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2013年9月 の投稿

千曲川ワインバレー

カテゴリー:人間

著者  玉村 豊男 、 出版  集英社新書
日本でも、おいしいワインはとれるし、うまくいけば採算もとれるんだよという、うれしくなる本です。
 私は赤ワインが大好きです。今でも、気のおけない新しい友人と食事をしながら、大いに語らいながらなら、一人でワイン1本あけることは出来ると思います。(そんなことは、ほとんどしていませんが・・・)。たいていは、高価なワインをグラスで2杯、少しずつ味わって飲むようにしています。だって、酔っ払いたくはありません。本を読める頭は保っていたいのです。
 フランスに何回も行きましたので、ボルドー(サンテミリオン)、スルゴーニュ(ロマネ・コンティやボーヌなど)、そしてカオールにも行って、ワインを堪能しました。現地で飲むワインはテーブル・ワインをふくめて本当に美味しくいただけます。
 この本は、日本ワインのすばらしさを語っています。日本ワインは、ほとんど味わっていませんので、これから挑戦することにしてみましょう。
 著者が標高850メートルの信州の里山にワイン用ブドウの菌木を植えたのは、今から20年も前のこと。専門家から、この標高ではブドウは栽培は無理と言われた、素人の無謀な挑戦だった。
 ところが、醸造開始の2年後には、国産ワインコンクールで銀賞、5年後には最高金賞を受賞した。今では、毎年4万人以上の客が来る。
著者のヴィラデストは、上田盆地と千曲川の流れを眼下にし、はるか彼方に北アルプスの稜線をのぞむ丘の上にある。
 ヴィラデストとは、ここだ、ここにあるという意味のラテン語である。
 標高850メートルでは、寒過ぎて、積算温度が足りず、霜害や凍害にあう可能性が高い。そして、畑の土質はきわめて強い粘土質だった。千曲川の流域は、日本でも有数の少雨地帯。雨はブドウにとって大敵だ。
甘くておいしい食用のブドウは、ワインにすると、おいしいワインにはならない。ワインにしておいしいのは、粒が小さく、甘みも強いが、同じくらい酸味もある、複雑な味のするブドウ。ワインの場合、一本の樹につける房の数は、できるだけ少ないほうがよい。根が大地から吸った栄養を少ない数の房に集中させるのが、おいしいワインを生み出す秘訣だ。たくさんの房をつけた樹のブドウからつくるワインは味が薄くなってしまう。
 ワインづくりに人間が介在するのは3割。ワインの出来を左右する、あとの7割はブドウの質による。ワインブドウは、農地を借りてから収穫ができるまでに、5年間くらいは収入を見込めない。
 ワインぶどうの生産者価格は巨峰の半分ほど。しかし、巨峰と較べると、はるかに栽培の手間がかからない。ひとりで管理できる畑は倍以上の面積になる。単価が半分でも面積が倍になれば、収入は同じという計算になる。
 ワインぶどうは、きわめて環境適応能力の高い食物で、多様な気候に対応することができる。日本には日本でしかつくれないワインがある。
 コルクによって、少しずつ熟成していくというのは実は誤解。スクリューキャップのほうが、品質管理上も安心だし、衛生的。
 サンテミリオン(ボルドー)のワイン畑のなかにあるロッジのようなところに泊まったことがあります。時間がゆったり流れていくなかで、明るいうちから美味しい料理と赤ワインに舌鼓をうちました。いい思い出になりました。
 今度は信州の千曲川ワインバレーに行ってみましょう。
(2013年3月刊。760円+税)

日本人警察官の家族たち

カテゴリー:日本史

著者  鄧 相揚 、 出版  日本機関紙出版
1930年10月に発生した霧社事件シリーズの第2弾です。
日本人は相対的に優勢な文化で山地を統治し、タイヤルの人々は野蛮ですべてに劣っているとして、タイヤルの風俗習慣を短期間のうちにやめさせようとした。ところが、この深く根づいた風俗習慣は、タイヤルの人々が長期にわたって形成してきたものである。日本人がこれらの習慣を強制的に、力づくで排除しようとしたことが、対立と恨みの感情を生み出した。
 タイヤルの人々に対する過酷な使役がたびかさなり、そのうえ日本人警察官がタイヤルの人々を牛馬のようにみなして、殴る蹴る、鞭打つといったことをしたために、タイヤルの人々の民族としての恨みがつもりかさなって、霧社事件の原因となっていった。
 霧社事件で殺害された日本側の最高責任者は佐塚愛祐警部だった。現場にいたものの助かった、その娘・佐塚佐和子は、コロンビアレコード専属のスター歌手になり、歌謡曲「蕃社の娘」や「南の花嫁さん」で、よく知られた。
佐塚佐和子のブロマイドが紹介されていますが、ふくよかな美人です。
 霧社事件のあと、日本に住むようになった佐和子は、第二次世界大戦のあとは歌の世界から身をひいて、横浜で音楽教室を開き、日本人と結婚した。
 そして、佐和子の母、佐塚愛祐の妻ヤワイ・タイモはタイヤルの人々が日本人をののしるとき、彼女は日本人の妻だった。日本人がタイヤルの人々をののしるとき、彼女はタイヤル人だった。ヤワイ・タイモは何も言わずにこの事実を受け入れた。
 佐塚愛祐は45歳で祖国のために身を捧げたが、遠く台湾霧社に住むタイヤルの親族は、50年たった今でも、佐塚愛祐がタイヤル人をほんとうに文明と開化へと導いたのかどうか、確信をもてないでいる。というのは、タイヤルの人々は、佐塚愛祐を、日本が台湾を統治していたころの強権の化身であり、歴史の在任であるとみているからである。
 この本は、日本当局が強権的な植民地政策をとったとき、それを現地で担った人々の悲劇を、その後の家族の生きざまを通じて明らかにしています。
 たくさんの写真によって、誇り高きタイヤル族の人々と、その生活をしのぶことができます。
(2000年8月刊。2095円+税)

有松の庄九郎

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  中川なをみ・こしだミカ 、 出版  新日本出版社
夏休みの課題図書の本です。小学校高学年の部です。青少年読書感想文全国コンクールの課題図書なのです。
 読んで世界を広げる。書いて世界をつくる。いいキャッチ・フレーズですね。
出だしは、現代日本の情景です。浴衣(ゆかた)の地は、色が藍色(あいいろ)。少しぼやけているものの、白い花はくっきりと大きく浮きあがっている。色もデザインもシンプルだが、模様が絞りでできているからか、決して地味ではない。有松(ありまつ)絞りだ。
このあと、話は一転して江戸時代初め、尾張の国(愛知県西部)にある阿久比(あぐい)の庄に飛びます。
徳川家康が関ヶ原の戦で勝ち、徳川の時代になって7年目のことである。東海道を整備するために新しい村をつくるという。それに貧しい村民が応じて出かけることになった。しかし、森を切り拓いても粘土質の土壌が悪いのか、農作物は育たない。
 そんな苦境のなかで、四国の阿波の国の藍染めにならって、有松絞りが苦労の末に誕生した。それに至る経過があざやかに描かれています。
有松絞りは江戸後期に最盛期を迎え、役者絵や美人画の衣装として浮世絵に描かれている。
 一度、実物の有松絞りを手にとってみてみたいものだと思いました。
(2013年6月刊。1500円+税)

消えた子ども社会の再生を

カテゴリー:社会

著者  藤田 弘毅 、 出版  海鳥社
今の子どもたちは本当に可哀想です。子どもは子ども同士で群れをなして遊ぶのが一番です。私は団塊世代ですから、子どものころどこもかくこも子どもだらけでした。陰湿ないじめを受けたことはありません。なにしろ1クラス50人ですから、いくつものグループがあって、併立(共存)できていたと思います。
 この本に出てくるコマまわし遊び、メンコ(私のとこはパチと呼んでいました)も、芸術的な極みに達する遊びになっていました。異年齢集団で行動するのがあたりまえでした。ガキ大将というほどのことはありませんが、なんとなく、いつもリーダーがいました。
 この本は、子どもたちが大人に頼ることなく、子どもだけの集団遊びをつくり出していく苦労が明らかにされています。そして、そのことに案外、親が無理解だという点もしっかり指摘されています。
 この本の出だしは、あまりにもあたりまえのことばかりで、面白くないなという気分になりました。ところが、具体的な実践面になると、そうだよね、そうだろね、という記述が登場してきて、およばすながら私も応援したくなってきました。舞台は太宰府の公園です。
 いま、ボランティアを募集しても、集まらない。
 うーん、そうなんだー・・・。今の子どもたちは、遊ばせてくれるのを待っている。異年齢のつながりは、自分たちでつくれない。子どものリーダーがいないので、大人にかまってもらいたがる。ガキ大将がいらないのが原因になっている。子どもたちは二分化している。一方に、いろんなことに意欲をわいていて、学校の成績もよく、さまざまなことに参加する、目立つ子。もう一方は、新しことに意欲がもてず、ゲームばかりしていて、親が提示することをいやいやながらしている子。大学生のボランティアは、大人が遊んでくれただけで、子ども社会をつくるためには役に立たない。
 うへーっ、私は40年前の大学生のころセツルメント活動をしていましたが、そんな指摘は受けたことがありません・・・。時代が変わったのでしょうか?子どもたちが真剣になるのは、競いあうとき。そして、その場の一番強い人に、承認を求める。とくに男の子は承認してもらいたいという本性がある。
 この承認を与えるのが、ガキ大将の役割の一つである。昔の子ども社会では、大きい子が教えることもあったが、ほとんどは小さい子が大きい子のやるのを見て真似ていた。
 子ども社会で認められることが大切なことだと分かると、いちいち大人に報告に来ることはなくなる。そして、自立心、社会性が身につく。大人って仕事ができる人は、自立心、創造性、社会性など、人間としての基礎的な能力を備えた人。
 子どもたちの集団遊びの大切さを改めて分からせてくれる本です。
(2013年4月刊。1500円+税)
 周囲の田んぼの稲穂が重く垂れています。週末の稲刈りがあるところも多いようです。紅い彼岸花は盛りを過ぎました。アキアカネが飛びかい、モズの甲高い鳴き声が聞かれます。
 わが家の庭は、いまピンクと朱にいろどられています。ピンクは芙蓉の花、朱は酔芙蓉です。朝のうち純白だった花が午後には朱に染まります。まさしく酔った感じになるのにいつも心を打たれます。
 チューリップの球根がホームセンターで売られています。これからチューリップを植えつける準備をします。

刑事弁護プラクティス

カテゴリー:司法

著者  櫻井 光政 、 出版  現代人文社
新人弁護士養成日誌というサブタイトルのついた本です。著者の長年にわたる活動実績と熱意には本当に頭が下がります。
 「季刊・刑事弁護」で連載されていましたので、このうちいくつかは読んでいましたが、こうやって本になって改めて読んでみますと、その指導のすごさが実感できます。そして、厳しい指導を受けて大きく成長していった新人弁護士は幸せです。
弁護人は被告人の良き友人になろうとする必要はない。被告人も友だちがほしくて弁護人を依頼しているのではない。だから、人間的に立派な人だと思ってもらう必要もない。被告人の弁解を十分に聞いて、法律的にきちんと主張すること、捜査官、裁判所に手続を守らせること、そのための努力を払えば、被告人は弁護人を弁護人として信頼するはずである。弁護人としては、それで十分である。
生まれ育った境遇も現在置かれている立場もまったく異なる被告人と弁護人との間の信頼関係は、所詮そこまでのことと心得るべきである。弁護人も報酬の多寡はあるけれど、仕事でのつきあいなのだから。
「先生のおかげで生まれ変わりました」などと言っていた被告人が数ヶ月後に同種事犯で逮捕され、「また先生にお願いしたい」などと連絡してくるのは驚くほどのことではない。そんなことで「自分の努力は何だったのか」などと嘆く弁護人がいたら、その思い上がりこそ戒められるべきである。弁護士が「お仕事」で数ヶ月つきあっただけで、人は生まれ変わったりはしない。一般的に言えば、接見回数が多すぎることによる弊害は、少なすぎることに比べて、はるかに少ない。
私自身は、1回の面会時間は少なくして、なるべく回数を重ねるように心がけています。この本にも、接見時間が4時間とか、とても長い新人弁護士の話が出てきますが、1回にあまりに長時間かけるのは他人(はた)迷惑(別の弁護人が接見できなくなることになります)でもありますし、仕事として効率的でもありません。
たとえ新人だろうが、バッジをつけたら一人前の弁護士だ。自分の責任で事件に対応しなければならない。困難な問題に突きあたったときに、先輩弁護士に意見を聞くのはよい。しかし、最初に何をしたらよいのか分からないようなときは、明らかに自分の手にあまるのだから、そのような事件を受任すべきではない。一つひとつが生の事件であることを忘れて、あたかも単なる学習教材のように接する姿勢があるとしたら、たいへんな間違いである。
情状弁護においては、被告人が再び罪を犯さないようにすることを大きな柱のひとつに据えている。目先の刑の長短よりも、その後の被告人の立ち直りのほうが、被告人のためにも、ひいては社会のためにも重要だと考えている。そのための努力を惜しまないことが、弁護士の矜持だと心得ている。
この点は、私もまったく同感です。被告人に対して、なるべく温かく接して、社会は決してあなたを見捨てていませんよ、というメッセージを送るのが私の役目だと考えています。
裁判所により仕事をしてもらおうと思ったら、弁護士は手を抜いてはならない。
この指摘は私にも大変耳の痛いものがあります。大いに反省させられます。弁護士生活40年になる私がこうやって新人弁護士養成日誌を読んでいるのも、初心を忘れないようにするためなのです。ありがとうございました。
(2013年9月刊。1900円+税)

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