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2014年6月 の投稿

憲法学再入門

カテゴリー:司法

著者  木村 草太・西村 裕一 、 出版  有斐閣
 憲法についての、決してやさしくはない本です。正直なところ、私には難しすぎるところがたくさんありました。一見、日常会話のような体裁なのですが、その内容たるや、きわめて高度な論理展開なので、とても私はついていけませんでした。
 といっても、実は、司法試験にパスするためには、このような論理展開が求められているようなのです。ということは、今の私が司法試験を受験したら、少なくとも憲法科目については合格するのは覚束ないということのようです。トホホ・・・。
 著者の2人は、いずれも同世代。30代半ばでしょうか・・・。私が、この本を読んで、少しは理解できたと思えるところを、いくつか紹介します。
 「公共の福祉」条項の趣旨は「公共の福祉」を理由とすれば人権を制約できるという点にあるのではなく、人権を制約するためには、「公共の福祉」=「公権」を理由としなければならないという制限を立法府=国家権力に課した点にある。
 すなわち、「公共の福祉」の名宛人を国民から国家へと転換させたのである。「公共の福祉」は、人権の制約根拠ではあるが、正当化事由ではないという現在の支配的な見解は、このような意味において、理解できる。
 「公共の福祉」が、人権の限界ではなく、国家権力の限界であり、国家権力に対して人権制約の「理由」を要求する概念であるとすれば、ここでの焦点は、自由の側にではなく、自由を制限する国家行為の側にこそある。
人権とは、他者のいない世界において独善的に謳歌されるものではなく、他者によってそれが傷つけられたときに、「苦痛をこうむる人間の異議申立」としてのみ立ち現れるものだろうからである。
 プライバシーの権利は、かつては、一人で放っておいてもらう権利として理解されていた。それが、情報化社会の進展により、「個人が道徳的自律の存在として、自ら善であると判断する目的を追求して、他者とコミュニケートし、自己の存在にかかわる情報を開示する範囲を選択できる権利」としてとらえる自己情報コントロール権説が通説化している。さらに、最近では、「人間が多様な社会関係に応じて、多様な自己イメージを使い分ける自由をプライバシーと呼ぶ」自己イメージ・コントロール権説があり、また、「プライバシーの保護を社会的評価から自由な領域の確保としてとらえる」社会的評価からの自由説が有力に唱えられている。
プライバシーと思想の自由は、それらが侵害されることは「自分が自分であることを自分で決める」という原則が否定されることを意味するという点において共通している。
 ここらあたりは、私にも、なんとなく分かった気がしてきます。
現在の護憲派と改憲派との対立もまた、知性主義と反知性主義との対立という様相を示している。
 私からすると、安倍首相のような改憲論の主張は明治憲法の悪しき伝統への先祖帰りでしかなく、歴史の進歩をまったく無視しているという点で、反知性主義そのものです。いかがでしょうか・・・?
 宮台真司は、「昨今の判事って、本当に馬鹿だよね。間違いなく、私よりも法理論や法哲学を知らない」と語った、とのことです。弁護士として40年、また、裁判官評価システムに関与している体験からすると、裁判官が全員「馬鹿」だなどということは決してありません。ところが、上ばかり見ているとしか思えない裁判官が決して少なくないように思われます。また、家庭生活をふくめて、人生を豊かに謳歌しようという思考の裁判官も多いとは決して言えません。上(高裁や最高裁)のほうを気にしすぎて、自分の信念をもって、合議体であれば後進・若手の意見を取り入れることもなく、ばっさり切り捨てる判決のいかに多いことでしょうか・・・。
少しだけは理解したつもりになって紹介しました。それにしても、学者ってこんなことを一日中、議論しているのでしょうか。これでは私には一日たりとも学者なんてつとまりません・・・。
(2014年3月刊。1900円+税)
日曜日の午後、庭に植えていたジャガイモを掘り出しました、すぐ近くで、ウグイスが高らかに鳴いています。梅雨入りしたあと、なぜか雨が降りません。
 いくらか小ぶりのジャガイモが大きなザルで2杯分とれました。つやつやして、美味しそうです。
 夜、8時すぎ、暗くなってホタルを見に行きました。もう終わりかけのようで、チラホラ飛んでいました。

アフリカッ!

カテゴリー:アフリカ

著者  松村 美香 、 出版  中央公論新社
 日本の総合商社の若手社員がアフリカ市場を開拓しようとするときに直面する苦難の日々が描かれています。
 たしかに、アフリカ大陸は広いし、膨大な人々が住んでいますから、潜在的なニーズは大きいのでしょう。それでも、ともかく貧困層が多くて、安価であることが何よりの条件という国が多いのも現実です。そこに、中国製品ががっちり食い込んでいて、高品質をモットーとする日本製の進出を許しません。
 そして、治安の問題があります。さらには、病気も心配です・・・。それでも、主人公の日本の青年は、意気高くアフリカに乗り込むのでした。毎日毎日、パソコンに向かいインターネットを眺めるのに飽き足らなくなったのです。
 この本では、アフリカといっても、東部のエチオピア、ケニア、そしてザンビアしか登場しません。エチオピアといえば、マラソンの走者アベベを思い出します。世界最貧国のようです。
 ケニアは豊かな大自然のサファリ国立公園ですよね。でも、先日、福岡から修学旅行に行って、ショッピング・モールでのテロ騒動に危うく巻き込まれそうになったという話を聞きました。
そして、ザンビア。ここは治安がいいそうですが、あまり耳慣れない国です。
エチオピアは世界200ヶ国あるなかで、常に貧困ワースト・テンに入っている。戦争も内戦もないのに最貧困。
フルフルは、エチオピアの典型的な朝食メニュー。インジェラと呼ばれるパンを味付けしたもの。インジェラは、粒子が1ミリしかない土着の雑穀「テフ」を発行させ、縛り固めて直径30センチほどに丸く広げ、鉄板で焼いたもの。表面に泡だったぶつぶつがあり、色は灰色。腐りかけのような、すえた臭いがして、味は酸っぱい。使い古したぼろ雑巾のように見えるのだが、エチオピア人はこの主食をこよなく愛し、頑として食生活を変えようとしない。
日本人にとっての味噌汁と納豆のようなものでしょうか・・・。
 海外へ出れば、誰だってカルチャーショックを受ける。それから逃れてはいけない。カルチャーショックを受けている自分を楽しめ。感受性が豊かな自分を肯定しろ。それが、人間の成長となり、いつかきっと新しいアイデアにつながっていく。
 私も、初めて海外旅行、アメリカだったかフランスだったか忘れてしまいましたが、びっくり仰天の体験でした。これは必要なものだと痛感して、以来、毎年1回は海外に出かけるようになりました。
 ケニアもエチオピアと同じで、テレビや冷蔵庫は韓国製か中国製に占有されている。元宗主国であるイギリスの電化製品を探すのさえ難しい。
 ケニアで人気の日本商品は「つけ毛」(ウィッグ)くらい。
 ケニア人は、合理性よりも楽しさ優先。新しいもの、珍しいものが好き。ケータイも、商売での活用よりも、家族との対話に使いたい。
中国が売っているのは、ケータイだけでなく、情報システム。
 東アフリカでは、主な工場のマネージャーはインド人。インド人は絶対的少数派で、現地に溶け込み、2世、3世の世代になっている。でも、混血はすすんでいない。
 ケニアの不動産業者にはインド人が多い。最近では、インド本国からアフリカに渡ってくるビジネスマンも多い。そう言えば、マハトマ・ガンジーも、アフリカにいましたね・・・。
 ザンビアに限らず、アフリカの官庁街の建物は、いま、ほとんど中国の業者が建設している。ところが、建設して1年もたてば、もうボロボロ。ドアは壊れる。鍵はかからない。窓は閉まらない。エレベーターも怪しいし、配線も危ない。
 それでも、日本の商社はアフリカ進出を目ざすのです・・・。
(2013年12月刊。1700円+税)
 南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が亡くなったときのオバマ大統領の追悼の言葉は味わい深いものがあります。
 「マンデラのおしえを自分の人生にどう活かすか、各人が自問しなければならない。いまも世界には貧困や不正義が溢れている。だが人間の和解に共鳴すると言いながら、貧困撲滅や格差是正のわずかな改革にも反対する人々がいかに多いことか。マンデラの自由への闘争に連帯すると言いながら、批判を許さない指導者がいかに多いことか。それらを横目で見ながら声をあげず、無関心もしくはシニカルな態度に甘んじている人々がいかに多いことか。世界が直面する課題の克服はいずれも容易なものではない。だが、マンデラは『何ごとも達成するまでは不可能に思えるものだ』と語りかけている。私自身もマンデラの闘争に感銘を受け、元大統領への道を進むこととなった。私は、マンデラにはとても及ぶ人間ではない。しかし、それでもマンデラは、私に『よりよい人間になりたい』という気持ちを奮い起こさせてくれる。自分自身のなかにマンデラの大きさを見出そう。そして困難に直面したとき、マンデラが獄中生活を耐え抜いたことばを思いだそう。『いかに開かれた門が狭く、試練が辛くとも問題ではない、自分こそが運命の主人、自分こそが魂の行く手に舵をとる船長であるのだから』と」

伊藤彦造、降臨!神業絵師

カテゴリー:社会

著者  松本品子・三谷薫 、 出版  河出書房新社
 剣戟(けんげき)場面の挿絵は実にリアルで、迫真的です。これが新聞の挿絵だったら読まれること間違いないでしょう。私も、伊藤彦造の名前こそ覚えがありませんでしたが、この絵はなんとなく見覚えがありました。
 ともかく迫力があり、真に迫っています。それもそのはずです。一刀流の開祖である剣豪・伊藤一刀斉の末裔として生まれ、幼いころから父親より剣の手ほどきを受け、小学4年生からは真剣で修行していたのです。
 ですから、そこには壮絶な死を予感させるような緊迫した剣戟シーンがつくり出されています。そして、濃密なペン画ですから、緊迫感が画面いっぱいにあふれています。
 66歳で絶筆し、2004年に100歳で亡くなるまで、絵を描かなかったというのもすごいことです。絵の迫力が違います。すごい日本人がいたものです。ぜひ、絵をみてみてください。
(2013年12月刊。1800円+税)

八法亭みややっこの憲法噺

カテゴリー:司法

著者  飯田 美弥子 、 出版  花伝社
 弁護士にも、本当にいろんな人がいるんですね・・・。なんと、憲法を講談ではなく、落語で語ろうっていうんです。もちろん、キリリとした和服姿で、高座に座って語るのですよ、憲法を・・・。
 私のよく知っている裁判官も、大学で落語研究会(オチケンと読みます)にはいって、その前は、私と同じくセツルメントサークルにいましたが・・・、今もときどき高座に出て一席語っているそうです。こちらは憲法ではなく、世相を斬る新作落語のようです。
 著者の語る憲法ばなしは、CDで見せていただきました。2時間あまり憲法を語って飽きさせないところは、さすがです。水戸一高の落研出身といいますから、年期が入っていますね。
紬(つむぎ)の着物に紅型(びんかた)の染め帯姿。著者は茶道もたしなむので、自分で着物が着られる。そして、書道四段の腕前で、自ら墨書しためくり「安倍のリスク、八法亭みややっこ」のそばに扇子をもってすわる。
 八法亭とは、六法全書というより、著者の所属する八王子合同法律事務所を縮約したネーミングです。
 著者の落語を聴いて、私がもっとも感銘を受けたのは、著者は、憲法9条より13条を一番大切にしているということを、自らの体験をふまえて赤裸々に語っているところです。
 女の子だから、女たるもの・・・、と言われることを高校、大学と大いに反発し続け、さらに結婚してからは夫にも忍従なんてしなかったというあたりです。まさしく自立した女性のたくましさに、大いに心が惹かれました。
 わずか76頁のブックレットですが、ぎっしり著者の思いが込められています。ぜひ、あなたも手にとってお読みください。
(2014年5月刊。800円+税)

亡国の安保政策

カテゴリー:社会

著者  柳澤 協二   、 出版  岩波書店
 安倍首相の狂ったような暴走ぶりは、まったく度しがたいものがあります。この本のオビに、日本にとって最大の「脅威」は安倍政権だ、とありますが、本当にそのとおりです。
 韓国・中国と対立・反目しあい、アメリカからは大いに失望されている安倍首相の支持率が6割近いだなんていったい、日本人は何を考えているのでしょうか・・・・。
 昨年12月に成立した「特定秘密保護法」については、その必要性に疑問を唱えてきた。その秘密の範囲があいまいで、政府が恣意的に「秘密」を指定する可能性がある。そして、いったん指定された「秘密」が永久に公開されないおそれがある。また、一般国民を対象として犯罪者として恣意的に取り締まる危険性があるから。
国家の安全は、国民の知る権利(これは、国民主権を意味する)に優先すると自民党の有力議員が発言したが、とても信じられない。
安倍首相は、次のように言った。
 「今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、アメリカが攻撃されたときに血を流すことはない。そういう事態の可能性は、きわめて小さいが、それでは完全なイコールパートナーとは言えない」
「血を流す」というのは、自衛隊員の生命が失われること。自ら生命の危険に身をさらすことのない立場の人間が、日本人である自衛隊員の命にかかわることを軽々に口にすることに怒りを覚える。
 今日の尖閣諸島をめぐる日中対立の原因は、中国の強硬路線への転換に主因があり、日本外交の失敗がこれを顕在化させた。尖閣問題は、戦に日本が弱腰だから発生したわけでも、日本が強腰なら解決するわけでもない。それは、双方のナショナリズムの発露なのであった。
 安倍政権は、小泉政権のポピュリズムの流れを引き継いだ。メディアという「劇場」で、分かりやすい「敵」を設定し、その敵をやっつける「ヒーロー」を演じて、大衆を陶酔させる。そこで求められているのは論理ではなく、感情に訴えることである。
 安倍首相は、アメリカとの軍事的双務性をすすんで追求し、アメリカのと対等な関係を築くことによって、大国としての日本を「取り戻す」という「報酬」を求める型のパワーポリティクスへ転換しようとする。ところが、このパワーポリティクスこそ、タカ派と言われた中曽根首相をはじめとして、歴代の自民党政権が露骨に追求することを避けてきた手段であった。この手段をとれば、憲法に真正面からぶつかる必然性がある。その点、安倍政権は、歴代の自民党政権とは明確に異なる指向性をもつ。日本にはその実力がなく、あったとしてもアメリカが同調することはなく、日本の国益にも反する歴史認識と尖閣問題は、安倍政権についてのアメリカの一貫した懸念事項であった。
 2013年10月に来日したケリー国務長官とヘーゲル国防長官は、アメリカの閣僚として初めて千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参拝した。この千鳥ヶ淵参拝には、歴史認識に関して日本がアジアの情勢における緊張要因とならないようにアメリカがアメリカが釘を刺すという意味があった。にもかかわらず、それが無視された。安倍首相の靖国神社参拝は、アメリカとの矛盾を顕在化させ、政権維持のよりどころである与党・公明党の反発を招いた。安倍首相が本来の「安倍カラー」を出さなければ強固な支持層の失望を招き、出せばアメリカと連立パートナーとの矛盾が表面化せざるをえないところに、安倍政権のかかえる構造的な脆弱性がある。
 砂川事件の焦点は、在日米軍基地の拡張であり、日米安保条約による米軍への基地提供が問題とされていた。
 集団的自衛権は、現実の世界では、大国が小国に軍事介入することを正当化するための論理として使われてきた。
 集団的自衛権を行使する国というのは、「普通の国」ではない。それは「大国」以外にありえない。いま考えるべき一番重要なことは、日本が真にやる必要があるのは、他国の軍隊を守ることなのか、住民や文化を守ることなのか、ということ。つまり、海外に展開する米軍に対する攻撃のため、日本が出動するということがあっていいのか・・・・。それは、無用の戦争に日本が巻き込まれてしまうことを意味している。
 日本政府は、戦後一度もアメリカの武力行使に反対したことがない。
 「総理大臣の総合判断」ということに歯止めの役割を期待することはできない。
 尖閣諸島に「武装した集団」の上陸があったときには、日本に対する侵略として、防衛出動で自衛隊が出動して排除することができる。これは個別的自衛権であって、集団的自衛権ではない。
 安倍首相のいう「積極的平和主義」というのは、憲法解釈変更への国民の抵抗を減らすためのトリックにすぎない。
 日本が、歴史認識や尖閣諸島をめぐって強硬な姿勢を貫けば、アメリカだけでなく、日本自身の国益を損なうことになる。今日の北東アジアでは、日本ばかりでなく、韓国も中国も、政権の正統性を守るため、国民感情をあおり、戦争を避ける方向とは逆の方向で行動している。危機の本質はそこにある。国民の感情を必要以上に掻き立てないことが求められている。
 著者への講演を開いたことがありますが、いたって冷静、かつ防衛現場の実情をしっかり踏まえた内容でしたので、とても納得できました。
 いま、大いにおすすめの本です。
(2014年4月刊。1400円+税)

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