空腹のため、何歩も走れないで倒れてしまったというケースを担当しました。私と同世代の人たちが食うに困って「犯罪」には知る姿をみると、本当に身につまされます。
 安倍首相の進めている弱者切り捨て政策は本当に許せません。たまには、ほんわり、じんわり感を味わいたい人には、強くおすすめの本であり、映画です。
(2014年6月刊。648円+税)

クルクス対戦車戦

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  山崎 雅弘 、 出版  光人社NF文庫
 ナチス・ドイツとソ連が太平洋が激突したことで、有名なクルクス対戦車戦を再評価した本です。
 本のオビを紹介します。
 「ドイツ軍2800輌、68万5000人。ソ連軍3000輌、125万8000人。空前絶後の兵力の相まみえた大会戦の全貌をソ連崩壊後に明らかになった史料をもとに描く決定版。独ソ最大の地上戦」
 1943年7月のクルクスの戦いは、史上最大の戦車戦と称される。
 1943年2月、スターリングラードの戦いが終わり、ドイツ軍が降伏した。スターリングラードでの大敗北のあと、ヒトラーは資源の確保、そしてイタリアやルーマニア・ハンガリーなどの同盟国をいかにしてつなぎとめるかという政治問題に心を奪われていた。スターリングラードの勝利のあと、西方への攻勢を強めようとしたソ連に対して、ナチス・ドイツのマンシュタインの大反撃が功を奏した。ソ連軍は、補給体制を整備しないままに攻勢を継続していた弱点をつかれてしまった。
ドイツ軍のもつティーガー戦車は1942年秋から生産開始となった頑強な重戦車である。旋回砲塔に搭載する8.8センチ砲と分厚い装甲は、ソ連軍のT34戦車や対戦車砲では太刀打ちできなかった。ソ連側の強味は、敵(ドイツ側)の攻勢計画に関する詳細な情報と、それにもとづく兵力の集中だった。そして、別働隊のパルチザンが活躍した。
 ソ連空軍機は、ドイツ側のレーダー装置によって探知され、その多くが撃墜された。その結果、ドイツ空軍が制空権を握り、多くのソ連軍T34戦車が空からの攻撃によって撃破されてしまった。
 1943年5月から8月にかけてのクルクス決戦において、敵に先手をとらせたりソ連側が戦略的に勝利した。しかし、ソ連側は途方もない損害を蒙った。戦死者が7万人、負傷者が11万人の18万人。これはドイツ軍の3倍。投入兵力の14%に及ぶ。
 ソ連軍がクルクス会戦で喪失した戦車は1614輌。それでも、ソ連軍の軍事組織としての土台は揺らぐことなく、すぐに体勢を立て直して新たな攻勢に取りかかった。
一般に、ドイツ軍はクルクス会戦で回復不能なほどの大損害を蒙り、それが第二次世界大戦におけるドイツの敗北を決定づける要因になったとされている。しかし、それは正しくない。クルクス会戦におけるドイツ軍の戦死者は1万人(投入兵力の2%)、負傷者は5万人(同7%)。損害合計は6万人ほど。ドイツ軍は、「戦略的大戦を喫した」というほどのことではない。ドイツ軍の戦争遂行能力を根底から揺るがすほどの決定的なダメージをドイツ軍の組織にもたらしたわけではなかった。
 東部戦線のドイツ軍装甲部隊は、クルクス会戦によって部分的に「非稼働状態」にはなったが、「全損」させられたわけではない。ドイツ軍の戦車は、ソ連軍の砲弾よりも、むしろ連日にわたる苛酷な対戦車戦闘の繰り返しで消耗し、戦闘力を減衰させられた。
 戦略的情勢がドイツ軍の退潮へと転じるなかでも、ドイツ軍装甲部隊は、攻撃的な「電撃戦」に代わる「機動防御」を展開し、ベルリン陥落までの2年間にわたって、ソ連軍に多大の出血を強いることができた。
そうだったんですね・・・。クルクス会戦でナチス・ドイツ軍は再起不能の状態に陥ったのかと思っていました。
 この本を読むと、ソ連軍が大変な人的・物的損害を蒙りながらも、必死に歯をくいしばって耐えてドイツ軍に頑強に抵抗していた状況がよく分かります。
 ここでは、他の場面で頻出するスターリンの戦略指導の誤りはなかったようです。本当でしょうか・・・。クルクス会戦、戦車戦に関心をもつ人には必読だと思いました。
(2014年8月刊。900円+税)

アベノミクスの終焉

カテゴリー:社会

著者  服部 茂幸 、 出版  岩波新書
 日本全国、どこへ行っても駅前の商店街はシャッターのおりた店が目立ちます。私が最近行った函館、福井、鹿児島、みんなそうです。タクシーに乗るたびに、「最近、景気はどうですか?」と訊くのですが、どこでも一様に、「いやあ、悪いです。最悪です」という答えばかりが返ってきます。先日行った鹿児島では、「涙も出ないほど、ひどい不景気ですよ」という嘆き節を聞かされました。
 ですから、私はアベノミクスとやらを今なお持ち上げる経済学者やジャーナリストがいるのが信じられません。
アベノミクスの三本の矢というものは、その相互の整合性もよく分からない。
 円安にもかかわらず輸出が伸びず、円安に加えて経済成長率が低迷しているのに、輸入が急増している。深刻な状況にある。
 アベノミクスの第二のつまずきは、輸出拡大による経済復活に失敗したこと。輸入の拡大が貿易収支、経常収支を悪化させ、日本の経済回復を妨げている。
 勤労者家計の所得は、1年間で5%ほど実質で減少した。
 消費増税は物価を上昇させる、それが日本経済を復活させるとは、誰も思わない。消費増税は家計の可処分所得を縮小させる。
 ギリシアと異なり、日本の国債は圧倒的大部分が、国内の金融機関によって保有されている。
 日本では長期的な停滞の結果、大企業は借金をするのではなく、内部留保を蓄えはじめた。中堅・中小企業は依然として銀行からの借り入れに頼っているが、彼らへの貸し出しはリスクが高い。だから金融機関にとって、国債は重要な資金の運用先なのである。
 日本は、世界最大の債権国である。日本の金利は、ほとんどゼロなので、世界経済が好調なときには、日本から外国への資金の投資や貸出が増加し、円安となる。逆に世界経済が悪化したときには、この資金が回収され、円高となる。回収された資金は、日本にとってもっとも安全な証券である日本国債に投資される。こうして、世界経済が悪化したときに円高となり、国債金利は下がる。
 アメリカは、国債の半分を外国人(そのうち4割が日本と中国)が保有し、世界最大の経常収支赤字国、債務国であるなど、ギリシアにきわめて似通っている。ところが、アメリカは事実上の基軸通貨国である。
 小泉構造改革の中心(目玉)は郵政民営化だった。そのモデルはニュージーランドの郵政民営化。しかし、小泉政権が郵政民営化を進めていたとき、ニュージーランドの郵政民営化は成功とは言えないので、見直しが進められていた。ちっとも知りませんでした。
社会の格差が大きな国では、精神病や麻薬が広がる。国民のなかに肥満者が増え、不健康になり、平均寿命は縮まる。
 人々のあいだの協力関係がなくなり、「社会的資本」が破壊され、教育レベルは低下し、10大の少女の妊娠が増加する。犯罪も増え、社会は荒廃する。格差の大きな社会では、底辺層は社会的な承認を得ることができない。上層は経済的には恵まれていても、ストレスが大きい。格差の大きな国に住むことは、底辺層にとって不幸であるだけでなく、上層にとっても不幸なのである。
 日本企業に成果主義が導入され、大失敗したのが富士通とソニーだというのは、今や定説になっている。アメリカ式の成果主義は、正しい成果主義とは言えない。
 日本の成果主義は、賃金引き下げの手段としての要素が強かった。
 アベノミクスから1年以上たっているが、トリクルダウンは生じていない。これからも生じることは期待できない。
失敗が繰り返されるのは、失敗した人々が失敗を隠蔽し、記憶を忘却させるからだ。過去を学ぶことは、我々の未来をつくることなのである。
 アベノミクスの失敗をきちんと認め、労働者の実質賃金を引き上げ、日本国内の内需を高めることこそ、今、緊急に求められていると思います。大企業の内部留保をほんの少しだけ吐き出させればよいのです。消費税10%なんて、本当にとんでもないことです。
(2014年9月刊。740円+税)

登校拒否を生きる

カテゴリー:社会

著者  高垣 忠一郎 、 出版  新日本出版社
 現代日本社会のありようを改めて考えさせる本です。
 いま周囲を見まわしてみると、世の中、なんだかギスギスとして、みんながやたら早足に、せっかちに歩いているように見えて落ち着かない。本当に、そのとおりですよね。
多くの子どもが親の前で「元気で明るい子」を演じている。一生けん命に自分の感情を操作し、コントロールして、親向け、教師向け、あるいは友だち向けの「自分」を演じている。
 悪夢でうなされている子どもを、揺り動かして悪夢から目覚めさせてやる。これが本当の援助だ。
 登校拒否している子どもは、登校拒否という形で、自分と社会や時代とのかかわりを表現しながら、自分の人生と向きあっている。
 「よい子」でないと見捨てられるという不安をかかえて育った子どもや若者は、「自由」に生きられない。不安と恐怖に強いられて、「ねばらない」で行動するため、自分のやったことが失敗し、自分に不都合なことが起こると、一生けん命「よい子」をやってきたのに、裏切られたと思ってしまう。この裏切られた怒りを裏切った親や社会にぶつけるようになる。
 「よい子」でがんばっている人は、「よい子」でない「あるがままの自分」を受け入れることが出来ない。「よい子」でない自分を演じている自己欺瞞をどこかで感じ、深層では、そんな自分が好きになれないでいる。
子どもを「まるごと受け容れる」とは、子どものすべてを肯定的に評価するということではない。弱点やダメなところをたくさん抱えながら生きている、その子の存在をまるごと承認し、肯定するということ。
 カウンセラーは、答えを教えるのが仕事ではない。その人が問題とまともに向きあって、自分なりの答えを見つけ出すのを手伝うのがカウンセラーの仕事だ。そうして本人が見つけ出した答えだけが、その人を変える。
 人間は、まずこの世に存在する。そのあとで自分の本質を創り上げていく存在である。一刻一刻の自分の行為によって、自分で選択する自由な「投企」によって、自分というものを証明し、創り上げていく存在なのである。うむむ、そういうことなんですか・・・。
 個性というものは、「あるがまま」の自分に素直な人にしか訪れない。
 思春期は、第二の誕生のとき。そこにあるのは、「私は誰か?」という問いかけである。
 今日の進学競争は、敗者復活戦のない「勝ち抜き競争」「生き残り競争」の観を呈している。そこでの失敗には、後(あと)がない。進学競争に負ければ自分の人生はないと思い込めば、そこでの失敗は取り返しのつかないものとなり、取り返しのつかない後悔につながる。
そのことにどこかで違和感を感じる自己がたしかに存在していた。その違和感が蓄積し、飽和状態に達したとき、そんな学校生活への拒否症状が生まれ、登校拒否に陥る。
親は学校社会から脱落した孤立感や疎外感を感じ、自分を「ダメな親」にしてしまった「ダメな子」を受け容れることができない。そして、親に受け容れられない子どもは、自分を否定し、自分を責め続けて、「自分が自分であって大丈夫」という自己肯定感もふくらまず、なかなか元気になれない。
競争社会は、眼に見えないコストがかかる。共同性や社会性の喪失。利己主義の蔓延。その結果として生じる、不安、敵意、嫉妬、強迫観念などのもたらすマイナスの想念、メンタルヘルスの低下・・・。
 勝利することによるワクワクする高揚感、勝利感は長続きしない。勝利感、高揚感に支えられた自己愛的な誇りは、競争に勝ち続けることによってしか維持できない。競争に勝ち続けることは不可能で、いつか敗北が訪れる。栄光のときを過ぎた自分、花の盛りを過ぎた自分は、みじめなもの。他人をうち負かしても、自尊心、自己肯定感を高めることには役立たない。もっと他人をうち負かし続けなければならないという強迫感を強めるだけ。
 「勝ち組」思考の人は、自分が現実をありのままに認められず、否定しているのではないかと自分を疑ってみることが必要なのでは・・・。
さすがに長年、心理臨床家を続けてきた人の話は説得力があります。私は、この本の光ったところに赤エンピツをたくさん引いて、本が真っ赤になってしまいました。子どもの教育に関心のある人には、強く一読をおすすめします。
(2014年8月刊。1600円+税)

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