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2014年5月 の投稿

「日露戦争史」1

カテゴリー:日本史(明治)

著者  半藤 一利 、 出版  平凡社
 日露戦争で日本がロシアに勝ってしまったことが、その後の日本をダメにしたのではないか。そんな反省を迫る本だと思いました。
 この本を読むと、著者の博識には驚嘆させられます。日本国内の上から下までの動き、官から民、学者そして作家の日記まで幅広く収集し、幅広くかつ奥深い叙述なので、とても説得的です。
 それにしても世論操作というか、世論誘導は、案外に簡単なものなのですね。
 いま、現代日本では、反中、反韓ものが、けたましく売れているようです。毎週の週刊誌がそれをあおっているのを見るたびに暗い気持ちにさせられます。
日露戦争を開戦する前、明治天皇は勝算の確信がなく、最後の最後まで軍事的解決を避けようとした。
 日清戦争の後、日本は軍備拡張が国策の中心となった。日本帝国は、臣民に苦難の生活を強いて、軍備拡張費をしぼり出し続けた。日清戦争直後の明治29年の日本の総歳出は2億円。うち軍事予算は43%だった。ところが、明治33年の軍事費は1億3000万円。これは租税収入の1億3000万円をそっくり投入したということ。
 海軍は、戦艦を次々に購入していく計画をたてた。その総額は2億1000万円超。これは日清戦争の全線費に相当する。
ロシア帝国のニコライ2世は、明治35年(1902年)当時は34歳。誠実ではあるが、ごくごく意志の弱い、ややもすれば人の言に右に左にと動く、「便所のドア」的人物だった。ニコライ2世のうしろに、野心家のドイツ皇帝カイゼルがピタリとご意見番としてついていた。ドイツ帝国の魂胆は、ロシア帝国を勇気づけ、いっそうアジアに深入りさせて、その国力をそいでやろうという意地の悪さがあった。
 このころ(1903年)、日本の人口は4400万人ほど。東北地方では深刻な飢饉が広がっていた。そして、「東洋永遠の平和のための戦争」という言葉が流行語となった。これは社会全般をおおっている不景気に対する国民的不満を背景としていた。
 民草(民衆)の不満が、ロシア憎悪の温床だった。そして、戦争こそが積年の不景気を吹き飛ばす好機たらん。ゆえに、爆発すべしと思いやすいのが国民感情である。
 世論が沸騰したのに対して、軍の最高指導層は、いざとなったときの戦費調達が心配なうえ、総合戦力で劣る日本軍の実情をふまえて不安があった。日本とロシアでは、面積において50倍、人口で3倍、国家予算において10倍、常備軍で5倍という、大きな差があった。
 新聞各社は、主戦論的、好戦論的な主張をばんばん紙面に載せて、販売部数を増やしていった。
 非戦論の万朝報(よろずちょうほう)も10万部以上の大台を誇っていた。ほかの非戦論としては、東京の日々新聞と毎日新聞があった。
 およそ世に大受けする大言壮語のなげかわしきことは、いつの世にも変わらない。万朝報も、ついに非戦の旗を全面的におろしてしまった。
日露戦争の前、日本の暗号は、他国によって解読されていた。しかし、日本の当局はそのことに気がついていなかった。
ロシア帝国ニコライ2世は、参謀長の「一撃で矮小な猿どもは木っ端微塵」という言葉を信じ切っていた。
 ええっ、これって、第二次大戦前に帝国陸海軍の首脳部がアメリカ軍の「弱兵」ぶりを思込んでいたのと同じですよね。
 そして、このころの日本軍の暗号による情報伝達は、すべて解読されていたのでした。なんと、間の抜けた話でしょうか。その「失敗」が、第二次大戦中の暗号解読による最高司令官撃墜事件に結びつくのです。第二巻が楽しみです。
(2012年6月刊。1600円+税)

『司法改革の軌跡と展望』

カテゴリー:司法

著者  日弁連法務研究財団 、 出版  商事法務
 『法と実務』(10)に収録されているシンポジウムの記録です。2013年6月8日、日弁連会館クレオで開催されています。
 呼びかけ人の本林徹弁護士が、開会挨拶で次のように述べています。
 今回の司法改革は、明治維新、戦後改革に匹敵する歴史的な抜本改革であった。人権の尊重、法の支配、国民主権という崇高な理念のもと、利用者であり、主権者でもある市民の視点から、司法全般にわたって抜本的な改革をするとともに、21世紀のわが国の社会のあり方を変えることを目ざした。
 改革の導火線となったのは、1990年の日弁連定期総会における「司法改革宣言』だった。そして、1990年代半ばから、経済界などから規制緩和要求があり、また、政治改革、行政改革に次いで、司法改革が一つの大きなうねりとなっていた。
 司法改革が大きな成果を上げていたことについて、日弁連は自信を誇りを持つべきだ。弁護士の増加によって、ゼロワン地域は解消し、弁護士の活動の場も法廷をこえて広がりつつある。法テラスの創設によって法律扶助制度は拡充した。被疑者国選弁護制度が実現し、裁判員制度も始まり、法廷中心の裁判へ変わった。また、労働審判も始まっている。しかし、その反面、弁護士数の大幅増加が、大きな問題を生んでいること、法曹養成制度が大きな岐路に立たされていることも現実である。さらに、民事司法改革、行政訴訟改革も不十分であり、司法制度基盤の拡充・強化も非常に遅れている。
 明賀英樹・元日弁連事務総長は、次のように基調報告した。
 法律扶助協会時代の国庫支出金は21億円だった(2000年度)。これに対して、2011年度の法テラスへの運営交付金は165億円、国選弁護費用を加えると310億円となる。この10年間で8倍増となっている。その結果、被疑者国選は、2007年度に国選が4.4%でしかなかったのが、54.6%と、5年間で10倍以上も増えた。
 20年前の1993年に、弁護士ゼロ地域が50カ所、ワン地域が25カ所あった。2009年にはゼロが2カ所、ワンが13カ所となっている。裁判官は、10年間で600人の増員があったが、それだけでしかない。検察官のほうは、10年間で200人しか増員していない。
 2012年には、企業内弁護士が771人、任期付公務員が106人になっている。
 裁判所予算は、2005年には3250億円だったのが、2013年には2988億円と、減っている。
 そのあと、パネルディスカッションとなりました。パネリストは、佐藤岩夫・東大社研教授(法社会学)、豊秀一・朝日新聞社会部次長(大阪)、丸島俊介弁護士(元日弁連事務総長)。
矢口洪一・元最高裁長官は全国の裁判所を見て回って、裁判所の姿に大変落胆した。それは、大変元気のない、活気のない裁判所となってしまったということ。
 司法制度改革審議会に財界代表で参加した委員は、日本の民主主義を議論する場だったという感想を述べた。
 司法制度改革審議会が公開されていたことは大きかった。議事録も顕名で出された。法曹三者の内輪の論理ではなく、国民の目から見てリーズナブルなのか、納得のいく話なのかを繰り返し議論していった。
 日弁連としても、当番弁護士制度、法律相談センター、ひまわり基金法律事務所の設置など、現場での実践を積み重ねていたのが非常に重要だった。
今回の司法改革を象徴する三大改革は、裁判員裁判、法テラス、法科大学院と言われるが、もっとも困難だとされながら、もっともスムースに実施されてきたのが裁判員裁判である。これは、市民参加の裁判を担うだけの力量が日本国民に十分あるということを意味している。裁判員裁判は、「おまかせ民主主義」から日本が抜け出すきっかけの一つになるのではないか。
法的ニーズは顕在化しにくいという独特の性質をもっている。さまざまな分野で眠っているニーズがあり、それを具体的な実践を通じて掘り起こしていくことが重要である。
 旧司法試験合格者は、頭の回転の速さが粘り強さか、どちらかの特殊能力を持つ人が多い。ロースクールを経た新司法試験組には、よくも悪くも普通の人が数多い。つまり、今は、市民に身近で、リーガルトレーニングにきちんと耐える能力を持っていれば、弁護士資格を取得できる時代になりつつあるということ。
 市民に寄り添って、地道にがんばっている若手弁護士にもっと光をあて、弁護士のやり甲斐とか弁護士の意義をぜひ伝えてほしい。
さまざまな論点に光をあてた意義深いシンポジウムだったと思います。とても勉強になりました。
(2014年4月刊。5000円+税)

絵でわかる宇宙開発の技術

カテゴリー:宇宙

著者  藤井 孝蔵・並木 道義 、 出版  講談社
 ロケットがどうやって地球をとび出し、宇宙をとんでいくのか、そして、それをなぜ人間が制御できるのか、不思議でなりません。その不思議を少しでも解明するため、絵があるなら少しは分かると期待して読みはじめたのでした。
 結論からいうと、イメージは少しふくらみましたが、いやはや難しい。まだまだ分からないことだらけです。
 ロケットはなんといっても軽くつくらなければいけない。そのため、ミツバチの巣にあるような、ハニカムサンドイッチ構造をしている。
 ロケットの材料として複合材がつかわれ東レなどの日本の素材メーカーが貢献している。
 ロケットエンジンの燃焼室は4000度にもなる。この高温に耐えられるエンジンを設計しなければいけない。そのため冷却に工夫がこらされている。
 ロケット研究のなかで新幹線に役立つことがあったことが紹介されています。
 日本の新幹線にはトンネルが大変多い。超音速で狭くて長いトンネルは、豆鉄砲波と同じトンネル微気圧波をもたらし、被害を発生させる。そこで、今の新幹線の先頭車両は、くちばし型のとても長い流線型になっている。
ロケットの打ち上げは出来るだけ赤道に近い場所が選ばれている。地球の公転速度は赤道で時速1700キロメートル。つまり、地球は音よりも早く自転している。この地球の自転による表面速度を利用するため、ロケットは少しでも赤道に近い場所から打ち上げられている。
 でも、日頃、そんなに早く大地がまわっている(動いている)なんて、実感しませんよね。
今、人工衛星は3500機以上も宇宙を飛んでいる。ロシア1450機、アメリカ1113機。その次、3番目が日本の134機。中国133機なので、近く、日本は追い越されてしまう。
人工衛星が初めて飛んだのが1957年。ソ連のスプートニク1号。初めて人類が宇宙に出たのが1961年のガガーリン(ソ連)。「地球は青かった」という名セリフはよく知られている。
 宇宙に向かうロケットの信頼性は90~95%程度。10回から20回に1回は失敗する可能性がある。
 まだまだ、宇宙は遠い気がします。それにしても、アメリカは、戦争にばかりお金をつぎ込んで、宇宙開発を断念してしまっているのが、私としては残念です。
(2013年10月刊。2200円+税)

黒田官兵衛、軍師の極意

カテゴリー:日本史(戦国)

著者  加来 耕三 、 出版  小学館新書
 今や時の人、黒田官兵衛については、たくさんの本が本屋に並んでいます。
 官兵衛は、決して約束はたがえない、行動に一貫性があるという評判は、その一生に大きな宝となった。
 官兵衛は、生涯、妻を一人しかもたなかった。側室をもたなかった。織田信長には、男子12人、女子12人の子があった。徳川家康には男子11人、女子5人の子があった。
 官兵衛には2人の男の子がいたが、次男は水難事故で亡くなり、長男の長政(松寿)一人だった。
黒田家でお家騒動が起きたのは、官兵衛が功労ある重臣たちへ惜しみなく多額の家禄をはずみすぎたからだった。
 官兵衛の新しさは、この時代の流行であるキリシタンだったことが大きかったと考えられる。キリシタンになった官兵衛は息子の長政、そして弟の直之にもキリスト教を勧め、この二人は天正15年に豊前・中津で洗礼を受けている。
 この年、秀吉がバテレン追放令を発布した。官兵衛たちは、ただちに表向き棄教した。だが、キリシタン大名の小西行長の家来が追放されると、密かにこれを召し抱えた。
 弟、直之は自領の秋月においてキリスト教をその後も保護し続け、領内に司祭館(レジデンシア)を建設している。
本能寺の変で、信長が倒れたとき、秀吉は「中国大返し」といわれるように、毛利軍と和睦を結び、一気に上方へのぼった。このとき、秀吉は以下の将兵は、おのれの野心、出世を夢見て血相を変え、走り去った。
 秀吉に叱咤激励されたから、というのではなく、おのれの私利私欲を胸に抱いて、欲心を大いにふくらませ、上洛の道を我先にと急いだ。
 まさしく、官兵衛の入れ知恵によって、秀吉は断固としてやり遂げたのです。だからこそ、官兵衛は秀吉から警戒されたのでしょうね。
(2013年10月刊。740円+税)

英国二重スパイ・システム

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  ベン・マッキンタイアー 、 出版  中央公論新社
 1944年6月のノルマンディー上陸作戦は、それを成功させるために大がかりな欺瞞作戦が展開されたのでした。
 まず、英米連合軍が上陸するのはノルマンディーではなくて、パドカレー地方だとドイツ側に思い込ませました。そして、ノルマンディー上陸は、あくまで本命のパドカレー上陸作戦を隠すための陽動作戦だと思わせたのです。というのも、パドカレー地方には精鋭のナチス軍隊がいたので、それがノルマンディーの方に移動してこないように足止めしておく必要があったのでした。
 パドカレー上陸作戦が準備されるとヒトラーに思わせるには、実在しない軍隊が集結しているように思わせる必要があります。無線をたくさん流し、張り子戦車や飛行機を置き、さらには指揮するパットン将軍までパドカレー上陸作戦に備えているように見せかけたのでした。総勢350人で10万人の軍隊がいるように見せかけたというのですから、たいしたものです。
 対するナチスの方では、スパイ作戦の元締めは、実は反ヒトラー勢力の拠点だったというのです。ですから、英米連合軍を実態以上に質量ともに強力だとヒトラーに報告していました。ある意味では、ヒトラー欺瞞作戦の片棒をかついでいたと言えそうです。そして、反ヒトラーの行動がバレて処刑されたり、左遷されたりしてしまったのでした。
 イギリスの諜報部の中枢にはソ連のスパイが何人もいて、スターリンに筒抜けになってしまいました。有名なキム・フィルビーなどのインテリたち(ケンブリッジ・ファイブ)です。ところが、スターリンは全部を知りつつ、果たしてスパイによる情報を信用して良いのか疑っていたというのです。これらの事実を、この本はあらゆる角度から解明していきます。
 イギリス軍参謀総長はノルマンディー上陸作戦が重大な失敗に終わるかもしれないと危惧していた。日記に次のように書いた。
 「戦争全体で、もっともひどい惨事になるかもしれない」
 スパイの送る情報がどこまで信用できるものなのか・・・。たとえば、ナチスのスパイがイギリスに潜入して送っていた情報は、実はポルトガルにいてあたかもイギリスへの潜入に成功したかのような嘘の情報に過ぎなかった。リスボンの図書館に行き、またニュース映画などで見たものをもっともらしくしたものだった。
 ドイツ軍の一大情報機関であるアプヴェーアは、国防軍最高司令部の指示によらず動いていた。その高級将校の多くがヒトラー政権に積極的に反対していた。
 ドイツはイギリスにスパイを多数送り込んだが、大半は無能で、職務を忠実に遂行する気がなく、その多くがドイツを裏切って二重スパイとして活動した。
二重スパイは非常に気まぐれで、問題を起こすこともあるが、使い方によっては利用価値が高い。気まぐれな性格の人間は、恐ろしいことに寝返ろうとする傾向を示す。
 ノルマンディー上陸作戦に関心のある人に一読をおすすめします。
(2013年10月刊。2700円+税)

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