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2014年4月 の投稿

生活保護で生きちゃおう

カテゴリー:社会

著者  雨宮処凛・和久井みちる 、 出版  あけび書房
 楽しいマンガ付きの、生活保護を受けるための手引き書というか入門講座です。
生活保護を受けとるのは恥ではない。
 生活保護を受けている人を叩くのは、自分の首を絞めているようなもの。国民が、もっと自由に健康で文化的な最低限度の生活を過ごせるようにするのは、国の義務である。
 そんなことが、マンガをふくめて、とても分かりやすく解説されています。
生活保護の利用者は、現在、216万人いる(2013年8月現在)。
 その理由となった事情は、それこそさまざま。適応障がいのために仕事が長続きしない若者、ずっと精神疾患のために家族と別に暮らしている若者、アルコールなどの依存症のため、仕事が出来ない中年男性、身体障がい者なので、まともな仕事と収入がない40代の女性など・・・。
 そんな人たちが自分の体験を通して、生活保護を受けるためのテクニックや、生活の大変さなどを率直に語り合う座談会が紹介されています。
 市役所のケースワーカーから、「子どもはつくってくれるな」と言われたとのこと。この言葉は本人にショックを与えました。そうですよね。人間らしい生活をするなというのと同じコトバです。
 「生活保護をもらっている人は、好きなだけ病院に行けて、いいよね」
 これも間違いです。誰が好きで病院に行くものですか・・・。みな、仕方なく病院に通っているのです。
本当は生活保護を受けてもいい、受けるべきなのに、実際に生活保護を受けているのは、わずか2割でしかない。
 生活保護を受けている人を責める側の人々は、自分たちもこんなに生活が苦しいのに、高い税金を払っているのだ、その税金で保護を受けている人は食べているという感覚だ。
 しかし、世の中は助け合いですよね。生活に困っている人を放っておいていいのですか。航空母艦やら「海兵隊」創設につかう税金があったら、人間を育てるほうにお金をまわすべきですよね。
生活保護を受けにくくしているのは、いま流行のバッシングにある。
 自分たちの家族がバッシングの渦の中に入ってしまう恐怖心がそこにあった。
 本当は生活保護を受けるべき人が8割、実際に受けているのは2割。この現実を変えて、もっと多くの人が、気楽に気軽に生活保護を受けられるようにしたいものです。
 また、保護を受けるのは恥ずかしいことでも何でもありません。大きく叫びましょう。
(2013年10月刊。1200円+税)
 庭に植えているアスパラガスに大きく伸びていました。一度に7本も収穫できたのは初めてです。しかも、みんな店頭に並んでいるほどの太さでした。
 早速、春の味覚をかみしめました。

死なないやつら

カテゴリー:生物

著者  長沼 毅 、 出版  講談社ブルーバックス
 生物、そして生命の不思議さを紹介した本です。ええっ、ありえない。そう叫びたくなる話のオンパレードです。
 生命とは、エネルギーを食って構造と情報の秩序を保つシステムであると定義することが出来る。むむっ、これって難しすぎる定義ですね。
 この宇宙で炭素化合物が安定して存在するには、メタンか二酸化炭素になるしかなく、それ以外の炭素化合物は、どれも不安定な状態にある。
 クマムシは、151度の高温でも、絶対零度の低温にも耐える。放射線に対しても、57万レントゲン(5700シーベルト)が致死線量。人間なら500レントゲン(5シーベルト)だから、1000倍もの耐久力がある。ただし、これは、クマムシが体重の85%を占めている水分を0.05%にまで減らしたときのこと。
 ネムリユスリカは、乾燥状態で放置して17年後に吸水させたら、元に戻った。
 ふつうのバクテリアである大腸菌は、少しずつ高圧に馴らすようにしていくと、なんと、2万気圧でも生きることができた。
深海に生きるもののなかには、無機物の鉄を酸化させて、そのときに生じるエネルギーを利用して有機物をつくって、それを栄養としているものがいる。これを「暗黒の光合成」という。
 太陽光線による光合成のようなものが、暗黒の深海でやられているなんて、本当に驚いてしまいます。
 アフリカのフラミンゴはピンク色をしているが、本来の体色は白色。赤い藻を餌として食べているので、ピンク色になった。
バクテリアの仲間の「バチルス」は、2億5000万年前の岩塩のなかに見つかったものがあり、生きていた。
こうなると、生命とは何なのか、さっぱり分かりません。
重力は普通1G。ジェットコースターでかかる最高は5G。戦闘機のパイロットは、9Gにまで耐える訓練を受けている。ところが、大腸菌などは、40万Gの重力を受けても、平気だった。
南極大陸の氷の下に、ボストーク湖がある。ここには、これまで誰も見たことのないような遺伝子をもつ微生物がたくさん発見された。1500万年前の生物に、生きたまま会えたことになる。
人間の体内には、合計すると、1キログラムほどの腸内細菌が棲んでいる。種の数は1000以下。個体数にすると100兆個。それだけ多くの「別種の生物」が体内で人間と共生している。
本当に、生命体の不思議さは驚くばかりです。
(2013年12月刊。900円+税)
 KBCシネマでやっている映画「アクト・オブ・キリング」をみました。
1965年にインドネシアで起きた大虐殺事件「9.30事件」について、加害者が何をしたのか、自らの体験を喜々として再現していくというすさまじいドキュメンタリーです。どのように人を殺したのか実際にやってみせるのです。主人公は1000人もの人を殺したと高言するプレマンと呼ばれるギャングの親分です。
 今から45年以上も前のことですが、虐殺した側は、今もインドネシアの権力の側にいて、犯罪者どころか英雄視されてきました。ナチス・ドイツが戦争に勝って、その蛮行を自慢げに語っているようなものです。
 ところが、虐殺犯が自己の体験を再現してくなかで重大な転機を迎えるのです。次のような解説があります。
 「今も権力の座にあり、誰からも糾弾されたことがないため、今でも自分を正当化することができる。しかし、その正当化を本当は信じていないため、自慢話は大げさになり、より必死になる。人間性が欠けているからではなく、自分の行いが間違いだったと気づいているからのこと」
 前に紹介しました『民主化のパラドックス』(岩波新書)が参考になります。

老虎再来

カテゴリー:人間

著者  瞳 みのる 、 出版  祥伝社
 ザ・タイガースのピーによるトークライブがそっくり再現されている本です。
 その誠実な人柄がじんわりと伝わってきて、読み手の心を温めてくれます。
 著者は私より2年だけ年長ですが、同じ団塊世代です。京都出身で苦労したようです。母親を幼くして亡くし、乳母に可愛がられたようです。父親もひところは羽ぶりが良かったものの、人に欺されて没落し、著者も働きながら定時制高校に通ったのです。町工場に働いたり、ナイトクラブのドアボーイなどいくてもの職を渡り歩いています。
 ザ・タイガースは、そんな京都の同級生たちによって結成されたのでした。
 著者のトークには、京都の町なか、通りの名前がいくつも登場してきて、メンバーたちと結びつけて語られます。
 著者は二度も大病し、離婚もしています。いろいろ大変なことも多かったようです。
 それでも、ザ・タイガースの解散のあと、一念発起して慶応大学に一発で合格し、あとは慶応高校で40年間も漢文を教えていたのです。
 教師時代の教え子が全国にいて、活躍しているようです。本人は不良教師だと自称していますが、熱血教師だったのではないでしょうか。
 慶応高校の生徒たちは、天性の聡明をもっていて、キラキラ光るものがある。僕なんか、逆立ちしても彼らにはなれない。授業していても教えるよりも、教えられることが多くて、楽しかった。教師失格だった。いや、反面教師だったかな。生徒たちは、真の形で人間を捕らえることに優れていた。いくら飾りたてて、知識をひけらかしても、見破られてしまう。ごまかしはきかない相手と何十年も過ごしてきたという自負がある。
 うむむ、味わい深い言葉ですね。
 僕は迷う。迷うからこそ、迷いを断ち切るために決断する。本当は優柔不断だけど、できるだけ自分に忠実なように生きてきた。他人からみれば好き勝手やってきたように見えるかもしれないけれど、本当は不器用な人間で、あれもこれもはできない。
写真がたくさんある全国ツアー報告も楽しいレポートになっています。
(2012年12月刊。1800円+税)

谷善と呼ばれた人

カテゴリー:社会

著者  谷口 善太郎を語る会 、 出版  新日本出版社
 京都に谷口善太郎という、戦前の労働運動家であり、文学者であり、戦後は代議士を長く務めていた有名な人がいました。その人の生きざまが生々しく紹介され、読み手の心を温め震わせる本です。
京都選出の代議士として6期15年あまりも務めた谷善(たにぜん)ですが、学歴は高等小学校を出ただけです。しかも、小学校の途中から製陶所で働いています。それほど家は貧しかったのです。
 石川県出身で、九谷焼の製陶所で働いていたのでした。といっても、学校での成績は良く、父親が学校にやらなくていいと言うのを、校長や教師たちの援助で高等科に進学して卒業したのでした。そのころから、教師に恵まれ、作文を書いていたようです。
 この本は、谷善がペンネームで発表した本を詳しく分析していますので、モノカキ志向の私にも大変参考になりました。というよりも、その描写のすごさに圧倒されました。
労働運動を描いた小説では、高揚した場面や警官と対決する緊張場面などを、ハードボイルド調で生き生きと描いている。
 これも谷善の実体験があったからでした。谷善は、治安維持法下の戦前の日本で何回も逮捕され、警官の拷問を受け、身体の健康をこわしていたのです。
 谷善は『貧乏物語』で有名な河上肇にカンパしてもらった。高名な京都帝大教授である河上肇は、谷善に50円をカンパして、こう言った。
 「こういうことしかできなくて、恥ずかしいです」
 すごいですね。大学教授が一面識もない労働組合活動家にこう言ったというのですから・・・。もちろん、50円というのは、当時とすれば、とんでもなく大金だったのです。
 1928年(昭和3年)の普通選挙のとき、京都2区で山本宣治が当選した。
 この山本宣治も、谷善が立候補を決意させたのでした。そして、3.15の共産党弾圧が始まり、谷善も逮捕され、拷問を受けるのです。
 私は申し訳ありませんが、谷善の小説を読んだことがありません。
 『綿』は1931年に発表された。宮本顕治や中村光夫がこれを絶賛した。そして『清水焼風景』。ペンネームによって、谷善が書いたと思われないように配慮しつつ、谷善は自分の労働運動の体験をもとに小説を書いた。しかし、当局の検閲によって、6頁も削られてしまった。それでも大いに売れて、評判になったというのですから、すごいです。さらにすごいのは、映画のシナリオ・ライターにもなったというのです。大映の『狐のくれた赤ん坊』の原作は谷善の手によるものです。
 この映画について、山田洋次監督は、「日本の名作100本」の一つとしている。
 谷善が政治家になってから、その選挙のときには、あの松本清張も応援にかけつけました。これまたすごいことですね。ちなみに、谷善は日本共産党の国会議員です。
 蜷川虎三・京都府知事が7選するのにも、谷善は大きく貢献しています。
 文学者としての谷善の本の解説が主となっています。それだけに、ぜひ原典にあたってみたいという気になりました。とてもいい本でした。ありがとうございます。
(2014年1月刊。1800円+税)

検証・防空法

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

著者  水島 朝穂・大前 治 、 出版  法律文化社
 水島教授は、私の尊敬する憲法学者ですが、戦前の日本が、いかに国民の生命・財産を無視する国家であったのか、実に詳しく論証しています。さすが、学者です。
 アメリカ軍は日本の都市を空襲する前に、それを予告するビラ(伝単)を投下して退去するよう警告していたのですね。初めて知りました。
 当局は、その米軍による警告ビラを改修し、住民が逃げ出すのを防止していました。それで、空襲被害は大きくなったのです。なぜ都市から逃げたらいけないのか。それは、戦意喪失につながるから、なのです。
 終戦1ヵ月前の7月に、青森市に、アメリカ軍が空襲を警告するビラを大量に投下した。市民は続々、郊外へ避難していった。すると、青森県は、7月末までに戻って来ないと、住民台帳から削除して、配給物資を停止すると通知した。
 台帳からの削除は、「非国民」のレッテルとなり、社会からの抹殺に等しい。市民は、次々に戻ってきた。そして、アメリカ軍は、予告どおり空襲した。その結果、1000人ほどの死傷者を出すに至った。この青森県の通告は、防空法にもとづくものだった。
 1941年の防空法の改正審議のとき、佐藤賢了・陸軍省軍務課長(のちに陸軍中将)は、次のように述べた。
 「空襲を受けた場合、実害そのものはたいしたものではない。周章狼狽・混乱に陥ることが一番恐ろしい。また、それが一時の混乱ではなく、ついに戦争継続意思の破綻になるのが、もっとも恐ろしい」
 国民を戦争体制にしばりつけ、兵士と同じように生命を投げ捨てて国を守れと説く軍民共生共死の思想である。兵士の敵前逃亡は許されず、民間人も都市からの事前退去を許されない。それを認めると、国家への忠誠心や、戦争協力意思が破綻し、空襲への恐怖心や敗北的観念が蔓延する。人員や物資を戦争に総動員する体制が維持できなくなる。
 そこで、政府は都市から住民が退去することの禁止を法定した。国民は、戦線離脱が許されなくなった。全国民が国を守る兵士として、「死の覚悟」を強いられ、退路を絶ったのが、1941年の防空法改正だった。都市から逃亡したものは、「非国民」であり、都市に戻る資格はない。
 このように、政府の公刊物で「非国民」という言葉が堂々と使用されていた。
 焼夷弾には、水をかけても、爆発するだけで、何の効果もない。このことを政府は知っていて、国民に隠すことにした。
空襲にあったとき、ロンドンやバルセロナなどでは、地下鉄の駅や通路が大規模な公衆避難場所として解放され、その結果、多くの市民の生命が助かった。しかし、日本では、空襲があるときには、地下鉄、地下通路の入り口は封鎖された。人々を地上に追いやってしまい、その結果として犠牲者が増えた。
 「町内会、常会、隣組は、逃げたくても逃げられない」という相互監視体制である。その装置としての隣組が整備された。
 1945年6月、帝国議会は、「義勇兵役法」を制定施行した。15歳から60歳までの男子、17歳から40歳までの女子は、すべて「義勇兵」となり、軍の指揮下に入って、本土決戦に備えることになった。
 空襲被害による国を被告とした裁判が進行中ですが、安倍首相の突出した異常さから目を離すわけにはいきません。本当に、それでいいのでしょうか・・・。
(2014年2月刊。2800円+税)

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