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2014年3月 の投稿

はじめてのヒマラヤ登山

カテゴリー:アジア

著者  目指せネパール登山チーム 、 出版  誠文堂新光社
 日本の女性はたくましい。ましてや、おばちゃんときたら天下無敵。失礼しました。おばちゃんというには早すぎる、女性陣5名が、目指せネパールを合い言葉に集まり、果敢にヒマラヤにアタックし、無事に成功したというツアーが写真とともに紹介されています。
 昨年(2013年)4月、ついに5520メートルのヒマラヤのピークに立ったのです。すごーい・・・。
 私は高山病も恐ろしいし、胃腸にもそれほど自信がないので、こんな体験記を読んで、体験したつもりになってガマンしています。
 いろいろ知らないことがありました。女子チーム5人は、高山病予防のため、入浴をずっと控えていたので、結局、11日間もシャワーを浴びることなく過ごしていた。
 それは辛いですね。やっぱり、湯舟に浸かって、足を伸ばしたいですよね・・・。
ネパールに行ったら、10人中10人が下痢をする。慣れない環境でお腹をこわすし、ミルクティーの粉ミルクにあたったり、ぬるいコーラにあたったり・・・。
ヒマラヤではロバに荷物を運ばせる。その重量は40~50キログラム。それより思い、と馬に運ばせる。
 夜のホテルで、いきなり停電。そんなときには、携帯用のソーラー充電器が活躍する。
 高山病の予防のためには、ともかく水を飲み、こまめに深呼吸すること。なにより呼吸することを意識する。吸うことより、吐くことを意識する。
 1日に3リットルから4リットルの水を飲む。そして、トイレに行く回数をチェックする。トイレに行く回数が少ないと要注意。飲んで、出す。これが大切。
 ヒマラヤのアタック当日は、午前2時半に起床。パンケーキとおかゆの朝食をとる。午前3時半に出発。夜空に満点の星がまたたいているはず。でも、見上げる余裕はない。そして、ついにヒマラヤ山頂に立つ。
 午前2時半に起きて、寝るまでに3回しかトイレに行っていない。うそーっ、うそでしょと叫びたくなりますよね。これが高山病なんですね・・・。
 ヒマラヤ・トレッキングの経験豊富な富士国際旅行社にツアーを組んでもらったとのことです。費用は50万円ほど。決して安くはありませんが、それほど高くもないということでしょうね。
 写真と図解ありの、楽しいヒマラヤ登山の解説本です。
(2013年10月刊。1800円+税)

パワハラに負けない

カテゴリー:司法

著者  笹山 尚人 、 出版  岩波ジュニア新書
 とても分かりやすい、労働法の入門書です.大学生向けの教科書として、広く普及できたら、日本は、もっとまともな国になるのではないかと思いました。
なにしろ、今の自民・公明政権は財界言いなりで、労働者の使い捨てをギリギリすすめていますから、労働者の権利なんて絵に描いた餅ほどの軽さでしかありません。ひどい社会です。そんな社会だから、秋葉原事件や食品工場での毒物混入事件が起きるのではないでしょうか。中国の毒入りギョーザ事件も同じだと思います。
自分が大事にされていると思わない労働者は、追い詰められたら、とんでもないことをして社会に報復してしまうのです。もっともっと、働く人を大切にする社会にする必要があります。
 それにしても、この本は読ませるストーリーになっています。まだ40代の若手(中堅)弁護士ですが、これで何冊目なのでしょうか。読みやすさと、解説の深さに息を呑んでしまいそうになります。
 主人公は、望まずして労働弁護士になった阿久津弁護士です。パワハラ事件の相談を受け、裁判を担当するなかで、事件と先輩弁護士たちに鍛えられ、物の見方がぐんぐん変わっていき、人間としても大きく成長していく姿が生き生きと描かれています。そして、話の途中では、なんと、自分自身がパワハラの加害者になったというエピソードまであるのです。心憎いばかりの筋立てです。いやはや、完全に脱帽です。
労働契約とは何か、が語られています。
 労働者は奴隷ではない。だから、対等の立場で契約する。これは、口で言うのは簡単ですが、実践するとしたら、それこそ血のにじむ思いをせざるをえなくなります。
 日本にはブラック企業が現に多く存在している。使用者と労働者が、まるで昔の殿様と家臣のような関係になっている。これは、おかしい。明らかに法律の考え方に合致していない。
身の危険があるようなら、労働者は、たとえ業務命令であっても就労義務は負わない。これは、千代田丸事件についての1968年12月の最高裁の判例。
パワハラ事件では、ICレコーダーによる録音が決め手になることがある。
 民事訴訟では、音声記録が相手の承諾を得ていないから証拠としての価値がないとされることはない。パワハラの被害者は、自分が今まさに人格の崩壊をさせられようとしているのだから、自分の身を守る手段として録音するのは、必要やむえをえざる対抗手段なのだ。
 まことに、そのとおりだと私も思います。大変基本的で大切なことが盛り沢山の入門書です。若手弁護士、そして子どもたちに大いに読んでほしいものです。
(2013年11月刊。840円+税)

グローバル・スーパーリッチ

カテゴリー:アメリカ

著者  クリスティア・フリーランド 、 出版  早川書房
 アメリカ人の99%の人口の所得は、わずか0.2%しか増えていない。しかし、上位1%の人の所得は11.6%も増えている。この上位1%の人にとっては、間違いなく景気は回復している。これって、日本でも同じことが言えますよね。
アベノミクスとやらの恩恵を受けている人は、日本でも上位のわずかの人々で、大半の人は恩恵どころか、冷酷な仕打ちを受けて泣いています。
 1970年代、上位1%の人々の年収は国民層総所得の10%だった。ところが、その35年後には国民総所得の3分の1を占めている。
 2005年、ビル・ゲイツの財産は465億ドル、ウォーレン・バフェットの財産は440億ドルだった。ところが、アメリカ国民のうち所得の低い40%、合計1億2000万人の財産は、全部あわせて900億ドルなので、ゲイツとバフェットの二人分の財産合計とほとんど同じ。
 これって異常というより、間違っていますよね、絶対に。
 スーパーエリートの所有する自家用ジェット機は、託児室を設けられるほど広々としている。また、ヨットにはヘリコプター2機と潜水艦が装備され、水泳用プールもある。
 しかし、スーパーエリートは安定しない世界に生きている。トップに立つ者の足下はきわめて不安定であるうえ、その不安程度はいっそう増しつつある。フォーチュン500企業のCEO平均在任年数は、この10年間で9.5年から3.5年までに短縮した。
所得上位1%の人々のあいだにも一本のくっきりとした溝がある。そのうち0.1%のウルトラリッチは、残りの0.9%、たんなるスーパーリッチを大きく引き離している。この溝は文化の溝であり、経済の溝でもある。
 ハーバード大学卒業という輝かしい学歴をもつ人々のあいだでもトップ集団とそれ以外の差が広がっている。たとえば、金融業界の者の所得は、それ以外の同窓生の所得の2倍にもなる。人は、金持ちになるほど強欲になる。
アメリカの弁護士の世界でも、格差が大きくなっている。2011年、アメリカでも有数の法律事務所のパートナー弁護士は年収1000万ドルをこえる。しかし、弁護士の平均年収は64万ドル。
 スター弁護士は、一般のパートナー弁護士の10倍もの報酬を得ている。ロースクールを卒業して弁護士になった初年度の平均年収は8万4111ドル。弁護士全体だと13万0490ドル。これまた、日本でも同じことが言えそうです。
 2012年の長者番付に乗った1226人のうち、77人が金融関係、143人が投資関係の仕事をしている。300万ドルをこえる運用可能資産を所有するアメリカ人は4万人。この4万人のうち40%が金融業界の人間。超富裕層の0.1%のうち、18%が金融業界関係、銀行家。
持てる者は与えられ、いっそう豊かになる。だが、持たざる者はなけなしの持ちものまで奪われる。
 企業全体の価値が10%上昇すると、CEOの給与は3%上昇する。しかし、一般労働者の給与は平均して0.2%しか上昇しない。これまた日本にもあてはまりますね。トップの高給とりが目立ちます。年収1億円前後という大企業の取締役が日本でも珍しくないようになりました。格差がどんどん拡大しています。
みんな、だれでもスーパースターになれると思っているが、勝者が総取りする経済社会では、トップの空間に余裕がなく、大半の者がはじき出されてしまう。
 超富裕層の人々は、アメリカの人々の窮状に同情的であるとしても、自分たちがその窮状に加担してしまうのは仕方ないと割り切っている。
 こんな不公平な社会は、とても公正とは言えません。みんなで声をあげて変えていくべきだと私は思います。みなさん、いかがですか。ご一緒に声をあげましょうよ。
(2013年11月刊。2000円+税)
 日曜日(16日)、チューリップの花が一本、咲いているのを発見しました。先発隊です。火曜日には、三本に増えました。ピンクと黄色の花です。これから、毎日、楽しみです。どんどん増えて、楽しませてくれます。
 日曜日には、ジャガイモの根を植えつけました。娘がうねをつくってくれていましたので、そこに3種類のジャガイモを植えてみました。6月ころに収穫できるはずです。

法の番人・内閣法制局の矜持

カテゴリー:司法

著者  阪田 雅裕 、 出版  大月書店
 第61代の内閣法制局長官だった阪田雅裕弁護士に、愛知県の川口創弁護士がインタビューして出来あがった本です。テーマが憲法9条と集団的自衛権ですので、どうしても難しくなりがちなのですが、問答形式の本ですので、かなり分かりやすくなっています。
 内閣法制局が憲法を守ること、政府(権力)には憲法の縛りがかかっていることをよくよく自覚して法令の解釈をしてきたことが、実感をもって伝わってきます。
 ある意味で、それは綱渡りのような解釈作業なわけですが、憲法の下ですべてを統制するという使命感にあふれていますので、その言いたいことがよく伝わってきます。
 安倍首相が任命した小松一郎長官は、国会での答弁において、憲法の文言自体を何回も言い間違えていましたが、本来、そんなことはありえないことも、よく分かります。
小松氏は辞任後まもなく病気(どこかの癌です)にかかってしまいましたので、こんなストレスの多い長官職なんか就任すればいいと私も思いますが、それを指摘した共産党議員に対して、ムキになって言い返したと報道されました。よほど人間が出来ていない長官のようです。残念ですね・・・。
 著者は護憲の立場から9条を守ろうという主張ではない。一貫しているのは、立憲主義を守るという観点である。
 著者は、東大法学部を卒業する前に、国家公務員の上級職試験と司法試験の両方に受かり、大蔵省に入省した。これは、超エリートのコースですね。
 大蔵省に入って、いくつか出向して、アメリカなどにも留学したあと、15年目に内閣法制局に移った。内閣法制局には、生え抜きはいなくて、15年ほど官庁に勤めた人が入ってきて、参事官となる。参事官は、専門性をもったスタッフとして働いている。70人あまりの構成のうち、30人以上が部長、課長、参事官という構成である。
 内閣法制局は、審査事務と意見事務を扱う。法律どうしが、お互いに矛盾せず、全体として整合性が保たれているかをチェックする。
 法案の素案が出来ると、その省庁の担当者とチェックする。3時間では終わらず、少なくとも半日はかける。
内閣の閣議のときにも、法制局長官は陪席する。他には、官房副長官が3人のみ。国会で首相が答弁するときにも、法制局長官は、すぐうしろに控えている。
 法制局長官は、質問に対しては、ともかく答える。答えるのが、長官としての最低限の責務である。ただし、国会の質疑は、良く聞いて理解しようというものではない。
たまたま、ときの政権が違う考え方もあるからと言って変えてしまえば、逆に戻してもよいことになり、あってないようなものになる。
憲法9条は縛りとして現に機能してきた。ベトナム戦争でもイラクだって、9条によって犠牲者を出すことがなかった。
 国連の集団安全保障措置であっても、それが武力行使にあたる行為であれば、憲法9条が禁止している。
自衛隊の役割は、外国から侵略があったときに排除するということ。だから、武力攻撃がわが国に対して加えられることが大前提になる。この武力攻撃というのは、わが国の領土に対する攻撃が想定される。集団的自衛権をいうのなら、アメリカ本土に対して武力攻撃が加えられたときと言ったほうが、分かりやすい。
 しかし、アメリカ本土を攻撃するような国が、現在、考えられるのか・・・。そのとき、日本の自衛隊が出ていって、本当に役に立つのか。日本は本当に守れるのか。
 集団的自衛権というのは、個別的自衛権とは違って、非常に新しい概念である。戦後に、国連憲章51条で初めて登場したものの、この集団的自衛権というのが実力行使に限られることがはっきりしてからは、その行使は一切出来ないという解釈に内閣法制局は固まった。
 集団的自衛権の行使は国際法上の義務ではないので、国際法と整合性である必要はないというのが従来の政府の立場だ。
憲法規範というのは、一内閣がこうしたいと思ったからといって変えられる性格のものではない。憲法の枠内で動くのでなければ立憲主義は成り立たない。
 気に入らなければオレたちはこう解釈する。なんていうことは許されないのです。
(2014年2月刊。1600円+税)

愉しい落語

カテゴリー:人間

著者  山本 進 、 出版  草思社
 私の親しい法曹仲間に、落語を語るのを趣味としている人がいます。すごいなあと、いつもうらやましく思っています。彼は、法律の話をさせても見事なものです。ともかく、緩急自在な話しぶりで、ついつい話に引き込まれてしまうのです。
 著者は、東大生のころから落語に打ち込んでいた、落語研究家です。東大を出てからは、NHKで働いていました。それでも、趣味と言えるのか、道楽なのか、落語研究に身を挺してきたのです。何冊もの落語に関する本があります。
 楽しい本です。私も幼いころから、ラジオで落語を聞いていました。テレビでも落語をときどきやっていましたね。残念ながら、東京に4つあるという寄席には行ったことがありません。ぜひ、近いうちに行ってこようと思います。
 前座(ぜんざ)のうちは、まだ落語家としては一人前に扱われていない。それで、羽織を着るのは許されない。「二つ目」になると羽織を着ることが許される。
 前座は「定給」(じょうきゅう)といって、毎日、決まった額をもらう。二つ目以上は、「ワリ」といって、客の人数による歩合給をもらう。
 落語家には、前座、二つ目、真打という階級がある。
 二つ目になるのは、入門から15年前後・・・。ええっ、これって大変なことですよね。
 落語は、お客の想像力に頼る世界だ。できるだけ余計なものを使わず、お客に想像してもらう芸だ。そこで最小限として残ったのが、扇子と手ぬぐい。扇子を「カゼ」と呼び、手ぬぐいを「マンダラ」と言う。
 講談は、落語と違い、前に釈台を置く。ただし、上方落語は、見台、膝隠しを置くことがある。
 上下を切る。カミシモをキる。噺の途中で首を左右に振って、人物の仕分けをする。
落語の序にあたるのが、マクラ。そして、本文(ほんもん)、サゲと続く。マクラを聞いて、お客が、この落語家、気が利いているような、巧みそうだな、面白そうだなと思い、引きずりこまれていく。話のしめくくりを「サゲ」と言う。
狭い長屋で、毎日、顔を突きあわせての生活が、落語の背景になっている。
 400年前に出来た話で、今でもダントツ一番なのが、「子ほめ」。残念ながら、私は聞いた覚えがありません。
落語家のなかには、日大閥ができるほど、日大の卒業生が多い
 落語とは、人間の業の肯定である。
 落語家が形になるのは、江戸の中期の元禄期(17世紀末のこと)。京都、大阪、江戸に三人の落語家が期せずして登場した。
江戸の末期、安政のころ、軍談席220軒、落語席172軒という記録がある。
上野の鈴本演劇場は、この安政年間の創業なので、6代、200年間の歴史がある。
江戸時代には、今みたいな落語家の団体はなかった。関西の上方落語協会は、十数人でスタートして、今では240人を擁している。東京には500人。
 今、東京には、定席(じょうせき)が4軒しかない。上野鈴本演芸場。新宿末廣亭、池袋演芸場、浅草演芸ホール。
 落語には台本はない。みな口伝え。だから、速記が活躍した時代があった。
 山田洋次監督も落語大好き少年だったようです。私も、ラジオでよく聞いていました。
 ぜひ、今度、定席に行ってきます。
(2013年12月刊。2000円+税)

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