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2014年5月 の投稿

創作の極意と掟

カテゴリー:社会

著者  筒井 康隆 、 出版  講談社
 申し訳ありませんが、この著者の本はほとんど読んだことがありません。
 それでも、作家になる心構えと、その秘訣が書いてあるというのですから、読まざるをえません。しっかり読んでみました。
 たしかに、いろいろ反省させられることの多い本ではありました。しかし要は、何をテーマとして書くか、ということですよね・・・。
 小説を書くとは、もはや無頼(ぶらい)の世界に踏む込むことであり、良識を拒否することでもある。
 ええーっ、良識を拒否しないと小説は書けないのでしょうか・・・。良識ではなく、いわゆる常識を拒否するというのなら、それなりに理解できるのです。
筆舌に尽くしがたいという表現は使ってはならない。
 また、作者自身が性的興奮するためにエロチックに描写するというのは、絶対にやってはならない。小説の色気は、男女のエロチックな愛欲描写などとは無関係に存在する。
 作家は、すべからく色気を持たねばならない。そのためには、常に誰かを恋し続けていなければならない。
 なるほど、そうなんですよね・・・。
あらゆる小説には、迫力がなくてはならない。それは真実だ。迫力とは、文章の力によって生じるものである。それほどの考えもなく、ルーティン・ワークとして小説を書いてしまうような作家の作品から迫力が生まれることは絶対にない。プロは、己の職業をこよなく愛している。金銭的なことは二の次で、ひたすら、いい仕事をしようとする。
 うむむ、これは弁護士にとっても、まったく共通していますよね・・・。小説を書くのは大変なことだと言うことは、一度、挑戦してみた身として、本当に身に沁みてよく理解できます。
 そして、本が売れるためには、読者の興味・関心をひきつけなければいけません。その微妙な兼ねあいが、とても難しいのです。それでも、小説を書きたいと私は考えています。新しく創造した世界で、私の分身たちを生き生きと動かしてみたいのです。
 そんな私にとって、とても参考になる本でした。
(2013月刊。1300円+税)

赤穂浪士と吉良邸討入り

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  谷口 眞子 、 出版  吉川弘文館
 私の誕生日が討入りの日(師走半ばの14日)と同じこともあって、赤穂浪士の討入りは縁深いという思いがあります。映画やテレビもよく見ましたし・・・。
 150頁足らずのブックレットですが、豊富な絵と写真によって、赤穂浪士の討入り事件の意義を考えさせてくれます。
 事件が起きたのは、元禄14年(1701年)3月14日のこと。関ヶ原の戦いから100年がたち、人々は平和に慣れていました。
 江戸城の松の廊下で殿様がいきなり刀をふりあげて斬りつけたのですから、ただごとではありません。捕まって、即日、切腹を命じられてしまいました。この原因は、結局のところ、今日に至るまで諸読あるものの、不明というのです。そして、切腹を命ぜられた赤穂藩の遺臣たちは翌年12月に討入りして、成功するのでした。事件のあと、1年9ヵ月もかかったこと、47人もの集団で討入ったことに、画期的な意義があります。
 そして、討入りに成功した翌年2月に浪士たちは切腹させられたのです。47人が討入りに入って、切腹させられたのは46人。残る1人(寺坂吉右衛門)は、どうしたのかも謎のまま。逃亡したというのもあれば、密命を帯びていたという説もあります。その身分は足軽だったようです。
 そして、47士のなかに上士(家老など、身分の高い侍)が少なかったのを浪士たちは恥ずかしく思っていたということも紹介されています。まあ、仇討ちから逃げ出したくなる気分も、私は理解できます・・・。
討入りの時点で吉良邸には150人いたが。100人ほどは抵抗していない。長屋内に閉じ込められていた。したがって、47人の赤穂浪士は40人ほどを相手すればよかった。だったら、討入り側の勝ちは当然ですよね。
 それにしても、吉良上野介の息子は、どうして助かったのでしょうか・・・。
 吉良側には、戦力になるものがほとんどいなかったし、討ち入りに備えて準備していたとは考えられず、真夜中の襲撃で、心理的に追いつめられたと思われる。
 赤穂浪士は、打ち入りは死刑に値する罪であると認識していた。通常の敵討ち(かたきうち)と認められるとは思っていなかった。いわば、真夜中に他人の邸宅に押し入って殺人を犯すというテロ行為だという自覚があった。だから、命が助かるとは思っていなかった。
斬罪と切腹とでは法的なあつかいが異なる。
 上野介の49日にあたる2月4日に浪士たちに切腹が言い渡された。異例に時間がかかったわけではない。
 赤穂浪士の討ち入り事件を再現して確認した気分になりました。
(2013年12月刊。2000円+税)

絞首刑は残虐な刑罰ではないのか?

カテゴリー:司法

著者  中川智正弁護団 、 出版  現代人文社
 いま、先進国のなかで死刑が残っているのは、日本とアメリカのみ。中国も死刑大国ではありますが・・・。韓国では死刑は長く停止されています。ただし、北朝鮮では、先日、ご存じのとおりナンバー2が銃殺されてしまいました。
 日本は、平安時代、810年の薬子(くすこ)の変のあと死刑を停止し、1156年の保元の乱で復活するまで死刑はありませんでした。
 最近、アメリカの死刑執行に使われる薬物の入手が困難になっているというニュースが流れていました。アメリカでは、電気椅子による処刑はなくなっているのです。薬物を使った二段階方式の死刑執行です。はじめに、いわば睡眠薬を注入し、次に薬物で死に至らしめる方式です。より苦しみを少なくするための工夫です。
 そして、日本はずっと絞首刑による死刑執行です。それに立会う人々がいます。検察官もその一人だと知って、私は検察官にならずに良かったと思いました。
 死刑の執行方法のなかで、絞首刑は次の二点で特に残虐である。
 第一に、絞首された人の意識は少なくとも5秒から8秒、あるいは2分から3分間も続き、激しい肉体的な損傷と激痛を伴う。脳の死は早くても4分から5分かかる。
 第二に、絞首刑を執行したとき、いつ意識を失うかは人それぞれであり、5秒で失う人もいれば、3分間は意識があるかもしれない。また、首が切断されるかもしれない。
古畑種基・医学博士は絞首刑をもっとも苦痛のない、安楽な死に方だとしたが、これは明らかな間違いである。脳内の血液循環が直ちに停止したとしても、脳内には多量の酵素が少なくとも数秒間は意識保つのに十分なだけ残っているので、意識の消失が瞬間的に起こることはない。また、日本の絞首刑について、執行によって頭部離断が起こりうる。
 現代日本の世論は、死刑廃止なんてとんでもないということのようですが、それは死刑執行の現場が公開されていないことにもよるのではないでしょうか。そして、死刑執行を担当する拘置所の職員の心労は簡単には回復できないものがあると思います。
 いずれにしても、日本の死刑執行の実情と問題点は、もっと知られていいことだと思います。今は、あまりに秘密主義で、多くの人が漠然と死刑制度を支持しているとしか思えません。
(2011年10月刊。1900円+税)

憎しみに未来はない

カテゴリー:中国

著者  馬 立誠 、 出版  岩波書店
 最近の週刊誌に、日本と中国が、もし戦争したら、どちらが勝つかという特集が組まれています。そこでは、戦争は、まるで他人事(ひとごと)、パソコンの画面上だけのように論じられているのに驚き、かつ、呆れます。
 しかし、局地的な戦争が全面戦争にならないという保障なんて、まったくありませんよね。身近な家族が殺され、殺人マシーンに仕立てあげられるなんて、ちょっと考えただけでも身震いするほど、恐ろしいことではないでしょうか・・・。売れるんだったら何でも書いていいなんて、ちょっとひどすぎると思います。
 安倍首相の言う「積極的平和主義」なるものは、武力で「敵」をおさえつけるということです。そして、「集団的自衛権」の行使というのは、アメリカ軍と一緒になって、世界のどこへでも、日本が戦争をしに出かけるということを意味します。戦争が身近に迫ってくるのです。そこには「限定」など出来るものではありません。
 つい先日、安倍首相は武器輸出三原則を緩和してしまいました。兵器をどんどんつくってもうけよう。そのためには、世界各地に「紛争」がおきてほしいということです。子どものいない安倍首相はちっとも悩まないのかもしれません。でも、我が子が殺され、また外国へ殺しに出かけるなんて、その恐ろしさに、私は身が震えてしまいます。決して、戦争をもて遊んではいけません。それこそ、平和を生命がけで守りたいと思います。安倍首相には、一刻も早く「病気」で退陣してほしいものです。
 著者は、中日関係には新思考が必要だとメディアで提起した。すると、中国のネット上で、民族の裏切り者とか、走狗という言葉があふれた。
 中国のナショナリズムも警戒を要すると思います。でも、中国を責める前に、日本の異常さが突出していることを、もっと日本人は自覚すべきだと思います。
 ナショナリズムの熱狂は、一部のメディアが無責任にあおりたてることと大きな関係がある。一部のメディアは、商業的な利益のために、感情的で低俗な市場のニーズに迎合し、良識や善悪の最低ラインにまで墜落した。一斉に騒ぎたて、センセーショナルに過熱報道し、人々の目を惹きつける。そして、のぼせや高熱をひきおこし、世論の環境を悪化させた。
 アジアに身を置く世界の次男坊と三男坊とが武力対決すれば、まさにアジアの悲劇だ。そして、両国の争いは長男坊が世界の覇者としての地位をいよいよ堅固なものにするのを手助けするようなもの。
 釣魚島の問題は、中日関係の大局でもなければ、中心的な問題でもない。
 中日関係は、相互に影響しあうプロセスである。片方の手だけでは拍手ができないように、日本にも同じように対中関係の新思考が必要だ。
 中国とアメリカが敵対しないという状況で、日本がアメリカに追随することは、中国にとって対立面とはならず、日本とアメリカの同盟は中日間における共通利益の追求を妨げるものではない。中米関係の発展と中日関係の発展は、同時に行っても、互いに矛盾はしない。
 憎しみは毒薬だ。人々の智力を害する毒薬であり、国家の智力を害する毒薬でもある。寛容は、傷跡と人間性を癒す良薬だ。国家と個人を問わず、良薬なのである。
 中日韓は、すでに協力して経済発展をすすめつつあり、世界最強の経済体となる可能性がある。これは、アメリカにとってあまりにも大きな脅威であり、アメリカが隅に追いやられるかもしれず、アメリカにとって決して目にしたくない事態だ。だからこそ、この二つの国が戦うことは、アメリカにとって非常に有利なのだ。
 日本では、何世代にもわたって、「日本が強く、中国が弱い」ことに慣れていたので、中国人を見下げている。第二次大戦での敗戦も、それはアメリカ人に負けたのであって、中国人に負けたのではないと考えている。ところが、このごろ中国の経済力は日本を追い越し、その差はますます大きくなっている。これは日本にとってきわめて強烈な刺激である。
日本と中国の関係を再考させられる、中国人ジャーナリストの鋭い指摘にみちた本です。
(2014年1月刊。2800円+税)

犬が私たちをパートナーに選んだわけ

カテゴリー:生物

著者  ジョン・ホーマンズ 、 出版  阪急コミュニケーションズ
 犬派の私ですから、このタイトルなら読まざるをえません。
 アメリカの犬は、1996年に5300万頭だったが、2010年には7700万頭になった。
 ペット用品は、年商380億ドルという一大産業に成長した。
飼い主のほとんどは、犬に話しかけることがある。81%は犬を家族の一員とみなしており、犬のなかには飼い主と同じベッドで寝る特権まで享受している。
犬は、人間がビクトリア時代に「発明」した文化の産物である。
 犬は全世界に3億頭いる。人間は70億人。牛と羊は、それぞれ13億頭いる。
 犬の経済的貢献度はほとんどゼロに等しい。犬の社会性は、人間自身の性癖を繁栄している可能性がある。
 仕事から帰ったときに出迎えてくれる犬がいるのは、誰にとってもうれしいものだ。
 犬が人間を注視することをいわない性質は、犬とオオカミの基本的な違いのひとつだ。
 犬には人間に敏感に反応する驚くべき能力がある。
 犬は、どんなときでも人間に支援されることをいとわない。その典型が、冷蔵庫をじっと見つめてから、飼い主の顔を振り返ること。
 犬は、基本的に自分で自分を家畜化していった。犬の家畜化が起きたのは、1万5000年前にすぎない。そして、犬の遺伝的多様性は東アジアでもっとも大きい。
 犬の最大の強みは、決して人間の助けを断らないことにある。
犬がこの瞬間を精一杯生きようとする姿は、人間の心を打たずにはおかない。どんなに困難な状況に置かれても、犬は快活さを失わず、新たな体験に自ら進んで飛び込んでいく。
 多くの遺跡で、犬は人間と同じように埋葬されており、犬が死後も「名誉人類」として扱われていたことを意味する。
犬をもう一度、飼ってみたいと思いつつ、旅行優先で断念している私でした。
(2014年2月刊。2500円+税)
 天神の映画館「KBCシネマ」で『チスル』をみました。「済洲島4.3事件」を映画化したものです。
 1948年4月3日、済洲島で300人ほどの武装隊が警察署(支所)を一斉攻撃してはじまった惨劇です。韓国軍がアメリカ軍をバックとしてゲリラ部隊の鎮圧作戦に乗り出し、以来、完了するまでの7年間に3万人の島民が犠牲になりました。その大半は政治やイデオロギーとは無縁の島民でした。済洲島から日本へ避難した人も多く、そのほとんどが大阪にたどり着いています。
 この映画では、3万人の虐殺場面が出てくることはほとんどありません。島内を逃げまとう島民の姿が静かに描かれ、鎮圧する側の部隊の兵士たちの葛藤も浮きぼりにされています。
 いまや年間観光客が1000万人をこえる済洲島ですが、65年前にこんな悲劇があったことを思い返すのは決して無意味なことではありません。
 情感あふれるシーンに見入るばかりでした。

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