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2014年5月 の投稿

ゼロ

カテゴリー:社会

著者  堀江 貴文 、 出版  ダイヤモンド社
 刑務所に一度入った人はたいてい謙虚になり、人生の意義を考え直すものです。
 同じ福岡県に生まれた著者の場合は、どうだったのか。ちょっとした好奇心から読んでみました。
 素直に自分の人生を振り返っているな、というのが私の第一印象です。
 親のこと、勉強のこと、塾のことなど、読んでいて、なるほどそうだなと思いました。
 そして、大学での寮生活は、私のころと似たようなものだと思ってしまいました。私は6人部屋でした。私はマージャンはしませんでした。廊下では毎晩どこかでやっていましたが・・・。そして、先輩がふらりと部屋に入ってくるのが寮でした。それが門限もない、完全な自治寮の良さでした。私は、そこで、人間づきあいの基本を学ぶことができたのです。本当に幸いでした。
 2011年6月末、著者は長野刑務所に収監された。刑期は2年6ヵ月。そして、刑務所のなかで40歳の誕生日を迎えた。
中高時代も、大学生時代も完全に落ちこぼれていた。
 ええーっ、そ、そうなの・・・と驚きますよね。久留米大学附設高校という名だたる受験高から東大に入っているのに、落ちこぼれだなんて・・・。
 大学生時代は、地味でひねくれた田舎者でしかなかった。私も同じ福岡県出身で、方言まる出しで、恥ずかしい思いをしました。ただし、地味だとは思いますが、「ひねくれた」という点は私と同じではありません。
 附設高校が男子校なのが良くなかったようです。そして、著者は、子どものころ寂しい思いをしていたようです。家庭の温もりがほしかったというのです。一人っ子なのに、それほど温もりのある家庭生活ではなかったようなのです。お気の毒としか言いようがありません。厳格で独裁者の母親を持つと、その子どもは大変なんですね・・・。
 著者は、子どものころ、百科事典を読みふけっていたといいます。
 私の家には百科事典はありませんでした。私は、もっぱら学校の図書館で本を借りて読んでいました。
 著者は、中学2年生のとき、パソコンのプログラミングのアルバイトをして10万円を報酬として受けとったとのこと。これはすごいです。私なんかとてもできないことです。やっぱり性にあっていたのでしょうね。ところが、成績の方は反比例してドン尻になってしまったのでした。202人のうち199番というから、最悪ですね。
 しかし、親元から脱出するには東大に入るしかない。そこで一大決心をするのです。私の場合も似たようなものです。田舎町を抜け出すには、東京に行くには東大だと思いました。
 著者は、受験英語とは英単語をきわめることに尽きると結論し、完全な丸暗記に挑んで、達成したのでした。
私は、部厚い英和辞典(サイトウ)を一冊、全頁、読破しました。これで英語への怖さを払拭しました。
著者が大きく変身したのは、大学生時代に経験したヒッチハイクの旅。これは、私も高校生のときに挑戦しました。阿蘇、大分そして北九州をまわったことを覚えています。
経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていくもの。日本全国をヒッチハイクしてまわったことによって、著者はもう見知らぬ人に声をかけるのも怖くない、交渉だってうまくできるという自信をつけたのでした。
私の場合は、それは、セツルメント・サークルで身につけました。
感情や感性よりも理性を大切にしているのは自分が天才でないことを正面から受け入れているから。自分が天才ではないからこそ、会社をつくる。優秀な仲間を集め、自分に欠けた部分を補ってもらう。そして、一緒に大きな夢を実現したい。
最後まで素直に読める本でした。
(2014年1月刊。1400円+税)

ネット右翼の逆襲

カテゴリー:社会

著者  古谷 経衡 、 出版  総和社
 私はネット社会に無縁に生きていますし、これからも無縁でありたいと願っています。ですから、「ネット右翼」なるものが、インターネット上で幅をきかしていても、なんということもありません。でも、「ネット人間」にとっては大変なことなんだと思います。
 この本は、「ネット右翼」のイメージが、必ずしもあたっていないことを「実証」しています。その限りでは、なーるほど、と思いました。
「ネット右翼」のイメージの特長は、①学歴における低学歴、②年収における低所得、③社会的地位・立場における底辺、④外見上の底辺。
 ところで、麻生太郎・元首相が、マンガをよく読み、アキハバラおたくだということは、よく知られています。結局、彼は、知性がない(乏しい)という一言に尽きるのではないでしょうか。そんな人に日本を動かしてほしくはありません。ひっこんでいてください。そう叫びたくなります。
 「ネトウヨ」(ネット右翼)は、年収200万円以下としたのは、小林よしのりだった。
 しかし、調査してみると、「ネトウヨ」の最終学歴は、大学、大学院卒業が63%をこえている。そして、年収も200万円以下というより400万円台にある。
このように「ネトウヨ」の実態は、一般のイメージとはかけ離れている。実際には、東京や大阪に住む、社会的にはミドルクラス以上、つまり典型的な中産階級で、年齢としては40歳より前、社会人としては成熟した、金銭的に余裕のある人々が多かった。
 「ネトウヨ」の怒りの矛先は、韓国であると同時に日本の既成大手メディアにも向けられている。
 冷戦時代において、日本人の韓国観は、保守層は一貫して融和的であり、左翼・リベラル側が一方的に嫌韓(辛辣)だった。
 なーるほど、たしかに、そうでしたね。だって、あのころ、韓国では、ずっと軍事独裁政権でしたし、ベトナム侵略戦争にも積極的に加担していましたからね・・・。
 「ネット右翼」は、日本人の悪いところを増幅してしまっているというのが、悲しい現実だと思います。早いうちに、そのことに気づいてくれることを私は願います。
(2013年6月刊。1500円+税)

六つの瞳の光に輝らされて

カテゴリー:人間

著者  のがみ ふみよ 、 出版  鉄人社
 三つ子を産んだ母親が、そのうち二人が障害児だったという話を、明るく爽やかに紹介している本です。
 すごいお母さんだと驚嘆しました。なにより、明るい話として展開していくので救われます。実際には、暗く、おちこむ場面も多々あったと思うのですが、いつも前向きに挑戦して、乗りこえていったのですね。すごいです。
 そして、それを何より実証しているのが、本の表紙になっている一家四人の笑顔あふれる写真です。
 三つ子のうち、一人だけ健康児として育った「やすき」君を私はたたえたい気分になりました。母親が二人の障害児にかかりきりになって、ややもすれば寂しい気分になりがちのところをしっかり母親について、それを支えていったのはすごいです。
 三つ子は、男の子二人と女の子一人です。女の子はおしゃれに夢中の中学生。字を書く手が不自由でも、勉強大好き人間なのです。
 車椅子でしか動けない男の子は、実は記憶力抜群なのでした。
 母親は、なんとモデルとして活躍し、ヨガ教室を主宰したり、障がい児の施設を開設したり、そのパワフルさに圧倒されます。
 残念なことに、三つ子の父親が話しに登場しません。離婚したのです。父親の悪口はまったく出てきません。ただ、父親は三人の子どもと、どのように関わっていたのでしょうか。気になるところではあります。
 思春期まっさかりの三つ子とともに歩む若き母親の歩みを、心から応援します。無理なく、引き続きがんばってくださいね。
(2014年1月刊。1300円+税)

黒田官兵衛

カテゴリー:日本史(戦国)

著者  諏訪 勝則 、 出版  中公新書
 滋賀県や岡山県にある黒田氏発祥の地といわれるところは、福岡黒田氏とは関係がないと見られる。
 官兵衛が人質になっていたとき、その子・松寿(長政)の殺害を命じたかどうかは不明である。竹中半兵衛を通じて、黒田家中はしっかり一つにまとまっていると信長に報告がなされ、これを聞いた信長は大いに喜んだと記されている。つまり、信長は黒田家中を信頼しており、松寿(長政)の殺害までは指示していないと推察される。
 秀吉の九州平定過程において、官兵衛は、二度の大きな失敗をしている。一度目は、島津氏を豊後から逃したこと、二度目は豊前国内で一揆を発生してしまったこと。それでも、秀吉から格別のとがめはなかった。
 官兵衛は、高山右辺や蒲生氏郷の勧めによりキリスト教に入信した。そして、領国のある播磨国でキリスト教を広め、秀吉の家臣たちに改宗を促した。官兵衛は、洗礼名をシメオンといった。官兵衛の息子・長政は17歳で洗礼を受け、ダミアンといった。長政の洗礼を官兵衛は大いに喜んだ。
長政は秀吉による禁教令が出てもキリスト教から離れることなく、自分の妻や重臣たちに教えを説き、自分はキリシタンであると公言していた。
 官兵衛は、宣教師にとって非常に力強い存在であり、官兵衛も彼らの要望に対応した。官兵衛は、多くの人々をキリスト教に入信させた。
 ところが、秀吉は官兵衛がキリシタンになったことについて、非常に憤りを感じていた。
 ルイス・フロイスの報告書(1592年10月1日付)によると、秀吉は官兵衛の話をさえぎって言った。
 「おまえは、性懲りもなく伴天連どものことを話すのか。おまえがキリシタンであり、伴天連らに愛情を抱いていたために、私はおまえに与えようと最初に考えていたよりも低い身分にしたことが、まだわからないのか」
 官兵衛は、終生、キリシタンであり続けた。高山右辺はキリスト教から離れなかったために処罰された。官兵衛も棄教せず、九州遠征では二度も失敗したのに、秀吉から追求されることがなかった。そして、小田原合戦や朝鮮出兵などで重用された。
 官兵衛は、秀吉の意向にしたがって朝鮮に渡り、豊臣軍のいわば「軍事顧問」として活動した。
 交渉・調整にたけていた官兵衛が音をあげるほど、朝鮮出兵では指揮・統制が混乱していた。官兵衛は、この状態を憂え、秀吉に進言するために参上したが、門前払いにあった。
 しかし、それでも、官兵衛に対して秀吉は格別の処罰は下されなかった。それだけ、秀吉にとって官兵衛は必要不可欠な存在だったのだろう。
 黒田官兵衛が終生キリシタンだったことなど、意外な一面を知ることができました。
(2013年12月刊。780円+税)

家族難民

カテゴリー:社会

著者  山田 昌弘 、 出版  朝日新聞出版
 法律的には家族であっても、真の意味で家族とは呼べない状態を、家族難民という。
 家族難民の多くを占めるのは、配偶者がいないと言う意味のシングル。日本の少子高齢化の原因のひとつは、そもそも結婚しない人が増えていることがもっとも大きな原因となっている。未婚者のなかで恋人がいる人の数も減っている。
 中高生の性的関心が大幅に低下している。
シングルの分類、34歳までを若年シグナル、35~64歳を中年シングル、65歳以上を高齢シングルと呼ぶ。
 ペットを飼うシングルが増えている。シングルにとって、ペットは心の支えになってくれる家族の一員。
シングルが量的に増え、かつ、質的にも孤立化を深めていく現象を、シングル化と呼ぶ。
 残念ながら、シングル化は決して他人事(ひとごと)ではない。自分や家族がシングルになって、社会から疎外されていく可能性は誰にも否定できない。
 年間、3万2000人が孤立死している。
 2010年、50歳の男性の生涯未婚率は20%、女性は10%。これから25年後、年間150万人の死者に対する男女平均15%だと、20万人以上の人が孤立死を迎える可能性がある。昔のイエ(家)制度の下で、シングルの生活を保障できたのは、イエ制度の基盤が「家業」にあったから。家族は家業で従業員の役目も果たしていた。その家業後も親と同居する未婚者をパラサイト・シングルと呼んだ。世界のなかで日本で特徴的に見られる存在だった。
 ところが、今、欧米でも、同様の現象が起きつつある。
 日本のパラサイト・シングルは非正規雇用が増大するなかで、不本意ながら、やむをえない選択になってきた。そしてt、パラサイト・シングルのなかに格差が出てきた。
未婚者の4割は、非正規雇用者や失業者である。
 なぜ、日本の若者が欧米の若者のようにデモしたり、暴動を起こしたりしないのか。
 それは、日本の若手シングルの多くが親と同居して、経済的、心理的なサポートを受けているから。つまり、親が社会保障機能を果たすことで、子どもを貧困や精神的な孤立から救っている。
 現代のあり方に対して、いつも鋭い問題提起をしている著者の指摘に目を開かされます。
(2014年1月刊。1600円+税)

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