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2014年8月 の投稿

先進国・韓国の憂鬱

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者  大西 裕 、 出版  中公新書
 日本と同じように、韓国も大きな矛盾を抱えている国だということがよく分かる本です。いずこも悩みは深いのです。
 2012年12月の韓国の大統領選挙で朴槿恵(パククネ)が勝利した。このときの投票率は2007年に李明博が当選したときの63%に比べて大幅にあがり、76%になった。
 街宣車による連呼が禁じられているため、静かな選挙戦だったが、有権者の動員は進んだのだ。朴槿恵も対立候補の文在寅(進歩派の隠健中道)も、新自由主義的改革で深刻となった経済格差を解消しなければならず、そのためには財閥改革と社会福祉の充実をしなければならないという点では一致していた。このように、政策的対立は乏しいけれども、深刻なイデオロギー対立が高い投票率につながった。
 文在寅は湖南地方と若年層の支持を得、朴槿恵は嶺南地方と高齢者の支持を得た。
 韓国経済の快進撃は財閥系企業による。そして、その利益の大半は、財閥とごく一部の社員が得ており、一般市民や中小零細企業は、その恩恵にあずかっていない。
 韓国が財閥中心の経済構造になったのには、二つの要因がある。その一つは、財閥が歴代政権によって特権的に保護されたこと。その二は、自由化がすすみ、弱肉強食の市場原理が働くなか、政権と強く結びついて強い立場にあった財閥の一人勝ちの状況になった。
 ジニ係数と相対貧困率をみる限り、韓国はOECD諸国のなかで、それほど平等性の低い国とは言えない。しかし。貧困層の困窮度合いは、かなり深刻である。相対的貧困層に属する人々は、数が多いだけでなく、平均してかなり貧しい。韓国は、OECD諸国のなかで65歳以上でみると、最悪に近い。すなわち、韓国の高齢者における不平等は深刻で、貧困層の厚さも、その困窮度合いも際立っている。それは、社会保障制度の整備が遅れたことによる。
 そして、韓国の若年層は就職がしにくい。ワーキングプア、高齢者、若年層などに着目すると、韓国の貧困の状況は、かなり深刻だ。そのうえ、政府の対策は量的に不十分である。弱肉強食の世界を招きかねない新自由主義的な改革を推進したのは、1998年から10年間続いた、金大中、盧武鉉という進歩派政権だった。なぜか・・・?
 1998年2月、金大中政権は、進歩派の人々から大きな期待を受けて登場した。ところが、この政権は、新自由主義的としか思えない経済改革を次々に断行していった。
 金大中政権は、進歩派からは裏切ったと思われ、保守派には不十分と評価された。金大中には、アカ(パルゲイン)のレッテルがついて回った。
 それでも、韓国は曲がりなりにも福祉国家を実現した。
 次の盧武鉉政権は、二つの新しい福祉圧力に直面した。その一つは、少子高齢化の進行。その二は、「新しい社会的リスク」への対応。
韓国の福祉政治で不思議なのは、市民団体や労働団体が政治過程に参加しているのに、福祉団体はあまり目につかないこと。そもそも福祉を推進する団体があまり存在しない。存在しても、福祉の拡大には、それほど積極的ではない。韓国の福祉団体は、地方自治体から行政指導を受けることも多いため、行政にきわめて依存的な存在である。韓国には、福祉に関心をもちながら保守的という特異な事情がある。
盧武鉉は、いわば地域の草の根保守に足もとをすくわれてしまった。
 盧武鉉は、アメリカとの交渉には成功したものの、国内での批准に失敗し、条約の発効にまで持ち込むことができなかった。
 三八六世代の台頭は、それまで親米反北朝鮮があたり前だった韓国世論を大きく変えた。三六八世代とは、1960年代に生まれ、80年代に学生生活を送った、2000年当時に30歳代の世代を指す。彼らには、韓国という国そのものへの拭い去れない疑惑があった。そこで、ナショナル・アイデンティティという争点が浮上した。
 韓国の新聞市場は、三代新聞社の寡占状態にあるので、新聞を読む限り、保守的な言説しか国民には伝われない。
 米韓FTAについて、保守派勢力が支持し、盧武鉉を支えた進歩派は勢力が反対した。盧武鉉は、彼の信念からすれば予想外だったろうが、進歩派からは背信者よばわりされた。
 盧武鉉は、低所得層にいる人々が、彼が従事している産業の低生産性ゆえに所得を得ることができないことに注目していた。所得の低い状態から抜け出すには、彼らに教育と訓練と機会を与えることが必要だと考えた。貿易自由化が福祉政策と重なれば、社会的弱者の生活の質につながると盧武鉉は考えたのだ。
 盧武鉉は、伝統的な進歩派の考えとは異なる発想のために支持者から批判を受けた。そして、不幸なことに、保守派からも支持されなかった。
金大中、盧武鉉と二代10年にわたる進歩派政権は、結果的に支持者を裏切るような経済改革を行ってしまった。福祉国家化には成功したものの、量的規模は小さく、新自由主義的な改革が進んだ。
 李明博は、強いリーダーシップを発揮することができなかった。彼は、大衆からも政治家からも任期のある大統領ではなかった。
 李明博は、進歩派の反対で挫折を余儀なくされた。大統領選挙と国会議員選挙で敗北したものの、進歩派は衰えてはいなかった。
 韓国政治の矛盾とダイナミズムを、生き生きと分析している画期的な名著だと思いました。
(2014年4月刊。840円+税)

集団的自衛権の何が問題か

カテゴリー:社会

著者  奥平 康弘  、  山口 二郎  、 出版   岩波書店
集団的自衛権の問題点について、いろんな人が多角的に明らかにした本です。とても時宜にかなった内容です。
 個人を離れた実体としての国家の権威を個人の上に置きたいと考える国家主義者にとって、国民に死を強いることのできない国家は、欠陥国家である。
 日本をそのような欠陥国家にした最大の元凶は、敗戦後に押し付けられた憲法9条であり、これを改正することによって日本はまともな国家に復権できる。安倍首相は、このように考えている。
 安倍は、政治家の名門であるが、祖父や父と違って、学歴エリートではない。だから、若いころから、祖父や父に対して劣等感を持っていたに違いない。
 安倍とその取り巻きの政治家は、「つよい劣等感をもった少年兵」である。彼らは、実際の戦争も戦闘も知らないゆえに、戦争を封印してきた政治体制に対して過剰に暴力的になっている。
  安倍首相は、1990年代以来の日本民主化の試みから生まれた鬼子である。安倍や橋下にとって、民主主義とは「決める人を決める」手続に矮小化されている。
 民意の絶対化、政治主導の絶対化は自分自身が要するに民意そのものであるから、自分に反対するものは民意に反するという権力の絶対化につながる。
 安倍首相の手法は、「必要は法を知らない」、目的を達成するためにはルールにかまっていられないという国際法の発想である。
 安倍首相の言葉の裏に、「戦争の火種」を小さく生んで大きく育てようという騙しの手口が見える。
 防衛省には、1993年につくられた、朝鮮半島有事に際して、日本人を救出する極秘計画がある。自衛隊は、米軍には一切頼ることなく、自衛隊だけで海外邦人を救出できることになっている。
 集団的自衛権とは、自衛ではなく、「他衛」を指している。売られていないケンカを買ってでる。そうなんです。自衛ではないんです。
 安倍首相の記者会見における発言は、
①戦争は突然に起きると思い込んでいる。
 ②日米の権力が同等だという前提に立っている。
 ③軍事技術の限界を無視している。
 まさに、安倍首相は軍事オンチである。安倍首相のいう「限定」容認論とは、結局のところ、日本が本格的な戦争に巻き込まれる入口に過ぎない。
 いま、日本人は、保守政治を自認する安倍首相の憲法破壊によって戦場に駆り立てられようとしている。「国民の戦死」と「戦費の増大」という巨大な負担は、日本人に重くのしかかる。21世紀の日本は、狂信的な首相の登場によって、世界が注視するなか不幸のどん底に転げ落ちようとしている。
 安倍首相は、いまが千載一遇のチャンスだと考えている。彼は、自分が自民党の中で、多数派でないことを自覚している。
 今の天皇は、戦後デモクラシーを全面的に容認している。
安倍首相は、集団的自衛権を本来の目的にそくして行使したとき、日本が戦争当事国となることにともなうリスクをまったく説明していない。
 抑止力というのは、相手より強いことが前提となって成り立つ概念である。相手国だって、抑止されまいと強くなるはずで、安全保障のジレンマに陥る危険がある。
 日本が攻められていないときに、集団的自衛権を行使すれば、日本が先に戦争の火ぶたを切ることになる。
 今の日本社会には漠然とした「脅威」を共有する空気ができつつあるのではないか・・・・。陸海空すべての司令部レベルで米軍との一体化がなされることになった。
 もし日本政府が歯止めを設けられないとなると、自衛隊を用いるにあたっての歯止めが国内には存在しない。それは、文民統制がきかないことを意味している。
 安倍首相は、集団的自衛権を行使した「後」のことについてはまったく言及しない。日本が攻撃すれば、日本本土への報復攻撃を行われるだろう。
 国の安全保障中心は、「攻められない」ようにする条件をいかにしてつくりあげるか、にある。
 「怖いのか、臆病者め」と言われたとき、「はい、怖いです」と答えられる社会は健全だ。「平和ボケ」より、「軍事中毒」のほうが、はるかに有害だ。
 憲法9条を集団的自衛権を認める意味に解釈変更することは、解釈の限界をこえ、立憲主義に対する挑戦である。
何度も、そうだ、そのとおりだと叫んでしまいました。
(2014年7月刊。1900円+税)

サルなりに思い出す事など

カテゴリー:生物

著者  ロバート・M・サポルスキー 、 出版  みすず書房
 アフリカに単身わたって、ヒヒの群れに近づき長く研究を続けている学者の面白体験記です。といっても、著者は何度もアフリカ各地で怖い思いをし、死にそうになっています。それも、今となってはなつかしい笑い話として語ってくれるのです。
 著者の研究テーマは、ストレスの起因する疾病と患者の行動との関係を探ること。だから、ヒヒの群れを観察し、ストレス状況にあるヒヒを吹き矢で麻酔をかけて採血する。もちろん、仲間のヒヒに悟られないようにしなければいけない。危険と紙一重の命がけの研究だ。
 ヒヒは大規模で複雑な社会集団を形成する種。
群れのヒヒが食糧を確保するための狩りに費やす時間は、1日に4時間ほど。そして、ヒヒが誰かのエサになる心配はほとんどない。つまり、ヒヒは、通常、日中のおよそ6時間を、おたがいを精神的に煩わせることだけに使っている。まるで人間の社会と同じだ。
ヒヒの誰が誰と何をしたか。けんか、逢い引き、友だちづきあい、協力、恋愛…記録する。そして、ヒヒに吹き矢で麻酔をうち、ヒヒの身体の状態、つまり血圧、コレステロールのレベル、ケガの治癒率、ストレスホルモンの程度を調べる。
ヒヒの狩りは、無秩序に、勝手気ままにおこなわれている。最優位のオスは、いざというときに、群れをエサ場に導くことができない。
 捕食者に襲われたとき、最優位のオスは先陣切って戦い、子どものヒヒを守ろうとする。ただし、それは、その子どもが自分の子だと確信できるときに限る。それ以外の場合は、最優位のオスは、もっとも高く、もっとも安全な木の枝の上に陣取り。高見の見物を決め込んでいる。
 ええーっ、そ、そんな・・・。どうやって自分の子どもだと確信できるのでしょうか。人間だって我が子の判定は難しいというのに・・・。
オスのヒヒの地位は刻々と変化する。誰かが栄華を極めれば、他の誰かが権力を失い失脚する。ソロモンと名付けられたヒヒは3年間も最優位のオスの地位を守った。それは桁外れに長い。
メスのヒヒは母親の地位を受け継いでいく。姉が母親に次ぐ地位を獲得し、妹はその次の地位につき、やがて娘たちがそれぞれの地位で新たな家族をつくりあげる。
 近親相姦を防ぐため、ヒヒは、オスがもやもやした漂泊の思いに駆られて、群れの外へ出ていく。
 仲のいいオスのヒヒ同志が道で出会うと、挨拶がわりに、互いのペニスをひっぱりあう。
 高位のメスを両親に持つ幸運に恵まれた子どもは、低位のメスの子よりも、より早く、より健康的な発達をとげ、厳しい困難にあっても生きのびる可能性が高い。
 雄のヒヒにとって魅力的なメスの条件は、すでに何人かの子持ちで、その子どもたちが立派に育っていること。そのメスに繁殖力とよい母親になる能力があることを証明している。
雄のヒヒは、手強い敵に遭遇すると、他のヒヒに頼んで協力的な連合を形成することがある。
 ものごとが思い通りにならないとき、ヒヒたちがまず一番に考えるのは、どこかに憂さをはらせる相手はいないか、ということだ。戦いに敗れたオスたちは、周囲を探して大人になりかけの誰か、若者を追いかける。追いかけられた若者は苛立ち、大人のメスに突進し、メスは思春期の子どもをたたき、子どもは幼児を殴り倒す。ざっと15秒ですべてが終わる。
 これは、専門用語で「攻撃の置き換」と呼ばれる行動だ。ヒヒの攻撃行動のうちの信じられないほどの割合を、不機嫌な誰かによる、何の罪もない傍観者への八つ当たりが占めている。
 雄のヒヒに勤勉という言葉は似合わない。自分の欲望を抑えられないし、公共心もない。ついでに言えば、頼りがいもない。
 ヒヒの群れがついていくのは、年取ったメスのヒヒなのである。最優位のオスにつけ込む隙があるとき、頭の良いメスはすぐに気がつく。
60頭ほどのヒヒの群れの近くでずっと観察したのです。21歳のときから23年間です。すごいですよね。1頭1頭に名前をつけました。それも旧約聖書に出てくる名前です。
ひげもじゃの著者の顔写真が巻末にあります。ユダヤ人ながら無神論者を自認するスタンフォード大学の教授です。専門は生物学、神経科学、神経外科ということです。勇気があり、頭もすぐれている実践的な学者です。
この本を読んで、人間を知るためには、ヒヒも知る必要があると思ったことでした。
(2014年5月刊。3400円+税)

かえる!かえる、かえる!

カテゴリー:生物

著者  松井 正文 、 出版  山と谿谷社
 世界のカエルが大集合した写真集です。同じカエルでも、こんなにいるのかと。びっくり仰天です。わが家には、梅雨時になると門柱に鎮座まします緑色の小型アマガエルがいます。なぜか、今年は今のところ姿を見せてくれません。
 庭のコンポストの水たまりには、これまた小さなツチガエルがたくさん棲みついています。すぐ下は、今は広々とした休耕田になっていますが、水田にしていたときには、ウシガエルのくぐもった低い鳴き声に悩まされていました。
 スズガエルは、緑と茶と黒の迷彩服を着た格好です。いわば戦闘服でしょうか・・・。
 緑色のニホンアマガエルもちゃんと紹介されています。わが家の門柱に座り込んでいるのと同じカエルです。
 トウキョウダルマガエルは、池の中にいて、両頬に大きな風船をふくらませています。
ワラストトビガエルは、どうやら空中をモモンガのように飛翔できるようです。カエルが空中を滑空するなんて、いささか不気味ではあります。
 カエルが笑っている写真があります。ナタージャックヒキガエルです。口の中に歯がないので、笑顔が本当に可愛らしいのです。
 中南米にいるヤノスバゼットガエルは、ブンブク茶ガマのような変な格好のカエルです。
オレンジヒキガエルは、前進が赤味の濃いオレンジ色をしています。
 ジョウメドクアマガエルは、白と濃茶のツートンカラーです。
 ヤドクガエルは、体内に毒をもつカエルです。
 アラハダヤドクガエルは、不気味に青く光る体色です。毒々しげです。
 トマトガエルは、イチゴのように真っ赤なトマト色の体色をしています。びっくりです。
 世の中のさまざまなカエルの写真を手軽にみれるなんて、なんて便利な世の中でしょうか。
(2014年6月刊。1600円+税)

風の海峡(下)

カテゴリー:日本史(戦国)

著者  吉橋 通夫 、 出版  講談社
 秀吉の朝鮮出兵は、朝鮮の人々に多大の苦難をもたらしました。
 その一つが、人さらいです。日本軍は朝鮮の子どもたちを奴隷のようにして日本へ連れ帰り、日本国内だけでなく、遠く海外へ売り飛ばしたのです。
 子どもたちは首を縄で巻かれ、全員がひとくくりになっている。一人ずつ逃げられないようにしているのだ。
 人取りだ!
 戦国乱世の日本では、捕らえた敵方の男は軍夫にし、女は妾にし、子どもは召し使いにした。文禄の戦のときは、太閣から人取り禁止の触れが出ていたが、今回は出ていない。
 太閣自身も、「裁縫や細工物などに堪能な手利きの女たちを連れ帰って差し出せ」と諸将に命じた。
 日本に連れていって、長崎で売り飛ばす。ポルトガル人と、鉄砲や絹、白糸など南蛮の品々と交換する。ポルトガル人は、世界中の奴隷市場へ商品として連れていって、競りにかける。若い娘や子どもは、いい値で売れる。
 京都には、いまでも耳塚があるそうです。日本兵たちは、朝鮮人を皆殺しにして、その鼻を切り取って塩漬けにして、日本へ送っていました。耳は二つあるけれど鼻は一つしかないからです。
 秀吉が死んで、徳川幕府の時代になって、朝鮮王朝は捕虜を連れ戻すための「回答兼刷還使」(かいとうけんさつかんし)を送り、7500人を朝鮮に連れ戻った。その後、通信使として朝鮮使節団が日本にやって来るようになった。
 子どもの目から見た、無謀なかつ悲惨な朝鮮出兵のありさまをよく描いた小説です。
(2011年9月刊。1300円+税)

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