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2014年4月 の投稿

長篠合戦と武田勝頼

カテゴリー:日本史(戦国)

著者  平山 優 、 出版  吉川弘文館
 とっても面白く、一心不乱に読了しました。著者は山梨県の高校教諭ということですが、これほど深い学識のある教師に教わる生徒は幸せですね。私は、この本を読んで、武田勝頼をすっかり見直しました。といっても、長篠合戦で決定的な敗北を喫したことの意味を軽視しているわけではありません。なぜ、これほど重大な決戦になったのかということが、よくよく理解できたということです。
 この本は、通説を否定する最近の学説をさらにひっくり返しているという点で、画期的な本だと思います。
 まずは、勝頼が凡愚の将ではなかったということです。そして、鉄砲の三段(三列)撃ちがあったかもしれないということ。その「三列」とは限らず、「三グループ」を意味していた。「三段撃ち」は、秀吉の朝鮮出兵のあと、中国に輸入されて、そこで同じことが図解されている。この点については、前に書評として紹介しています。
 長篠合戦(ながしのかっせん)ほど、数多くの謎に包まれ、その謎解きを巡って百家争鳴、百花斉放という状況になっているのも珍しい。
 武田勝頼は、同時代の人々から暗愚の主君とは見られていなかった。武田の家臣たちにとって、勝頼は「強すぎた大将」だった。父の武田信玄を超えるために無理を重ねていった。勝頼は、武勇に優れた武将だった。
 勝頼は父の武田信玄時代よりも領国を拡大していた。勝頼は、諏訪勝頼として誕生した。
 諏訪勝頼は、武田姓になったものの、官途もなく、武田氏の通字である「信」もいただかなかった・・・。
 武田信玄は53歳で亡くなった(1573年。天正元年)。そして、信玄は自分の死を3年間は秘密にしろと言い残していた。織田信長は、4月になくなった信玄の死を7月には確信していた。
勝頼は、古くからの武田家臣のなかには溶け込めなかった。
 織田信長は、信玄が死んだとき、その後継者である勝頼を完全に見くびっていた。ところが、勝頼の攻勢が成功すると、「若輩ながら、信玄の掟を守り、表裏を心得た油断ならぬ敵」だとして、高く評価した。
武田信玄・勝頼は、全軍の寄親にたいし、軍事に関する厳格な方針(軍法)を定め、しばしば通達している。
武田軍の騎馬武者には、「貴賤」が混在しており、それが騎馬衆を構成していた。身分の上下にかかわらず、装備は同じような完全装備にせよとしていた。
 武田軍では、騎馬武者は侍身分や一揆合衆のような小身の侍などのみで構成されたのではなく、被官、忰者、傭兵、軍役衆など、実に多様な身分の人々によって構成されていた。
 長篠合戦において武田軍に騎馬衆が存在していたことは、織田信長が警戒して「馬防」柵を構築させたことで証明できる。東国の平原を戦場とした人々は、騎馬武者が馬を疾駆して敵陣に乗り込み、続く足軽に働きどころをつくることにかけて、実に巧みだった。
 騎馬武者は、家来や指揮下の足軽衆と共同して戦った。
 武田軍の騎馬衆の突入は、敵の備えが万全で乱れのないときには実施されることがなく、合戦のとば口からいきなり乗込をかけるような運用法はなかった。鉄砲や弓矢などを装備して待ち構える敵陣に対し突撃を仕掛ける攻撃法は、当時として正攻法だった可能性がある。
 武田軍の兵力が少なく、織田軍の鉄砲を制圧することが出来なかったのが敗因となった。
当時、「三段」を「三列」と解する考え方はなかった。「段」とは、部隊の将兵を列に配置することを意味せず、「三段」を「三列に並べる」というのは、明らかに誤解であり、誤読である、織田軍の鉄砲衆3千挺は三部隊(備)に分割され、5人の奉行の指揮の下、三カ所(三段)に配備された。そして、その部隊内部で銃兵は、複数列に構成していた。
武田軍の重臣たちは、合戦の前、こぞって撤退を主張した。ところが、勝頼は決戦を決めた。勝頼は、織田・徳川軍の動きを誤認していた。勝頼は、信長と家康の二人が眼前に出てきた好機を逃さず、ここで撃破し、「本意」を遂げることだけに固執していた。つまり、勝頼は、信長・家康と戦って勝ち、不安定な当主の地位を一挙に確立させたかったのだ。
 織田軍の大半は、武田軍に隠れて待機していた。
 また、勝頼の判断ミスは、織田・徳川両軍の情報部門の情報不足に起因していた。
 信長は、馬防柵をかまえ、軍勢に対して柵の外へ出て戦わないように指示した。
 織田・徳川軍の擁する3千挺に及ぶ鉄砲と、それを間断なくうち続けることができるほど用意された玉薬、そして鉄砲衆を脇から援護する多数の弓衆は、武田軍がそれまでに対峙したことのない圧倒的な数量であり、数で劣る武田方の鉄砲衆、弓衆は徐々にうち倒されていった。また、支度した玉薬の量も、織田・徳川軍よりもはるかに少なく、全弾うち尽くしてしまい、対抗する余地がなくなった場合もあっただろう。
 武田軍の猛攻が始まるのは、背後の味方が壊滅した情報を知ってからだった。
武田勝頼の作戦は、武田勢が鉄砲や弓の攻撃をしのぎながら敵陣に突入し、これを無力化し、さらに後方から続く軍勢が続々と乗り込みをかけて勝機を見出すという浸透戦術だったと推察される。しかし、武田軍には、敵の火力をしのぎつつ、敵軍を制圧できるだけの兵力に欠けていた。このように、長篠合戦の帰趨を決定づけたのは、両軍の火力はもとより、兵力差にあった。
 勝頼が退去したあとも、これを狙う織田・徳川軍と武田軍は2時間に及ぶ殿(しんがり)戦を展開していた。
 勝頼は、長篠合戦での敗北からわずか2ヵ月あまりで、1万3千とも2万ともいわれる軍勢の組織・編成に成功した。しかし、軍勢の質的低下はいかんともしがたかった。
 勝頼の無謀な突撃作戦が失敗の根本というのは間違っている。突撃は、当時の合戦において常道だった。
 よくよく、ここまで調べつくしたものだと驚嘆しました。戦国時代に関心のある人に一読をおすすめします。
(2014年2月刊。2600円+税)

21世紀のグローバル・ファシズム

カテゴリー:社会

著者  木村 朗 ・ 前田 朗 、 出版  耕文社
 先日の都知事選挙で61万票も取った候補は、東京裁判を否定していたようです。そして、ネット社会では人気を集めたというのですから怖いと思いました。
 うっぷん晴らしから強いものにあこがれ、武力と軍隊賛美につながっているようで、恐ろしさをひしひしと感じます。
 「在特会」のデモ行進に若者が参加している。不況、失業、疎外感、既得権益への反感が社会変革ではなく、排外主義と弱いものいじめに転化している。
 ザイトク会の異常な差別煽動デモに対して、安倍首相は具体的な対処はしない。ヘイト・クライムの法規制には無関心を貫く。
 「カレログ」とは、つきあっている男性が、今どこにいるのか、女性のほうに分かるもの。
 「カレピコ」とは、つきあっている男性が風俗街とか、元カノの家のそばに行くと、女性のケータイが「ピコピコ」と鳴る仕掛け。
 石原慎太郎は、差別するためなら何でもする。露払い役が彼の役割。強きにへつらい、弱気に酷薄。それが石原慎太郎。
安倍首相は世界中で原発のトップセールスを重ねている。同じく、リニア・モーターカー。それで、日本国内をショールームにしたがっている。
 避難民の誘導は民間人が行うのが常識。それを軍隊がしたら、攻撃の対象になってしまう。メディアが自由を失ったときには、「発表」と「美談」であふれかえる。戦争中の報道が、まさにそうだった。
 独裁と独裁の生まれる全課程が、まずなによりも注意をそらせることだった。とにかく考えることをしたくない人びとには、独裁は、考えないでいい口実になった。
 安倍首相は、「先制攻撃はしませんよ。しかし、先制攻撃は完全に否定しませんよ。要するに、『攻撃に着手したのは攻撃』とみなす」と言った。恐ろしいコトバです。
 「領土紛争」をめぐって、マスコミは自国の主張を絶対視する意識を読者に刷り込む。そして、相手の主張に耳を傾ける姿勢を摘みとってしまう。
 「国家と国家の争い」という思考の枠組みだけに、人びとの意識を追い込む。大手メディアも、領土ナショナリズムの魔力にとらわれ、自覚のないまま、知的退廃がすすんでいる。
 安倍政権は、「日米同盟を強化して中国を包囲する」政策をとり、多くの大手メディアも、それを支持している。
 しかし、アメリカのオバマ政権の主要な関心は、中国包囲網の形成にはない。日中対立が不測の事態を招き、武力衝突に発展するのを止めること、それこそがアメリカ政権の関心事だ。
 ヘイトスピーチが傷つけるもの、それは在日韓国・朝鮮人だけではない。社会的少数派だけではない。なによりも平和に生きようとする人びとの精神に対して、コトバと物理的な暴力で憎悪を投げつけ、悔辱し、傷を負わせる。なるほど、そうなんでよね・・・。
 台湾は、1950年以来、37年間蒋介石によって戒厳令下に置かれ、1987年に戒厳令が解除されてから、民主化運動の爆発があり、現在、政治的禁忌はほとんどない状態にある。週600便以上の飛行機が大陸から250万人の訪問客を運び、500万人が両岸を往来している。
 100万人の台湾人が大陸に居住しており、台湾の輸出額の4割を中国が占め、中国へ進出した台湾企業は10万社に及んでいる。5万人の台湾の高卒者が大陸の大学に進学し、来年からは徴兵制が廃止される。
 考えるべき素材を、たくさん提供してくれる本でした。
(2013年12月刊。2000円+税)

氷川下セツルメント史

カテゴリー:社会

著者  氷川下セツルメント編纂委員会 、 出版  エイデル研究所
 私は、大学1年生から3年余りセツルメント活動に全身全霊で打ち込んでいました。18歳から21歳までのことです。まさしく多感な学生時代というか、青春まっさかりのころでした。それだけ私を魅きつけるものがあったということです。
 1967年4月に18歳で上京し、意気高く大学生活を始めたものの、バラ色の学生生活が始まったなんていう気分ではありませんでした。それほど得意でもない英語の授業のレベルは高度すぎてついていけませんでした。なにしろ、ギリシャ悲劇がテキストなのです。高校までの英語とはレベルが違いすぎて、途方に暮れました。第2外国語として選択したフランス語も、初めこそ入門編でしたが、すぐに応用編になったのには驚きました。あまりの急テンポに、とまどうばかりだったのです。そして、法学概論の講義を大教室で受けましたが、教授は、はるか彼方の演壇です。いやはや、とんだところに来たものだと思いました。
 そのうえ、クラスでは、自家用車で登校してくる学生がいて、いかにも格好のいいブレザーを着こなしています。私といえば、詰め襟の学生服で入学したのです。学生気分で自家用車を運転するなんて、考えたこともありません。
 そんな私にとって、救いは6人部屋の寮生活でした。さすがに九州弁丸出しは出来ませんでした。関西弁は臆することなく丸出しです。東北弁はおずおずと話している感じでした。でも、みんな真面目でしたから、お互いの方言をけなすなんていうことはありませんでした。
 そんな屈折した思いに沈んでいるとき、私の目の前に出現したのがセツルメント・サークルだったのです。
 そこには、なにより生きのいい女の子があふれていました。まばゆいばかりの光を発散しています。たちまち私は、そのとりこになってしまいました。そして、司法試験の受験勉強を始めるまで、大学の授業そっちのけでセツルメント活動にいそしんだのでした。まさに、人生にとって大切なことはすべてセツルメントで学んだと言い切ることができます。それほど、ショッキングなサークル活動でした。正直いうと、今ではもっと大学で授業に出ていれば良かったと思うことが、実はあるのです。でも、かと言って、後悔しているわけではありません。
 セツルメントって、いったい何なのですか。このように問われると、実は、答えるのに窮するのです。
 セツルで何を学んだのか?
何も知らないことを・・・。これ以上の大きな収穫があるだろうか。
本当に、そうなのです。何でも知っているようで、実は何も知らないことをしっかり体験させてくれる場でした。自分という存在が、他人とは大きく異なることがあること、そして、それは親と地域の影響による違いが大きいことを認識させられました。それまで親に頼って生きてきたのに、その親を小馬鹿にしていた自分という人間の愚かさも認識させられました。さらに、物事の本質をしっかり認識するためには、自分自身が、自分の問題意識をもって変革しようと働きかけて、その結果の体験を経る必要があることも体得しました。じっと、受け身でいても、何も分からないのです。
 セツルメントが最盛期を迎えたのは、私が大学生のころではありません。実は、もっと後なのでした。
 1970年代には、全国に4000人というセツラーがいて、全セツ連大会には、1100人もの参加者があった。全セツ連には全国66のセツルが加盟していた。
 ところが、1980年代に入ると、セツルメント活動は、時代の変化に応じて急速に消滅してしまった。まさしく、時代の変化なのです。でも、どんな変化があったのか、十分に分析しきれているわけではありません。
 私は川崎セツルメント、幸区古市場にあったセツルメントです。そこで青年部に所属し、若者サークル(山彦)で活動していました。フォークダンスをしたり、キャンプをしたり、何という活動をしていたわけでもありません。でも、世の中の仕組みをじっくり考えさせられる契機とはなりました。ほかに、子ども会があり、栄養部や保健部、もちろん法律相談部もありました。
全国から1000人以上もの学生セツラーが年に2回集まって、交流する全セツ連大会は本当に活気あふれるものでした。新鮮な刺激を大いに受けたものです。語り明かすことが楽しい日々でした。そして、大いに歌もうたいました。音痴の私ですが、声をはりあげたものです。
 我妻栄や穂積重遠などの著名人たちが、戦前・戦後のセツルメント活動を支えてくれました。
 氷川下セツルメントの活動の歴史を通じて、日本史の一断面を知ることのできる貴重な歴史書になっています。セツルメント活動に関心のある人には、ぜひ読んでほしい本です。
(2014年3月刊。3500円+税)

北朝鮮経済のカラクリ

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者  山口 真典 、 出版  日系プレミアシリーズ
 北朝鮮が日本にとって不気味な国であるのは間違いありません。ところが、安倍首相は、そんな日本国民の心理を利用して、北朝鮮にミサイルを先制攻撃できるようにしようというのです。それは戦争です。恐ろしいことです。北朝鮮が反撃として、日本に50以上ある原発にミサイルを撃ち込んだら、たちまち日本は破滅してしまいます。やめてください。安倍首相の危険な「火遊び」につきあわされて、日本という国が消滅するのを指をくわえて眺めているわけにはいきません。
この本は、北朝鮮経済のいびつな構造に迫っています。
 金正恩は、2012年4月に朝鮮労働党第一書記に就任し、主要な最高権力ポストをすべて引き継いだ。
 金正日の「遺言状」のなかには、海外銀行の資金は金正恩が管理しろ、原子力発電所を少なくとも3個は建設しろ、というのがあるそうです。前者は既に実現しているのでしょうが、後者はどうなのでしょうか・・・。
 父親の金正日の哲学は、権力を持つ第二人者(ナンバーツー)の台頭は絶対に許さないことにあった。頂点に立つのは、最高指導者ただ一人だけで、残りの側近は、全員を水平的に配置して、互いに牽制させた。自らを脅かす勢力が台頭してくる前にその芽を摘む。
 金正恩が、先日、張成沢を銃殺してしまったのも、その哲学を実践したということですね。
北朝鮮には、国の公式経済とは別に、予算数字に計上されない非公式の経済が存在する。軍需経済と王室経済だ。軍需経済は、労働党の中央軍事委員会と軍需工業部が統括し、第2経済委員会が傘下の武器工場や商社、金融機関などを通じて執行する。
 王室経済は、単に金正日ファミリーがぜいたくするためだけの資金ではない。自らの体制を支えてくれる幹部の忠誠心をつなぎとめる目的のための仕組みだ。この秘密資金を管理するのが労働党39号室だ。ところが、近年、北朝鮮では指導部の把握できない「ヤミ経済」がどんどん膨らんでいる、蔓延する「賄賂文化」もヤミ経済の一部だ。
 北朝鮮の社会は、出身成分でも将来が決まる。成分は大きく分けて三つ。核心階層、動揺階層、敵対階層。日本からの帰国者は敵対階層という低い成分に分類され、日常生活でもいろいろな制約を受ける。
どんなに庶民が貧しくても、平壌に住む幹部の生活さえ保障していれば、体制が揺らぐことはないとされる。
 平壌市民250万人のうち、十分な食料品や生活用品の確保など、手厚い庇護を受けている党や郡の幹部が50万人いる。なかでも2万人の高級幹部は、優遇されている。
 エリートたちの忠誠をたもつためには、現金や物資にあわせて年に10億ドルが必要だ。
 北朝鮮の全人口は2400万人。核心階層と労働党員が300万人いる。
北朝鮮の庶民が沈黙している理由の一つは、徹底した相互監視システムにある。
収容所にも二つある。生涯出所できない「完全統制区域」と、比較的罪の軽い政治犯で出所の可能性がある「革命化区域」。
 北朝鮮で軍のクーデターが起こる可能性は、まずない。その根拠は、ローヤルファミリーを警護する護衛司令部の存在。護衛司令部は、陸海空あわせて5~6師団の10万人。これは人民軍から切り離して、軍よりも最新鋭の武器や装備を供給した。
 軍は、クーデターを防ぐため、陸・海・空軍の指揮命令系統を別々にしている。
 平壌付近には、大規模な兵力を配置していない。軍の部隊が決定を下す際は、3人の指揮官全員の合意が必要だ。
 金正日の外交術には一定のパターンがあった。緊張を高めたあとで、少しだけ譲歩し、最大限の見返りを得る。日米韓の連携を揺さぶる。
 金正日の統治は、絶対に自分から指示しないことが特徴だった。失政の責任は全部を部下が負う。最高指導者の決定に間違いはありえないのだ。
 北朝鮮は、武器輸出で年に1~4億ドルの外貨を稼いでいる。アヘンや覚醒剤の生産もしていた。アメリカ・ドルの偽造もしていた。ニセ・タバコもつくっていた。
 北朝鮮は海外出稼ぎ大国である。世界40ヶ国に5万人の労働者を派遣し、年間3億ドルを稼いでいる。
北朝鮮人民軍は117万人。予備役は740万人をあわせると、全人口2400万人の4割が軍人となる。男性人口の1割は軍人だ。
 北朝鮮兵士の平均身長は韓国兵に比べて15~20センチも低い。これは栄養状態の違いによる。
北朝鮮という国が、いつまでもつのか分かりませんが、本当に異常な状況だと思います。そして、韓国も中国も、そして日本もアメリカも、すぐに国(金正恩体制)が崩壊しないように支えているというのが現実なのではないでしょうか・・・。
 そして、脅威だけはあおって、安倍首相のように利用しているのです。
(2013年12月刊。850円+税)
 月曜日に東京に行ってきました。日比谷公園の桜が見事に満開でした。しだれ桜もありましたが、これもソメイヨシノなのでしょうか。奈良から来ていた弁護士が、うちは5分咲きと言っていました。大阪は、なぜか東京より遅いのですよね。
 3年近くつとめていた日弁連の委員長職から解放されました。重責で肩の重味がとれて、ほっとしています。
 わが家の庭のチューリップも満開です。庭のあちこちに500本のチューリップの花が咲いて、春到来をまさしく実感させてくれます。
 紫色の豆粒のような、ハナズオウの花も咲いています。

とらわれた二人

カテゴリー:アメリカ / 司法

著者  ジェニファー・トンプソン、ロナルド・コットンほか 、 出版  岩波書店
 レイプ犯として11年も刑務所に入っていた黒人がDNA鑑定と、それにもとづく真犯人の自白によって無罪となった話です。そして、もう一方でレイプ被害にあった白人女性の心の痛み、しかも、間違って無実の犯人と名指ししたことによる罪の呵責(かしゃく)をどう考えるのかという重いテーマもあります。実は、本書はこの二つの視点からスタートします。
 そして、この本は、その両者を結びつけ、冤罪の被害者とレイプの被害者とがついに手をとりあって和解したという感動的な実話なのです。
 それにしても、目撃証言というのは、本当にあてにならないもの、信用できないものなんですね・・・。
私は単なるレイプ事件の被害者ではなく、記憶力が最低のレイプ被害者で、そのため、ある人が11年間も無駄にしてしまった。どうして、私は、そんな愚かなことをしてしまったのだろう・・・。
 ロナルド・コットンが犯人だという思いに捕らわれ、過剰なほどの自信をもってしまった。あの夜の記憶は鮮明で、理屈というよりも直感的で、意のままに再生できるビデオテープのようなものではなかったのか。
ロナルド・コットンの顔を面通しで見て、さらに法廷で見ることは、つまり、次第に彼の顔が私を襲った犯人の元々の像にとって代わっていくことを意味した。法律の専門書で、それは「無意識の転移」と呼ばれる。要するに、私の記憶が歪められたということだ。私は自分を襲った人を30分も見たし、彼の顔は私と数インチしか離れていなかった。それなのに、私は完璧に間違ってしまった。
 無実の被告人を弁護した弁護士たちは、まったくの無報酬でがんばっていたのでした。これまた、すごいことです。そして、無罪になったときに言ったのは・・・。
 「我々の仕事に対しては、一切、報酬はいらない。ロン、ただ、君の自由を最大限活用してくれたらいい」
 「生産的な生き方をしてほしい。それが、我々の求める最良の報酬だ」
 すごいですね。アメリカにも、私たちと同じようにがんばる弁護士はいるのですね。うれしくなります。
刑務所で生きのびるためには、鍛えて強い身体を維持しなければならない。走ったり、腹筋運動や腕立て伏せしたり、あらゆる方法で身体を動かした。
 刑務所に収監された直後は、とても重要だ。戦いの勝敗が、そこになじめるかどうかを左右する。刑務所では、弱虫に見られないようにするのが大切だ。そうすれば利用されずにすむ。たとえ負けたとしても、やり返すことで、一目置かれるようになる。
 刑務所では、多くの者が身を守るために、自分を殺人を犯して服役しているという。そうすれば、たちの悪いやつに見えると思っているのだろう。ここでは、誰を信じていいのか、決して分からない。
 アメリカでは、DNA鑑定によって、300人以上の有罪判決がくつがえっているとのことです。これは、すばらしいことであると同時に、実に恐ろしいことです。そして、それは、被告人とされた無実の人だけでなく、被害者にも二重の苦しみを与えることになるわけです。よくぞ、本にしてくれたと思います。感謝します。
(2013年12月刊。2800円+税)

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