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2014年11月 の投稿

宇宙の果てはどうなっているのか?

カテゴリー:宇宙

著者  大内 正己 、 出版  宝島社
 たまには気宇壮大に、宇宙を眺めたいものです。今夜は、満月がこうこうと輝いています。
 頭上高く見る月と、ビルの屋上すれすれの月とでは、同じ大きさのはずなのに、まるで大きさが違います。目の錯覚だというのです。月の大きさにも大小があるとしか思えません。
 天文学者は大変ですね。昼間も仕事はしているのでしょうが、観測するのは、基本的に夜でしょう。みんなが寝静まっているときに、ひたすら目をこらして天文の動きを観測するなんて、ぞっとします。夜は、やはりぬくぬくと布団に入って、ぐっすり眠りこけたいものですよね。
 宇宙の歴史は138億年。ビッグバンによって宇宙が始まってから8億年たったころ、つまり宇宙の初期時代にある天体(銀河)を発見した。これをヒミコと名づけた。この銀河は、同時代のものに比べて10倍以上の大きさがあり、明るさも10倍あった。古代の宇宙にこれほど巨大でまぶしい銀河は、これまでこのヒミコ以外に見つかっていない。
 すごい話です。宇宙の始まりから8億年たっても、まだ、宇宙の初期だというのです。日頃の私たちの時間の流れからは、想像も出来ないスケールです。
 原子が生まれたのは宇宙の誕生から38億年後のこと。それまでは、まだまだ宇宙が熱すぎて、原子核と電子が結合できなかった。このころ、温度が3000度にまで下がってきたので、原子核と電子が結合して、水素原子とヘリウム原子が生まれた。電子が原子核と結合したことで、光を邪魔するものがなくなり、光は直進できるようになった。これを宇宙の晴れ上がりと呼ぶ。
 宇宙の中で、人間の知っている物質はわずか5%しかなく、残りの95%はよく分からないもので出来ている。
 古代マヤ文明は天体をよく観測していた。マヤ人が観測をもとに計算した1年は365.2420日だった。現在の観測によると、1年は365.2422日であるから、マヤ人の観測の精度はきわめて高かった。
 ヒミコは、3つの銀河が横一直線にきれいに並んでいる。どうしてなのか・・・。
 宇宙には、まだまだ、たくさんの解明すべき不思議があるのです。
 毎日のちまちましたことを忘れさせる書物でした。
(2014年9月刊。1300円+税)

カクレキシリシタンの実像

カテゴリー:日本史(明治)

著者  宮崎 賢太郎 、 出版  吉川弘文館
 なーるほど、そうだったのか・・・。とても納得できる本でした。
 江戸時代の300年近くをキリスト教信者が生きのびたという事実をどう理解したらよいのか、疑問でした。
 この本では、「カクレキリシタン」と読んでいます。明治に入って、キリシタンの禁令の高礼がおろされ、信者の自由が認められたのちも、仏教の仏様も、神道の神々や民族神も、そして先祖代々伝わるキリシタンの神々も、それこそ三位一体の神様のように拝み続けて今日に至っている人々のこと。
 彼らには、隠れてキリシタンの信仰を守るという意識はない。誰にも見せないのは、ご先祖様から他人には絶対に見せてはならないと厳しく言われてきたから。
 彼らは、キリシタンであることを隠している「隠れキリシタン」ではなく、ご神体を他人には見せない「隠しキリシタン」である。何かを隠しているという秘密性、そのこと自体に意味がある。
 たとえば、生月島山田地区のカクレキリシタンは、戦後になって一人もキリスト教の洗礼を受けていない。高山右近のような、一部の例外的な人物を除けば、日本人のなかで本当の一神教としてのキリスト教信仰を理解し、実践できた人はいなかったのではないか・・・。
 カクレキリシタンは、隠れているのでもなければ、キリスト教徒でもなく、キリスト教的雰囲気を醸し出す衣をまとった、典型的な日本の民俗宗教の一つと言ってよい。
 カクレキリシタンの信仰の根本は、先祖が命をかけて守り伝えてきたことを、たとえその意味が分からなくなってしまっても、忠実に、絶やすことなく、継承していくことにある。その継承された信仰形態を守り続けていくことそのものが、先祖に対する最大の供養になると考えている。
 カクレキリシタンは、行事面でキリシタン的要素を残しているが、370年余におよぶ指導者不在によって教義的側面はほとんど忘却され、日本の諸宗教に普遍的に見られる重層信仰、祖先崇拝、現世利益的な性格を強く取り込み、キリスト教とはまったく異なった日本の民俗信仰となっている。
 江戸時代初期の人口は1000万人。そのうち3%、30万人がキリスト教信者だった。
 殉教者は、その氏名が明らかなものだけでも4045人。少なくとも4万人にのぼるだろう。これには、島原の乱の犠牲者3万人は含まれない。なんのために、誰のために、殉教者は生命を捧げたのか・・・。
 殉教者には、100%、王国への道が約束されていた。目の前で、命がけで自分たちのために働いてくれている、慈父たる宣教師たちへの、子としての命がけの報恩行為であった。もし棄教すれば、先祖代々隠れて守り伝えてきた祖先や家族との信仰の結びつきが断ち切られることになり、信仰共同体から仲間はずれにされることは彼らは恐れた。
明治初期まで潜伏キリシタンの組織が存続していたのは、次の7カ所。そのうち、長崎県の3カ所のみが、現在まで存続している。
 ①久留米近くの大刀洗町
 ②天草市
 ③長崎市内の浦上駅周辺
 ④長崎県の西彼杵半島
 ⑤生月島(平戸市)
 ⑥平戸島
 ⑦五島列島
 幕末まで組織が存続できたのは、信徒によるコンフラリアの組織があったから。コンフラリアとは、組・講のこと。信心講とも呼ばれる。
 カクレキリシタンに教会はなく、神父もいない。カクレキリシタンは、神仏信仰とともに、先祖代々伝わるカクレの神様もあわせて拝んできた。
 カクレキリシタンは、なんでも自分たちの手で、自分たちの家で行わなければならない。手のかかる宗教である。
 生月のオラショは、正式に唱えたら、早口でも40分ほどかかる長大なもの。これを後継者は、すべて暗記しなければならない。オラショは、祈禱(きとう)文にあたるもの。人間の、神への願い、思いを定型の言葉にしたもの。今では、呪文の世界に変容している。
 現在、キリスト教が日本に土着しえないのは、頑強に現世利益主義を否定し、来世志向的な一神教を保持していこうとしているから。
カクレキリシタンとは何か、現地で27年間も調査研究してきた学者の本です。本当に説得力があります。
(2014年5月刊。2300円+税)

映画の奈落

カテゴリー:社会

著者  伊藤 彰彦 、 出版  国書刊行会
 私はヤクザ(暴力団)が嫌いですから、ヤクザ映画もみたことはありません。ヤクザが仁侠道に生きているとか、情にあついとか賛美するのに耐えられないのです。ヤクザは、現実には義理人情というより、ゼニカネで動いているとしか思えません。
 いま、北九州で暴力団退治が本当にすすむのか、全国の目が集中しています。私は、ぜひ暴力団を退治してほしいと願っています。ただ、暴力団がこれだけ日本社会にはびこっている理由の一つには、大型公共土木工事があると思うのです。暴力団とそれとタイアップしている政治家は、総工事費の3%を「分け前」としてもらっているとされています。これは公然の秘密です。この根を絶ち切ることができたら、暴力団は一挙に激減してしまうのではないでしょうか。
 高速道路、空港、港湾、市民会館、文化会館、ありとあらゆる公共工事から暴力団が甘い汁を吸っているし、また吸わせるのを許す保守市民や保守系のボス議員がいます。そこにメスを入れない限り、市民会館で大勢集まって叫ぶだけでは、残念ながら茶番劇に終わってしまうのです。マスコミも、そのことを知りながら、メスを入れようとはしません。仕返しが怖いからです。
 この本は、1977年に封切りされた暴力団映画『北陸代理戦争』が制作される過程を追い、封切り後まもなく主人公のヤクザのモデルが映画のシーンと同じように射殺された現実を紹介しています。
 舞台は、福井県の芦原(あわら)温泉、そして三国町。競艇場があり、地元ヤクザがしのぎを削っていた。そして、日本の暴力団である山口組の支配下から抜けて対立関係になったところで事件が勃発した。
 本質的には利権をめぐる争い、表面的にはヤクザのボス同士の面子と意地のはりあいが命をかけた抗争事件になるのだと思います。
 そして、映画界は売れたらいい(観客が多ければいい)ということで、暴力団に取り入って取材し、協力してもらうのです。
 読んでいるうちに、いささか気分の悪くなる本ではありましたが、日本社会の裏面の一端を知る本として読了したのでした。
 この芦原温泉に10月半ばに泊まってきました。気持ちのいい露天風呂がありましたが、ここも不景気のようで、最近、老舗の旅館が倒産したとのことでした。
(2014年8月刊。2400円+税)

調理場という戦場

カテゴリー:人間

著者  斉須 政雄 、 出版  幻冬舎文庫
 私とほとんど同世代の著名なシェフの体験記です。
 フランスに渡って、その料理界に12年間いて、日本に帰って東京の「コート・ドール」の料理長に就任し、1992年からは、オーナーシェフとして活躍しています。
 フランス料理界での苦労話は身につまされます。ひたすら堪え忍んだのです。
 ひとつひとつの行程を丁寧にクリアしていなければ、大切な料理をあたり前に作ることができない。大きなことだけをやろうとしても、ひとつずつの行動が伴わないといけない。裾野が広がっていない山は高くない。日常生活の積み重ねが、いかに大切か。
 窮地に陥って、どうしようもないときほど、日常生活でやってきた下地があからさまに出てくる。それまでやってきたことを上手に生かして乗り切るか、パニックになって終わってしまうか。それは、日常生活でのちょっとした心がけの差だ。
イザというときに、あきらめることはないか。志を持っているか。
 相手に不快感を与えることを怖がったり、職場でのつきあいがうまくいくことだけを願って、人との友好関係を壊せないような人は、結局、何にも踏み込めない、無能な人だ。
 自分の習慣を変えず、流れるままに過ごしていたら、きっと10年後も人をうらやんでいるだけだろう。だったら、仕事以外のものは捨てよう。
言葉は、人と人とのかけ橋であり、自分とまわりが一緒に生きていくうえでの潤滑油でもあり、個人がやすらぐメロディーでもある。そして、言葉は、体をつくるものでもある。
 こいつは牙をむくかもしれないなという部分を相手にきちんと認知させないと、こちらがグロッキーになるまで、相手方からやられてしまう。
 いい人なだけではないということを体から発するためには、勤勉なだけではダメ。のべつまくなしに働く甘さだけでなく、必要なときに必要な力を出せることが大切なのだ。
乱雑な厨房からは、乱雑な料理しか生まれない。大声でわめきたてる厨房からは、端正な料理は生まれない。
 掃除することは、料理人としての誇りを保つための最低条件である。
 日常性をすり込ませることで、お客さんとのコミュニケーションをとることができる。超絶技巧の積み重ねだけでしか出来ないものを出していては、お客さんは疲れてしまう。
 一緒に食べている人との楽しい会話を促すような料理こそすばらしい。
採用するときの基準は二つ。気立てと健康。入ったら、まず片付けものと掃除。次にお菓子。その後、魚を下ろさせる。次はオードブル。
 いやはや、料理の世界も本当に奥が深いですね。
(2014年8月刊。600円+税)

ブラック企業と奨学金問題

カテゴリー:社会

著者  川村 遼平・大内 裕和ほか 、 出版  ゆいぽおと
 愛知かきつばたの会(クレサラ被害者の会)が、6月29日、創立20周年を記念して開催したシンポジウムをまとめたブックレットです。ブラック企業問題についてとても分かりやすくコンパクトにまとめられていて、大変勉強になりました。
 ブラック企業で犠牲になっているのは、「勝ち組」になった正社員。正社員が持続可能でない働き方を強いられている。今までなら被害者になるはずもなかった人たちをブラック企業は食い物にしている。
 被害者の若者は、自分がどんな目にあったのかを相談者(カウンセラー)に伝えることさえ、非常に大きな苦痛を感じているほど心に傷を負っている。だから、労働法だけで会社とたたかうことができない。
 法廷で会社と対峙しようとするだけでフラッシュバックが起こり、たたかう前に体調を崩してしまう。それに、被害者の若者の多くは、経済的な困窮状態にある。そのよって立つ生活基盤があまりに脆いため、法廷で持続的に会社とたたかうことがきわめて難しい境遇にある。
 過労死が起きるのは、仕事を休めない事情、会社を辞められない事情がある。
 就活生が理不尽な就職活動に血道を上げているのは、正社員にならないと生活していけないと考えているから。非正規になったら、そこでもう将来展望がもてなくなると思っているから。だから就活自殺につながっていく。
ようやく正社員としての地位を見つけたのに、その地位が持続可能でないと知れば、本人はこんなはずじゃなかったという後悔に見舞われる。このような深い精神的落胆に生じさせることがブラック企業の最大の問題点である。
すなわち、ブラック企業とは、長期雇用を匂わせておきながら、実際には持続可能でない働き方を強いる企業なのである。
 ブラック企業のなかには、大量採用、大量離職を特徴としている。
 ユニクロがそうですよね。
 ブラック企業の「消耗使用型」では、短期の雇用労働力を最大限効率的に使おうとする。
 正社員は、ほとんど「サービス残業」をしている。
 そこで、ワタミでは入社して2ヵ月目に20歳代の女性が亡くなった。
 西濃運輸では、20歳代の男性が3回も辞表を出したのに辞めさせてもらえず、ついに自殺してしまった。
 ブラック企業の背景の三つの特徴は、第一に、高度人材を巻き込んでいること。第二に、積極的な致死的労働時間。第三に、洗練された高度な蓄積。
 そして、奨学金を貸し付けている学生支援機構は、学生の支援というより、ブラック企業の支援者として機能している。
 ブラック企業は男女平等。男女に関係なく、ひたすら酷使する。
ブラック企業の片棒をかつぐ弁護士や社労士がいる。これをブラック士業と呼ぶ。
 ブラック士業としての弁護士は、労使交渉を無駄に混乱させて、長引かせる。
 ブラック企業は、それと癒着したブラック士業を生み出している。
大学生がアルバイトをして、大学在学中に働くことは、こういうことだと内面化している。これがもっともまずい。在学中から洗脳されてしまっている。アルバイトするときには、試験期間だけは休めるのかどうか確認しておく必要がある。
 ええっ、大学生のアルバイトなのに、大学の試験のために休めないなんて、とんでもないことです。
 有給休暇をとるのが「都市伝説」化しているなんて、本当に日本は、とんでもない国になってしまいました。これでは労働法なんて、ないも同然ですよね。
 100頁のブックレットですが、ずっしり重たい内容です。ぜひ、お読みください。あなたの目が大きく見開かされること間違いありません。
(2014年11月刊。1200円+税)

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