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2013年6月 の投稿

アメリカ・ロースクールの凋落

カテゴリー:アメリカ

著者  ブライアン・タマナハ 、 出版  花伝社
日本がモデルとしたアメリカのロースクールの現状を紹介した本です。アメリカのロースクール生の借金漬けの現実には驚かされますが、日本でも既に似たような状況が生まれています。決して他人事(ひとごと)ではありません。それでは、ロースクールにはまったく良いところはないのか、その点は体験していない者として、まだよく分からないところがあります。司法試験の合格者を私たちのときのような500人から3倍の1500人に増やした点は良かったと思います。ただし、給費制をなくしたのは間違いですし、司法研修所での2年間の修習をなくしたのも誤りだったと言えるでしょう。それに代わるものとしてのロースクールは全否定すべきものなのでしょうか・・・。
 アメリカのロースクールの年間授業料は5万ドルをこえている。これに生活費を加えると、ロースクールで学位を取るのにコストが20万ドルを要する。9%近くのロースクール生が借金する平均額は10万ドルに達する。そして、2010年のロースクール卒業生の初任給の中央値は6万3000ドルだ。これでは借金返済は大変になる。その結果、アメリカのロースクールは、もはや凋落社会になりつつある。
ロースクール教授の引き抜きでしのぎを削っていて、20万ドルというのも珍しくない。
 ロースクールの志願者は1991年に10万人というのがピークで1998年には7万人にまで落ち込んだ。2004年には10万人に戻った。
 ロースクール生は、社会経済的に裕福な層に過度に集中しており、エリート校で顕著である。上位10校は社会経済上の上位10%の家庭出身の学生の集中度がもっとも高く(57%)、上位100校では、それがもっとも低かったロースクール生は、金持ちと上位の中産階級の白人の子どもたちで占められていくだろう。
10万ドルの借金をかかえたロースクール生にとって、それは企業法務に就職せよと言う強い経済的圧力となる。アメリカでは、学生がロースクールに背を向けはじめている。志願者数は、長期低落傾向にある。
皮肉なことに、アメリカには中・下層階級の大衆が法律上の援助を受けられないでいるが、そのときロースクール卒業生の過剰供給がある。
 法律問題をかかえた低所得者の5人に1人が弁護士の支援を受けられない。ニュー・ハンプシャーでは、地裁事件の85%、高裁事件の48%が本人訴訟であり、DV事件の97%が一方当事者は弁護士なしである。
 カリフォルニア州の明渡事件の9%が弁護士なし。マサチューセッツでは10万件の民事事件が本人訴訟であり、ワシントンDCでは認知事件被告の98%、住宅関係訴訟の被告の97%に弁護士がついていない。
 このように、法律家の援助を受けられない相当数の法律需要と、仕事を見つけることのできない法律家とがアメリカには同居している。これは悲劇としか言いようがありません。
 全国の多くのロースクールの教授たちは、身近な人には勧めない学位を自分たちの学生に売りつけている。
 この日本で、40年ほど弁護士をしてきて、依然として弁護士はもっともっと求められていると実感しています。ただし、自律して生きていけるためには人間力、つまりコミュニケーション能力をみがく必要があります。それがなくてもやっていけると誤解(錯覚)している人が少なくないのも現実です。その点の見きわめをつけたら、やっぱり弁護士はもっともっと必要だと思うのです。その意味で「一発勝負の方がよほど望ましい」という訳者の意見に私は同調できません。
 さらに、「市民の弁護士へのアクセス障害は存在しないが、極めて小さいものだった」と書いてあるのには目を疑いました。日本のどこを見て、そんなことが言えるのでしょうか、信じられません。
 それはともかく、アメリカのロースクールの現実を知る本として、一読をおすすめします。
(2013年4月刊。2200円+税)

『霧社事件』

カテゴリー:中国

著者  中川 浩一・和歌森 民男 、 出版  三省堂
32年前に読んだ本です。映画をみましたので、書棚の奥に潜んでいたのを掘り出しました。霧社事件の原因と展開について写真つきで詳しく紹介されています。
 この霧社事件は、清朝による「蕃族」封じこめを継承したのに加えて、分割統治を基幹とする「以毒制毒」政策を工作し、そのうえ搾取をあえてした日本植民地主義にたいして、民族の誇りを守り、生存権をかけて起ちあがったのが霧社事件の本質であった。
 映画をみた人は、ぜひ、この本も読んでほしいと思います。
 休日に天神で台湾映画『セデック・バレ』をみました。人間の気高さを実感させる感動長編映画です。1930年(昭和5年)10月に日本統治下の台湾で起きた事件が描かれています。山間部の学校で運動会が開かれているところを現地セデック族が襲撃し、日本人200人あまりが女性や子どもをふくめて全員が殺害されました。その場にいた現地の人や中国人は助かっています。あくまで日本人が狙われたのです。それほど日本人は憎まれていたわけでした。
その事件に至るまで、統治者の日本人が誇り高き狩猟民族であるセデック族を野蛮人として弾圧していたうらみが一度に噴き出したのです。
 もちろん、日本当局は反撃に出ます。奥深い山中で300人のセデック族の戦士に3000人の日本軍・警部隊は近代兵器をもちながらも翻弄され、深手を負っていきます。しかし、結局は、飛行機、大砲、毒ガスによる日本警察の包囲攻撃にセデック族の戦士たちは次々に戦死し、自決していくのでした。「セデック・バレ」とは、「真の人」を意味するセデック語です。死を覚悟しながら、信じる者のために戦った者たちの尊厳が示されています。
映画は圧倒的な迫力があり、2時間あまり息をひそめ、画面にひきこまれました。実は、上映時間があわず、2部構成の後半だけみたのです。
いま、KBCシネマで上映中です。日本が戦前、何をしていたのか知ることのできる貴重な映画でもあります。加害者は忘れても、被害者は忘れないことを証明する映画でもあります。台湾で多くの賞をとったのも当然の傑作です。ベネチア国際映画祭でもワールドプレミア賞をとっています。
(1980年12月刊。2500円+税)

核時計・零時1分前

カテゴリー:アメリカ

著者  マイケル・ドブズ 、 出版  NHK出版
背筋の凍る怖いドキュメントです。核戦争が勃発する寸前だったのですね、キューバ危機って・・・。
 ときは1962年10月。アメリカはケネディ大統領、ソ連はフルシチョク首相です。どちらもトップは核戦争回避の道を真剣に探ります。しかし、部下たち、とりわけ軍人たちは「敵は叩け」と声高に言いつのります。日本を空襲して焼野原にし、ベトナム戦争でも空爆によってベトナムを石器時代に戻すと叫んでいたカーチス・ルメイ大将(空軍参謀総長)がタカ派の先頭にいます。あんな、ちっぽけ島(キューバ)なんか「島ごとフライにしろ」、つまり燃やし尽くしてしまえばいいという怖い考えにこり固まっています。このルメイ将軍は日本列島を焼け野原にした張本人ですが、戦後、日本政府は勲章を授与しています。日本の支配層の卑屈さには呆れます。
 部下たちの暴走は、いったい止められるのか。既成事実が次々に危ない展開を見せていき、トップ集団は方針をまとめることができません。怖いですね・・・。なにしろ、キューバに持ち込まれていたソ連の核弾頭は半端な数ではありません。そして、アメリカだって核爆弾を飛行機に積み、船に積み、ミサイルに装着していたのです。よくぞ、こんな動きが寸前に回避できたものです。
 ケネディ大統領にとって戦争とは、軍部が常に何もかも台無しにする場であった。
 要するに、軍部を信用してはいけないということです。
 マクナマラ国防長官はキューバに配備されたソ連軍に配備されたソ連軍の兵力を6000~8000と見積もった。しかし、実際には4万人のソ連軍がキューバにいて、うち1万人は精鋭の将兵だった。
 キューバ駐留のソ連軍はアメリカ軍の侵攻には抵抗せよと命じられたが、核兵器の使用は禁じられた。フルシチョフは、核弾頭の使用についての決定権は誰にも渡さないと決めていた。キューバに運び込まれたソ連の核兵器(核弾頭)は90発だった。
ソ連からの「要注意船」は10月24日の前日に既に引き返しはじめていた。その点、『13日間』は事実に反したことを書いている。
 アメリカの戦略空軍総司令官のパワー大将は既に空中にあり、15分以内に使用可能な核兵器を2962基も指揮下においていた。爆撃機1479機、空中給油機1003機、弾道ミサイル182機が「即応兵力」を形成していた。そして、その優先攻撃目標として、ソ連国内の220地点が選ばれていた。パワー大将は、ソ連との戦いが終わったとき、アメリカ人2人とロシア人1人が生き残っていれば、我々の勝ちだと考えていた。
 うひゃあ、これはなんとも恐ろしいことです・・・。
 キューバにいるソ連軍は、ワシントンだけでなく、ニューヨークも核弾頭の標的として想定していた。ソ連はキューバにFKR聯隊を2個配備した。いずれの聯隊も、核弾頭を40発と、巡航ミサイル発射機を8基そなえていた。キューバにあるアメリカ軍のグアンタナモ海軍基地にも核ミサイルをうち込む計画だった。
ケネディが学んだ教訓は、政治家たるもの、わが子を戦争に送り出すときは、よくよく考えた末にしたほうがよいということだ。
 10月27日(土)、事態はケネディそしてフルシチョフにも制御できないスピードで進行していた。キューバ上空では、アメリカの偵察機が撃墜された。ソ連領空には、別の一機が迷い込んだ。
 ケネディは、自分のアメリカの軍隊さえ完全に掌握できていなかった。フルシチョフにとって、ソ連が最初に核兵器を使う案は、どんなに脅されようと、怒鳴られようと、絶対に受け入れられない。カストロと違って、フルシチョフはソ連がアメリカに核戦争で勝てるなど思ってもいなかった。
 この当時、核戦争が勃発してもアメリカ政府が確実に生きのびられるように秘密計画が作成され、そのための精鋭ヘリコプター部隊が待機していた。大統領は、閣僚、最高裁判事、そして数千人の高官とともにワシントンから80キロ離れたウェザー山に避難する。そこには、緊急放送網、放射能除汚室、病院、緊急発電所、火葬場などが完備されていた。腰痛に悩むケネディ大統領のための15メートルプールもあった。ところが、そのとき家族を連れて行くことは許されていなかったのです。夫が妻子を残して、自分だけ助かるというのです。みんな、そうするでしょうか・・・。
 地位の高い者ほど、今の聞きが平和的に解決されることについて悲観的だった。軍人に任せると戦争が現実化してしまうことがよく分かります。口先だけで勇ましいことを言う石原慎太郎のような人物ですね。自分と家族は後方の安全なところにひっこんでいて、兵隊には「突撃!」と叫ぶような連中です。
「キューバ危機」って、本当に笑えない綱渡りの連続だったことがよく分かる本です。その圧倒的迫力は『13日間』をしのぎます。
(2010年1月刊。3100円+税)

笑いのこころ、ユーモアのセンス

カテゴリー:人間

著者  織田 正吉 、 出版  岩波現代文庫
笑いは本当に大切だと思います。涙もストレス発散になるそうですが、やはり笑いにまさるものはないでしょう。
 私は事務所内で笑いの絶えることのないよう心がけています。みんなで気持ちよく仕事をしたいからです。もちろん、深刻な相談を受けているそばで高笑いがあるのは困ります。でも、ずっとずっと胸ふさがる深刻な話を聞いていると、それだけで気が滅入ってしまい、仕事に手がつかないというのでも困るのです。どこかで、気持ちをすっぱり切り換える必要があります。そんなときの救世主こそ、笑いです。
 この本は、この笑いを古今東西、あらゆる角度からアプローチして、その意義を真面目に考えたものです。
茶化すとは、茶にするとも言う。まじめな話を笑いごとにしてしまうこと。まじめな問題を冗談ごとにして話をはぐらかすこと。江戸時代の言葉である。
 ノーマン・カズンズは笑いによって病気も治ると主張した。しかし、笑いさえすれば病気が治ると言ったのではない。重症の患者に必要なことは不安の解消であり、笑いに代表される消極的情緒、つまり希望、信念、愛情、快活、生き甲斐などは医師と患者の協力関係を良くし、回復の見込みを大きくする。
 ギャグの原義は、口をさるぐつわでふさぐこと。セリフを忘れた役者がデタラメのセリフでごまかそうとするのを、相手がその口をふさいだことから、このギャグという言葉が生まれた。喜劇の部品としてのギャグは、日常性に馴らされた頭に瞬間的な刺激を与え、笑いを生む。
 ジェットコースターに乗ったあと、降りてくる人は例外なく笑いを浮かべている。
 緊張の持続に耐えられなくなると、無意識に緊張が緩もうとする。それを引き締めようとする気持ちと、緩めようとする気持ちが揺れ動き、笑いを呼ぶ。体温が高くなると汗が出て自立的に体温が調整されるように、緊張が続くと自然に笑いが起きて解消され、精神の平衡が保たれる。笑いは心の汗である。
 アメリカ人がパーティーや式典でスピーチをするとき、始めにジョークを言うのは、式が始まったときの固い雰囲気をほぐすため。
 ユーモアは、自然や芸術に接するのと同じように自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、ほんの数秒間でも周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっている何かなのだ。それは生きるためのまやかしだ。
 大変な学識の詰まった300頁ほどの文庫本です。内容は濃いものがあります。
(2013年4月刊。1040円+税)

古代ローマ帝国1万5000キロの旅

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  アルベルト・アンジェラ 、 出版  河出書房新社
古代ローマ帝国の実態を克明に紹介した画期的な本です。この本によっていくつも新しい知見を得ました。なかでも怖いなと思ったのは、古代ローマでは誘拐が頻繁だったということです。
ローマ人の誘拐の主な目的は、さらった相手を奴隷にすることにあった。奴隷は毎年50万人も新しく加えられていた。どうやってか・・・。第一に戦争によって、第二に国境の外での人間狩り、第三に誘拐によって。
誘拐はどこでも起きる可能性があり、安全な場所などなかった。パン屋のあるじがお客を、宿屋が泊まり客を誘拐して奴隷として売り飛ばすことさえあった。路上も危ない。帰宅の途中、仕事への途中で誘拐されることさえあった。そして大農園のなかで、劣悪な労働環境の下で、死ぬまで働かされた。誘拐は、手っとり早く、ただ奴隷を手に入れる手段になっていた。誘拐犯が好む相手は子どもだった。古代ローマでは、出かけるときには誰もが外で誘拐にあうという危険な認識をしていなければならなかった。うへーっ、こ、これは怖いことですね。
 話は変わりますが、私はフランスのポン・デュ・ガールに行ったことがあります。南フランスのアヴィンヨンからバスで1時間ほどのところにありました。古代ローマの水道橋なのですが、実に状観です。三段になったアーチ型の優美かつ壮大な水道橋です。本当に圧倒されます。高さ48メートル、長さ370メートルというものです。2000年前のものが今もそのまま残っているなんて、すごいことですよね。
 水道橋ですから、要するに水を流していたわけです。どうやってか・・・。勾配をつけていたのです。水源から町までの50キロメートルを、山あり、谷あり、川ありの所を一定の勾配で水を通したのです。その勾配は1キロメートルあたり25センチというのです。1センチの誤差もなく、50キロにわたって導水管を通していたというのですから、古代ローマ人の土木技術の水準の高さには開いた口がふさがりません。それをわずか15年で完成したというのです。ここまでくると、いやはや、何とも言いようがありません。
古代ローマ人の造ったもっとも偉大な建造物は、何か・・・。それは、道路である。全長8万キロ以上になる。地球を2周できる計算だ。
そして、これは軍事目的でつくられた道路だ。古代ローマの道路は、水はけがよく、水がたまらない。道幅は4メートルあって、2台の馬車が行き違えるようになっていた。
古代ローマの女性は、法律上夫や兄弟に干渉されることなく、家族の遺産や財産を自由に使うことができた。女性も男性と同じように寝そべって食事するし、公共浴場に行くし、飲酒もする。そして、容易に離婚できたので、次から次に離婚した女性も少なくなかった。
古代ローマの女性は、大きな権力と夫からの自立を得ていた。離婚も、数人の証人の前で宣言するだけでよかった。離婚するときには、基本的に持参金の金額が女性に返還された。
古代ローマのスタジアムには15万人も収容できるものがあった。現代のスタジアムでも、その規模のものはない。映画『ベン・ハー』は、古代ローマの競技用戦車そのものを再現しているのではない。あれでは、あまり重すぎて、レースに参加することはできない。
古代ローマ人の生活をまざまざと再現してくれる面白い本です。
(2013年2月刊。3200円+税)

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