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2013年6月 の投稿

腸のふしぎ

カテゴリー:人間

著者  上野川 修一 、 出版  講談社ブルーバックス
生来、腸があまり丈夫ではありませんから、とても関心のあるテーマです。健診のとき、腸のぜん動運動が少し弱いようですと言われたときは本当にショックでした。それもあって、毎晩、寝る前には腹筋を鍛える体操をしています。
 腸には立派な神経系がある。この腸神経系は、脳からほとんど独立して行動している。腸管ぜん動運動を支える神経細胞(ニューロン)の数は1億個で、脳からつづく神経組織である脊髄のニューロン数と同じ。腸は第二の脳である。
 脳に、からだ最大規模の免疫系があるのは、腸こそが外界とやりとりをする窓口であり、からだの中でもっとも外部からの危険な侵入者と遭遇する機会が多いからだ。
腸内には100兆個をこえる細菌が星のようにきらめいている。その重さは1キログラムにもなる。
ヒトの腸は、形や働きからみて本来は肉食であったものが、進化の過程で草食も取り入れるようになったと考えられる。
 ヒトは、1年間に1トン近い食物を体内に取り入れている。空腹時の胃の容積は50~100ミリリットル。それが満腹時には2~4リットルと50倍以上に拡張する。
腸の働きは腸神経系による自律運動である。
 小腸は、胃の次に位置する消化管の中心的存在である。小腸の働きなくして、食物はからだの中に入ってはいけない。小腸の働きの中心にいるのは、1600億個の吸収細胞である。この細胞の寿命は実に短く、誕生して死ぬまで1.5日である。しかし、代わりの細胞がすぐに交代要員として用意されている。
 大腸には小腸と異なり、ひだや突起は存在しない。口から侵入した病原菌のうち、食中毒菌などはかなりの部分が胃酸によって殺される。しかし、強い胃酸に耐えた病原菌は十二指腸を経て、小腸へ侵入する。小腸に120~130個あるバイエル板は、病原菌の姿や形の情報を収集し、抗体を生産する細胞をつくり出す最強の基地である。
 腸内細菌は、もう一つの生体器官である。
ヒトの胎児は、母親の子宮にいるあいだは無菌状態で大きくなる。
 腸内細菌は、平均して4~5日間、ヒトの体内に滞在したあと、体外に排出される。腸内細菌は、ヒトの免疫力を高める。
腸というのは、からだの中にある外界なのですね。毎日毎日、お世話になっている腸の話です。とても興味深い内容でした。
(2013年5月刊。860円+税)

日本弁護士史の基本的諸問題

カテゴリー:司法

著者  古賀 正義 、 出版  日本評論社
あまりにも大層なタイトルなので、手にとって読もうという気が弱まりますよね。弁護士会の歴史に関心をもつ身として、いわば義務感から読みはじめたのでした。ところが、案外、面白い内容なのです。
最近の流行は、アメリカの弁護士とくに大ローファームの弁護士の神話化である。結論を先に言えば、イギリスのバリスターもアメリカの弁護士も、日本の現在の弁護士と知的能力・倫理水準等の個人的次元で比較したとき、格別に秀れた存在であるとは思わない。ここで「最近の」というのは、今から40年以上も前のことです。念のために・・・。
 江戸時代の公事師について、この本は、全否定する議論に疑問を投げかけています。私も、その疑問は正当だと思います。
公事宿の本場は、丸の内に近い神田日本橋区内であって、こちらは公事宿専業だった。馬鳴町の公事宿は一般旅人宿との兼業であり、丸の内近くの公事宿の主人・手代のほうが訴訟手続に習熟していた。
そして、明治期の弁護士を語るうえで、自由民権運動の重要性を欠かすわけにはいかないと強調しています。
 代言人時代は、弁護士史の暗黒時代であるどころか、黄金時代、少なくとも黄金時代を準備する時期だった。というのも、創設以来20年のうちにすぐれた人材が代言人階層に流入したのは自由民権運動にある。
自由民権運動と代言人との結びつきは、もっと注目されてよいものだと私も思いました。
 天皇制絶対主義のもとで、弁護士は法廷における言論の自由をもたなかった。裁判官に対して尊敬を欠く言行は、それが裁判官であるがゆえに、理由の有無を問わず、尊敬に値するか否かを問わず処罰された。
 大企業は弁護士全体からすると依頼者層として無縁な存在だった。そして、弁護士は大企業からみて、重要な存在ではなかった。弁護士は、日本資本主義の陽の当たらない停滞的な部分を依頼者層とする、日本資本主義からみて重要でない存在だった。
 個人の人権は、戦前の権力から見れば無価値であり、弾圧すべきものだった。弁護士は、国家的に無価値なもののために働く、無用かつ危険な存在だった。太平洋戦争中、憲兵が弁護士に対して「正業につけ」と叱った言葉は、戦前の国家権力の弁護士観を集約的に表現したものである。
弁護士自治の大切さも分からせてくれる本でもありました。
(2013年3月刊。800円+税)

アメリカン・コミュニティ

カテゴリー:アメリカ

著者  渡辺 靖 、 出版  新潮選書
現代アメリカの背筋がぞくぞくするような現実が紹介されている本です。日本がこんなアメリカになってはいけないと思いつつ、実はアメリカ型の超格差社会に近づいていることに思い至ると愕然とします。
 テキサス州には刑務所が106ある。カリフォルニア州に次いで、全米第2位。そして、その急増ぶりは史上例のない速さ。テキサス州の収監者は16万人。日本は6万人ほど。なので、3倍近い。アメリカはロシア、南アフリカよりも多い。そしてテキサス州の民営刑務所は全米一多い。
 テキサス州最古のウォールス刑務所では、11日に1人の割合で死刑が執行されている。死刑執行は電気椅子ではなく、(1964年まで)、薬物の静脈注射による。午前6時10分に注射を始め、6時20分に死亡を確認する。わずか10分あまりで執行が終了する。ちなみにアメリカでも、死刑判決は減少傾向にある。1990年代には年間300件だったが、2006年には114件となった。
 アメリカ全体の収監者は220万人。中国の収監者数より50万人も多い。刑務所関連の仕事に従事するアメリカ人は230万人もいる。
 収監者の70%は非白人。アフリカ系アメリカ人が全体の人口比では13%にすぎないのに、49%を占める。アメリカのホームレスは75万人。
カリフォルニア州にゲーテッド・コミュニティがある。住民からの招待状がない限り、住民以外の人間は入れない。20平方キロメートルのタウンだから、東京都港区と同じ広さ。東京ドームの400倍。縦10キロ、横2キロと細長い。そこに4つのゲートがある。コミュニティには、コンビニくらいの大きさの日用雑貨店が一軒しかない。白人85%、アジア系5%、黒人は0.7%。平均年齢は35歳、平均世帯収入は1500万円。アメリカ全土にあるゲーテッド・コミュニティの住民人口は、1995年に400万人だったが、2001年には1600万人(全米世帯数の6%近い)になっている。
 実は、ゲーテッド・コミュニティは決して安全ではない。そのうえ、人付きあいがとても希薄になる。
 子どもを無菌培養することなんてできません。結局、ゲーテッド・コミュニティで自分の家族だけは守ろうという発想では、社会全体の安全性は保証されませんので、自分の家族だって安全に生活できなくなるのです・・・。いやな発想ですよね。檻のなかに閉じこもって身の安全を確保しようなんて。
(2013年4月刊。1300円+税)
 月曜日、恒例の一泊ドックに入りました。
 日頃はなかなか読めない分厚い本を持ち込み、一心不乱に読書に集中します。
 今回はアメリカのイラク戦争そして、キューバ危機の内情を再現した本が印象に残りました。いずれ、どちらも紹介したいと思いますが、アメリカの支配層も決して一枚岩ではなく、激しい内部抗争が続いていることを再認識させられる本でした。
 健康診断の結果は、やがて送られてきますが、少しばかりダイエットの成果があがり、久々に体重が65キロとなりました。やれやれです。

消えた将校たち

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  J・K・ザヴォドニー 、 出版  みすず書房
カチンの森虐殺事件について書かれた本です。その残虐さでは、ヒトラーに匹敵するスターリンによる大虐殺事件が起きました。そして、ソ連はナチス・ドイツによるものだと言い張ったのです。驚くべきことに、アメリカもイギリスも、スターリンの機嫌を損ねたくないため、そのソ連の詭弁を受け入れ、真相究明をしませんでした。
 なぜスターリンは、カチンの森虐殺事件を起こしたのか?
その答えが本書で明らかにされています。要するに、スターリンはポーランドをソ連の支配下に置きたかった。それを邪魔するようなポーランドの知識階級(指導階級)を地上から抹殺しようと考えたということです。
 ソ連軍に捕らわれたポーランド軍1万5000人が行方不明となった。そのうち8000人以上が将校だった。
 ナチス・ドイツは1943年4月、多数のポーランド軍将校がソ連に殺害されているのを発見したと発表した。これに対して、ソ連側は、直ちにポーランド軍捕虜を殺したのはナチス・ドイツだと反論した。
カチンの森には、死体でいっぱいの、深さ3メートルほどの集団墓穴が8つ発見された。死体は顔を下に、両手は両脇にそってか、背中でしばりあげられ、足はまっすぐに伸び、9層から12層に重なりあって積み上げられていた。そして、後頭部を銃で撃ち抜かれていた。その銃弾はドイツ製だった。
 ポーランド将校は丈長の長靴をはいていた。それは威信や地位の象徴だった。
 墓穴の上には、わざわざトウヒの若木が植えてあった。
ソ連は逮捕したポーランド軍将兵を共産主義者に転向させるべく、思想強化に努めた。しかし、この思想強化は全体として失敗に終わった。ポーランド人は、共産主義教義を公然と拒否した。そこでソ連(NKVD)は、まだ可能性があると判断した448人を選び出し、あとは抹殺することにした。
 しかし、この448人も大多数はソ連の強化に応じなかった。50人だけが応じたが、彼らは村八分にあった。残りは、結局、強制収容所へ送られた。
 1940年当時、NKVDと呼ばれたソ連秘密警察は、ソ連国家が内部の敵と戦うための楯であり、剣であった。スターリン時代、その警戒行動には限界がなかった。
スターリンの支配するソ連共産党政治局は、ソ連秘密警察NKVDに命じて、ポーランドの将校と知識階級2万2000人(2万5000人)をロシア、ウクライナ、白ロシア(ベラルーシ)の各地で1940年4月から7月にかけて組織的に一斉に殺害した。
カチンの森虐殺事件と呼ばれていますが、虐殺現場はカチンだけではなかったということです。スターリンの犯罪は本当に信じられないほどひどいものです。絶対に許せません。
(2012年12月刊。3400円+税)
 土曜日から日曜日にかけて、久留米で九州のクレジット・サラ金被害者交流集会があり、参加してきました。270人もの参加があり、盛況で、内容としても大変勉強になりました。
 私は、この交流集会の原始メンバーの一人ですが、各地のクレサラ被害者の会は、いま相談者が激減して活動を停止している状況にあります。
 これも貸金業法が改正されて、規制が厳しくなったことの成果という面もあります。それでも、ヤミ金をはじめ、まだまだ借金をかかえて泣いている人、困った人はたくさんいます。そのような人に、家計管理をきちんとして、生活を立て直してもらえる場として被害者の会は有効な場でした。なんとか代わりを考える必要があります。

兵士はどこへ行った

カテゴリー:日本史(戦後)

著者  原田 敬一 、 出版  有志舎
日本各地の軍用基地をたどり、また世界各国のそれと対比させて戦争を考える本です。私の住むところは、近くに明治10年に起きた西南戦争の官軍墓地があります。このとき、乃木中尉は軍旗を奪われ、負傷して久留米の軍病院に入院して治療を受けました。軍旗を奪われた将校としてずっと恥に思っていたそうです。
日本の徴兵制は甲種合格となっても全員が入営するのではなく、20%前後が現役兵として入営するものだった。根こそぎ動員になったのは1940年代のことである。このころは、7~8割が入営した。
戦前、陸軍基地と海軍埋葬地が日本全国に設置され、戦後も維持されている。すくなくとも全国79ヶ所に今も残っている。死後にも階級が持ち込まれた。墓域の広さと墓標の大きさの点で階級差が明確になる規定があった。陸軍墓地は師団経理部、海軍墓地は鎮守府が管理責任をもった。
 はじめから鳥居、石灯籠、水鉢など、宗教性を示す構築物は認められなかった。あくまでも台石と、その上に墓標を建てることのみが認められた。忠魂碑などの戦争祈念碑は、戦前に建立されたものが8000、ところが戦後に2万5000基に拡大した。宮崎の戦争記念碑の巨大さには圧倒されてしまいました。
将校の墓標は規格品ではなく、形も色もとりどりの自然石であり、さまざまな刻み方をしている。経歴などの碑文を刻んでいるものが圧倒的に多い。将校は死亡してなお、語り、下士官と兵卒は黙して語らずという具合だ。
アメリカのアリートン国立墓地の土地、本来の所有者は南部連合の軍事指導者リー将軍であった。リー将軍が南軍の軍事指導者になったため、北軍の管理下におかれたのであった。
 アリートン墓地も、当初は人種と階級によって区分されていた。1947年そして1948年にようやく階級差そして人種差が撤廃された。
欧米型は、階級による差異をつくらない。アジア型では、階級によって墓石の高さや大きさなど、誰の目にも違いがはっきりと見える。
 日本、台湾、韓国ともに墓石の大小だけでなく、階級により墓域も指定されている。
韓国には「国立5.18民主墓地」がある。これは1980年の光州事件で韓国軍によって殺害された人々を対象としている。政府に対して民主化運動を起こし犠牲になった人々を「国立墓地」に埋葬するというのは人類史上初めての経験であろう。なるほど、そうなんですね・・・。
国民国家が兵士の埋葬と顕彰に力を入れていたのは、「彼等に続く戦死者」を確保するためだった。国家は、自らの死者をつくっておきながら、死者を覚えておきたくない。それが近代国家の性格であった。そのことに注意を向け、国家に死者を覚えさせておくこと。そのことによって非常の死の国民を生み出さないための方策を考え続けること。それが残された私達の仕事ではないだろうか。
靖国神社国家護持派の人々は、神社と神道のもつ宗教性や歴史性を無視して、なにがなんでも靖国神社を国家が保護し、そこに戦没者祭釈を委任するのが、正当だと叫ぶ。そこには歴史に対する敬意も、現代社会に対する配慮もまったく見られない。
 1930年代の国家が決めたことを、その後の国と国民を変更できないのか。憲法でさえ変えられるという人々が、靖国問題のみ神聖不可侵とするのは前後矛盾している。
 戦前の軍用墓地が今も残っていて、今でも、戦死者のための墓地を確保する法律がつくられています。国の考えていること盲従したら、国民の生命・健康は決して守られないことを痛感させる本でもありました。
(2013年1月刊。2600円+税)
 日曜日に、故池永満弁護士の「しのぶ会」が福岡で開かれ、参加してきました。本当に惜しい人を早くなくして残念です。今でも、池永弁護士が、ひょいと向こうから歩いてきて、「ちゃんと元気にやっとる?」と声をかけてきそうに感じます。
 奥様の飾らぬ紹介と思いのたけも大変感銘深いものがありました。池永弁護士が多方面で活躍してきたことがよく分かる、心のこもった会合でした。
 寄せ書きと、池永弁護士がなくなる寸前まで著述にいそしんだ大著をいただいて帰りました。

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