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2013年7月 の投稿

讀賣新聞争議

カテゴリー:日本史(戦後)

著者  田丸 信堯 、 出版  機関紙出版
なんだか難しい旧漢字の新聞ですよね。ええ、もちろん、今のヨミウリ新聞のことです。戦後まもなく、GHQのもとで経営権と編集権をめぐって大争議が起きたのでした。それに経営者側が勝利して、今の右寄り、権力の代弁者のような新聞になったようです。
 そこで、オビには、読売新聞争議を知らずして現代は語れない、戦後史の原点を問いただそうという呼びかけが書かれています。
 今から16年も前に発刊された本です。昨今の新聞・テレビのあまりに権力べったりの報道姿勢に首を傾けていましたので、その原点を知るべく手にとって読んでみました。
 テレビ・ドキュメンタリー風に(映像的復元のように)話が展開していきますので、とてもリアリティーがあり、分かりやすい本になっています。
 戦前、そして戦中、日本の新聞は庶民側ではなく、戦争に駆り出す側に立っていた。戦争から自分を守る判断・手段の一切を奪われていた庶民をうえから見下ろしていた。
 正力松太郎がヨミウリの社長として君臨していました。正力は、戦前は特高警察官でもあります。
 「共産党が、オレをどれだけ憎んでおるか。やつらの十八番(おはこ)は人民裁判だ。処刑されてたまるか」
 戦前の日本で弾圧されていた鈴木東民が編集局長となったヨミウリ新聞は、社説で人民戦線内閣をつくれなど、激しい論旨を展開した。これに対して、共産党の主張に肩入れしすぎるという反発が内外に湧き起こった。世間では、ヨミウリ新聞は共産党の機関紙になったとかいう「デマ」が飛んでいた。
 1946年4月の戦後はじめての総選挙では、女性も参政権を得ることができた。
 自民党1350万票、進歩党(政府与党)1035万票、社会党986万票、共産党214万票だった。
 逆流が起き、ヨミウリ新聞は率先して天皇制の擁護と反共産主義を打ち出した。そして、それを吉田茂を通じてマッカーサーに約束した。
ところが、鈴木編集局長のもとで激しい紙面となり、販売部数が激減し、販売店が押しかけてきた。
 「アカの新聞で、おまんまを食べては正力さんに申し訳ない」
 「共産主義は、わが日本の読者には受け入れられない。それが正力の信念だ。天皇のことを、いつまでもしつこく書くな。共産党の証拠だ」
 ヨミウリからアカを追放せよというのは、GHQからの至上命令だった。
アメリカは、アカが大っ嫌いだ。今に必ず全国規模のアカ狩りをやるだろう。
弾圧に抗するたたかいは全国的な支援も受けて盛りあがった。しかし、結局のところ敗北した。鈴木東民は後に共産党を離党して、故郷に戻り、釜石市長に当選した。
 知っていていい読売新聞の歴史だと思いました。
 権力の代弁者の新聞なら、はっきりそう自己表明すべきですよね・・・。
(1997年8月刊。1500円+税)

(株)貧困大国アメリカ

カテゴリー:アメリカ

著者  堤 未果 、 出版  岩波新書
アメリカの低所得者層に提供するシステムは、前は「フードスタンプ」と呼ばれていたが、2008年10月からSNAPと名称が変わった。クレジットカードのようなカードをSNAP提携店のレジで専用機に通すと、その分が政府から支払われる。このカードでは食品しか買えない。SNAPは月に1度、夜中0時に支給されるため、毎朝、その日は夜中すぎから全米各地の安売りスーパーに受給者があふれる。
 4人家族で年収230万円以下という、国の定める貧困ライン以下で暮らす国民は4600万人。うち1600万人が子どもだ。失業率は10%に近い(9.6%)。潜在的失業者も加えると、実質20%の失業率だ。16歳から29歳までの若者の失業率は、2000年の33%が、2010年には45%へ上昇した。経済的に自立できずに、親と同居している若者は600万人いる。
 SNAPの受給者は年々増加している。1970年には国民の50人に1人だったが、今では(2012年)7人に1人、4700万人がSNAPに依存して生活している。
 SNAPへの支出は2011年は、2008年の2倍、7兆5000億円。にもかかわらず、アメリカ政府はSNAPの広告予算を増やして、もっと受給するように呼びかけている。なぜなのか・・・?
 SNAPの利用者が増えると、食品業界の消費が増えるからだ。コカ・コーラ社やウォルマートなどがSNAPから大きな恩恵を受けている。そして、肥満による病気が増えているため製薬業界がうるおっている。さらには、SNAPカード事業を請け負う金融業界もSNAPを後押ししている。
貧困児童は、そうでない子どもより肥満率が7割も高い。そして、子どもの医療費は増えている。
 SNAPのコールセンターの仕事はインドの企業に外注している。
アメリカ人は、安い食べ物という幻想を見せられている。食べ物は、加工すればするほど、店のレジで支払う代金が安くなる分、栄養が減り、添加物の増えた食品で健康を損なったり、大量生産工場による環境破壊という形でツケが回ってくる。低価格神話に目がくらんだ消費者は、それをカバーするための公共料金や医療費の請求者は、結局、消費者が支払わされる。
 1990年代から刑務所産業が急速に花開いた。アメリカの囚人人口は、1970年から2010年までの40年間で772%も増え、今や600万人をこえている。
 民間刑務所ビジネスの代表は2社ある。今では、最低時給17セントの囚人労働者が底辺を支えている。
 堤さんのアメリカ・レポートを読むたびに、日本はアメリカを手本にしてはいけない、アメリカのような国になってはいけないと痛感します。でも、まだまだ多くの日本人がアメリカを崇拝し、少しの疑いもせず信じ込んでいるのですよね。怖いですね・・・。
(2013年6月刊。760円+税)

毛沢東が神棚から下りる日

カテゴリー:中国

著者  堀江 義人 、 出版  平凡社
土地が「揺銭樹」になった。揺銭樹とは、金のなる木のこと。「土地財政」という言葉がある。地方政府が農地や土地住民の土地を安価で買いたたき、企業や開発業者に高く売りつける。その差額の土地譲渡金を財政収入に繰り入れること。土地譲渡金の地方財政に占める割合は、2001年の16.6%から2010年に76.6%にまで増えた。
ある県には、玉山幇(組)、青龍幇、菜刀幇など、多くのヤクザ組織があり、誰もが、その実力と役割を熟知している。
 中国は事実上の準分裂国家である。北京人の優越感、上海人の排除主義の一方で、貧しい河南人や安徽人は差別の対象となる。戸籍は準国籍のようなもの。
 新市民と呼ばれる北京の外来者は700万人以上いるが、彼等は北京に10年住んでも20年住んでも、北京戸籍を手を入れることは、ほとんど期待できない。
 新市民には市民待遇がほとんどない。福祉はゼロ、公的住宅も買えない。
 農村と都市部の福利厚生面の生涯格差は50万元、北京だと100万元以上にもなる。
本物の北京戸籍を警察関係者から裏取引で買おうとしたら、20万元から30万元は必要という。
 農村の子弟が重点大学に入る比率は1990年代から減り続けている。北京大学では3割から1割にダウンした。
北京には閉鎖式住宅区が2種類ある。一つは金持ちの高級住宅、もう一つは、農民工の封村だ。
 中国には執行猶予つき死刑という、日本にはない制度がある。猶予期間は通常2年間、服役態度がよければ、懲役刑に減刑される。
 中国の憲法では、法院(裁判所)が独立した審判権をもつとしているが、現実には、党の政法委の束縛を受けている。上級法院は下級法院を始動する形になっている。個別案件に事前に介入し、具体的な案件の対応や判決を指示する。下級法院のほうから、おうかがいを立て、報告することもある。二審制といっても、実質的には一審制のようなもの。
 法院内にも主従関係がある。裁判官は法廷に、廷長は院長に、合議廷は審判委員会に従わなければならない。
中国は、世界でもっとも拝金主義にまみれた国である。庶民は民主主義より豚肉だ。
 中国は巨大なタンカーのようなもので、どの方向に向かって航行しているのか、分かりにくい。恐らく乗務員も誰一人として目的地が分からず、漂流しているのでしょう。
毛沢東に批判された人物には、共通の特徴がある。勇気を出して本当のことを話したのだ。
 毛沢東にとって個人崇拝、つまり神格化は政敵を倒すためのもの。そのターゲットは蒋介石と劉少奇の二人だと明言した。
文革の主な責任は毛沢東にあるが、毛を否定すると中国共産党の統治の正当性を失うから、鄧小平の政治的判断で、林彪と四人組に押しつけた。ソ連にはスターリンを否定してもレーニンがいて、正当性を得ていた。しかし、中国には毛沢東しかいないので、毛を全面否定するわけにはいかない。だから、毛沢東の早期と晩年を分けて評価することにした。
「偉大な」毛沢東のおかげで、中国は発展がひどく遅れてしまったわけです。それでも、現物の毛沢東を知らない世代が増えていますので、単純に高く毛沢東を再評価する動きさえあります。
 目の離せない中国を知ることのできる本です。
(2013年1月刊。1800円+税)
 真夏の夜の楽しみは、ベランダから満月を眺めることです。ひんやりした夜風に身体の火照りをさましながら、望遠鏡で月の素顔を見つめます。どうして、こんなに大きいものが空に浮かんでいるのか、不思議です。しかも宇宙の本を読むと、実は月も地球も自転しているだけではなく猛烈なスピードで動いているというのです。じっとしているようにしか思えない月のあばたを眺めていると、俗世間のホコリが洗い流されます。

レニングラード封鎮

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   マイケル・ジョーンズ 、 出版   白水社
思わず涙が出てくる、つらい話が続く本です。スターリンの非道さにも怒りが湧きあがってきます。
 3年ものあいだ(900日間)、ナチス・ドイツ軍に包囲されたレニングラード攻防戦の顛末が語られています。なにしろ市民の犠牲者100万人のうち餓死者が80万人というのです。半端な数字ではありません。これはヒトラーが力攻めをあきらめたこと、スターリンの作戦指導が間違っていたことによります。
 人口250万人のレニングラードを包囲したナチス・ドイツ軍は意図的に市民を餓死に追い込んだ。1941年冬までにレニングラード市民のパン配給量は1日125グラムでしかなかった。略奪と人肉食(カニバリズム)が蔓延した。封鎮中に、少なくとも300人がカニバリズムのかどで処刑され、1400人以上がこの罪名で投獄された。しかし、レニングラードは、驚くべきことに崩壊はしなかった。
 恐怖のただなかで、他人を助けることが生き残る鍵となった。人々は親戚や友人達と一緒に住み、互いに助けあった。もっとも絶望的な状況のなかで、士気とやる気がとても重要だった。市民たちの挑戦の最大のシンボルが驚くべきオーケストラ演奏会だった。このコンサートの象徴的な意義は絶大だった。ショスタコーヴィチの交響曲第7番が演奏された。ホールは、いつも満員だった。この演奏を包囲していたナチス・ドイツ軍の将兵も聞いていた。この音楽を聞いて、彼らはレニングラードを決して落とせないだろうという実感を抱いた。
レニングラードは、ヒトラーにとって主要な目標だった。
レニングラードの陥落は、ソビエト国家から、その革命のシンボルを奪うことになる。
 ヒトラーはこのように語った。実は、ドイツ軍兵士がレニングラードを占領したときには、疫病の深刻な危険があると、ヒトラーは警告されていた。
 ソ連軍の総司令官ヴォロシーロフは無能だった。61歳という老齢の元帥は、赤軍随一の脳なしと後年にフルシチョフが評した。それでもスターリンは、ヴォロシーロフを、その地位に留めおいたのは、信頼できる男だったからである。ここにレニングラード市民にとっての悲劇が始まるのです・・・・。
 トハチェフスキー将軍は、ヴォロシーロフを軽蔑していたが、その政治的陰険さを見くびっていた。スターリンは、トハチェフスキーなど、有能な元帥を次々に銃殺していった。
 1937年から、1938年にかけて、3万人をこすレニングラード市民が逮捕され、処刑あるいはシベリアの強制収容所へ送られた。これがナチス・ドイツ軍によるレニングラード包囲戦を戦うのに困難をもたらした。
 レニングラードの司令官としてジューコフが派遣されてきた。このジューコフは、人命損失をまったく気にかけることがなかった。人命の犠牲を度外視して、敵のドイツ軍への攻撃を次々に命令し続けた。
 ジューコフ将軍は、ノモンハンで日本軍(関東軍)とたたかいますが、このときも同じ人命軽視の戦術を強行したようです。
レニングラード図書館はずっと開館していた。
 新任の司令官はドイツ軍前線にむけてスピーカーで、オーケストラの演奏するショスタコーヴィチの交響曲第7番が容易に聴けるように手配した。演奏会の前には、ドイツ軍砲台に向けて集中砲火を浴びせて沈黙を強いていた。
 飢餓のなかでも、人間は気高く生きることができるのですね・・・・。
 もっと知られていい歴史だと思いました。しっかり読みごたえのある本です。
(2013年2月刊。3800円+税)

激走!日本アルプス大縦断

カテゴリー:人間

著者  NHKスペシャル取材班 、 出版  集英社
日本海側から日本アルプスの山々を8日間で踏破して太平洋側の静岡に至る、そんな過酷なレースが誌上で生々しく再現されています。読んでいるほうが息が詰まりそうです。
 NHKスペシャルで放映されて大反響を呼んだとのことですが、例によってテレビを見ない私は、そんな山岳レースがあるなんて、まったく知りませんでした。同行取材みたいにしてカメラマンがランナーを追いかけるのです。すごい話でした。
 2012年8月12日午前0時から8日間にわたる山岳レース。富山湾からスタートし、北、中央、南と続く日本アルプスを縦走し、駿河湾に至る415キロを8日以内に走りきる。剱(つるぎ)岳、立山、槍(やり)ヶ岳、木曽駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、聖(ひじり)岳といった3000メートル級の名峰を次々に制覇し、尾根筋を昼も夜も進み続ける。上り下りする累積標高差は2万7000メートル。これは富士山の登山7回分に相当する。
 このレースには賞金も賞品も一切ない。今回、6回目のレースには28人(うち女性1人)が挑戦した。平均年齢40歳。
 レースの主宰者は、選手に対して徹底した自己責任での挑戦であってほしい、誰にも迷惑をかけないことが最低条件だと強調する。
 選手は、ギリギリまで荷物を軽量化する。平均4.5キロ。簡易テント(ツェッルト)は重さ200グラム。
 主なルールとして、山小屋・旅館に宿泊できない。他者の差し入れを受けてはいけない。伴走は禁止。
問われるのは、走力、ビバーク技術、読図力、危険予測回避力。要は、山の技術力が求められる。過激な天候変化や何らかの事故発生時に迅速に対応できる能力。
30の地点が必ず通過しなければならないチェックポイントとして定められている。そこ以外はどこを走っても自由である。
 新田次郎の『剱岳・点の記』で有名な剱岳に、今や選手は麓から山頂まで6時間で登りつめる。な、ななんと・・・、すごーい。
 山岳レースでは食べられるときに食べるのが鉄則。ハンガーノック状態を避けるため。筋肉や肝臓に蓄えられている糖質が使い果たされ、体を動かすためのエネルギー源が失われてしまい、筋肉が動かなくなる。あるいは、脳に栄養が行き渡らなくなって物事を考えられなくなる、極度の低血糖状態、それが人間のガス欠状態ともいえるハンガーノックだ。
 早くエネルギーに変わる食品として、パン、もち、レーズン、はちみつ、せんべいなど。
 3時間の睡眠が不可欠。ところが1日わずか2時間ほどの睡眠でひたすら走っていく。
リタイアする勇気は、選手にもっとも求められる資質の一つだ。
低温症の要因は、低温、濡れ、風である。低温の空気がそのまま内臓器にはいると、体温低下を誘発する。
雨の中を進むときには、レインウェアの洗濯もさることながら、動き続けることが何よりも大切なこと。止まれば一気に身体が冷える。身体のもつ限り歩けばいい。あとは、眠気との戦いだ。
足の裏にできるマメとは、医学的に皮膚の摩擦や衝撃などの力が加わり続けることで表皮と真皮が引きはがされ、その間に滲出液がたまってできた水泡のこと。サイズのあった靴を選び、靴下をこまめに交換し、足をふやけさせずに乾燥した状態を長く保つようにする。
 エチオピアの有名なマラソン選手であるアベベの足は、とても柔らかかった。ゴムのような弾力をもち、地面との接触面が柔軟に伸び縮みした。その結果、衝撃が吸収され、まめが生じず、ケガもしにくい足だった。
 人間が熟睡できるのは31度。人は食後に体温が上がる。その体温が下がり始めることに眠くなる。
 幻想は不眠症の症状の一つとしてよく出てくる。脳の睡眠が十分にとられていないとき、幻覚は出やすくなる。さらに、糖分不足も幻覚を引きおこす要因となる。
なんともすさまじい山岳レースの記録でした。私自身は、ちっともしてみようとは思いませんが、こんな過酷な山岳レースに挑戦できる体力と知力を備えた人をうらやましくは思います。
(2013年4月刊。1500円+税)

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